ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

大横川コート

2013年09月29日 22時43分17秒 | 近郊地散策

墨田区民体育祭テニス大会の運営で大横川テニスコートに行きました。ここでも彼岸花に黄アゲハが舞っていました。
百日紅も満開です。この花はなんていうのでしょうか。コートで試合を見守っていたらネコさんが現れました。いなくなったので、管理棟まで行って見つけました。コートの方へ来たのは、住宅地にいたネコさんが気になっていたようです。木陰に隠れていてうまく撮れませんでした。アリさんが花の中にいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際展示場

2013年09月28日 23時40分11秒 | 身辺出来事

フードシステムソリューション(F-SYS)2013とフードセーフティジャパン(FSJ)2013
の最終日である27日金曜日に東京国際展示場に行ってきました。日頃の衛生点検に役立ちそうな展示を見てきました。特に滑らない床材や包丁、まな板などの調理器具類を重点に見てきました。このビルは、東・西展示棟をつなぐ中心施設。高層部の逆三角形の形態でシンボル的存在となっています。東京国際展示場は、総展示面積: 8万0,660 m2 (日本最大)で1,000人を収容する国際会議場や、大小22の会議室と、商業施設があり、東展示棟へ通じる北コンコースにはレストラン街となっています。この日は、展示を見た後で、カレーハウスでナンとカレーを食べてきました。さわやかな秋晴れで気持ち良い天気でした。会場は東の2・3ホールだったので、入り口から結構歩きました。
リハビリに向かう途中で摂りました。下の赤い欄干は吾妻橋です。黄色い建物はアサヒビール本社ビルです。黄色はビールで屋上の白いガラスはヒールの泡をイメージしています。隣接するスーパードライホールの上にある「炎のオブジェ」はフィリップ・スタルクによってデザインされたもので、”躍進するアサヒビールの心”を象徴しているそうです。
この場所はビール工場のあった場所で、売り上げが落ちて住宅公団(当時の)に売り払ってしまいした。仕事で当時のビール工場の入ったことがありましたが、これでは仕方がないと思ったものでした。
しかし、1986年(昭和61年)1月21日、改革の一環として進展していたCI活動「ニューセンチュリー計画」の発表が対外的に行われ、新CIマークに変更したり、同日「コク・キレ」の味わいと新たなラベルを採用した「アサヒ生ビール」を発表しました。アサヒ生ビールは同年2月に発売開始しました。1986年3月、引き続き住友銀行から送り込まれた樋口廣太郎が社長に就任し、社内の改革を行い売り上げが飛躍的に伸びたことにより、一度売り払ったこの土地を買戻し、今の姿になっています。
スカイツリーの左に見えるビルは墨田区役所です。ここで5年間過ごしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館

2013年09月27日 23時31分05秒 | 訪問地周辺

函館は三年ぶり2回目の点検訪問ですが、35年くらい前に一度行っているので3回目となります。その度に函館山に行きます。前回はケーブルで登りましたが、今回はガイドさん付のバスで山頂まで行きました。これは26日の朝に函館湾から見た山です。海には海ネコ?が魚の死骸を食べていました。岸壁ではうるさく鳴いていました。前日着いたので、夕食は前回と同じ山の上のレストランで摂りました。窓際の良い席3人席を一人で独占して申し訳ない気分でしたが、夜景は素晴らしかったです。

食事の席からのものです。レストランからも綺麗にみえました。
前日の青森空港から青森市街地に向かうバスでも見えたのですが、函館の街中の木はナナカマド多いことに気づきました。
五稜郭タワーを見上げる場所にもありました。跡碑再建された本陣、箱館奉行所今朝NHKBSで土方歳三の特集をしており箱館戦争(慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))の話が出ていました。箱館戦争は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘でした。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれています。
そんな歴史に鈍い私は前回同様今回もタワーの二階で五島軒のカレーを食べていました。前回行けなかった煉瓦倉庫街なども見てきました。ゆうびん由来最後に夕暮れの函館駅前から空港行のバスにのりました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青函連絡船

2013年09月26日 23時18分38秒 | 訪問地周辺

3年ぶりに、青森の施設ひとつと、函館の施設2つを訪問してきました。台風が近づく中で、天候や飛行機が飛ぶのかどうか心配でしたが無事に行ってきました。羽田は結構激しい雨が降っていましたが仙台上空あたりでは晴れていました。青森は、少しだけ時間があったので、前回見られなかった青函連絡船の面影を探しに行きました。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸です。可動橋と車両搬入口です。線路から船の中へ入る様子がうかがえるものでした。青函連絡船は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んで運行されていました。3月13日の青函トンネルの開通に伴い、同日をもって廃止されました。船の中を見学する時間がなかったので、船の全体を見て、どれくらいの列車が入るの想像してみました。
客は桟橋から乗った?

