小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

603八千矛の神 その8

2017年07月20日 01時27分31秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生603 ―八千矛の神 その8―
 
 
 『万葉集』巻16-3807が天語と関連しているとする説についてはすでに紹介しましたが、本田義憲「中央の
神々―構造と歴史との間において―」(『講座 日本の古代信仰4 呪祷と文学』に収録)は、『万葉集』巻十三に
収録されている歌の中からも天語との関連を見ることができる、とします。
 
 その歌は『万葉集』の注釈に、柿本人麻呂の歌集より採った、とありますが、その歌集はすべて人麻呂の作に
よるものか、あるいは他の人の詠んだ歌も収録しているのかわかりませんので、ここで紹介する歌も人麻呂の
作であるかどうかはやはり不明です。
 
巻13-3310
 
隠口(こもりく)の 伯瀬(はつせ)の国に さ結婚に わが来れば たな曇り 雪は降り来 さ曇り 雨は降り来 
野つ島 雉はとよみ 家つ鳥 鶏も鳴く さ夜はふけ この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ
 
(現代語訳)
 伯瀬の国に 結婚に私がやって来ると、一面に曇って雪は降って来、曇って雨は降って来る。雉は鳴き立て、
鶏も鳴く。夜は明け、この夜は明けてしまう。入ってそして共寝をしたい。この戸を開けて下さい。
 
 この歌に対する返歌が巻13-3312で、
 
 隠口の 伯瀬小国に よばい為す わが天皇よ 奥床に 母は寝たり 外床に 父は寝たり 起き立たば 
母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許(ここだく)も 思うごとならぬ 
隠妻かも
 
(現代語訳)
 伯瀬の国に 私を求めておいでになった天皇よ、奥の床には母が寝ています。外側の床には父が寝ています。
私が起き立ったらばきっと母が気づくでしょう。出て行ったらばきっと父が気づくでしょう。夜は明けはなれてしま
いました。ほんとに何とも思うようにできない隠れ妻です。
 
 なお、歌の中にある「天皇(すめろぎ)」ですが、伯瀬が登場することから、ここに宮を置いた雄略天皇ではないか、
と言われています。
 しかし、この歌のやり取りやりとは、天語よりはむしろ神語における八千矛神と沼河比売のやり取りと似ています。
 もし仮にこの歌の天皇が雄略天皇だとすれば、一方では天語の主人公であり、もう一方では神語と似た恋話の
主人公をも務めていることになります。つまりは、天語と神語が別々のものではなく一体のものであった可能性が
出てくるのです。
 
 そうは言ってみても、天語と神語ではその内容が大きく異なっているように思えます。
 天語が王を讃えて酒を献上するものであり、かつ雄略天皇が荒々しい一面を見せているのに対し、神語や『万葉集』
巻十三の歌が妻問の物語で、しかも女性がやんわりと拒絶する内容になっています。
 もっとも、八千矛神と沼河比売がそれでも結婚しているわけですし、『播磨国風土記』でも、景行天皇が印南の
別嬢(いなみのわきいらつめ)を妻問した時、印南の別嬢は、はじめ南毗都麻嶋(ナビツマ島)に隠れてしまいますが
最後には后になっているわけですから、神語は決して王が振られてしまうといった内容ではなく、逆に妻を得る話に
なっていることになります。
 
 さて、ここで『古事記』にある、仁徳天皇と黒比売の話をもう1度採り上げてみたいと思います。
 黒比売は吉備の海部直(あまべのあたい)の娘で宮中に仕える女性でしが、仁徳天皇の寵愛を受けます。天皇も
黒比売を妃に迎えたいと思っていましたが、黒比売は皇后の嫉妬を恐れて吉備に帰ってしまいます。
 そこで黒比売のことが忘れられない天皇は、皇后には、
 「淡路島に行ってくる」
とだけ言って、まず淡路島に渡った後、黒比売に会い吉備へ行きます。
 淡路島に渡った時に天皇は、
 
おしてるや 難波の崎よ いで立ちて わが国見れば 淡島 淤能碁呂島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 佐気都島 見ゆ
 
と、歌っています。
 しかし、この歌は淡路島で歌ったものと見るよりは難波宮の高殿より詠んだものと見た方が自然なように思えます。
 そう考えてみると、『日本書紀』にある応神天皇と妃の兄媛(えひめ)の物語にも関連した部分が登場します。そもそも
この物語は『古事記』の仁徳天皇と黒比売の物語と非常に似通ったものですが、ここで採り上げたいのは次の部分です、
 兄媛は吉備臣の祖御友別(みともわけ)の娘ですが、応神天皇が難波の大隅宮の高殿にて遠方を眺めていた時に、
兄姫が西の方(吉備の方角)を見て
 「もう長い間父母にあっておりません。しばらく故郷に帰って父母によくしたいと思います」
と、帰郷を願い出る、というこの部分なのです。
 なぜ、この部分に注目するのかと言うと、これが天皇の国見を意味するからです。
 仁徳天皇の歌も、内容を見れば恋歌などではなく国見の歌となっています。
 『古事記』の仁徳天皇も、『日本書紀』の応神天皇も、妻問のために淡路島から吉備へと渡っていきますが、そこに
国見のエピソードがあるとするのなら、それは王の国見の儀礼と妻問がセットになっているということになるのです。

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