趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

両槻会定例会・下

2009-01-14 23:58:47 | Weblog
いよいよ講演会の始まりです。
古代の‘道’といっても、素人の私には、せいぜい文献に書かれたものと実際に掘り当てたものが一致するかどうか、くらいしか、思いつきません。
中世ともなれば、人口も増え、すでに縦横に街道が通っていて、それぞれに勢力を持った豪族たちが割拠し・・・と想像がつき、それら多くの‘道’が戦略・政略的にどう影響するか、と考えたりもするのですが、古代となるとまるで勝手が違う。まだまだ私には、飛鳥時代の奈良盆地の風景が、具体的には構築できてないということなんでしょう。
そういう点で、今回の近江先生のお話は、基本的なところから取っ付きやすく、具体的に、想像しやすい形で進めて下さったので、すごくありがたかったです。

文献における‘道’の記述といっても、史書としてどんな道を通って何があった、と書かれているものは当然として、歌や物語からも読み取れるというのは、目からウロコ。風景描写のように書かれた部分を、その通りになぞっていくと、実はちゃんと地名をつないでルートがわかるものなんですね。
それに、地図からもわかることは多いとのこと。私も地図を見るのは好きですが、細かい境界なんて、いくら見たって古道かどうかなんてわかりません(苦笑)。
講演は、たくさんの細かい地図を見ながら説明して下さったので、これまで何となく聞き流してきたことまで、改めてじっくり見ることができて、初めて理解したこともたくさんありました。
古道ウォークが好きな人には当たり前の、上ツ道・中ツ道・下ツ道も、実はようやくどこにある道なのかを知りました(爆)。しかも、あんなに南北に長い道だったとは。
新聞とかでもよく記事にされる道ですけど、どこからどこまで伸びる、と言われても、そもそもピンとこないんですよね。やっぱり、地図に線を引っ張ってもらったものを実際に見てこそ、よくわかります(笑)。
それに、先生のお話では、その道が周辺にどう影響したかではなく、どういう影響を及ぼすためにその道を造ったか、というところに重点があって、これもまたなるほどな切り口。
国家としての威信を示すために大道を造る、それもまたひとつ。そしてその、国家の整備のための土地開発をするために、直線的な道を通し、それを基準として区割りし、開発を進める。当時の情勢に則した考え方には、感心。
そしてその原点においてちらつく、蘇我氏の存在の大きさ(爆)。蘇我氏のファンとしても、国家レベルでの‘道’の問題に、これほど蘇我が関わっているとなると、改めてちゃんと勉強しないと~という気にさせられました。
たかが道一本と思っていてはダメですね。まだ未開発の地が多かった当時だからこそ、どこにどんな道を造るか、というだけで、権力者の思惑や当時の情勢が大きく絡んでくるんだなと、これまで思ってもみなかったことを、教えていただきました。

先生の講演は、ジョークも織り交ぜつつの楽しい語り口で、小休憩を挟んでの約3時間、あっという間に過ぎ去っていきました。
定例会はこれでお開き。会場の片づけをみんなで手分けして手伝ってから、解散となったのですが、内容の濃い一日の締めくくりは、打ち上げ宴会でした(笑)。
美味しいお鍋をいただきながら、皆さんと賑やかに盛り上がり、新年の初飛鳥は無事に終了。
実は帰途でも、途中までご一緒した方と、蘇我入鹿や大津皇子談義で盛り上がり・・・(笑)。
家に帰り着くと、さすがに頭の中がオーバーヒート気味でした。一日で、いろんなことを詰め込み過ぎたかも(苦笑)。
飛鳥のことも、蘇我氏のことも、そして南北朝も(笑)、ゆっくりと、少しずつ、もっといろんなことを勉強していけたらいいですね。

コメント
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