ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

酉年の1年写真にとどめた鳥たち

2017年12月31日 14時39分12秒 | 鳥を追って

酉年もあとわずかで終わりです。今年撮った鳥を集めてみました。鳥を追っかけてはいませんが、景色を撮ってるうちに撮ったものを集めました。

もっとも多く撮ったのは猿江恩賜公園にやってくるキンクロハジロです。11月から4月ころまでミニ木倉をユリカモメや鴨たちと賑わしています。

次に多いのは旧中川や亀戸天神の心字池などに飛来するアオサギとコサギです。9月20日

面白いのというかずるいのはアオサギです。旧中川で釣り人がハゼを釣るのをまっていて、釣ったとわかると傍に飛んできます。

4月17日

釣り人一人にアオサギ一羽のようになります。

10月3日は3羽がいました。12月11日

亀戸天神の心字池には亀の他の唯一というようにアオサギです。10月31日4月の亀戸天神

こちらは珍しく3月にミニ木倉に現れたアオサギです。2月の向島百花園です。

鴨は猿江恩賜公園に南側の日本庭園に群れています。2月猿江恩賜公園

鴨にもいろいろな種類があるようですがこれはヒドリガモ?でしょうか。

キンクロハジロは11月から飛来して

11月1日

12月には数十羽になります。3月の後半から飛び立って行きます。4月最後の一家です。

都鳥ユリカモメも11月頃から4月ころまで見られます。4月の飛び立つ頃には頭が黒くなります。4月の不忍池です。

白鷺と言っていますがこれはコサギのようです。かなり大きいのでコサギとは違う?チュウサギでしょうか。4月の旧中川です。

コサギというと

隅田川では鵜が見られます。鵜は羽を広げると排便します。

自宅の近くでは見なかったのですが、旧中川でオオバンを見かけました。

12月に鳥を目当てに旧中川から荒川をリハビリサイクリングを兼ねて巡ってみました。旧中川ではチュウサギオオバン

オナガガカモ

ユリカモメとオオバン

アオサギ

荒川に出て見ました。カモの大群でしょうか。キンクロハジロもいるようですが。

旧中川可愛いのはやはりコサギです。江戸時代から描かれています。広重 逆井の渡しより波が出ているのは、足を小刻みに震わせて小魚を追い出して捕るためです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目黒不動堂(瀧泉寺=目黒区下目黒)江戸名所図会めぐり

2017年12月30日 18時11分12秒 | 江戸名所図会めぐり

目黒に行く機会があったので、大鳥神社と目黒不動を散策しました。仁王門です。

★ランドマーク目黒不動(瀧泉寺):泰叡山瀧泉寺(目黒不動)(天台宗)は寛永寺の末寺で、目黒不動尊縁起によれば、「慈覚大師が少年時代、現在の地に宿をとったとき、神人の夢をみた。その後大師が青年になり、唐に留学して、ある日長安の青竜寺を訪れ不動明王を拝んだところ、それが少年のころ霊夢に感じた神人と同じ姿であった。大師は奇異に感じ、帰朝後さっそく不動尊像を彫刻し、これを目黒の地に安置した」とある。

目黒不動尊縁起によれば「滋覚大師が大同3年(808年)比叡山に向かう途中目黒で宿をとった。その時、不動明王の夢を見たのでその像を彫り、安置した。それが寺の始まりである。」という。

仁王門の手前に比翼塚がありました。

★比翼塚:処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は『後追い心中』として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は、2人の来世での幸せを祈り建てられたという。

★伏見稲荷

★目黒不動尊の子連れ和犬像

 

独鈷(とっこ)の滝の左手にあるのが前不動堂。本尊は不動明王立像で、庶民信仰の便を図ったものとも、本堂に祈願するための徳を積む修業の場であったともいわれる。

独鈷(とっこ)とは…煩悩を打ち砕く仏具

垢離堂(瀧泉寺)

★独鈷の滝:このお滝は今を去る1200年程前、泰叡山瀧泉寺をお開きになった慈覚大師円仁が堂塔建設の敷地を占って、御自身が持っていた独鈷(とっこ)を投げたところ、忽ち滝泉が湧き出したので之を「独鈷の滝(とっこのたき)」と名付けられた。それより今日迄どんなに旱天が続いても涸れることもなく、滔々と落ちており、長く不動行者の水垢離の道場として利用されてきた。
 今日都内では大変珍しい名所である。


