大国主の誕生212 ―物部氏とタケミナカタ―
ここで、少しこれまでのことを整理してみましょう。
これらの3つの神話を並べてみると次のようになります。
①建御雷命と建御名方命(『古事記』)
②天日別命と伊勢津彦命(「伊勢国風土記逸文」)
③物部莵代、物部目と伊勢朝日郎(『日本書紀』)
このうち、①と②は、敗者がそれまでいた土地を出て信濃に遷る、という
ものです。
この点では、③のエピソードのみ、それまでの地主神が討伐側に討たれる
という最期をむかえているところが異なります。
①と②の共通点をもう1つ挙げると、タケミナカタもイセツヒコも、ともに
大国主の御子神とされている点です。
タケミナカタが大国主の子であることは『古事記』に記されているとおり
なのですが、イセツヒコも大国主の子である、というのは、『伊勢国風土記』
の別のいつ分の中に「出雲の神の子」と記され、また別名が出雲建子命とあ
ること、それに『播磨国風土記』に伊和大神の子と記されているからです。
伊和大神を祀るのは、播磨国一宮である伊和神社とされていますが、この
神社の祭神は大己貴(オオナムチ)となっており、つまり伊和大神は大国主
と同神ということです。
もっとも、多くの研究者たちはオオナムチとは別の神としていますが、
『播磨国風土記』において、伊和大神は、大国主の別名とされるオオナムチ
やアシハラシコオと共通した伝承をもち、また「出雲から来た」と記されて
いるのです。
さて、その『播磨国風土記』の揖保郡伊勢野の条に、
「山の峯に坐す神は、伊和大神の御子、伊勢都比古命(イセツヒコノミコト)
と伊勢都比売命(イセツヒメノミコト)」
と、あるのです。
信濃におけるタケミナカタの祭祀には、安曇氏が関係しているようですが、
タケミナカタの原郷と考えられる阿波国名方郡にも安曇氏がいました。
安曇氏がタケミナカタの祭祀に関わっているというのは、タケミナカタの
妻が、安曇氏の始祖綿津見神(ワタツミの神)の御子神であることにその理由
がありそうなのですが、阿波の忌部氏もワタツミ系の祭祀に関係している
ようです。
忌部氏は阿波の他にも伊勢や信濃にもいました。
忌部氏の始祖は天日鷲命(アメノヒワシノミコト)なのですが、このアメノ
ヒワシと②の天日別命はともに天村雲神(アメノムラクモの神)の御子神なの
です。
そして、アメノヒワケを始祖とする氏族に、伊勢の度会神主や伊勢国造が
いるのです。
伊勢が関係している以上、③の伝承もこれらと大きく関わってくることに
なります。
この③の伝承ですが、前回にお話したとおり、物部氏は采女の伝承と関わり
があり、伊勢の三重の采女が歌った歌は、『古事記』では、「天語歌(あまが
たりうた)」と呼んでいます。
このことから、天語氏もこれに関係していると思われるわけですが、天語氏も
『新撰姓氏録』によれば、阿波忌部氏と同じくアメノヒワシを祖としているの
です。
さて、その天語歌は、『古事記』に登場する、八千矛神こと大国主が高志の
沼河比売(ヌナカワヒメ)との間に交わした恋文のやりとりとよく似ています。
この点が重要なのです。
なぜなら、大国主と高志のヌナカワヒメとの間に生まれたのがタケミナカタ
だからです。
つまり、物部氏もまたタケミナカタと結びつくわけです。
ここで、少しこれまでのことを整理してみましょう。
これらの3つの神話を並べてみると次のようになります。
①建御雷命と建御名方命(『古事記』)
②天日別命と伊勢津彦命(「伊勢国風土記逸文」)
③物部莵代、物部目と伊勢朝日郎(『日本書紀』)
このうち、①と②は、敗者がそれまでいた土地を出て信濃に遷る、という
ものです。
この点では、③のエピソードのみ、それまでの地主神が討伐側に討たれる
という最期をむかえているところが異なります。
①と②の共通点をもう1つ挙げると、タケミナカタもイセツヒコも、ともに
大国主の御子神とされている点です。
タケミナカタが大国主の子であることは『古事記』に記されているとおり
なのですが、イセツヒコも大国主の子である、というのは、『伊勢国風土記』
の別のいつ分の中に「出雲の神の子」と記され、また別名が出雲建子命とあ
ること、それに『播磨国風土記』に伊和大神の子と記されているからです。
伊和大神を祀るのは、播磨国一宮である伊和神社とされていますが、この
神社の祭神は大己貴(オオナムチ)となっており、つまり伊和大神は大国主
と同神ということです。
もっとも、多くの研究者たちはオオナムチとは別の神としていますが、
『播磨国風土記』において、伊和大神は、大国主の別名とされるオオナムチ
やアシハラシコオと共通した伝承をもち、また「出雲から来た」と記されて
いるのです。
さて、その『播磨国風土記』の揖保郡伊勢野の条に、
「山の峯に坐す神は、伊和大神の御子、伊勢都比古命(イセツヒコノミコト)
と伊勢都比売命(イセツヒメノミコト)」
と、あるのです。
信濃におけるタケミナカタの祭祀には、安曇氏が関係しているようですが、
タケミナカタの原郷と考えられる阿波国名方郡にも安曇氏がいました。
安曇氏がタケミナカタの祭祀に関わっているというのは、タケミナカタの
妻が、安曇氏の始祖綿津見神(ワタツミの神)の御子神であることにその理由
がありそうなのですが、阿波の忌部氏もワタツミ系の祭祀に関係している
ようです。
忌部氏は阿波の他にも伊勢や信濃にもいました。
忌部氏の始祖は天日鷲命(アメノヒワシノミコト)なのですが、このアメノ
ヒワシと②の天日別命はともに天村雲神(アメノムラクモの神)の御子神なの
です。
そして、アメノヒワケを始祖とする氏族に、伊勢の度会神主や伊勢国造が
いるのです。
伊勢が関係している以上、③の伝承もこれらと大きく関わってくることに
なります。
この③の伝承ですが、前回にお話したとおり、物部氏は采女の伝承と関わり
があり、伊勢の三重の采女が歌った歌は、『古事記』では、「天語歌(あまが
たりうた)」と呼んでいます。
このことから、天語氏もこれに関係していると思われるわけですが、天語氏も
『新撰姓氏録』によれば、阿波忌部氏と同じくアメノヒワシを祖としているの
です。
さて、その天語歌は、『古事記』に登場する、八千矛神こと大国主が高志の
沼河比売(ヌナカワヒメ)との間に交わした恋文のやりとりとよく似ています。
この点が重要なのです。
なぜなら、大国主と高志のヌナカワヒメとの間に生まれたのがタケミナカタ
だからです。
つまり、物部氏もまたタケミナカタと結びつくわけです。