SACのなかま

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占卜の話8

2010-04-02 06:35:08 | 日記
 太公望は、文王・武王の軍師で、功績によって斉の王さまにされたといいます。
 諸葛孔明は、劉 元徳の側近で、最期に宰相となって、政治に名を残しました。
 安倍晴明は、陰陽師で、藤原道長のガードマンで、政治には関係しなかったのではないでしょうか。
 さて、食神・傷官・比肩なんていう言葉が出てくるとしたら、子平とか、四柱推命でしょうから、六壬ではありませんね。
 星平というのが、残っているようですから、当時の陰陽師が知っていても不思議はありません。
 星平と言うのは、ホロスコープと四柱推命を合わせたような占術で、陰陽師の天文博士の知識がないと、星図も作れなかったと思います。
 貴族の子息の星図作りが、陰陽師のアルバイトだったのではないかと思います。
 なお、四柱推命等で悪く出た場合ですが、当時は「神頼み」のオンパレードだったでしょう。
 平安や奈良の時代に、色々と神社・仏閣があったでしょ。
 皆が、荘園を持っていたか、荘園を治められたかと思います。
 一部を除いて、貴族からの寄付のはずです。
 星平や四柱推命で悪い部分が出て、貴族が開運の為に、神社・仏閣を建ててくれるわけです。
 ということは、平安・奈良の文化に陰陽師は貢献したわけですね。
 私たちも、陰陽師や僧侶の方々が寄付してもらった公園などの桜を楽しみに行きましょう。
 東京は満開らしいです。