小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

キラちゃんの車酔い

2014年11月20日 01時30分49秒 | 日記
2012年1月3日(火)(3歳9か月)


 みんたが、十兵衛から、「正月はうちに飲みに来い」と、
誘ってもらっていたので、みんただけでなくうちの家族全員
でおじゃますることになった。

 この時に初めて分かったのだけど、実はキラちゃんは車酔い
しやすいタイプだった。

 いつも車で出かける時に、「どれくらい時間かかる?」と、
訊いてきていたのだけど、その理由はそれだったのか。

 そうなんだったら言っておいてくれていればよかったのに。

 がんばろうと思っていたのか、それとも日本語でどう言えば
いいかわからなかったのか。

 でも、だからそれで「お出かけはしたくない」とは1度も言わ
なかった。その点は評価してあげないとな。

 車酔いしやすい体質なら、大人でも出かけるのは嫌だ。

 だから、海外ホームステイでも、つい「行きたくない」と、
言う人もいなくはない。

 海外ホームステイでは、イヤなものはイヤとハッキリ言うこと
も大切だけど、その理由をきちんと伝えないと、ホストがいろいろ
気を使うことになる。

 キラちゃんが選択したのは、「がんばって一緒に行く」だった。

 えらい!

279 雄略天皇の葛城山での狩り

2014年11月20日 01時27分40秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生279 ―雄略天皇の葛城山での狩り―


 一言主神との出会いについて、『古事記』と『日本書紀』は同じことを書いている
ように見えて、実のところ、その内容は大きく異なります。
 『古事記』の記述では、雄略天皇は一言主神に対して畏怖の気持ちで接し、色々な
ものを献上しているのに対し、『日本書紀』はともに馬を並べて一緒に仮を行うなど、
神に対して対等の立場として描いているのです。

 こうした違いは、『日本書紀』では雄略五年の二月のこととされる、葛城山で狩りを
おこなった時のエピソードにも見られるのです。
 この話も『古事記』と『日本書紀』では大きく異なるのです。

(『古事記』)
 「ある時、天皇が葛城山の上に登られた時、大猪が現れました。
 天皇はすぐさま弓矢を取るとその大猪に射ましたが、大猪は怒って突進してきました。
 大猪のうたき(唸り声)に恐れて、天皇は榛の木の上に逃げ登って難を逃れますと、

 やすみしし わが大君の 遊ばしし 猪の 病猪の うたき畏み わが逃げのぼりし
 あり尾の 榛の木の枝

と、歌われたのでした」

(『日本書紀』)
 「獲物となった猪がたけり狂い、人々は逃げまどった。天皇のそばにいた舎人は恐怖
して木の上に登って逃げた。
 天皇はその舎人に向かって、
 『あの猪を弓で止めてとどめを刺せ』
と、命じたが、舎人はおそれおののいたままであった。
 そうしているうちに猪は天皇の前に迫った。
 天皇はみずから弓を引いて猪に命中させると、脚を振り上げて蹴り殺してしまった。
 それから、その舎人を切ろうとした時、舎人が、

 やすみしし わが大君の 遊ばしし 猪の 怒声畏(うたきかしこ)み わが逃げの
ぼりし 在丘(ありを)の上の 榛が枝 あせを

と、歌った
 それを聞いた皇后は不憫に思い、天皇に、
 『陛下が狩りをお好みになれるのはけっこうでございます。ですが、ご趣味のために
舎人を斬るという行為は獣と変わりないではないですか』
と、言った。
 天皇は皇后の言葉を受け入れて舎人を許してやり、
 『楽しきかな。人は狩りをして獣を得るが、朕は狩りをしてよい助言を得た』
と言った」

 『古事記』では、雄略天皇が着の上に登って逃げ、その後で歌を歌ったとなっている
のに対して、『日本書紀』では木の上に登って逃げたのは舎人であり、天皇は猪を殺して
しまう、そして歌を歌ったのも舎人、となっているのです。

 『日本書紀』の雄略天皇は、偉大な天皇であり神とも対等な存在として描かれています
が、『古事記』の方はそうではありません。
 葛城氏の本宗を滅ぼした雄略天皇ですがまだ葛城の地を完全に支配するには至らず、
葛城の神や大自然を畏れなければいけなかったのです。