ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

三宮・生田神社

2013年01月31日 00時16分34秒 | 訪問地周辺散策

30日は新長田が訪問の目的地でした。ちょっと三宮まで足を延ばし、三宮のランドマークを探していたら生田神社に出会いました。生田の森は史跡になっていました。生田神社の創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されています。
神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港で船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、「私は活田長狭国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられています。
同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。

神戸の名前と灘の酒の起源になっているようです。平安時代の法制書である『新抄格勅符抄』(しんしょうきゃくちょくふしょう)という書物に、大同元年(西暦806年)に、神社に奉仕する封戸(ふこ)である神戸(かんべ=神社にお供えするお米等お酒等を作る庄園)44戸が朝廷より与えられたと記されており、それが「かんべ」→「こんべ」→「こうべ」と変わり、現在の神戸(こうべ)という地名の語源になったといわれています。各地より集まった稲を使い、生田神社の境内で神職が酒造りをして、国賓として朝鮮半島からの要人を迎えた際に振る舞ったとあり、灘の酒造りの起源とも伝えられています。
楼門は節分に供えて飾り付け、回廊が作られていました。
生田神社は神戸や灘のランドマークだったようです。
三宮のランドマークは三宮神社だそうですので、次回はぜひ訪問します。

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明石訪問

2013年01月30日 22時18分04秒 | 訪問地周辺散策

明石、長田と29日、30日に訪問してきました。明石では明石城址に立ち寄りました。
昨年は雨の中で転んでしまい、写真も撮れずに戻ってきたところです。巽櫓からは明石大橋が望めます。お堀では白鳥が羽づくろいをしており、堀の囲いにはカモメ?が休んでいました。少し早めに到着したので、その足で明石大橋に行ってきました。
泊りは大浴場のあるホテルを探して姫路にしました。一昨年も訪れたところですが、国宝姫路城は相変わらず工事中でした。大手門を出て歩いていると、赤い門が見えたので訪ねたら播磨国総社という建物でした。

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伊勢神宮

2013年01月23日 23時13分45秒 | 訪問地周辺散策

津・伊勢に出張でした。1月22日は津で、途中で津城跡や藤堂高虎像などを見ました。帰りがけに三重県庁や四天王寺を見てきました。23日は昨年訪れた鳥羽に寄ってみました。曇りで風も強く寒い中でした。伊勢では外宮に昨年に続き寄ってみましたが、今年は昨年の10倍ぐらいの賑わいでした。勾玉の池の鴨、こちらは元気よく泳ぎ回っていました。式年遷宮とかで社殿のほとんどを作り神殿を移すそうです。遷宮についてはいろいろな説があるようですが、参勤交代のように、支配の道具として、蓄財できないようにお金を使わせているように思えました。まあ、現在的には内宮も大賑わいだし、宇治山田の駅舎内も秋に向けてリニューアルしていて、経済的な波及効果は各方面にあるようです。宇治橋は遷宮の4年前に架け替えるのだそうです。伊勢の最後は、出張訪問地の裏手にある神社の楠神社です。樹齢800年で白蛇が宿っているそうです。

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聖路加国際病院

2013年01月19日 23時20分11秒 | 訪問地周辺散策

今日は聖路加国際病院の近くの会場で、5月に開く「食の安全のつどい」の世話人会でした。築地駅から、いつも通っている道ですが、今日は上を見て歩いていたら、聖路加国際病院が立ちはだかっていました。玄関のところを見たら、写真を撮っている方がいたので、私もと行って写してきました。
聖路加国際病院理事長の日野原重明先生は、今101歳です。朝日新聞の土曜日Beに「101歳・私の証あるがまゝ行く」というコラムを書いていて毎週楽しく読ませてもらっています。
私の関係している企業の会長さんも同い年でしたが、残念ながら最近お亡くなりになってしましました。幸い会長さんとは100歳の時にお会いすることができました。
お二人とも私の母とも同い年です。母は貧農の父のところへ嫁いできて、嫁のまま最後まで苦労して69歳で亡くなってしまいました。
道路に出たら、聖路加ツインタワーがまぶしく輝いていました。

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