名古屋に2泊3日で出張でした。最初の日は早めに東京を出て、仕事の前に名古屋城に寄ってみました。
名古屋城の前史:尾張国の東半分は永正15年(1518年)以降、駿河国の守護今川氏の支配下に置かれました。そして、今川氏は最前線である現在のニ之丸辺りに那古野城を築き、尾張国勝幡城主織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城主今川氏豊を追放し、ここを居城としました。
信秀はその後、那古野城の南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めていきました。 信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、天下は統一に向けて動き出していきます。信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移していく中で、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)ころに廃城となり、その跡地は雉が多く住む野原となったと伝えられています。
名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。
江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生しました。。 最初に出合ったのは加藤清正の石曳きの像です。加藤清正は、美しく着飾った小姓とともに大石の上に乗り、綱引きの人々をはやし立て、見物人に酒を振る舞ったと伝えられています。これは、大阪城築城の際の秀吉の故事に倣ったと言われ、秀吉を慕う清正の思いがうかがわれるものとなっています。
東南隅櫓(重要文化財)辰巳櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。表二之門から入って天守閣が見えています。東二門に向かうと清正の石です。二の丸公園にはカラスがたくさんいました。名古屋城には地下鉄の市役所駅で降りました。市役所庁舎です。本庁舎は昭和天皇即位の記念事業として建設されたものです。頂部に城郭風の屋根を乗せた帝冠様式の意匠が特徴となっています。本庁舎は1998年(平成10年)7月23日に登録有形文化財に登録されています。