小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

176 出雲と菟上王

2013年09月11日 01時10分01秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生176 ―出雲と菟上王―


 諸氏族が大物主を担ぎ出して仏教の導入に抵抗するために、
タケミカヅチを大物主に結びつけたとしても、その後どうし
てタケミカヅチが国譲り神話で大役を担うようになったので
しょうか。

 もっとも、タケミカヅチが高天の原の正使となっているの
は『古事記』のみで、『日本書紀』の本文では副使になって
いますし、出雲側の「出雲国造神賀詞」には登場さえしない
ので、タケミカヅチが正使となっている『古事記』の伝承は
明らかに新しいものだと言えるでしょう。

 これらのことから、藤原氏によるもの、と考えられます。

 藤原氏は、言うまでもなく中臣鎌足が藤原の姓を賜り、そ
の後鎌足の一族は藤原氏を称するようになったのですが、物
部氏滅亡後もタケミカヅチの祭祀を継承し続け、その過程で、
天つ神としての建御雷へと変化していったのではないでしょ
うか。

 天つ神としてのタケミカヅチが天之尾羽張の子とされたこ
とから、尾張氏もこれに関係していたのかもしれません。

 尾張氏もまた物部氏滅亡後も、天武天皇に味方するなどし
て、後々まで生き残っています。


 ところで、タケミカヅチから神々を見つめ直してみた時に、
出雲系の神々が絡んでいることに気づかされます。

 タケミカヅチが活躍する国譲り神話などが特にそうですが、
この中で鴨の神である事代主は大国主の御子神として登場し
ますし、鴨の「中鴨社」の葛木御歳神社の御歳神が『古事記』
にはスサノオの系譜に組み込まれています。

 それに、多神社のサカツヒメとサカツヒコが、「社司多神
命秘伝」によれば、天照大御神とオシホミミであり、大物主
の妻子であると考察されるのに対し、『古事記』では、オシ
ホミミは天の安河において、スサノオがアマテラスの珠から
生みだしたとなっています。

 生みだしたのはスサノオですが、アマテラスの身に着けてい
るものから生まれたからアマテラスの子である、と『古事記』
は伝えますが、明らかにアマテラスとスサノオの「共同作業」
によって生まれているのです。

 『古事記』がスサノオとアマテラスの子としないのは、アマ
テラスを皇祖神とし同時に絶対唯一の太陽神とする上で処女神
であるとするためだと思われます。

 しかし、オオモノヌシとアマテラス(サカツヒメ)の子が、
スサノオによって生み出されたアマテラスの子、と変化したの
も出雲国造の何らかの働きがあったのでしょう。

 そう考えられるのは、天の安河においてオシホミミが誕生し
た時に、一緒に出雲国造の祖アメノホヒも誕生しているからで
す。


 では、水口神社の伝承はどうでしょうか。

 稲田姫命が天照大御神の神鏡を奉じて近江にやって来た、と
いう伝承は『日本書紀』のヤマトヒメのものと同じなのですが、
問題は、なぜクシナダヒメと同神のイナダヒメに代わったのか、
ということです。

 もっとも、この答えは前に言いましたように不明なのですが、
これが垂仁天皇の時代というところがミソなのです。

 『古事記』では、垂仁天皇の最初の皇后サホビメが生んだ皇
子ホムチワケは成長しても言葉を発することがなく、出雲大神
の宮を訪ねることで口がきけるようになった、とあります。

 この時ホムチワケの供をしたのが曙立王(アケタツの王)と
莵上王(ウナカミの王)の兄弟でした。

 『常陸国風土記』の久慈郡薩都(さつ)の里の条には、莵上
命(ウナカミノミコト)が土雲を誅した、とあります。

 この莵上命が莵上王と同一人物なのかどうかはわかりません
が、莵上という名は、常陸の莵上郡(海上郡)に関係している
と考えてよいでしょう。

 それに『古事記』は、

 「アメノホヒの子建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)は、
出雲国造、无邪志国造、上莵上国造、下莵上国造、伊自牟国造、
津島縣直、遠江国造等の祖」

と、記しており、上莵上国造と下莵上国造は出雲国造と同じ
アメノホヒ系になるのです。

 莵上王を祀る神社は、実は三重県にあります。
いなべ市の莵上神社と四日市市の菟上耳利神社(うなかみみ
みとし神社)がそれです。

 四日市市の神社の名前が莵上耳利とあるのは、明治時代に
耳利神社が合祀されたためで、それまでは莵上神社でした。
 どちらの神社も祭神は莵上王です。

 なお、愛知県豊川市に鎮座する莵足神社の祭神莵上足尼命を
莵上王のこととする意見もありますが、よくわかりません。

 ただ、伝承によれば、この莵上足尼命は葛城襲津彦の子孫と
あるので、垂仁朝よりもっと後世の人物ということになります。

 しかし、今度は莵上王を祀る神社がどうして三重県にあるの
か、という疑問が生まれます。


・・・つづく

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