2008年8月4日(月)(0歳4か月)
春奈が生まれてくる前に、僕は「五体満足に生まれてきてくれれ
ばそれでいい」、と、よく人に言っていた。
それじゃあ、何かい?障害を持って生まれてきた子は不幸って思っ
てんのかい?と、つっこまれると困る。
野口英世みたいに、障害があってもそれを利用してしたたかに生き
た人もいる。
そんな人もいるわけだし、と思う反面、いやいや、野口英世なんて
人間的にどうだか、なので、もしも春奈が野口英世みたいな人間に
なったらいやだな、とも思う。
などと言うと、天国の野口英世に・・・いや、日本が誇る偉人だ。
お札の顔にもなった。
敬意を表して野口先生と呼ぼう。天国の野口先生に怒られそうだ
けど、でも、やっぱり先生みたいにはなあ・・・。
僕が子供の頃、母親がジュニア版の『野口英世』という伝記本を
買って来たことがあった。
生涯に負けず立派になった人、ということで、僕に読ませたかっ
たようだが、ずいぶんエライ人として描かれていた。
だから、野口先生、大人になってから、あなたのことを詳しく知
ると、そのギャップに愕然としましたよ。
野口先生は少年時代、障害をうまく利用していたこともありまし
たよね。
そう。先生は手に障害を持っていらしたけど、それを逆手にとら
れたんですよね。
勉強がおできになったものだから、担任の先生からいろんな役を
任せられたりするんだけど、そのたんびに、お友達に、
「僕って障害児だし、できっこないよ・・・」
と、こぼして、結果お友達から、
「オレたちが手伝ってやるからがんばれよ」
と、協力を引き出しちゃうんですよね。
いやいや、お友達だけじゃなくて担任の先生からも、卒業後の
就職先までお世話してもらっちゃったりするんですよね。
それが小学校の小使いさんの職。
当時の小使いさんのお仕事のひとつに、授業の開始と終了時にチャ
イムを鳴らるのがあったわけだけど。この頃はまだ手動だからね。
でも、野口先生、そのチャイムを鳴らし忘れることがしょっちゅう
だったらしいですね。
せっかく斡旋してもらったお仕事なのに、なんていい加減な仕事っ
ぷり。
紹介してくれた恩師の顔も立てましょうよ。
うーん。先生って、周りの人たちの協力を引き出すのが抜群にう
まかった、と言うよりは、甘え上手の天才だったのかもしれませんね。
研究者になってからは、研究には金がかかるんだ、とか何とか言っ
て、お友達からお金借りまくって、なのにそのお金で飲み歩いていた
んですよね。
おまけに借りたお金は返さないし・・・。
でも、そんな野口センセにお友達はまたお金貸してくれるんですよね。
いいなあ。僕もそんなお友達ほしいな。
って、言うか先生そんなに金にルーズでよくお札の顔になれましたね。
むしろそっちの方が偉業だ。
お金持ちのパトロン見つけたのも天性の甘え上手だったからかもしれ
ませんね。 そのパトロンからもお金いっぱい出してもらって、その
お金も酒代に化けちゃったんですよね。ところで、年老いたお母さまに
送金もしなかった、っていう話は本当ですか?もし、本当なら、あなた
どんだけ酒好きなんですか。
けど、みんなお金を出してくれたり、返してくれないのにお金を借し
てくれるのは、甘え上手だったからだけじゃなくて、やっぱりそれなり
に研究成果を出していたからなんでしょうね。その点はやっぱり天才
だったのかな。さすがは偉人さんですよね。
でも、えらい、て言えば先生のお母さまは立派な方として有名ですよ。
研究に金がかかる、と言って送金もしてくれない息子に負担をかけま
いと、年老いてなお産婆さんとして働いてらっしゃったんだから。おま
けに産婆さんにも資格が必要になると、勉強して資格をお取りになられ
たんだから。
そうして息子に頼らずともひとりで生活していけるよう、がんばって
おられたんですよね。
その後アメリカに渡って有名になった息子が久々に帰国する、という
知らせを受けた時、お母様はどんなお気持でその知らせを読まれたので
しょう?
