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ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

溝口神社・宗隆寺

2014年08月12日 23時11分08秒 | 訪問地周辺散策

溝の口の施設を訪問しました。ランドマークにふさわしい溝口神社があったので寄ってみました。神社の創立年代は定かではないが、神社保存の棟札によれば、宝永五年(1709年)武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されており、江戸時代まで神仏習合にて、溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、社名を赤城社と称していた。
  明治維新後、神仏分離の法により、溝口村・下宿・中宿・上宿・六軒町・六番組の各を統合、総鎮守として祀るべく新たに伊勢の神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と改称、更に明治六年(1873年)幣帛共進指定村社に列せられた。と神奈川県神社庁のHPに書いてありました。

こんな説明書きがありましたが、大歳神というのにいたく感動しました。60年前の田舎では年が明けると歳神様というのを祀って、角松立ててお祝いしました。何のことがわかりませんでしたが、ここに説明が書いてありました。

こちらは近くにあった宗隆寺(そうりゅうじ)です。川崎市教育委員会のHPに以下の説明がでていました。「宗隆寺は日蓮宗の寺で、かつては池上本門寺の末寺でした。この寺は、古くは天台宗で本立寺と称していましたが、明応5年(1496)に日蓮宗に改宗して宗隆寺と寺号を変え、今日に至っております。
 宗隆寺では、御会式(おえしき)が大きな法会として行われています。御会式というのは、日蓮聖人の命日10月13日に聖人の追善報恩のため、入滅の霊蹟・池上本門寺をはじめとして日蓮宗各寺院で行われる法会で、その前日12日の夜行われる万燈練(まんどうぬ)り供養(くよう)がこの行事を盛り上げています。本門寺以外の寺では、いくぶん日をずらしてこの行事を行っています。
 宗隆寺の御会式は10月21日に行うしきたりになっています。この寺の御会式にも古くから万燈練り供養が行われていますが、本門寺は別としても堀ノ内妙法寺(杉並区)や雑司ヶ谷鬼子母神(豊島区)と並んで多数の万燈が出ることで有名です。
 万燈は細く裂いた竹ひごに紙の花を10個前後つけたものを、10本くらい柄のついた提灯や行燈の頭に取りつけ、その周囲に垂らしたもので、明かりが灯されると紙の花が暗闇の中に美しく浮き出します。この紙の花は日蓮聖人が池上宗仲の邸で亡くなられた時、邸前の桜が季節はずれの花を咲かせた故事にならったものといわれています。
 宗隆寺の万燈練り供養は御会式の日の午後7時30分頃から始まりますが、9時30分頃までの間に10数組の結社が万燈をかかげ、纏(まとい)を振り、一同団扇太鼓(うちわだいこ)をたたきながら参詣にきております。境内には地元各地域結社の万燈が7~8基立てられ、これを迎えます。万燈の行列は大山街道を順次進み、両側に多くの露店が並ぶ参道を通って境内に入り、祖師堂にお参りして寺の振舞いをうけ、それぞれ帰途につきます。
 祖師堂の中には紙の花をつけた竹ひごが各所に取りつけられ、また「宝前(ほうぜん)」と呼ぶ飾り物が一対立てられ、美しく飾りたてられます。」

日蓮聖人稚児像
 善日麿は日蓮聖人の幼名です。

益子焼で人間国宝となった濱田庄司のお墓もあります。

お墓の中を歩きましたが、ネコさんに出合えませんでした。寺を出ると大山街道でした。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (溝口神社)
2023-04-16 17:59:43
溝口神社
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Unknown (鷲尾悦也)
2023-04-16 18:00:20
本藤恒松
返信する

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