ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

柴又帝釈天

2013年06月17日 21時17分13秒 | 訪問地周辺

金町の施設を訪問しました。早めに出かけて手前の柴又に寄ってみました。
寅さん像平成8年、渥美清さんの死去後、同年秋より地元参道の商店街が像の建立を計画。費用は、観光客らを対象に募金活動をして集めました。
この像は、第40作「寅次郎サラダ記念日」の中で、旅に出る寅さんがさくらの方を振り返ったシーンをモチーフとしたもので、柴又の新名所として平成11年8月29日に完成しました。参道を通って二天門
 帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置しています。そして、帝釈堂内に、東方守護の持国天、北方を守る多聞天が、帝釈天の脇士として配置されています。
帝釈堂
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼です。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高いそうです。
江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵(いおり)を結んだのがこの寺の縁起だそうです。松は、四方に枝を拡げて、「瑞竜の松」の名にふさわしく、こんこんと湧き出る泉は、善男善女に汲めども尽きない御利益を授けると、言われています。
御神水・浄行菩薩 
浄行菩薩とは、法華経に説く地涌(ちゆ)の四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清めて下さるものだそうです。大阪の水掛不動尊とは違って清楚な姿をしていました。駅へ戻る途中に弁財天の真勝院がありました。
五智如来石像五智如来石像 密教では大日如来の知恵を五つにわけ、これに五仏をあて五智如来といいます。真言の行者は発心修行の結果、この五智を得ることができるといわれています。この五智如来石像は、造立碑から万治3年(1660)柴又村の名主済藤次郎衛門と相模伊勢原村の鳥居九良左右等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を祈って仏事を営むこと)のために建てられたものです。 向かって右から阿しゅく如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としています。
柴又駅です。

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富岡八幡宮

2013年06月16日 23時58分58秒 | 社寺仏閣

豊洲に行く用事があったので、少し早く出かけて富岡八幡宮周辺を散策しました。

★ランドマーク富岡八幡宮深川観光協会のHPには、富岡八幡と言えば江戸三大祭の一つ「深川八幡祭り」3年に一度(8月中旬)本祭りが催され、50台余りの神輿に水をかけながら練り歩く連合渡御は勇壮無比で、あでやかな辰巳芸者の手小舞や粋な鳶若頭衆の木遣りが、江戸情緒を盛り上げます。
八幡宮は、寛永元年(1624年)当時永代島と呼ばれた小島に京の公が八幡神像を奉安したのが始まりといわれ、以来、深川っこの信仰を集めています。
境内には、「深川力持碑」「木場の角乗り碑」をはじめ「横綱力士碑」「力持碑」など、深川にまつわる多くの石碑等があり、昔をしのばせます。と記載されています。
私はお祭りが苦手なので、ほとんど祭りには行きませんので、それほど遠くなく、近くを通っているのですが、中に入ったことはありませんでした。
すぐ右手に伊能忠敬の像がありました。


左手には大関力士碑

本堂

の右手の廊下の下をくぐっていくと奥には横綱力士碑があります。
冨岡八幡宮は、江戸勧進相撲発祥の地として有名です。江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。その地こそが当宮の境内だったのです。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は当宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
新しく横綱になった力士はここで土俵入りをして、力士碑に刻んでもらうそうです。日馬富士は6月6日に行っていて、真新しい刻印がありました。

七渡神社:「八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。また、ご祭日にはお使いの白蛇が出てくるという話もよく聞かれ、神社の職員も度々目にしています。」ということだそうです。

弁天池

七渡弁天社


冨岡八幡のネコちゃんです。
隣は深川不動尊でした。
★ランドマーク深川不動尊深川不動尊は、江戸時代、中でも元禄年間は江戸町民を中心として不動尊信仰が急激に広まりました。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力となっていました。
 このような元禄の町人文化が華々しく開花した時期に、成田山新勝寺は信徒数も増え、また寺格も格式の高い本山へと大きく発展していきます。
 同じ時期江戸町人を中心に成田山のご本尊不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まり、ついに1703年(元禄16年)4月にはじめて江戸でのご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれました。当時は犬公方と知られる五代将軍綱吉の世で、その母桂昌院が成田山の 不動明王を江戸で参拝したいと希望し、それが実現したという説もあります。
 成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間余りかけてご本尊が運ばれたといわれます。2ヶ月にわたるご開帳は、江戸市民に大きな人気を博しましたが、この開帳の場所が深川永代寺境内で現在の深川不動堂付近であり、これが深川不動堂の起りとされています。HPより

永代寺高野山真言宗の寺院

★ランドマーク永代寺永代寺は1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺である。

当地の地名・門前仲町はこの旧永代寺の門前という事で名付けられた。

古地図より

江戸名所図会永代寺山開より

毎年三月廿一月より同廿八日までのうち、林泉をひらきて諸人に見せしむ。

広重 深川八まん山ひらき

叱枳尼天尊(しきにてんそん):叱枳尼天(しきにてん)(荼吉尼天)とは密教の神で、鬼神です。(両手に人の手足を持って食らう姿。人の心臓を食べる)しかし、仏教の世界では善神となり人のアカを取って食べる福の神となります。この時代は、いろいろな願いを聞いてもらいたいがために、信仰の合体(神仏習合)が多くあります。

