ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

堀切菖蒲園・菖蒲祭り(2018.5.28)

2018年05月28日 23時24分51秒 | 季節の花

2018年の葛飾菖蒲まつりは6月1日(金曜日)からということでしたが、荒川を下流から上流にリハビリサイクリングをして堀切橋まで来たのでついでに橋を渡って堀切菖蒲園まで行きました。

「葛飾菖蒲まつり」には2016年6月に堀切菖蒲園、2017年は水元に行きました。堀切菖蒲園は改修されており、前の面影ないほどでした。

入り口を入ったところは前と同じようでしたが、全体的にフラットになっていました。

次の2枚は前回の風景です。水回りも田舎の田んぼを思わせるようでしたが、改修後はきれいな水路になっていました。

花菖蒲の品種の名札建っているので覚えやすくなっていますが、なかなか見分けがつきません。

菖蒲は株分けで増やしくいくらしく、これは今年株分けしたもののようです。これは3年目のものです。

 

以下は印象に残った花菖蒲を撮ったものです。遊女の姿

桃児童

雪国

神代の昔

長生殿

鳴門潟

雲の上

紅椿

冨澤

天空

水の光

酔美人

神路の誉

誰待花

ピンク・フロスト

春の海

翠映

堀切の夢

千鳥

万里の響

桃花仙

剣の舞

浦安の舞

まだ菖蒲祭りが始まっていない平日の午後で入園者はまばらでした。

高層道路は荒川と綾瀬川の堤の上にあります。

古地図の右上のところに堀切村 花菖蒲へ出ると書かれています。歌川(安藤)広重   名所江戸百景 堀切の花菖蒲

浮世絵にも描かれています。

★ランドマーク堀切菖蒲園:堀切の花菖蒲(ハナショウブ)は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は安藤広重や歌川豊国らの錦絵の題材にもなっています。
一説には室町時代からこの美しい花に魅せられた当時の地頭久保寺胤夫が奥州郡山附近の安積沼から種子を持って来て自邸に培養を始めたとも、また一説には、寛文・延宝(1661~1680)、堀切村の小高伊左衛門が全国各地の花菖蒲を収集し、庭に植えたのが始めともいわれ、その後、本所の旗本万年録三郎から当時の逸品として知られた「十二一単」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を譲りうけ繁殖させたことから、現在まで堀切と菖蒲は切っても切れない間柄となっているのだそうです。

堀切には元々多くの菖蒲園が存在していました。最初の菖蒲園は、江戸末期に開園した小高園、そして明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などの菖蒲園が開園しました。堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、歌川広重・鈴木春信など著名な絵師による浮世絵にも描かれています。
また明治には、「東京遊行期(明治39)」「東京近郊名所図絵(明治43)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され、全盛期は明治中期から大正末期だといわれています。しかし残念ながら時代の流れとともにそのほとんどが閉園や廃園、菖蒲園は宅地へとその姿を代えていきました。

堀切菖蒲園」は元の「堀切園」を改称したもので、昭和34年5月東京都に買収され、翌年6月1日から「東京都立堀切菖蒲園」として公開されました。
その後、昭和50年4月その管理を葛飾区に移管し、今日では「葛飾区指定史跡 堀切菖蒲園」として整備、菖蒲の咲き誇る毎年6月には、近隣住民だけでなく遠くからも、あでやかなその花を愛でるために人々が集まってくるのです。

句碑があちこちに置かれています。

 

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極楽寺(葛飾区堀切)

2018年05月27日 21時35分07秒 | 社寺仏閣

堀切菖蒲園に行ったついでに周辺の寺院を散策しました。

山門

門の前に地蔵菩薩像

その手前になんだかよくわかりませんでしたが、塩にまみれた石像がありました。

いぼとり地蔵のようです。

★ランドマーク極楽寺:真言宗豊山派の極楽寺は、山号を医王山、院号を薬王院、寺号が極楽寺ということだそうです。宝徳元年(1449)に紀伊根来寺の普済亜闍梨が創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場61番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場64番札所、荒綾八十八ヶ所霊場67番札所です。疣取り地蔵として有名で、菖蒲園のところの案内図に書いてありました。地蔵尊に奉納された塩をもらってイボに塗るとイボがとれると言うことだそうです。

正面は閉まっていましたが脇の入り口からお邪魔しました。

入った左手に庚申塔や首塚が建っていました。

首塚は付近から発見された多数の頭蓋骨を埋葬し、供養の碑を建てたものと言われているそうです。

本堂です。山号の医王山と書いてあるのしょうか。

こちらは薬師堂だそうです。薬師堂の本尊は「寅薬師」または「砦内の薬師」ともいい、室町時代に領主窪寺氏の城内にあったものだそうです。

女人橋関係石材一括

★ランドマーク女人橋関係石材一括(葛飾区登録有形民俗文化財)

近世における講義団による造立物は、江戸時代中期には同行集団によるものから女人集団による造立が多くなりますが、一般的には十九夜塔や道標を兼ねた供養等が多く、石標を造立する例は比較的珍しいものです。
この橋のたもとには、竹を四方に囲み幣束を垂らしたものが設けられ、出産で亡くなった妊婦の供養のために、たくさんの人に水をかけてもらったようです。千人に水をかけてもらえれば供養できると信じられてきました。
近年、出産による妊婦の死が減り、このような儀礼も消滅しつつありますが、近年中世の元文2年(1737)11月に「女人講中」の手によって女人橋が架設されていることは、当時の産育儀礼を知る上で貴重な資料です。
この橋は、現在の堀切二丁目21番21号と同一丁目15番6号の間に架設されていたと言われています。

都心にある寺院と違い素朴でいい感じのお寺さんでした。

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タチアオイ(2018.5.24)

2018年05月24日 23時26分10秒 | 季節の花

そろそろ梅雨入りも近くなりましたが、バラの後の花でタチアオイを追っかけて見ました。最初に見たのはマンションのところに咲いていたものです。ほんの咲き始めでした。

昨年いっぱい咲いていた大島小松川公園に向かいましたが途中の堅川河川敷公園のパターゴルフ場のところで、タチアオイジャングルに出合いました。赤やピンクのタチアオイが群れて咲いています。

途中にも咲いていました。

横十間川にもっとも近いところのものです。

荒川河川敷のポピーのところにも咲いていいました。

旧中川河川敷にもありました。

東白髭公園の管理事務所前ものですが、最近足が遠のいて今頃は花壇も満開と思います。

木母寺前の花壇のゼニアオイです。船橋のお寺さんの所にもありました。大島小松川公園のものです。

最初に見た葵も24日にはここまで咲いていました。

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旧中川水辺公園アジサイ(2018.5.23)

2018年05月23日 16時45分14秒 | 花の散策

今年は全体的に花の開花が早く、いよいよアジサイのシーズンになりました。亀戸中央公園の旧中川の河川敷の所にあるアジサイ園に晴れた20日と曇りの23日に行ってみました。

まだ全体に少し早いのですが待ちきれないということで見に行っています。

いろいろなアジサイの種類があるようですが見分けをするのが大変です。普通に見ているアジサイは西洋アジサイのようです。真白くなるのはアナベル

満開になると真っ白で見応えがあります。

私の好きな色のアジサイ種類は分かりません。

こちらはガクアジサイでしょうか。

こちらもなかなかいい色をしています。

水辺公園は江東区側ですが、江戸川区側にもアジサイが植えられています。

今年植えられたカアイワバアジサイです。

ふれあい橋で両岸結んでいます。橋の袂のアジサイです。アジサイ越しにふれあい橋が見えます。橋の上からスカイツリーを見ています。ヒルガオでしょうか。

その他たくさん撮りました。

こちらは別の場所のものです。

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東京タワー周辺(2018.5.22)

2018年05月22日 23時33分03秒 | 訪問地周辺散策

二月に1回東京タワーの下にある会社の社員食堂の衛生点検と報告会をしています。22日は報告会でしたが、周辺を散策し、タワー下の豆腐のうかいで昼食を食べました。

いろいろと散策場所を検討しましたが、結局都営大江戸線の大門で降りて御成門方面に向かいました。お寺さんがありました。

天光院です。

★ランドマーク天光院:天光院は、増上寺子院。開祖は増上寺第十一世圓也上人である。上人は増上寺を源譽上人に譲つてから、此邊に隠栖して、ひたすら三心の秘奥に學んだ所である。もと南方にあつたが、寛永年間現地に移つた。ということだそうです。

少し離れたところにお地蔵さんがありました。

次に源宝院がありました。

★ランドマーク源宝院:増上寺子院。天正の頃、増上寺第十二世存應の弟子一蓮社立譽上人如應秀白大和尚の創建に係る。慶長三年増上寺が復興した當時からの子院である。大正大震火災に本尊佛を残して全焼し、現堂宇は其後建築したものである。ということだそうです。写真に撮るものがありませんでしたがこの仏像が目立ちました。

少しも戻って歩道橋を渡ってタワー方面に向かいました。文化財の御成門がありました。

★ランドマーク御成門: 御成門は、元々は、増上寺の裏門として建てられたものですが、将軍が参詣する際に使用されたので「御成門」と呼ばれるようになりました。
 この門は、初めは現在の御成門交差点のところにありましたが、明治25年、現在の日比谷通りが建設された際に、現在地に移転されました。
 関東大震災や太平洋戦争を戦火から難をのがれた貴重な建物です。

プリンスホテル沿いにタワー下に向かいました。タワー向かう坂の途中に豆腐うかいはあります。こちらの入り口から入りました。

じょうや坂

氷室の節供

菖蒲とアジサイが飾れていました。

庭から見たタワーです。ここの二階でコース料理をいただきました。東京タワーに出かけるときは結構天気に恵まれて青空とタワーが撮れます。

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