「野口英世先生」を取材しようと詰めかけた報道陣と一緒に港で船
を待っておられた時のお母様のお気持ちはどんなだったでしょうね。
船から降り立ったその息子さん。久々に会うわが子。その隣にはアメ
リカ人の女性が・・・。「誰?」と、思っていたら、野口先生、
「あ、母さんオレ結婚したんだわ。これ、嫁」
その時のお母さまのお気持ち、どんなだったんでしょうね。この時代
にアメリカ人の嫁さんなんてぶっとびますよね。
もしかすると、
「結婚したなんて一言も聞いてねえよ!!!」
と、叫びたかったのかもしれませんね。先生ってば親不孝すぎます。
なのに、野口先生、その後お母さんつれて旅行に出かけて、旅館で
は食事の時に報道陣の前で、「お母さん、ほら、これおいしいですよ。
食べてみてください」とかやっちゃって、記者さんたちからは、
「おー。なんて親孝行な人だ。さすがえらい人は一味ちがう」
なんて思われてしまったり。後でその話を聞いて、お母様どう思われ
ました?僕ならいやです、そんな息子。
世のため人のために尽くして後世に名を残す子と、平凡な人生だけど
親孝行な子。僕なら後者の方がいいなあ。わが家の3人娘には、平々凡々
でいいから僕のことをかまってくれる子に育ってほしいな。
春奈が生まれてくる前に、僕は「五体満足に生まれてきてくれれ
ばそれでいい」、と、よく人に言っていた。
それじゃあ、何かい?障害を持って生まれてきた子は不幸って思っ
てんのかい?と、つっこまれると困る。
野口英世みたいに、障害があってもそれを利用してしたたかに生き
た人もいる。
そんな人もいるわけだし、と思う反面、いやいや、野口英世なんて
人間的にどうだか、なので、もしも春奈が野口英世みたいな人間に
なったらいやだな、とも思う。
などと言うと、天国の野口英世に・・・いや、日本が誇る偉人だ。
お札の顔にもなった。
敬意を表して野口先生と呼ぼう。天国の野口先生に怒られそうだ
けど、でも、やっぱり先生みたいにはなあ・・・。
僕が子供の頃、母親がジュニア版の『野口英世』という伝記本を
買って来たことがあった。
生涯に負けず立派になった人、ということで、僕に読ませたかっ
たようだが、ずいぶんエライ人として描かれていた。
だから、野口先生、大人になってから、あなたのことを詳しく知
ると、そのギャップに愕然としましたよ。
野口先生は少年時代、障害をうまく利用していたこともありまし
たよね。
そう。先生は手に障害を持っていらしたけど、それを逆手にとら
れたんですよね。
勉強がおできになったものだから、担任の先生からいろんな役を
任せられたりするんだけど、そのたんびに、お友達に、
「僕って障害児だし、できっこないよ・・・」
と、こぼして、結果お友達から、
「オレたちが手伝ってやるからがんばれよ」
と、協力を引き出しちゃうんですよね。
いやいや、お友達だけじゃなくて担任の先生からも、卒業後の
就職先までお世話してもらっちゃったりするんですよね。
それが小学校の小使いさんの職。
当時の小使いさんのお仕事のひとつに、授業の開始と終了時にチャ
イムを鳴らるのがあったわけだけど。この頃はまだ手動だからね。
でも、野口先生、そのチャイムを鳴らし忘れることがしょっちゅう
だったらしいですね。
せっかく斡旋してもらったお仕事なのに、なんていい加減な仕事っ
ぷり。
紹介してくれた恩師の顔も立てましょうよ。
うーん。先生って、周りの人たちの協力を引き出すのが抜群にう
まかった、と言うよりは、甘え上手の天才だったのかもしれませんね。
研究者になってからは、研究には金がかかるんだ、とか何とか言っ
て、お友達からお金借りまくって、なのにそのお金で飲み歩いていた
んですよね。
おまけに借りたお金は返さないし・・・。
でも、そんな野口センセにお友達はまたお金貸してくれるんですよね。
いいなあ。僕もそんなお友達ほしいな。
って、言うか先生そんなに金にルーズでよくお札の顔になれましたね。
むしろそっちの方が偉業だ。
お金持ちのパトロン見つけたのも天性の甘え上手だったからかもしれ
ませんね。 そのパトロンからもお金いっぱい出してもらって、その
お金も酒代に化けちゃったんですよね。ところで、年老いたお母さまに
送金もしなかった、っていう話は本当ですか?もし、本当なら、あなた
どんだけ酒好きなんですか。
けど、みんなお金を出してくれたり、返してくれないのにお金を借し
てくれるのは、甘え上手だったからだけじゃなくて、やっぱりそれなり
に研究成果を出していたからなんでしょうね。その点はやっぱり天才
だったのかな。さすがは偉人さんですよね。
でも、えらい、て言えば先生のお母さまは立派な方として有名ですよ。
研究に金がかかる、と言って送金もしてくれない息子に負担をかけま
いと、年老いてなお産婆さんとして働いてらっしゃったんだから。おま
けに産婆さんにも資格が必要になると、勉強して資格をお取りになられ
たんだから。
そうして息子に頼らずともひとりで生活していけるよう、がんばって
おられたんですよね。
その後アメリカに渡って有名になった息子が久々に帰国する、という
知らせを受けた時、お母様はどんなお気持でその知らせを読まれたので
しょう?
「野口英世先生」を取材しようと詰めかけた報道陣と一緒に港で船
を待っておられた時のお母様のお気持ちはどんなだったでしょうね。
船から降り立ったその息子さん。久々に会うわが子。その隣にはアメ
リカ人の女性が・・・。「誰?」と、思っていたら、野口先生、
「あ、母さんオレ結婚したんだわ。これ、嫁」
その時のお母さまのお気持ち、どんなだったんでしょうね。この時代
にアメリカ人の嫁さんなんてぶっとびますよね。
もしかすると、
「結婚したなんて一言も聞いてねえよ!!!」
と、叫びたかったのかもしれませんね。先生ってば親不孝すぎます。
なのに、野口先生、その後お母さんつれて旅行に出かけて、旅館で
は食事の時に報道陣の前で、「お母さん、ほら、これおいしいですよ。
食べてみてください」とかやっちゃって、記者さんたちからは、
「おー。なんて親孝行な人だ。さすがえらい人は一味ちがう」
なんて思われてしまったり。後でその話を聞いて、お母様どう思われ
ました?僕ならいやです、そんな息子。
世のため人のために尽くして後世に名を残す子と、平凡な人生だけど
親孝行な子。僕なら後者の方がいいなあ。わが家の3人娘には、平々凡々
でいいから僕のことをかまってくれる子に育ってほしいな。