ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

蔵の街栃木市

2012年09月21日 10時03分29秒 | 訪問地周辺散策

栃木市と足利市は日帰り出張です。蔵の街として知られる栃木市は、江戸時代から市の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した交易によって栄えてきました。市内には、江戸、明治、大正とその時代を語り継ぐ歴史的な建造物が数多く残されています。巴波川は、栃木県南部を流れる利根川水系渡良瀬川支流の一級河川です。中世から江戸川と通じた舟運の盛んな川で、栃木市内には蔵造りの建造物が多く残り「蔵の街」として親しまれています。舟運の始まりは、江戸時代に徳川家康の霊柩を久能山から日光山に改葬した際に、日光御用の荷物を栃木河岸に陸揚げしたことが端緒です。その後、物資の集散地として江戸との交易で隆盛を極めました。現在は、錦鯉が放流されており、船頭による舟歌が楽しめる観光用の舟が行き来します。神明宮を訪れてみました。応永10年(1403年)、栃木城内神明宿(現神田町)に創建されたと言われています。天正17年(1589年)正月16日、皆川広照により現在地へ移され、栃木町の総鎮守となりました。社殿は伊勢皇大神宮に倣い、神明造りです。現在の拝殿はもと、中教院の講堂として明治8年(1875年)に造られたものを使用しています。栃木の地名は、この神明宮の屋根ぐしの千木(ちぎ)から出たとも言われており同社に残る応永10年(1403年)、天正17年(1589年)、文禄2年(1593年)の神明宮棟札は市指定文化財(歴史資料)となっています。

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布施戎神社・生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)

2012年09月13日 13時06分15秒 | 訪問地周辺散策

大阪市内と東大阪は9月11日、12日に出張でした。
昨年も伺いましたが布施戎神社の戎さんです。旧足代村にあった神社で元の名は「都留弥神社」でしたが大正3年に統合され荒川村に移転しました。その神社の跡に、昭和28年に布施戎神社と改名されました。 布施の「えべっさん」として親しまれています。これは、鋳造では日本一の大きさといわれる戎像です。
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、難波大社(なにわのおおやしろ)ともいわれます。地元では生玉(いくたま)さんの通称で親しまれています。1945年3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年9月のジェーン台風により倒壊ししまい、社殿喪失が相次いだこともあって、1956年に鉄筋コンクリート造りで再建されています。
井原西鶴の像を見つけました。井原 西鶴は、1642年(寛永19年)大坂・難波生まれ、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師です。談林派を代表する俳諧師であり、浮世草子作者としても人気を博しましたが、『好色一代男』をはじめとする浮世草子作品ばかり注目され、その俳諧が顧みられることは少ないようです。

裏手にこんなものがありました精鎮社です。生國魂神社の境内社のひとつで、かつては表参道脇に蓮池があった弁財天社でしたが、明治初年、現在の名に改名。戦後の地下鉄工事により蓮池が埋められたため、現在地へ移転したそうです。恵比寿・弁財天を祀り、鮮魚商や漁師、釣りの愛好者などの信仰を集めている。ということだそうです。

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