ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

甲子園から堺東へ

2014年07月31日 23時14分07秒 | 訪問地周辺散策

大阪出張2日目は午前中に甲子園で午後は堺市(堺東)でした。甲子園駅の球場と反対側に寮があり、そこを訪問しました。5回目くらいになります。今回驚いたのは貧弱な阪神甲子園駅が改造中だったことです。一般に大阪方面の私鉄駅舎は見るべきものがあまりありません。3年ほどかかるらしいですがどんな駅になるのでしょうか。これは球場と反対側(寮側)からの工事風景です。甲子園の仕事を終えて球場に向かってみました。球場側から見た駅舎です。11時ころの炎天下でしたので、

球場は外から写真だけ撮って、次の堺東の施設に向かいました。

甲子園球場は8月1日で90周年を迎えるそうです。前回13年2月には少し時間があったので、球場の外を一周してみました。途中に阪神タイガーズの永久欠番の選手名碑がありました。10番は藤村冨美男、11番は村山実、23番は吉田義男です。ここはタイガーズ神社とも言われている素盞嗚神社です。

今回は急いで甲子園駅から尼崎駅に出てそこから大阪なんば、難波で南海電車に乗り換えると急行で3つ目が堺東です。ここには3回目なので、どこか見たいと思って少し散策したら、古墳があるというので、あてずっぽうで行ってみました。途中こんなお寺さんがあるました。

駐車場から中に入ってみました。

来る途中でご老人が2人で一人の方が安倍首相は戦争をしたがっているけしからんと口角泡を飛ばして話していました。紅谷庵の由緒を見ていたら、私にも話しかけてきてくれました。「その通りですね」と相槌を打って、中を見学させてもらいました。その方に古墳はどちらにと聞いたところこの裏にあると教えていただきました。

ここに着きましたが、もっと見えるところ1周するようにしましたが、見つかりませんでした。

資料で調べたところこのような写真を見つけました。空からでもないと全景はみられないようです。反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)です。私は途中から写真の白い部部から上の方を半周したようです。堺観光ガイドによると「百舌鳥古墳群北端にある全長約148mの天皇陵では小さい方の前方後円墳。5世紀後半の築造で陪塚とされる古墳2基、二重濠の存在が確認されています。百舌鳥3陵の一つ百舌鳥耳原北陵とも呼ばれています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですが理由はよくわかっていません。」と書かれていました。次はぜひ仁徳天皇陵古墳を見たいと思っています。

左手の方にあったのが方違神社でした。

堺東で昼食に辛味ソバ摂ったところ、そばに貝割れ大根のトッピングが載っていました。食べてる途中で「堺市の学校給食のO157事件」を思い出し、あわててソバの写真を撮りました。

現役時代に「O157はなぜ大発生するのか」という本を書きましたが、その取材で堺市役所の保健所の係長さんに面談していただいたことや貝割れ大根を栽培していた羽曳野市の南野農園を訪ねたことなどを思い出しました。1997年の春のことです。

炎天下甲子園から堺東での散策とついに一日の歩行数が15000歩を超えてしまいした。今日はリハビリでクリニックに行き痛み止めやら痺れ止めを打ってきましたが、いまだに、両足ががくがくしています。

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布施戎神社・都留彌神社(つるみじんじゃ)

2014年07月30日 23時30分55秒 | 訪問地周辺散策

大阪に1泊2日の出張で、初日は東大阪市の布施にある施設を訪問しました。3回目の訪問です。商売繁盛が願いの大阪は戎さん(えべっさん)が賑わうようです。西宮戎や今宮戎などが有名ですが、布施戎も1月9日~11日は賑わうようです。布施戎には毎回寄っていますが、今回はもともとここにあったという都留彌神社(つるみじんじゃ)を訪ねてみました。いつもながら地図も持たずにあてずっぽうの散策で、迷いながら途中で昼食を摂りながらようやくたどり着きました。拝殿の脇に御神牛が祀ってあるので、菅原道真にも関係があるのでしょうか。

