小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

出雲大社その5 大国主は祟り神?(日本書紀から)

2014年02月02日 00時12分52秒 | パワースポット
パワースポット編 ―出雲大社その5 大国主は祟り神?(日本書紀から)―


 一方、『日本書紀』には、出雲大神の祟りについての話は載っていない。
 ホムチワケも白鳥を捕らえてそれで口がきけるようになっている。

 ただし、垂仁天皇の先代10代崇神天皇の記事には次のように記されて
いる。

 崇神天皇5年に、疫病が流行し、多くの人が死んで国が乱れたので天皇
が神に占ってみた。
 この時まで、天照御大神と倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマの神)を
天皇の大殿にて祀っていたのを、「ともに神の勢いが強すぎて同じところ
に祀られておられなくなったのであろう」と、天照御大神を笠縫邑(かさ
ぬいむら)に移して(豊鍬入姫命トヨスキイリヒメノミコト)に祀らせ、倭大
国魂神を渟名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に祀らせることに
した。

 しかしヌナキイリヒメは、髪が抜け落ち、体が痩せ衰え、祭祀を行うこ
とができなくなってしまった。
 7年の春2月に天皇が神浅茅原に八十万の神々を集めて占うと、大物主
の神が倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトビモモソヒメノミコト)に憑依して、
 「国が治まらぬことを憂うる必要はない。吾を祀れば必ず国は安らかに
なる」
と、告げたので、天皇は大物主の祭祀を行ったが、疫病は一向に治まりは
しなかった。

 そこで天皇が再び神に占うと、その夜、天皇の夢の中に大物主の神が現れ、
 「天皇よ、憂うるではない。国が治まらないのは吾の意思である。わが子
オオタタネコに吾の祭祀を行わせればたちどころに国は治まり、また海外の
国もおのずと従うであろう」
と、告げた。
 八月に、倭迹速神浅茅原目妙姫(ヤマトトハヤカムアサヂハラマクワシヒ
メ)と、穂積臣の祖大水口宿禰(オオミナクチノスクネ)と、伊勢麻績君(イセ
ノオミの君)の3人が共に同じ夢を見て、天皇に、
 「昨夜夢の中にひとりの貴人が現れまして、『オオタタネコノミコトをして
大物主大神を祀らせ、市磯長尾市(イチシノナガオチ)をして倭大国魂神
を祀らせれば必ず天下は治まる』と申しました」 
と、報告をした。

 このことで、天皇は、これは間違いないとお考えになられ、オオタタネコ
を見つけだして大物主大神を祀らせた。
 また、イチシノナガオチ)をもって倭の大国魂神を祀る神主とした。
 また伊香色雄(イカガシコオ)に、祭祀のための物部の八十平瓦を作らせた。
 さらに天皇はその他の八十万の神々を祀った。
 それにより、ようやく疫病の猛威はおさまった。


 ここには、大国主という名称は出てこない。ただし『日本書紀』には、

 「大国主神、またの名を大物主神、または国作大己貴命と申す。または葦原
醜男と申す。または八千戈神と申す、または大国玉神と申す。または顕国玉神
と申す」

と、あり、大国主には7つの名前があり、その1つが大物主であり大国玉の神
である、とする。
倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマの神)が大国玉神(オオクニタマの神)と同神
なのかどうかは研究者の間でも意見が分かれている。

しかし、である。
奈良県桜井市の大神神社内には摂社狭井神社が鎮座するが、この狭井神社は
同時に大倭神社の別社でもあるという。
 狭井神社では5柱の神を祀るが、主祭神は大国魂神(オオクニタマの神)と
なっていて、この神は、大己貴命荒魂神である、とする。『大倭神社註進状』
には、大己貴命之荒魂大国魂神となっているという。
 大物主が大国主の和魂なのに対して大倭国魂神は大国主の荒魂だというので
ある。

 じゃあ、これで大倭国魂神が大国主のこと、ってことで決着じゃん、かと思
うと問題がひとつある。
 『大倭神社註進状』が後世に書かれたものだという「偽書説」があるのだ。
 そんなわけで、結局のところ、大倭国魂神と大国主が同神なのかどうかはよ
くわからない。

ただ近年、奈良の纏向遺跡から、伊勢神宮の正宮と同じ造りの建物跡と、出雲
大社の本殿と同じ造りの建物跡が発見された。
 『日本書紀』の、天照御大神と倭大国魂神を天皇の大殿にて祀っていた記述
を信用するならば、やはり、大倭国魂神と大国主が同一視されていた可能性は
ある。

(つづく)

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