ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

犬山城・真清田神社

2012年05月31日 16時11分28秒 | 訪問地周辺散策

名古屋・一宮への出張(5月29日・30日)で、犬山城と真清田神社を見てきました。名古屋へは年に2回ほど出張しますが、名古屋城以外はなかなか見られませんでした。今回は一宮に行く途中で犬山城を訪れました。国宝犬山城は、室町時代 の1537年に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。また、天守が国宝指定された4城のうちの一つです。木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城です。別名の白帝城は、木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられています。

一宮ではその地名の元となった真清田神社(尾張國一之宮)に伺ってきました。境内は一宮市の中心、本通りの正面目抜きにあり、一宮市が、神社を中心として発達した町であることが分かります。古い御社殿は特有の尾張造りの形式を備えた神社でしたが、昭和20年戦災で焼失。その後、昭和32年に本殿以下諸社殿、同36年に楼門が再興されました。現在は、正面参道の楼門を入って正面に拝殿(切妻造)、祭文殿(切妻造)、渡殿(切妻造)、本殿(流造)を、連接した新しい真清田造りの華麗雄大な御社殿です。本殿・渡殿は平成18年に文化庁より国の登録有形文化財に指定されました。

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京都散策

2012年05月27日 11時16分46秒 | 観光地散策

大阪出張の帰り京都を散策しました。5月26日最初は南禅寺内にある琵琶湖から京都へ水を引く水路閣へ。ここは、琵琶湖疏水の分線(蹴上以北)にある水路橋で1888年(明治21)完成しました。南禅寺境内を通過するため、周辺の景観に配慮して田辺朔郎が設計、デザインしています。全長93.2メートル(幅4メートル、高14メートル)レンガ、花崗岩造り、アーチ型橋脚の風格ある構造物で、静かな東山の風景にとけこんでいます。市指定史跡となっています。
そこから石川五右衛門が絶景なりと叫んだ三門へ。三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表します。空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。山門とも書き表され、寺院を代表する正門であり、禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つです。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。現在の三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。また、歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名です。
山門から見た新緑です。
さらに銀閣寺に向かいました。銀閣寺は、正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
相国寺は臨済宗相国寺派の禅寺です。初祖達磨大師が中国に伝えた、いわゆる禅宗を起源とする一派で、日本に伝わったものは臨済宗をはじめ曹洞宗、黄檗宗などがあります。臨済宗は、正法とされるお釈迦さまの正しい教えを受け継ぎ、宗祖臨済禅師をはじめ、禅を日本に伝来された祖師方、そして日本臨済禅中興の祖・白隠禅師から今日にいたるまで、師から弟子へ連綿と伝法された一流の正法を教えとしています。そして本来備わる純粋な人間性を、坐禅を通して自覚し悟ることを宗旨とする宗派です。

ここからはタクシーで飛んで600年の歴史のある「かざりや」であぶり餅とお茶をいただきました。私たちの入った、かざりやは江戸時代創業、400年を迎えます。一方向かい、北側の一和(正式名 一文字屋和輔)の創業はなんと長保2年(1000)だそうです。平安中期一条天皇の子が疫病を患った時、疫除けの願いを込めてあぶり餅を供えたのがはじまりだとかいわれています。
これより今宮神社へ参拝した際は、無病息災を祈りあぶり餅を食べる風習となりましたが、それは今も続いています。

「そうだ京都へ行こう」の宣伝写真になった高桐院では額縁に見立てた庭園を見ました。高桐院(こうとういん)は京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院です。大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつです。開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹(ぎょくほじょうそう)だそうです。

千本釈迦堂にある阿亀多福像の由来に感心して最後は北見天満宮でした。北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、学業成就や武芸上達が祈られてきています。

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早稲田穴八幡

2012年05月10日 16時29分29秒 | 訪問地周辺散策

早稲田に行きました。訪問先の前に穴八幡神社があり立ち寄ってみました。
ここは、冬至の日にお札を受ける人で賑わうことで有名なお宮です。寛永13年(1636年)に松平左衛門尉直次という武士が射術の練習のためここに的山を築き、弓矢の守護神である八幡神の小さなほこらを営んだことにはじまります。のち、社僧良昌が草庵を建てようとして、ほら穴を発見。そこに金銅の阿弥陀如来像が建っていたといいます。当時、阿弥陀如来像は八幡神の本地仏とされて人々の崇敬を集めたことから『穴八幡』とよばれるようになりました。階段を上がっていくと布袋さんがでんと座っていました。これは、昭和20年の戦災によって社殿その他すべてを焼失しましたが、残されている区指定文化財の『布袋像水鉢』です。拝殿も立派でした。高田馬場の流鏑馬は穴八幡の拝殿でお祓いをしてから戸山公園に向かうそうです。 

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殿ヶ谷戸庭園

2012年05月07日 21時49分13秒 | 訪問地周辺散策

国分寺の施設に訪問しました。少し時間があったので駅前を歩いていたら公園に着きました。殿ヶ谷戸庭園です。ここは、大正2年~4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となりました。昭和40年代の開発計画に対し本庭園を守る住民運動が発端となり、昭和49年に都が買収し、整備後、有料庭園として開園しました。なお、庭園の名称は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来するそうです。
武蔵野の自然の地形、すなわち段丘の崖にできた谷を巧みに利用した「回遊式林泉庭園」です。崖の上の明るい芝生地と崖下の湧水池、樹林で雰囲気が一変する造園手法がみどころのひとつです。
都市部に残された数少ない武蔵野らしさが感じられる植生が見られます。樹木のみならず野草も多く、武蔵野の雑木林の春を彩るカタクリやニリンソウといった花をはじめ、今では貴重になった野の花にも出会うことができます。この時は、スズランが咲いていました。

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