小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

608 八千矛の神 その13

2017年09月10日 02時04分42秒 | 大国主の誕生
 またまたと言うべきか・・・諸事情で更新を休んでおりました。
 しばらくは更新もルーズになってしまうかもしれませんが、がんばりますので
お付き合いのほどよろしくお願いします。
 
 
大国主の誕生608―八千矛の神 その13―
 
 
 それは、諏訪大社をはじめ信濃には綿津見神の御子神たちを祭祀する神社が集まっている、と
いうことです。
 
 たとえば。
 松代氏の、玉依比売を祀る玉依毘売命神社
 安曇野市の、穂高見命を祀る穂高神社
 豊玉比売と玉依比売姉妹と穂高見命はともに綿津見命の御子神であり、同じく八坂刀売神(ヤサカ
トメ神)も綿津見命の御子神であるといいます。そして、『新撰姓氏録』ではこの穂高見命が阿曇氏の
始祖となっているのです。
 八坂刀売命は記紀神話には登場しないので、民間伝承によるところが大きいのですが、穂高見命の
妹とも言われ、あるいは綿津見命ではなく天八坂彦命の御子神とする伝承もあります。
 問題はこの八坂刀売が信濃の諏訪大社で祀られており、かつ建御名方神の妻である、ということです。
 その建御名方神の名を冠した神社が、長野市の健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみこ
とひこかみわけ神社)と飯山市の健御名方富命彦神別神社とあり、そして諏訪市の諏訪大社でも主祭神
として祀られているのです。
 
 そして、長野市には宇都志日金折命(ウツシヒガネサクノミコト)を祀る氷鉇斗売神社(ひかなとめ神社)
があり、『古事記』にはこの神が阿曇氏の始祖と記されていることから、穂高見命と同神とも言われて
います。
 
 このように、信濃国に綿津見神の御子神を祀る神社が集中している理由のひとつとして考えられる
ことは、阿曇氏の存在です。穂高神社が鎮座する地の名が安曇野市であることも阿曇氏の存在を示す
ものです。
 それに、信濃国には海がないにもかかわらず、海部、磯部、船山、大島、中島など海に関係する地名が
少なくないのも海人である阿曇氏がこの地にいたためだと考えられています。
 
 ただ、ここでひとつ疑問を抱かれる人もいるかと思います。
 海人の宰(みこともち)である阿曇氏がなぜ海のない信濃国に住んでいたのか?
 この疑問については、信濃国だけでなく、やはり海のない近江国にも阿曇氏の足跡を見出すことが
できるのです。近江国すなわち滋賀県にはかつて高島郡安曇川町(現在の高島市安曇川町)の地名が
存在しました。
 安曇川町は、滋賀県を流れる安曇川から来た地名ですが、川の名称も含めて阿曇氏からつけられた
ものであるとも言われています。
 
 海人である阿曇氏が内陸に進出し、海がない信濃国に海神綿津見命の御子神たちを祀っている。
 一見不思議に見えることですが、海人が陸にあがることはその実不思議ではないことなのです。
 『古事記』によれば、大国主の前に海を照らしながらやって来た神は、御諸山に鎮座したとあります。
 穂高見命も奥穂高岳に降臨してそこに鎮座したと伝えられており、穂高神社嶺宮がそれだとされて
います。
 
 これらは言わば山岳信仰の性格を持つものですが、海人の信仰の場合、山岳にとどまらず大地その
ものへの信仰に結びつくようです。
 それが信濃国の生島足島神社の存在であり、難波の難波坐生國咲國魂神社であるわけです。
 生島足島神社については、大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)も、信濃に入った海人たちの東国開発の
ための国魂神として、生島足島神は祀られたのだろう、とします。
 これは同じく海人の性格を秘めた始祖伝承を持つ倭氏も同様で、倭大国魂神を祭祀しています。しかも、
倭氏は『古事記』、『日本書紀』ともに倭氏は神武天皇が大和に向かう途中にその傘下に加わった、つまり
大和土着の氏族ではないにもかかわらずです。
 
 さらに興味深いことには、倭氏が倭大国魂神を祀る奈良県天理市の大和神社(おおやまと神社)の別社、
丹生川上神社が鎮座する大和国吉野郡には、大名持神社があり、平安時代には正一位を授かって
吉野郡の神社の中では、大名持神社が最高位になっているのです。
 
 このことは、国魂神の祭祀が大国主の信仰と結びついたためだと考えられるのですが、ただ、倭大国魂神の
祭祀も三輪氏(神氏)と結びつくのです。
 それは、『日本書紀』の崇神紀の伝承にあるだけでなく、三輪氏が祭祀する大和の大神神社の摂社である
狭井神社が大和神社の別社であり、大和神主によって祭祀されていたことからもうかがうことができます。
 しかも、大和神社の「大倭神社註進状 並率川神社記」によれば、狭井神社の主祭神は大国魂神で、この
神は大己貴(大国主)の荒魂である、とあるのです。
 
 信濃において阿曇氏が三輪氏と関連があり、大和において倭氏が三輪氏と関連がある。
 その理由は、大国主の神話もまた大きく関係しているのです。

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