小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

パンチャパンチャ

2014年11月05日 00時54分26秒 | 日記
2011年12月28日(水)(3歳8か月)


 家族全員で堺区のファミリーに行った。

 ただ今うちにステイしている韓国のキラちゃんも
一緒である。

 キラちゃんも韓国ヒッポのメンバーだし、そもそも
キラちゃんという名前もヒッポネームだ。

 ファミリーの帰りは、フェニックス通りを外れて
大小路通りから帰ることにした。

 大小路通り、と言っても堺市民以外の人にはピンと
来ないかもしれない。

 南海本線堺駅と南海高野線堺東駅を結ぶ通りの名称で
ある。

 実は家に帰るには、大小路通りを通るのは遠回りになる。

 なのにどうしてこちらから帰ったのかと言うと、毎年
12月になると、大小路通りの植樹にイルミネーションが
飾られているからだ。

 「キラキラやねえ。きれいやなあ」

と、みんなで言っていると、りえが、

 「パンチャパンチャ」

と、言った。

 みんたが、

 「りえ、韓国でキラキラはパンチャパンチャってよく
知ってたなあ」

と、感心する。

 りえの中にもだいぶ韓国語の音が入っているようだ。


273 倭氏と葛城②

2014年11月05日 00時45分22秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生273 ―倭氏と葛城②―


 シイネツヒコとオトウカシによって香久山の土の採取に成功した神武天皇は、続いて、
 「吾今まさに八十平瓫を以て水無に飴(たがね)を造らん」
と、言って飴を造ります。
 飴(たがね)とは、水銀と他の金属との合金と解釈されています。
 この時に、神武天皇が造らせた飴を使用して占いを行ったのがシイネツヒコなのです。
 また、この伝承にある水無は丹生川上神社の周辺を指すと解釈されています。
 丹生川上神社は、実は大倭神社の別社なのです。
 そのことは、『類聚三代格』の中に、大和神社神主大和人成が、別社丹生川上雨師神に
ついて解状を出したことが記されていますし、『大倭神社註進状』の中にも、「別社丹生
川上神社」と記されています。

 ここは水銀が関係しています。
 そもそも大倭神社の別社がこの吉野郡にあるのはどういった理由なのか、ということで
すが。

 紀伊から大和に向けて出立した神武天皇の軍は、吉野でイヒカ(『古事記』では井氷鹿、
『日本書紀』では井光)という神に出会います。この神は、光る井という名前が示すよう
に、水銀の採坑を表わしていると考えられています。
 古代においては、水銀から丹を作っていました。この丹は赤の塗料とし使用されていま
した。
 このイヒカが吉野の首の祖で、続いて現れた石押分之子(イシオシワクノコ)という神が
吉野の国栖の祖であると、『古事記』、『日本書紀』ともに記しています。
 この辺りは水銀の採取地でもあったのです。

 しかし、この吉野のイヒカが葛城でも祀られているのです。
 葛城市の長尾神社は、主祭神が天照大神と豊受大神ですが、水光姫命(ミヒカヒメノミコト)
と白雲別命が一緒に祀られているのです。
 水光姫命はイヒカのことで、この名は神武天皇から与えられたものだと伝えられています。

 さて、水銀と言えば、以前に、播磨の三重村の女とヤマトタケルの足が三重に折れ曲がった、
というのは水銀中毒による歩行困難であり、アヂスキタカヒコネやホムチワケが言葉を発しな
かった、というのも水銀中毒による言語障害だったという説があることを紹介しました。
 この中に、葛城の高鴨神社の祭神アヂスキタカヒコネがいることからも、倭大国魂神と葛城
の関係を考えずにはいられないのです。

 これらのことが、倭大国主神を祭祀する倭氏と葛城を結ぶものです。

 しかし、大国御魂神と倭大国魂神が同神とするには、大物主との関係にふれなくてはなりま
せん。
 大物主と倭大国魂神は切っても切れない関係にあると言っていいからです。
 『日本書紀』の、崇神天皇の時代に起きた国の乱れも、その原因は宮中で天照大神と倭大国
魂神をともに祀っていたためでしたが、そこに大物主も絡んできて、祭祀を要求するのです。
 その結果、倭大国魂神は倭氏の祖市磯長尾市が祭祀し、大物主はオオタタネコが祭祀すること
になるのですが、何度も採り上げたように、オオタタネコの子孫が三輪君と鴨君だと『古事記』
は記しています。

 そもそも、この両神の性格は、倭大国魂神が国土そのものを神格化したもので、大物主が
皇室と国家の守護神というものです。

 大物主は、奈良県桜井市の大神神社の祭神で、大神神社は三輪山に鎮座します。
『日本書紀』は、大国主の前に現れた神を、

 「これ、大三輪の神なり。この神の子は、甘茂君(鴨君)等、大三輪君等、また姫踏鞴五十
鈴姫命なり」

と、記し、『古事記』は、

 「これは御諸山に坐す神なり」

と、記すといったように、どちらも大物主だと明記していない、と前に指摘しました。
 大胆な仮説が許されるなら、この神は大物主ではなく別の神、すなわち、この神こそが大国
御魂神ではなかったではないでしょうか。