 泰叡山瀧泉寺は大同3年(808年)天台座主第三祖慈覚大師円仁(えんにん)の開基で、大師自ら尊像を彫刻して安置したのに創まる。天安2年(858年)堂于を造営するに際して、大師が所持の独鈷を投じて、建設の敷地を卜したところ滝泉忽ち湧き出したので「独鈷の滝(とっこのたき)」と称してより、今なお千百有余年絶えず湧出している。大師はお堂の棟札に「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と付記して瀧泉寺と名付け、貞観2年(860年)、清和の御代に「泰叡」の勅額を下腸されるにおよび山号を泰叡山と定める。爾来、関東最古の不動霊場として、幾多の霊験が伝えられている。浄域の風情は春の花、夏の滝しぶき、秋の紅葉、冬の雪と四季折々に、自然の如法の姿が、参詣される善男善女の心に安らぎをもたらしている。

 

< 目黒不動尊ご詠歌 > 清らけき 目黒の杜の 独鈷滝   さいやく難を 除ける不動尊

 

ここに、目黒のお不動さまと諸願成就の縁を結び大願が円成するよう身代わりとなって、水を浴びて下さる「水かけ不動明王」が造立され、より清らかな心と身で、大慈大悲の不動明王に参詣できるようになったのである。  平成8年(1996年)5月吉日 泰叡山瀧泉寺

 

 

★鷹居の松跡(たかすえのまつあと):徳川3代将軍家光が寛永の頃(1630年頃)不動尊の近くで狩猟中に、かわいがっていた鷹が行方不明になりました。そのとき不動堂別当の実栄という僧に祈らせたところ、鷹はたちまちここにあった大きな松の枝に飛びもどってきたと伝えられています。今はその松の跡だけが残り標石が立っています。 

 家光は大いに喜び、この松を「鷹居の松(たかすえのまつ)」と命名するとともにこの不動尊を深く尊信し、火災のために堂塔ことごとく烏有に帰した当寺再建のため堂塔を寄進し、寛永11年(1634)には諸堂末寺等50余棟に及ぶ壮大な堂塔伽藍が完成したといいます。

★神愛大菩薩

★大本堂

★八大童子の山

★鐘楼堂

★災厄除 護衛不動尊

★延命地蔵尊

★意志不動

 

★不動明王

★微笑観音菩薩

★愛染明王

大本堂の裏手に

★銅造大日如来坐像(目黒区指定文化財昭和59年3月31日指定):蓮華座に結枷趺坐しているこの坐像は宝髪、頭部、体躰、両腕、膝等十数ヶ所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られています。総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躰にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躰も衣文表現もよく整っています。
現在は露座となっていますが、「江戸名所図会」の目黒不動堂の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。
台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴史が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和3年(1683)と制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。

帰りは女坂で降りてきました。途中に力石があります。その下に

『 銅造 役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう) 』      目黒区指定有形文化財(彫刻)    昭和59年(1984)3月31日指定

  別名『神変大菩薩』とも云い、修験道の開祖、足・腰を強靭にしてくれる。この像はやや痩せ形の神秘的な面相、均整のとれた体躯や手足の表現、法衣や袈裟の衣文のしわなどもまことに巧みで江戸時代の銅造彫刻としては優れた遺品の一つである。また、像の腹部、胸部、腕部等に寛政8年(1796)神田に住んでいた鋳工大田駿河守藤原正義作の刻銘があることも貴重である。  昭和59年(1984)8月 東京都目黒区教育委員会

以上は指定当時の説明書きのようです。

女坂=水音聞きてまた祈る

坂を下りたところに

『 地蔵菩薩 』 大悲をもって凡ゆる人間を教化、救済して下さる仏さま  地蔵堂にあり

『 閻魔大王 』 地獄の仏として人間生前の罪を判する王 地蔵堂にあり

『 三途の河婆 』 人間の死後、三途の河を亙る時、助勢をしてくれる老婆

水子地蔵尊
 
阿弥陀堂
観音堂

 『 観世音菩薩 』 江戸三十三観音の一つで慈悲の仏さま、聖観音、千手観音、十一面観音、観音堂にあり

★豊川稲荷

★三福神(弁財天・大黒天・恵比寿天)

池畔に三福神(弁財天・大黒天・恵比寿天)が祀られ、ここが山の手・七福神の恵比寿天となっています。

弁財天は七福神中の紅一点、美しい音楽の女神である。

ということでまだまだ見どころがあるようですが、池の所がバス停でちょうど渋谷行のバスが来たので乗り込みました。

天台宗
 泰叡山 瀧泉寺
     目黒不動尊


 天台宗で泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)といい、大同3年(808)に慈覚大師(じかくだいし)が開創したといわれています。徳川3代将軍家光が堂塔伽藍(どうとうからん)を造営し、それ以来幕府の保護があつく、江戸近郊におけるもっとも有名な参拝行楽の場所となって、明治まで繁栄をきわめました。 境内は台地の突端にあり、水が湧き老樹が茂り、独鈷の滝や庭の池が美しく、庶民の信仰といこいの場所でした。

