ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

円通院・松島五大堂

2013年06月07日 23時45分55秒 | 訪問地周辺

訪問地の仕事を終えましたが、まだ日が高く、3年前と昨年の11月にも訪れた松島にちょっと寄ってみました。時間がないので駆け足でした。最初は三聖堂です。
案内板によると「天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられたこの堂は方3間の素木造、屋根は宝形造で茅葺、正面に一間の向拝のついた、素朴端正な建物である。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という。堂は当初北向きに建てられたが、宝永6年(1709)に参拝者の便をはかるため、南向きに改められ現在に至っている。創建以来、屋根替え以外の修理は行われていない。」と書かkれていました。三聖堂は松島町指定文化財となっています。
隣は円通院です。円通院(えんつういん。旧字体:圓通院)は、宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)にある臨済宗妙心寺派の寺院です。本尊は聖観音(しょうかんのん)。瑞巌寺の南側に隣接しています。


石庭です。枯山水(かれさんすい)というと案内の方が女子学生に説明していました。
枯山水とは、水を用いないで、水のある表現の庭園をいい、わが国では飛鳥(あすか)・奈良時代のころから作庭されてきたそうです。平安期の『作庭記』では、「池もなくやり水もなき」所に「石をたつること」を枯山水といっていましたが、この意匠が頂点を迎えるのが室町時代だそうです。室町初期のころは抽象意匠が多く、中期から後期にかけては絵画的で具象的な枯山水が多く作庭され、また江戸初期の枯山水は、塀などの片側に寄せた、具象的な意匠が多いとのことです。 心字の池
三慧殿伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。三慧殿は別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれています。 技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されています。その厨子には支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、円通院はこのバラを題材にした庭のある「バラ寺」として知られているそうです。
隣の瑞巌寺を通りぬけました。山門;総門、一間一戸袖塀付の薬医門(やくいもん)です。慶長14年(1609年)、伊達政宗によって建立されました山門扁額「桑海禅林(そうかいぜんりん)」「扶桑と呼ばれる日本の、海辺近くに建つ禅の寺(林)」という意味です。
海岸に出て五大堂を撮ってきました。
松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになったそうです。
秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ずづご開帳されるようになっているそうです。


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