ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

名古屋城

2014年05月31日 23時58分40秒 | 訪問地周辺散策

名古屋に2泊3日で出張でした。最初の日は早めに東京を出て、仕事の前に名古屋城に寄ってみました。

名古屋城の前史:尾張国の東半分は永正15年(1518年)以降、駿河国の守護今川氏の支配下に置かれました。そして、今川氏は最前線である現在のニ之丸辺りに那古野城を築き、尾張国勝幡城主織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城主今川氏豊を追放し、ここを居城としました。
信秀はその後、那古野城の南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めていきました。 信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、天下は統一に向けて動き出していきます。信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移していく中で、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)ころに廃城となり、その跡地は雉が多く住む野原となったと伝えられています。

名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。
江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生しました。。 最初に出合ったのは加藤清正の石曳きの像です。加藤清正は、美しく着飾った小姓とともに大石の上に乗り、綱引きの人々をはやし立て、見物人に酒を振る舞ったと伝えられています。これは、大阪城築城の際の秀吉の故事に倣ったと言われ、秀吉を慕う清正の思いがうかがわれるものとなっています。

東南隅櫓(重要文化財)辰巳櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。表二之門から入って天守閣が見えています。東二門に向かうと清正の石です。二の丸公園にはカラスがたくさんいました。名古屋城には地下鉄の市役所駅で降りました。市役所庁舎です。本庁舎は昭和天皇即位の記念事業として建設されたものです。頂部に城郭風の屋根を乗せた帝冠様式の意匠が特徴となっています。本庁舎は1998年(平成10年)7月23日に登録有形文化財に登録されています。

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墨田・多聞寺・平和観音像

2014年05月28日 22時09分33秒 | 近郊散策

29日から31日まで名古屋に出張なので、28日は代休でした。近郊散策で向島から墨田方面を散策しました。白髭防災団地のところにある公園を抜けて墨田区墨田5丁目にある多聞寺を訪れました。不動明王像を本尊とし,天徳年間(957~960)の創建で、はじめは隅田寺と称していましたが、天正年間(1573~1591)に現在の地に移り、弘法大師作といわれる毘沙門天像を勧請して多聞寺と改称したと伝えられています。
  毘沙門天の碑墨田区指定文化財の山門中に入ると左手に狸塚昔この寺に狸が住みつき悪さをして村人を困らせたが、住職が毘沙門天に念じたら翌朝その狸が死んでいたという伝説があり、境内にその狸を葬った狸塚があることで知られています。右手にこんなものが戦争の被害を忘れず平和を願って設置してあります。 本殿に行く途中の左手には平和観音像です。右手には六地蔵坐像です。

左手奥には映画人の墓碑がありました。

狸さんが

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石神井公園

2014年05月26日 23時15分58秒 | 訪問地周辺散策

今日は石神井公園駅のところにある施設を訪問しました。近くに石神井公園があるというので行ってみました。公園に向かう途中こんなものがありました。

大山道沿いにある区内地蔵尊の中では最も背の高い230cmの「子育地蔵尊」だそうです。 元文二年(1737) 造立  書き込みで(左) 元禄十一年(1698) 造立  青色金剛像の庚申塔   (右) 寛政八年(1796) 造立 聖観音像 という説明があるのを見つけました。(私が調べたものではありません)  大山街道(ふじ大山道)だそうです。こんな書き込みを見つけました。

「ふじ大山道」は、千二百年位前から当時の国府「府中」に通ずる道として開かれ、練馬区で最も古い街道といわれています。現在の「環状八号線」「富士街道」がそれにあたりますが、起点は、東武東上線東武練馬駅近くの川越街道旧道と環八通りの交差点からといわれています。このルートはほぼ直線の区間が多いので、棒道、一種の軍事道路であったとも思われています。ここから左に降りてどうにか公園にたどり着きました。時間がないので石神井池のみで三宝寺池までは行けませんでした。石神井池の風景です

小鴨?が二羽泳いでいました。

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代々木公園・バラ園

2014年05月24日 23時50分11秒 | 近郊地散策

渋谷公会堂の演説会に行ってきました。行き帰りは原宿駅で降りて、代々木公園の途中で陸橋を渡って、NHKの脇を抜けて公会堂に着きました。代々木公園のバラ園のバラが咲いていて見ることができました。

巨大な紫の葱坊主がありました。帰ってし調べたらアリウム・ギガンチュームというらしいです。

バラ園を抜けたところにNHK側にいく陸橋があります。

陸橋を渡った側では催しものがあるようで、テントがいっぱいでした。(調べてみたらラオスフェスティバルとなっていました。国旗がありましたが、どこの国かわかりませんでした。)

渋谷公会堂の帰りも陸橋を渡りました。午後4時過ぎですがバラ園のまわりを含め公園内は人がいっぱいでした。

帰りは噴水の方へ行ってみました。

森林エリアには日本で初めてつくられたバードサンクチュアリがあり、柵の外から野鳥の観察が行えます、ということでしたがカラスが2羽ほどいただけでした。

さらに巡ってこんな施設に出合いました。1964年に東京で第18回オリンピック大会が開催されました。その時に選手村となったのが今の代々木公園です。オリンピック以前、この地は米軍宿舎として使われており、選手の宿舎は米軍の宿舎がそのまま活用されました。現在は記念としてオランダ選手の宿舎のみが残されています。
オリンピックが開催された際、世界各国の選手たちが「心の交流と世界の平和」を願って自国の代表的な樹木の種を持ち寄りました。この時に集まった木々が植えられているのが、宿舎の左手奥にある見本園です。現在も約15種の樹木が茂り、かつて東京で開催されたスポーツの祭典に集った選手たちの熱い思いを今に伝えています。

原宿駅に向かうと、これも初めて気が付きました。五輪橋(ごりんばし)です。東京オリンピック 1964年(昭和39年)の水泳競技メイン会場である、「国立代々木競技場」ができることになって道路も計画され、神宮橋を迂回せずに表参道に直結するために造られたそうです。

競技種目が描かれていました。橋柱の所には

東京1964と書かれています。明治神宮へ行くところの橋、五輪橋より原宿駅に近い橋は神宮橋です。これはもっともと思いました。長年原宿も代々木公園も行っていますが、今回はいろいろなところを見ることができました。

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新潟寺町

2014年05月22日 23時09分56秒 | 訪問地周辺散策

5月20日に訪問した新潟市内の施設は西堀通りに面していました。西堀通りは寺町となっており、多くの寺があり、少ない時間の中で散策してみました。最初の寺は

本覚寺です。次が浄泉寺、どこでも寺にはネコさんがつきものというような感じですが、ここのお寺さんのところだけにいました。いいことしていた2匹のネコさんの邪魔をしたようです。寺

次が正福寺です。

墓の中までお邪魔しました。代々墓と南無阿弥陀仏とういうのが新潟流のようです。東京ではほとんどが何々家の墓となっていますが。都知事を務めた青島氏の墓はこんなふうになっていました。

次が宗現寺です。参道を行くと、佛海門と書かれた山門があり、その山門を四方から守る四天王が睨みをきかせています。

山門を通り抜けると大きなお地蔵様があります。

 

次が真城院です。このお寺は越後巡礼三十三観音札所になっています。本堂前には六地蔵・仏足跡・三体の観音石像があります。

ここの庭にはコデマリや黄色い藤キングサリなどが咲いていました。スマホの電池が切れそうなのでこれ以上先には進めませんでした。

西堀の昔の写真がありました。

今の通りはまさに堀だったようです。

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