 壮麗をきわめた古い建物は、戦災で大半が焼失しましたが、本堂、仁王門、書院、鐘楼などの再建が着々と進められ、「前不動堂(まえふどうどう)」(都指定文化財)、「勢至堂(せいしどう)」(区指定文化財)は、江戸時代の仏堂建築としての面影を残しています。

境内には『銅造役の行者倚像(どうぞうえんのぎょうしゃいぞう) 』『銅造大日如来坐像(どうぞうだいにちにょらいざぞう)(区指定文化財)』、『仁王門』、『大本堂』、『垢離堂』、『延命地蔵尊』、『八大童子の山』、『勢至堂』、『前不動堂』、『観音堂』、『地蔵堂』、『降魔の三鈷剣』、『独鈷の滝』、『水かけ不動尊』、『養老孝子像』、『鷹居の松跡』、『腰立不動』、『本居長世碑』、『意思不動尊』、『力石』、『男坂』、『阿弥陀堂』、『北一輝先生顕彰碑』、『三福神〔山手七福神恵比寿天〕』、『豊川稲荷』、『地主神』、『三界万霊塔(無縁塔)』、『野村宗十郎銅像』があります。

裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡として知られ、墓地には青木昆陽(あおきこんよう)の墓(国の史跡)があります。
 昭和61年(1986)3月 目黒区教育委員会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目黒大鳥神社(大鳥明神社、江戸名所図会めぐり)

2017年12月29日 23時50分02秒 | 江戸名所図会めぐり

目黒区中小事業センターで行われた食品衛生講習会の講師をしたので、ついでに周辺を散策しました。目的は目黒不動でしたが、途中で大鳥神社に出合いました。家で調べて見たら江戸名所図会にも載っていた古社でした。江戸名所図会より

★ランドマーク目黒大鳥神社:この神社は、日本武尊の東征にゆかりがあるといわれるこの地に、大同元年(806)創建された区内最古の神社です。江戸地図として古いものとされる「長禄江戸図」に画かれている古江戸9社の1つで、目黒村の総鎮守でもありました。祭神は日本武尊を主神とし国常立尊と弟橘媛命を合祀しています。

 毎年11月に開かれる酉の市は、東京では古いものの1つといわれており、現在も都内では有数の賑わいをみせています。この市のいわれは日本書紀に「10月己酉に日本武尊を遣わして、熊襲を撃つ」とあり、尊の出発日が酉の日であったことから、おこったと伝えられています。

 毎年9月の例大祭には、目黒通りに大小30余基の町みこしが勢ぞろいします。それとともに社殿では「太々神楽・剣の舞」が奉納されます。11月の酉の市には、「太々神楽・熊手の舞」が神前で舞われます。

 境内には、東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」の老木や三猿だけの延宝塔、元禄時代(1688-1703)や宝永年間(1704-1710)の屋根付庚申塔など5基の石造物もあります。また、俗に切支丹燈籠といわれる「織部式燈籠」や、天保6年(1835)の酉の市に神楽を奉納した記念碑などもあります。(目黒区教育委員会掲示より)古地図

大江戸絵図より

拝殿です。神楽殿、ここで「剣の舞」「熊手の舞」が舞われるのでしょうか。

手水舎

★ランドマークアカガシの木、この木ではなく、オオアカガシがあり、東京都指定天然記念物だった。
「大鳥神社境内に生育していたオオアカガシは、基本種のアカガシに比べ非常に大きく、薄い葉を繁らせ、また、雄花穂の花軸はアカガシより太く長く、苞や果実も大きいという特徴からアカガシの変種とみなされました。新変種命名の基準となった本樹は、学術上貴重な樹木として、昭和三八年に東京都の天然記念物に指定されました。本樹の枝葉は、現在でもオオアカガシCyclobalnopsis acuta(Thunb.) Oerst.var.megaphylla Hayashi,var.nov.のタイプ標本として、国立科学博物館筑波実験植物園に保管されています。
 指定時に樹高約一六メートル、幹周り一・六メートルあった本樹は、生育環境の変化等により昭和五〇年代初め頃から樹勢の衰退がはじまり、数回にわたる樹勢回復事業も実施されましたが、平成一四年枯死が確認されました。また、後継樹育成のため挿し木による増殖も試みましたが、成功せず、平成二四年に指定解除となりました。
 ここに説明盤を設置し、都内でも学術上貴重な名木が存在したことを後世に伝えるものです。
 平成二四年三月 東京都教育委員会」

