ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

不忍池・大うたごえ喫茶

2016年04月29日 21時54分58秒 | 公園散策

上野公園野外ステージで行われた、ともしび春の「大うたごえ喫茶」に行ってきました。行は息子に車で送ってもらって、帰りは都バスでした。野外ステージは不忍池の南側に面しています。

まだステージは開演前でしたがたくさんの人が集まっていました。

不忍池はハスで有名ですが、まだ、ようやく葉が水上に顔を出した程度でした。

前回の九月には花の盛りは過ぎていましたが葉が水面を覆っていました。

花は一輪ほどで

弁天島もハスの向こうに隠れるほどでした。

今回は弁天島まで見渡せています。

弁天島(弁天堂)は陸続きになっていますが、昔はこのようになっていたようです。不忍池が4分割される前の絵です。

高橋由一による絵画、不忍池。1880年頃の作品。

休憩時間に野外ステージの上から見て見ました。

蓮池の向こうに見える区画はボート池です。昔から白鳥の形をした乗り物がありました。昔から数十回訪れていますが、水の恐怖症な私は一度も乗ったことがありません。

 

 

渡り鳥もいなくなって池には鯉と亀くらいでした。ここでもミドリガメでした。

葦の茂る場所には、いつもはアオサギがいるのですが、風が強くそこまで歩く気力がありませんでした。

★ランドマーク:しのばずのいけ【不忍池】東京都台東区西部,上野公園南西端に接する池。周囲約2km。昔の東京湾の入江の一部が周囲を埋め立てられて残ったもの。池の名は,上野の山の別名忍ヶ丘に由来するとされるが異説も多い。1625年(寛永2)東叡山寛永寺建立の際,池を琵琶湖に見立て,竹生(ちくぶ)島になぞらえた小島を築造して弁財天をまつった。江戸時代からハスの名所としても知られ,当時の光景は亜欧堂田善,小田野直武らによって描かれている。明治・大正期には内国勧業博覧会会場になった。

世界大百科事典 第2版の解説より

今は非常口になっている入り口に野外ステージと書いてありました。昔は水上音楽堂と言ったような気がしますが。

上野公園野外ステージ(水上音楽堂):上野公園の南端、不忍池の畔にある野外ステージで、昭和28年(1953)にオープンしました。当初野球場を造る計画でしたが、地元の要望で音楽堂が建設されました。開閉式屋根や高い防音シェルターが張りめぐらされています。客席は約1000人収容で規模は大きくないですが、各種のコンサートや集会などに利用されています。

こんな説明があるので、正式名は野外ステージで別名「水上音楽堂」ということでいいのでしょうか。

大うたごえ喫茶は

開演前

ステージ1

ステージ3はベイビー・ブーと歌おう

最後は

会場全体が立ちあがっての「若者たち」と「きょうのひはさようなら」で終ました。

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こいのぼりと東京スカイツリー

2016年04月26日 23時02分18秒 | 身辺出来事

リハビリ病院に行く途中の東白髭公園でこいのぼりが飾り付けてありました。

病院に行く途中と帰り見てきました。ちょうど良い風が吹いてのびのびと泳いでいました。

池にも写ってにぎやかに泳いでいました。

 

病院の帰りも見て見ました。

スカイツリーとこいのぼりです。

隅田川沿いを吾妻橋まで来てみました。

墨田区役所の前にアサヒビールの本社ビルがありますが、そこにスカイツリーが映っていました。

吾妻橋の袂墨田区役所に向かう場所に鬼平情景の高札がありました。これで16本すべて撮ることができました。

東白髭公園の花々です。

白髭橋側からの入り口に門のようにバラがあります。

管理事務所のところに紫と黄色の草花が咲いていました。

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妙見山別院

2016年04月25日 22時30分56秒 | 社寺仏閣

リハビリを兼ねて自転車で近場を散策してみました。墨田区側に渡って、本所の北辰妙見山に寄ってみました。

真冬に修行僧の水行が行われるところとして報道されます。何故?!「幼少の勝海舟が犬に噛まれ重傷となった折、父小吉はここで水垢離をし病気平癒を願ったことから、それが今に受け継がれ、毎年2月15日に修行僧による水行が行われます。」とのことです。

★ランドマーク墨田区の能勢妙見山別院能勢妙見山の唯一の東京別院で、能勢妙見山の東京別院は正式名称を「妙見山別院」というそうです。能勢頼直の代に江戸の下町本所に下屋敷を賜ったため、安永3(1774)年屋敷内に堂宇を建立し妙見大菩薩のご分体をお祀りしたのが始まりだそうです。

こちらは勝海舟もお参りに来た寺院のようです。胸像がありました。

お寺のHPのよると「妙見山別院は親子鷹でおなじみの勝小吉と勝海舟親子の熱烈な信仰を得ていたことで有名です。そのため、山内には勝ゆかりの品が多く所蔵されておりました。その多くは関東大震災と東京大空襲の二度の災禍で焼失してしまいましたが、勝の筆による掛け軸や写真などは今も現存しております。境内には勝海舟翁を偲んで、地元有志の建てた胸像もあります。」とありました。