調べてみたら→「菅原道真公(菅原天神、学問成就の神)--古くからの合祀神となっているが(由緒略記)、古資料には合祀以前の祭神として、「足代村にあり。延喜式出。今天神と称す。此地の生土神とす」(河内名所図会-1801、河内志-1733もほぼ同じ、江戸中期) 「速秋津日子神・速秋津比売神及び菅原道真を合祀せり、明治5年(1872)村社に列せられ当時大字永和の素盞鳴命神社を合祀し、・・・」(大阪府誌-明治36・1903))とあり、古くはは菅原道真を祀る天神社(テンジンシャ)として知られていたようで、今も菅原道真として祀られている。」といのがありました。境内には戎・大黒さんも祀ってありました。次に布施戎神社に向かいました。1kmくらい離れているそうです。日陰もない暑い日差しの中を歩いていきました。近くの商店街にはこんな飾りが出ていました。調べたわけではありませんが、日本で一番大きいと言われる鋳造のえびす像です。

「この地は、その昔、足代村の氏神として延喜式神名帳にみえる都留彌神社が祀られていた。江戸後期の河内名所図会・享保元年(1801)には、『都留彌神社 足代村にあり』とみえている。
 明治18年(1885)の淀川大洪水により、神殿・宝物・古文書など全て流出したが、その後、村民の手により再建されて、足代村の氏神社として祀られていた。
 都留彌神社は、明治40年(1907)から始まった国の神社合併により、近隣の荒川・長堂・岸田堂などの神社を合祀して、この地から東方約1kmの現在地に移転し祀られたが、この時に当境内地は、地元足代の有志に払い下げられ、民有共有地として保管されてきた」などとかかれています。戎神社本殿の右隣に『都留彌神社御旅所』があり、柵に仕切られた奥に神明造の小祠があり、また境内に入った左隅に、『都留彌社趾』(昭和3年-1928-建立)との石碑が立っています。

近鉄布施駅に戻る途中に安産地蔵菩薩の祠がありました。

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東神社・練馬

2014年07月28日 23時11分08秒 | 訪問地周辺散策

月曜日でしたが、振替休日をいただいて、練馬区で学校給食を担当している栄養士さんの研修で食品衛生の話をしてきました。学校は夏休みの間に研修をたくさんするそうです。少し早めに出かけましたが会場を間違えてうろちょろしていたら、東神社がありました。ここは、八大龍神と天照大神を奉てあるようです。
女性の方が2名ほどお参りにきていました。正面に『天明水霊験』というモノがありました。ここでも女性の方が手順「開運出世金融祈願の法:天明水招神寿福の御守りを受け、御守りを天明水にひたしその御守りを常に懐中に持ち、出世金融のご利益を受けるべし、霊験あらわれたるときは、御礼参りのしるしとし、次のご利益を受けます。金生水の奇蹟は、金銀融通に不思議な霊験をあらわします。」にしたがってお祈りしていました。
いまさら金運には縁がないとあきらめているので、拝見だけさせていただきました。

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隅田川花火大会

2014年07月26日 22時47分11秒 | 近郊散策

今日は隅田川花火大会でした。現役時代は屋台や出店の現場調査で昼間から忙しい一日でした。今日はスカイツリーの近くで第一会場の花火を30分ほど見物しました。オートでなく夜間用で撮ってみました。

近場の人を含めて結構よく撮れました。

今日のスカイツリーは粋色でした。

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向ヶ丘遊園

2014年07月25日 09時30分40秒 | 訪問地周辺散策

向ヶ丘遊園にある施設を訪問しました。遊園地があったところという記憶はあるのですが、どこにあったのかまったくわかりません。近くに安立寺があるというので向かったのですが、山道の坂に出くわして挫折しました。駅の方に戻って、訪問施設の近くで、こんなものを見つけたのと、藤子・F・不二雄ミュージアムがあると書いてあるので、少し歩いてみました。なかなかこちらも行きつけず、少し歩くと沿道にバラ園を見つけたので、写真と撮って施設に向かいました。

バラではないのですが私の好きな紫サルビアです。

この文書を書くのに調べていたら、なんとこの緑地公園のところは向ヶ丘遊園地に行くモノレールが走っていたところだったいうことがわかりました。

当時の風景がこの方のHPで見られます。

古町鉄男さんの「はかなき情景」です。http://www.hakanaki-jokei.com/mukougaoka.html

訪問先の昔の姿も写っています。 

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