青葉城跡を見て仙台駅に向かいました。青葉通りは欅の緑にあふれていました。
福島は数回訪れていますが、駅近くには見るところがほとんどありません。そこで、レンタル自転車を借りて移動しました。阿武隈川河畔にある福島城跡のもみじ山公園です。真新しい神社がありました。板倉神社です。震災で壊れてしまい、再建したもののようです。
昼休み時で、併設している福島県庁の職員が公園に煙草を吸いに来ていたので、あまりゆっくりもできず、早々に撤退しました。
坂を上がったところに、セキレイが餌を加えて跳ね回っていました。セグロセキレイとでもいうのでしょうか。
訪問地には2度目の訪問ですが、ややさびれていた近くのビルは、県庁の復興関係の部署が入っていました。そのわきには秋葉神社がありました。
甚兵衛火事と福島の秋葉神社
明治14年4月25日 福島村一番町(現在の福島市柳町)の「甚兵衛湯」から出火した火は、またたくまに当時の福島の街の大半を焼く大火事となった。同年、阿武隈河畔の信夫橋のたもとに秋葉神社を勧請した。その後明治24年東北線が開通するとともに、石炭車の火の粉から街を護るために、福島駅近くの青柳通り(現在の栄町)にも秋葉神社が勧請され、現在に至っているとのことです。震災の守り神としても祀られるのでしょうか。
秋葉神社のお使いは「カラス天狗」御神紋は「やつで」で、カラス天狗をモチーフにした「ひよけ丸」が福島秋葉神社のマスコットキャラクターだそうです。
2日目の目的地は福島ですが、仙台は最高気温22℃で福島は30℃との予想でしたので、午前中は、仙台の青葉城跡に行きました。三の丸跡の仙台博物館側から上りました。
博物館の脇に魯迅像と碑魯迅は明治三十七年(1904)九月に仙台医学専門学校(現東北大医学部)に留学した。清国の建て直しを担って日本に派遣されたエリート留学生の一人だった。しかし、故国の危機に心をいため、民族の魂を救うことが急務であるのを知り、文学に志すようになった。と書かれていました。
正宗の胸像博物館には胸像がありました。ここから城跡を目指して上り、石垣に到達しました。石垣の上から見たもの資料館に寄ってみました。
仙台城別名青葉城は、慶長年間に伊達政宗が青葉山に築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でありました。2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に指定されました。
伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えて、その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われています。
仙台がいかに多くの地震に会っているかもうかがい知ることができました。
これが有名な伊達正宗の騎馬像です。脇に荒城の月の作者、土井晩翠の像もありました。
城跡から仙台市内が一望できます。帰りは大手門のところに戻ってきました。大手門脇櫓です1967年(昭和42年)に民間の寄付により外観復元され、現在は、城跡らしい唯一の建物です。坂を下りた博物館の裏手には五色沼三の丸の堀の一部です。この沼は冬場凍ってスケートができるそうで、ここがフィギアスケートの発祥の地だそうです。