本山は大阪府と兵庫県の県境にあるようです。 

能勢妙見山本山は「北極星信仰の聖地、日蓮宗霊場「能勢妙見山」は北極星の神様である妙見大菩薩をお祀りし、源氏を祖とする能勢氏ゆかりの寺院です。北極星は人の運命を司る星々の王と言われ、星の動きを支配し運気を好転させて下さることから開運の神様として知られています。」ということらしいです。

本堂

狛犬

こちらはお稲荷さん。

鷗稲荷

お稲荷さんは神田佐久間町の上屋敷にあったものが、明治の初めにこちらに遷座されたのだそうです。

水神

いずれも能勢家由来のものらしいです。

花が印象的でした。

壺の花はどうなっているのかわかりませんでした。

寺院ですが

お参りするといろいろとご利益があるようです。

 

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猿江恩賜公園・つつじ

2016年04月24日 18時39分37秒 | 季節の花

久しぶりに猿江恩賜公園に自転車で行ってきました。円周路を回っていると色鮮やかなつつじが見えました。

見とれていると散歩している方も撮っていました。

赤紫色とでもいうのでしょうか。とにかく鮮やかでした。それで今日はつつじをと思いいろいろ撮りました。

白は写りが難しいと思いました。

紫と白でピンクです。

いろいろと混ざっています。

イチョウの木は新緑から落ち着いた緑色になってきました。

昔里山でみたつつじはこんな色の物しかありませんでした。

今は改良されたいろいろな色のつつじが街路樹でも咲き乱れています。

猿江公園も結構見られます。

この碑は南側地区の野球場があるところに立っています。猿江恩賜公園はかつて木材蔵や木材を浮かべておく貯水池でした。

★ランドマーク猿江恩賜公園:南側地区、 ここは、かつて猿江貯木場といって、林木を水に浮かべて貯めておくための場所でした。享保18年(1733)頃、幕府の材木蔵として造られた後、明治政府に引き継がれ、皇室の御用材の貯木場となりました。大正13年(1924)にその敷地の一部(南側地区)が東京市に払い下げられ、昭和7年(1932)、猿江恩賜公園として開園されました。

北側地区
 以前ここは貯木場として使われ、戦後は林野庁の所管となり、全国の山々から切り出された材木を浮かべていました。昭和51年(1976)、貯木場は江東区潮見へ移転し、約250年にわたった猿江貯木場の歴史を閉じました。その後、北側地区は公園として整備され昭和56年(1981)12月26日に開園しました。

江東区には昭和49年から住んでいたので、北側の貯木場は覚えています。でもその頃は、横十間川から貯木池に大きな木が水に浮いて昔ながらの風景で物騒な場所という感じでした。

2016年4月12日に墨東病院から見た猿江恩賜公園です。

 

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熊本城・水前寺公園

2016年04月24日 10時02分02秒 | 訪問地周辺散策

熊本地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 

熊本には2011年、2012年、2014年のいずれも秋に、仕事で訪問しています。仕事の合間に熊本城や水前寺公園に行き散策してきましたので、当時の写真を集めてみました。

熊本城です地震の時の録画でライトアップした熊本城から土煙が上がっていました。後日瓦が崩れたときの土煙とわかりました。ライトアップされていた熊本城です。

満月夜でした。

宇土櫓です。あまり破損しなかったと報道がありました。

 

熊本と言えばこの人です。城が見える公園にあります。

櫓と石垣が壊れた無残な絵が写っていましたが、当時はこんなようになっていました。

重要文化財の櫓です。

武者返しの石垣でしょうか。

こちらは不開門です。

櫓に囲まれたところに六地蔵憧が立っていました。

 

大イチョウです。

熊本城の別名が「銀杏城」と呼ばれる由来の樹

熊本城は別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」といい、その名前はこの大銀杏に由来します。清正(きよまさ)公が築城の際にお手植えになったと伝えられ、また、清正が亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが、残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長したのです。

 

 

旅客機で行く時はいつも窓側を取ってもらっていました。阿蘇山の上空です。南阿蘇の災害現場は写っているでしょうか。

熊本行で富士山の上空で撮りました。

熊本市から佐賀市に行くので、九州新幹線にも乗りました。

熊本駅です。

 

 

 

 

水前寺公園は2012年10月に行ってきました。⑩の方面から撮っています。湧水池と⑥富士山です。

出水神社です。①表参道の鳥居です。参道商店街の入り口にある鳥居が壊れてたという報道がありましたが、こちらは残っているでしょうか。

②出水神社本殿

五葉の松です。

⑪細川忠利公の像ともありました。

④の所から撮っています。とにかく水がきれいだったのを覚えています。この水が無くなってしまったとの報道もありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160422-00010016-nishinp-soci

4月22日の西日本新聞に干上がった写真が載っていました。

ここから江津湖にそそぐ川を下っていきました。

彼岸花とキアゲハです。

彼岸花の咲くころには、穏やかな風景になっていることを祈願しています。

 

 

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