小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

397 大和の海神

2015年06月06日 02時54分21秒 | 大国主の誕生

大国主の誕生397 ―大和の海神―

 

 海のない大和にも大山祇神を祭神とする神社があります。

 鴨山口神社です。
 この神社が鎮座する地は奈良県橿原市大字櫛羅(くじら)字大湊と、海に関係した地名で
あることでも有名です。
 
 それにしても、どうして大和にこのような海に関係するような地名があり、海神である大山
祇神が祀られているのでしょうか。
 海から来る神は山の上に鎮座します。たとえば大国主の前に海を照らしながらやって来た
神は御諸山(三輪山)に鎮座しましたし、海神の穂高見命は穂高岳に鎮座しました。
 大山祇神もその名に「大山」という言葉を含むように海神であると同時に山の神としての
信仰も持つのです。
 それに、鴨山口神社の「山口」とは山の麓、つまり「入山口」のことで、鴨山口神社も葛城
賀茂山の東麓に位置します。
 
 ですが、鴨山口神社の鎮座する地名からは海神として祭祀されているとしか思えないの
です、もしも山の神として祭祀していたのならどうしてこのような地名になったのか、地名と
いうものは必ずその由来があるものなのです。
 ならば、当時の葛城の人々は海とも縁が深かった、ということになります。
 葛城氏(葛城臣)がその勢力を誇った時代、葛城は海につながるルートを持っていたの
です。その海は伊勢湾かもしれないし南紀かもしれません。しかし、もっとも有力となるのは
やはり大阪湾でしょう。
 
 
 住吉大社の埴使の神事。畝傍山の土を取る際には、雲名梯神社を訪ね、ここで正使は
玉串を捧げ拝礼をし、副使は祝詞を奏します。
 このことは、畝傍山の土を取ることを、雲名梯神社の祭神、事代主の許可をいただく儀礼
なのです。
 なぜ事代主なのか、ということは三谷栄一もその著作の『日本神話の基盤』の中で問い
かけていますが、三島鴨神社や三嶋大社などでは事代主と大山祇がともに祀られている
ことにも関係があるのかもしれません。
 
 そもそも事代主の神話には海洋性が含まれます。
 
 『古事記』では、大国主が国譲りの是非について「わが子事代主が答える」と返答します
が、その時、事代主は魚釣りに出かけていたとありますし、国譲りに同意した後には、海上
で舟を垣にしてその中にその身を消しているのです。
 
 また『日本書紀』では、八尋熊鰐(やひろわに)に化けて、三嶋の溝樴姫(ミゾクイヒメ)の
もとに通って媛踏鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)を生んでいます。
 
 
 実際のところ、事代主と大山祇の関係は海神としての性格だけではないのです。
 『古事記』から見てみます。
 高天の原を追放されたスサノオが出雲へと天降ってきた時に、大山祇の子という足名椎
(アシナヅチ)手名椎(テナヅチ)夫婦とその娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)に出会います。
 クシナダヒメはヤマタノオロチの生贄に捧げられる運命にあり、話を聞いたスサノオはヤマ
タノオロチを倒してクシナダヒメを妻にします。
 ふたりの間には八島士奴美神(ヤシマジヌミノミの神)が生まれます。
 八島士奴美神の母クシナダヒメは大山祇の孫にあたるわけですが、この八島士奴美神も
大山祇の娘、木花知流比売(コノハナノチルヒメ)を娶って布波能母遅久奴須奴神(フハノ
モヂクヌスヌの神)が生まれます。
 そして、この布波能母遅久奴須奴神の子孫が大国主なのです。
 
 事代主はこの大国主の子となっていますから、事代主は大山祇の子孫ということになる
わけです。

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