小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

交流会

2012年11月13日 02時30分13秒 | ヒッポファミリークラブ
2012年11月12日(月)

 きのう11月11日(日)は堺区のファミリーの講演会
でした。
 10月から始まった堺市内の3つのファミリーの講演会
のラストとなるものでした。

 ヒッポファミリークラブは営利団体ではありません
から広告などの活動はしていません。
 だから講演会は世間のみなさんにヒッポを知って
もらう機会でもあり、会員自身も、この活動の意義を
再発見するよい機会でもあります。

 さて、この講演会機関の間、うちの堺市東区の北野田
ファミリーでは交流会も行いました。

 わが家にオランダ人のマークがホームステイにやって
来たからです。

 マークは和泉市にある桃山学院大学の留学生です。
 11月2日(金)の大学が終わるとうちに来て、4日の
日曜日に帰っていきました。

 そこで、3日の土曜日の午前、うちの家族が所属する
和泉市のファミリーで交流会を行い、午後はうちで北野田
ファミリーの仲間たちや、先日の体験会に来てくれた人も
お誘いしてお茶会。
 翌4日の日曜日にはまた和泉市ファミリーのみんなと
バーベキュー。和泉市のファミリーの仲間たちも桃山大学
の留学生たちのホームステイ受け入れをしていたので
合同のバーベキューです。

 ところで、普段の、ヒッポの活動には、外国の人はいま
せん。
 たまに外国人のメンバーがいるファミリーもありますが、
彼らはメンバー。先生ではありません。
 時々、「外国人の先生がいなくて外国語が話せるように
なるの?」とおっしゃる方がいますが、ヒッポがしている
「多言語の自然習得」は赤ちゃんが自然に言葉が話せるよう
になるのと同じプロセスをたどるので大丈夫。
 逆に、外国の人がいると、

 「これは○○語でなんて言うの?」
などと質問して、教え教わるの関係になってしまいます。

 だから、みんな外国人メンバーの人にもそんな質問は
しません。
 みんな自然に言葉とその意味を見つけていくのです。

 そう言うと、「本当にそんなことできるの?」と、思わ
れる方もいるでしょうが、ひとりでやっているのではなく、
たくさんの人と一緒にしているから見つけられるのです。

 ところで、ヒッポには残念ながらオランダ語のCDが
ありません。
 
 でも、オランダ語は、英語やドイツ語の仲間なので、
何となくわかるのです。
 1つだけ例を挙げると、「ありがとう」が、
 英語だと「サンク・ユー(サンキュー)」
 ドイツ語は「ダンケ・シェーン」
 オランダ語は「ダンク・ユー」

 多言語とは、初めて耳にする言葉でも、「○○語に
似ている」と思えること、決して「知らない言葉」と
思って耳を閉ざしてしまうことがないものなのです。

 しかし、マークいいヤツだったな。
 2月にオランダに帰ってしまうらしいけど、それまで
にまた会いたいものです。

48 神託が丹波だった理由

2012年11月13日 02時18分01秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生48 ―神託が丹波だった理由―


 ところで、出雲フルネが大和政権に滅ぼされた後、行われなくなった
出雲の大神の祭祀を復活するよう神託が、出雲ではなく丹波の氷上郡の
子によってなされたのはどうしてなのでしょう。

 丹波の氷上郡は現在の京都府南丹市になりますが、ここと出雲の関係
を考察させるもののひとつに園部垣内古墳からの出土品の存在がありま
す。
 京都府南丹市の園部垣内古墳から出土した勾玉と鏃型石製品に蛍光X
線分析をかけたところ、出雲の花仙山産出の碧玉製品であることが判明
しました。
この園部垣内古墳から出土した鏃型石製品は鑿頭式石製鏃といわれるも
ので、山陰地方に広く分布しており、出雲玉作遺跡からも鑿頭式石製鏃
の未完成品と見られるものも出土しています。

 氷香刀辺の子の神託の意味を多くの研究家は、「玉藻のたなびく清流
の中に眠る鏡」が神宝で、これを取り出して再び出雲大神を祭祀せよ、
という内容だと解釈をしています。
 井上辰夫(『古代王権と語部』)も、「水くくる御魂」とあるのを、
「水の中で禊をされた鏡」と解釈しています。すなわち、忌まわしい事件
でケガレを負った神宝を清流で浄化し、呪力を復活させることだとする
解釈です。
 それと言うのも、この地方が水取部である鴨県主(かものあがたぬし)
の分布地であることを理由に挙げています。
 水取部は氷室の管理も行っていましたが、丹波の桑田郡にも氷室が置か
れていました。それが南丹市八木町氷所に比定されていて、この八木町
氷所には現在、氷室の郷という農村環境公園が造られています。

 それから、亀岡市の湯の山温泉の近くにある宮川神社は、式内社の神野
神社に比定されていますが、ここの祭神は伊賀古谷姫で、鴨県主のご先祖
のひとりです。
 「山城国風土記逸文」には次のようにあります。

 カモタケツミノミコト(賀茂建角身命)は、丹波の神野の神イカコヤヒメ
(伊可古夜日女)を妻に迎え、タマヨリヒコ(玉依日子)とタマヨリヒメ(
玉依日売)が生まれた。
 タマヨリヒメが石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、河上から丹塗矢
が流れてきた。それを拾い、家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊
して男の子を生んだ。
 その子が成長すると、祖父のタケツミの命は神々を集めて7日7晩宴を開い
た。そうして、孫に向かって、
 「お前の父と思う人に酒を飲ませよ」
と、言うと、その子は杯をかかげたまま、屋根を突き破って天に昇っていった。
 その子は祖父のカモタケツミノミコトの名にちなんでカモワケイカヅチノ
ミコト(賀茂別雷命)という。
 タマヨリヒメが拾った丹塗矢は、天つ神ホノイカヅチの神(火雷神)で
あった。

 丹波の神野の神イカコヤヒメとありますが、亀岡市の宮川神社の他にも、
南丹市八木町にも神野神社(下鴨宮)があり、丹波市氷上町にも神野神社が
あります。

 また、鴨県主は、鴨君(かものきみ)と同族であったと言われ、発祥は
大和葛城の鴨であるとされています。

 前回、『出雲国風土記』の仁多郡の記事にある恋山の伝承と『日本書紀』
にあるコトシロヌシの神婚譚の類似についてお話しましたが、コトシロヌシ
は大和で広く信仰されていた神であり、葛城の鴨に鴨都波八重事代主神社(
鴨都波神社)がその代表と言えます。
 鴨都波神社は、アジシキタカヒコネを祀る高鴨神社に対して下鴨社と呼ば
れたりもしますが、コトシロヌシもアジスキタカヒコネも『古事記』などで
はオオクニヌシの子とされています。

 このアジシキタカヒコネの神話が、恋山と同じ『出雲国風土記』の仁多郡
の項に登場するのですが、その内容がホムチワケ伝承によく似ていることは
前にもお話しました(第7回「アジシキタカヒコネの神話」)。


・・・つづく