小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

529 出雲臣と青の人々 その2

2016年09月21日 00時38分11秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生529 ―出雲臣と青の人々 その2―
 
 
 福井県大飯郡高浜町といえば、高浜原発があることで有名ですが、この高浜町に青という地名が
あり、ここに青海神社(あおうみ)神社が鎮座します。
 式内社の青海神社に比定されており、祭神は神武天皇の案内をしたことで知られる椎根津彦命
(シイネツヒコノミコト)です。
 なお、新潟県加茂市にも青海神社(あおみ神社)が存在し、こちらの祭神も椎根津彦と、それと
大国魂神命(オオクニタマノミコト)で、この神は大国主の荒魂(あらみたま)と伝えられています。
 
 青海神社が鎮座する青は、かつては青郷といいましたが、その由来は忍海飯豊青尊が御名代
として賜ったことから来ていると伝えられています。
 本居宣長も『古事記伝』の中で青海神社の祭神を忍海飯豊青尊としているほどにゆかりが深い
ようです。
 それから、青葉山を真向かいに臨む地に禊池と称される遺構があり(現在は水が枯れている
状態)、この池で青尊が禊をしたという伝承も残されています。
 青葉山は若狭富士とも呼ばれる円錐形の愁眉な山で甘南備とされていますが、神社と青葉山を
結ぶ線上にて、石剣と石戈が頂上に向けて埋葬されているのが発見されました。
 
 この青葉山という名称で思い出されるエピソードがあります。
 それはホムチワケ伝承です。
 
 そして、次に挙げたいのが福井県大飯郡高浜町にある青という地名です。
 11代垂仁天皇の皇子、本牟智和気皇子(ホムチワケ皇子)は生まれた後、成人した後も言葉を
口にすることがありませんでした。
 それがある時に、空を飛ぶ白鳥を見て初めて何やら言葉らしきものを口にしたので、天皇はこの
白鳥を捕えさせました。
 『日本書紀』ではこれによってホムチワケは言葉を発するようになった、と伝えますが、『古事記』
では、なおも言葉を発することがなかった、とします。
 『古事記』では、その後天皇の夢の中に出雲大神が現れ、
 「わが宮を天皇の宮と同じくらい立派なものに造りかえたならば、皇子の口も必ずきけるように
なるであろう」
と、告げたので、曙立王(アケタツ王)と菟上王(ウナカミ王)の両名をお供につけて皇子を出雲に
行かせます。
 一行が出雲に着き、肥河(ひのかわ)にて出雲大神を祀っていた時に、出雲国造の祖岐比佐都美
(キヒサツミ)が川下にて青葉で山の飾りつけをして御子に大御食を奉ろうとしており、それを見た
皇子が、
 「この川下にある青葉の山は本当の山ではないね。もしかしてアシハラシコオの神を祀る者の斎場
なのか?」
と、質問をし、以降言葉を発するようになった、と伝えます。
 
 出雲国造の岐比佐都美がホムチワケに御食を奉るために青葉の山を造るのはどういう意味が
あったのでしょうか。
 これと青葉山は関係があるのでしょうか。
 その解答は出せませんが、高浜町の青海神社、新潟県加茂市の青海神社、そして出雲では、
あるひとつの共通点があります。それはともに日本海側に位置するということです。
 日本海側。これがキーワードとなります。
 
 
 さて、『日本書紀』ではこの出雲訪問の伝承が載せられていないのですが、その代わりに出雲振根
討伐の後日談としての話が載せられています。
 振根滅亡後、出雲臣たちが大神を祭祀することをやめてしまいましたが、丹波国氷上郡の氷香刀辺
(ヒカトベ)の子に、
 
 玉藻鎮石 出雲人の祭る 真種の甘美鏡 押し羽振る 甘美御神 底宝御宝主 山河の水泳る
(みずくくる)御魂 静かかる甘美御神 底宝御宝主 」
 
という神託があったので、氷香刀辺が皇太子活目命(後の垂仁天皇)にこれを伝え、皇太子から
崇神天皇に報告が上がって出雲大神の祭祀が復活された、とあります。
 
 神託の中にある「水泳る(みずくくる)御魂」にちなんだ神社が大阪府富田林市の美具久留御魂神社
(みぐくるみたま神社)です。社伝によると、大国主の神霊である美具久留御魂神を奉祭したのが当社の
創始ということですが、美具久留御魂とは大国主の荒魂であるといいます。
 新潟県加茂市の青海神社の祭神、大国魂神命も大国主の荒魂とあります。
 
 吉田実「美具久留御魂神社」(谷川健一編『日本の神々 神社と聖地3』に収録)には、
 
 「神職は古くから累代青谷氏がつとめている」
 
と、あります。
 美具久留御魂神社には六社の摂社がありますが、その中でもっとも古いとされるのが青箭宮
(あおや宮)で、ここに祀られている青谷正祐も歴代の神主のひとりといいます。
 
 城陽市の青谷村の旧地名や出雲とのつながり、そして垂仁天皇が祭祀の継続に関係すること、などの
共通性を持つ美具久留御魂神社にも「青の人々」が関係していたのです。

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