海辺の公園で、鳥がネコの鳴き声のような声をあげて飛んでいました。止まった所を撮ってみました。こんな像が立っていました。太宰治の「思ひ出」に出てくる「赤い糸の話」を記念するモニュメントだそうです。「思い出」の赤い糸に関する原文は以下のとおりです。
「秋のはじめの或る月のない夜に、
 私たちは港の桟橋へ出て、
 海峡を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら
 赤い糸について話合った。
 それはいつか学校の国語の教師が
 授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、
 私たちの右足の小指に
 目に見えぬ赤い糸がむすばれていて、
 それがするすると長く伸びて
 一方の端がきっと或る女の子のおなじ足指に
 むすびつけられているのである、
 ふたりがどんなに離れていてもその糸は切れない、
 どんなに近づいても、
 たとい往来で逢っても、
 その糸はこんぐらかることはない、
 そうして私たちはその女の子を
 嫁にもらうことに決まっているのである。
 私はこの話をはじめて聞いたときには、
 かなり興奮して、
 うちへ帰ってからも
 すぐ弟に物語ってやったほどであった。
こちらは27日の朝に撮った、青函連絡船で、函館湾にある摩周丸です。桟橋摩周丸や八甲田丸は、1200名の旅客と48両の貨車を積載できる大型高速車載客船で青森函館間を3時間50分で渡ったそうです。次回訪問するときは両方の船の内部を見学しよう思います。

函館駅まで続いていた線路は埋めてしまってありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新松戸

2013年09月24日 21時30分45秒 | 訪問地周辺

新松戸にある施設を訪問しました。大手町から千代田線で新松戸に到着すると出口がわからず迷いましたが、武蔵野線を経由してどうやら外へ出ることができました。近くに赤城神社があるというので、松戸の方向に戻りましたがわからず、帰りがけに常磐線の下を抜けたところで見つけることができました。赤城神社は群馬の赤城山を神体山として祀る神社です。山頂にあるカルデラ湖の大沼・小沼や、火口丘の地蔵岳、そして赤城山そのものに対する山岳信仰に由来するそうです。全国には関東地方を中心にして約300社の赤城神社があるといわれ、その中でも特に山腹の三夜沢赤城神社または山頂の大洞赤城神社が総本宮とされています。
ここにも大木信仰ですか。彼岸花はここだけでしたが結構きれいにさいていました。本殿の脇に庚申塔が立っていました。庚申塔はなかなか理解できませんがこんな説明書きを見つけました。
 庚申信仰は、古くは中国の晋の時代、道教の思想から端を発し、奈良時代の日本に伝わった後、日本固有の信仰と結びついて発展していきました。人の身体の中には三尸(さんし)という虫がいて、60日毎に巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、人々が寝静まった夜、その虫が体内から出てきて天帝にその人の悪行を報告し、怒った天帝はその人を早死にさせてしまうのです。ですから庚申の日は寝ないで夜通し起きていて、三尸(さんし)が体内から抜け出さないようにします。これを「庚申待(守庚申)」といいます。このとき一緒に庚申待を過ごす人たちの集まりを「庚申講(講=信仰集団)」といいます。
 最初は多分、庚申待の夜は厳かに過ごすのが習いだったと思うのですが、平安時代から「2ヶ月に一度の楽しい夜通しの宴会の日」となってしまい、娯楽の乏しかった時代、全国の村々に一気に広がっていきました。そういえば源氏物語の中でも庚申待の様子が描かれているそうです。
 そしてこの信仰は、60年に一度の庚申の年に庚申塔を建立することを原則としました。我々が峠路などで見る庚申塔はこうして建てられたものだそうです。直近の庚申の年は1980年で、次回は2040年だそうです。庚申塔の奥にネコさんが寝ていました。近づいたらちょっとこちらを見てくれましたので、さらに近づきましたが離れられてしまいました。ネコ2


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする