2018年の葛飾菖蒲まつりは6月1日(金曜日)からということでしたが、荒川を下流から上流にリハビリサイクリングをして堀切橋まで来たのでついでに橋を渡って堀切菖蒲園まで行きました。
「葛飾菖蒲まつり」には2016年6月に堀切菖蒲園、2017年は水元に行きました。堀切菖蒲園は改修されており、前の面影ないほどでした。
入り口を入ったところは前と同じようでしたが、全体的にフラットになっていました。
次の2枚は前回の風景です。水回りも田舎の田んぼを思わせるようでしたが、改修後はきれいな水路になっていました。
花菖蒲の品種の名札建っているので覚えやすくなっていますが、なかなか見分けがつきません。
菖蒲は株分けで増やしくいくらしく、これは今年株分けしたもののようです。これは3年目のものです。
以下は印象に残った花菖蒲を撮ったものです。遊女の姿
桃児童
雪国
神代の昔
長生殿
鳴門潟
雲の上
紅椿
冨澤
天空
水の光
酔美人
神路の誉
誰待花
ピンク・フロスト
春の海
翠映
堀切の夢
千鳥
万里の響
桃花仙
剣の舞
浦安の舞
まだ菖蒲祭りが始まっていない平日の午後で入園者はまばらでした。
高層道路は荒川と綾瀬川の堤の上にあります。
古地図の右上のところに堀切村 花菖蒲へ出ると書かれています。歌川(安藤)広重 名所江戸百景 堀切の花菖蒲
浮世絵にも描かれています。
★ランドマーク堀切菖蒲園:堀切の花菖蒲(ハナショウブ)は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は安藤広重や歌川豊国らの錦絵の題材にもなっています。
一説には室町時代からこの美しい花に魅せられた当時の地頭久保寺胤夫が奥州郡山附近の安積沼から種子を持って来て自邸に培養を始めたとも、また一説には、寛文・延宝(1661~1680)、堀切村の小高伊左衛門が全国各地の花菖蒲を収集し、庭に植えたのが始めともいわれ、その後、本所の旗本万年録三郎から当時の逸品として知られた「十二一単」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を譲りうけ繁殖させたことから、現在まで堀切と菖蒲は切っても切れない間柄となっているのだそうです。
堀切には元々多くの菖蒲園が存在していました。最初の菖蒲園は、江戸末期に開園した小高園、そして明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などの菖蒲園が開園しました。堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、歌川広重・鈴木春信など著名な絵師による浮世絵にも描かれています。
また明治には、「東京遊行期(明治39)」「東京近郊名所図絵(明治43)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され、全盛期は明治中期から大正末期だといわれています。しかし残念ながら時代の流れとともにそのほとんどが閉園や廃園、菖蒲園は宅地へとその姿を代えていきました。
堀切菖蒲園」は元の「堀切園」を改称したもので、昭和34年5月東京都に買収され、翌年6月1日から「東京都立堀切菖蒲園」として公開されました。
その後、昭和50年4月その管理を葛飾区に移管し、今日では「葛飾区指定史跡 堀切菖蒲園」として整備、菖蒲の咲き誇る毎年6月には、近隣住民だけでなく遠くからも、あでやかなその花を愛でるために人々が集まってくるのです。
句碑があちこちに置かれています。