子育地蔵尊



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日本で最初の銀行

2013年06月13日 23時14分52秒 | 訪問地周辺

兜町を訪問しました。小雨の中周辺を散策して、目的地に着いたらそこに兜町の歴史地図というのは表示してありました。その隣には銀行発祥の地渋沢栄一翁と銀行の歴史というパネルが貼ってありました。渋沢榮一翁のパネルには、・・・・渋沢翁が中心となって明治6(1873)年にこの場所に開業した「第一国立銀行」は、日本最初の近代的な銀行として有名です。この地周辺にはその後日本で最初の株式取引所(現東京証券取引所)や数多くの会社が次々と設立され、兜町は日本経済の中心地として発展していきました。と書かれてあります。正面入り口のところに銀行発祥の地というプレートがありました。
調べてみたら、これは株式会社清和綜合建物さんが作ったもののようです。
清和さんのHPには:日本最初の近代的銀行である第一国立銀行は、明治6(1873)年、現在兜町ビルの所在する地に誕生しました。
弊社では、往時日本経済の中心であった兜町の歴史の一端を多くの方々に知っていただきたく、西側壁面に歴史パネルを展示致しました。
パネルの内容は、兜町地区の往時の様子を示す歴史地図、第一国立銀行初代頭取渋沢栄一翁の足跡の簡単な紹介、兜町ビルの初代から3代目までの建物です(現在の建物は4代目)。 なお、南側壁面には、「銀行発祥の地」のプレート(昭和38(1963)年製作)が嵌め込まれております。となっていました。
突き当りの建物は東京証券取引所です。歴史地図を見ると日本橋川にかかっている鎧橋と支流の兜橋の間(鎧と兜に挟まれて)に取引所は位置しています。
日本橋川と鎧橋のたもとにお地蔵さんが立っていました。今回の散策は、この千代田橋が立派だったのがきっかけになりました。埋め立てられてしまった楓(もみじ)川にかかる永代通りの橋です。

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千葉ニュータウン中央

2013年06月11日 23時44分58秒 | 訪問地周辺

千葉ニュータウン中央の施設に訪問しました。3年前にも伺ったのですが、駅前の空き地?は変わらずでした。ニュータウン計画の歴史は、1966年(昭和41年)に千葉県が単独で事業を開始し、1978年(昭和53年)に宅地開発公団(現、都市再生機構)が参画しました。計画当初は人口34万人と大規模な開発が予定され、10年間で完成させる予定でいましたが、オイルショックやバブル崩壊、また少子化の影響もあり、数回にわたり開発規模が縮小され、建設期間が延長されました。造成した土地の売却が進まず、事業区域内に多くの未利用地を残したまま、2014年(平成26年)3月で事業を完了する予定ですが、人口も予定の1/4の9万人に留まっています。この影響で、十分な客を集められなかった北総鉄道北総線は1000億円の負債を抱え、運賃を高額に設定せざるを得なくなった、ということです。駅北側には、北総地区最大級のショッピングセンター「イオンモール千葉ニュータウン」や社会保険大学校、竹中技術研究所や三井住友海上などのオフィスビル群が林立し、ゴミ焼却処理施設の余熱を利用した温水センターなどがあります。また、中央駅周辺では、ゴミ空気輸送システム、空気の力でゴミを輸送し、常時捨てられゴミ収集前のカラスや猫によるゴミのまき散らしや臭いなども発生しないのが利点のインフラ施設で、国と住宅・都市整備公団(現・UR都市機構)が約100億円を投じて建設しましたが、収集量が当初予想を大幅に下回り、赤字改善は難しいとの判断から主要設備の耐用年数を迎える2010年3月31日をもって事業を中止してしまいました。

北総線のスカイアクセスの通る線路は広い川の中を走るように走っているので、複々線にする計画でもあるのか思っていましたが、実はJALがリニアモーター線を計画して挫折したとのことでした。ひろい線路内駅は端に寄るようにして立っています。
帰りの道端に黄色い花が咲いていました。

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円通院・松島五大堂

2013年06月07日 23時45分55秒 | 訪問地周辺

訪問地の仕事を終えましたが、まだ日が高く、3年前と昨年の11月にも訪れた松島にちょっと寄ってみました。時間がないので駆け足でした。最初は三聖堂です。
案内板によると「天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられたこの堂は方3間の素木造、屋根は宝形造で茅葺、正面に一間の向拝のついた、素朴端正な建物である。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という。堂は当初北向きに建てられたが、宝永6年(1709)に参拝者の便をはかるため、南向きに改められ現在に至っている。創建以来、屋根替え以外の修理は行われていない。」と書かkれていました。三聖堂は松島町指定文化財となっています。
隣は円通院です。円通院(えんつういん。旧字体:圓通院)は、宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)にある臨済宗妙心寺派の寺院です。本尊は聖観音(しょうかんのん)。瑞巌寺の南側に隣接しています。


石庭です。枯山水(かれさんすい)というと案内の方が女子学生に説明していました。
枯山水とは、水を用いないで、水のある表現の庭園をいい、わが国では飛鳥(あすか)・奈良時代のころから作庭されてきたそうです。平安期の『作庭記』では、「池もなくやり水もなき」所に「石をたつること」を枯山水といっていましたが、この意匠が頂点を迎えるのが室町時代だそうです。室町初期のころは抽象意匠が多く、中期から後期にかけては絵画的で具象的な枯山水が多く作庭され、また江戸初期の枯山水は、塀などの片側に寄せた、具象的な意匠が多いとのことです。 心字の池
三慧殿伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。三慧殿は別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれています。 技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されています。その厨子には支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、円通院はこのバラを題材にした庭のある「バラ寺」として知られているそうです。
隣の瑞巌寺を通りぬけました。山門;総門、一間一戸袖塀付の薬医門(やくいもん)です。慶長14年(1609年)、伊達政宗によって建立されました山門扁額「桑海禅林(そうかいぜんりん)」「扶桑と呼ばれる日本の、海辺近くに建つ禅の寺(林)」という意味です。
海岸に出て五大堂を撮ってきました。
松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになったそうです。
秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ずづご開帳されるようになっているそうです。


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