★切支丹燈籠:下目黒の大鳥神社所蔵で、昭和38年、守屋図書館に開設された郷土資料室に出品公開されて以来、中庭で展示していたものです。
 もとは千代ヶ崎の大村邸内にあり、かつてこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守(とのものかみ)の下屋敷にまつられ、密かに信仰されていたものと伝えられています。
 竿石(さおいし)の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠で、キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった、寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて作られたものと考えられます。

銀杏も大きい木がありました。

銀杏の木の奥に櫛塚の碑

★櫛塚:全国美容週間実行委員会が奉納した櫛塚(くしづか)です。9月4日は櫛の日として櫛供養が行われるそうです。

延宝銘の庚申塔に将軍家と書かれた石碑など。

三猿だけの庚申塔となりは力石でしょうか。

笠付の庚申塔将軍家の墓です

この奥に末社の目黒稲荷神社がありました。

★酉の市:酉の市は、鷲神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られる。また、愛知県名古屋市の稲園山七寺(大須七寺、長福寺)など関東地方以外でも行われ、多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」を売る祭の賑わいは、年末の風物詩となっています。

江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲神社 (台東区)(おおとりじんじゃ)と酉の寺 長國寺(とりのてら ちょうこくじ)境内で行われた酉の市です。鷲神社 と酉の寺 長國寺の東隣には新吉原という遊郭が存在し、酉の市御例祭の日には遊郭内が開放されたといわれ、地の利も加わり最も有名な酉の市として現在に至っています。 規模(熊手店約150店舗・露天約750店)賑わい(毎年70万人~80万人の人出)とも日本一の酉の市である。

区民センターに行く途中の目黒川で頭の茶色いとりが泳いでいました。ホシハジロでしょうか。

★ホシハジロの雄ホシハジロ

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮れの猿江恩賜公園

2017年12月25日 21時29分19秒 | 公園散策

いろいろと忙しくなりリハビリウォーキングの回数が減っていますが、リハビリにはぴったりのお気に入りの猿江恩賜公園です。

両手杖で歩くものにとってはあまり混んでいると歩きにくくなりますが、あまり混雑もなしに安心して歩けます。ただ、最近はポケモンゴーが出現すると、あたりかまわず人が押し寄せてきます。自転車に乗りながらスマホをみていrので危険です。また、難を言えば遊歩道のコンクリートに木々の根が伸びてきて凸凹があり突っかかって転倒の恐れがあるとおうことです。できるだけ平らにしていただきたいと思います。

いよいよ年の暮れ公園もお正月飾りになってしまいました。メタセコイアの落ち葉が絨毯のようになっています。

渡り鳥たちもユリカモメが来ていつも鴨とキンクロハジロの三種類がそろいました。

葉が残っているのは雪柳が紅葉して赤くなっていました。

真っ赤な紅葉で楽しませてくれたドウダンツツジは最後に残ったものがありました。スイセンはこれからですが何種類か咲いています。

花壇がハボタンで飾られました。ハボタンの脇に植えてありました。ミニ木倉と東京スカイツリーはいつみてもいいものです。

イタリアポプラもすかり葉が落ちてしまいました。

残った花は立寒椿、寒椿はツバキですが、立寒椿は山茶花のようです。

山茶花と椿の見分けは花ごと落ちるのが椿、花びらが散るのは山茶花ということで、これは山茶花?

こちらはいつでもさいている黄色い花というイメージでしたが、ユリオプスデージーというらしいです。開花期間は11月から5月の書いてありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

増林寺・江東区(海福寺=江戸名所図会)江戸名所図会めぐり

2017年12月23日 23時44分57秒 | 訪問地周辺散策

江東区内をリハビリサイクリングで散策しています。今回は江戸名所図会の海福寺に出ている増林寺を散策してきました。

写真を撮ってる後ろが海福寺の跡地明治小学校になります。

  江戸名所図会より

武田信玄の持ち伝えたりと云う石の塔壱基  堂前池(どうぜんいけ)の傍らにあり

左奥に増林寺が描かれています。

★ランドマーク増林寺:曹洞宗寺院の海照山増林寺は、駒込高林寺四世白洲全龍和尚が開山となり寛永五年(1628)創建したといいます。家・篆刻家の三井親和、儒者和気柳斉、幕末の剣聖といわれた男谷信友、鍼医の石坂宗哲など多くの著名人の墓所があります。

三井親和の墓

親和は深川福住町に住み深川親和とも称し書を細井廣澤に学び書道の大家となりことに篆(てん)書にすぐれ江戸■在にまでその書は額や幟の■などにみられまたその筆跡を浴衣や手拭に染めた親和染が流行するにいたったが天明2年3月7日83歳にて死去し増林寺に葬られた
 昭和33年(1958)10月1日 江東区第8号
ここには2回目ですが今回初めて墓地に入ってみました。墓地の方から見ています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする