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ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

晩夏の向島百花園

2018年08月28日 22時14分19秒 | 公園散策

8月の末に向島百花園とその周辺を散策しました。まず、リハビリ病院の近くの東白髭公園のタイタンビカスを見に行きました。

タイタンビカスはモミジアオイとアメリカフヨウとの交配種ということですが、3年前に初めて見た時は花の大きさに驚きましたがだんだん普通の花になってきました。アメリカフヨウそっくりです。

モミジアオイを引いていますか。

3か月、3か月と合計66月入院していたリハビリ病院です。

ここから向島百花園に

「虫ききの会」が終った後のようでした。萩のトンネルは萩をばっさり剪定したので今年はちょっと寂しくなっています。トンネル以外で咲いていました。

朝顔の鉢が数種類ありました。

モミジアオイの花です。花のトラノオトロロアオイです。オイランソウヒオウギは少しだけ咲いていました。ひょうたんの花、

ひょうたんの置物

ひょうたんとノウゼンカズラ

ヘビウリオミナエシ

ノカンゾウ

にはガマの穂が

アメンボウが群れています。

桔梗も長く咲いています。木槿

トンボが麦わらトンボ?シオカラトンボの雌です。

公園のもっとも奥からです。

途中からススキとスカイツリーです。

シロミノコムラサキです。

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スカイツリーライティング、東京パラリンピック2年前、タワーは

2018年08月25日 23時56分06秒 | 今日の写真から

2018年8月25日は東京パラリンピック開会日の2年前ということで東京スカイツリーが3色でライトアップされました。

逆さツリーでは赤色が水に吸収されてしまいました。

★パラリンピックシンボル/アギトスカラーの3色(赤・青・緑) の特別ライティングということだそうです。

午前中は亀戸中央公園から旧中川に出て、ふれあい橋から撮りました。橋の端から橋の中心から撮りました。

旧中川の下流です。逆井橋のところまで下りました。コサギが暑いのか木に止まっています。

いつもは水中で獲物を狙っています。旧中川、逆井の渡しのコサギは江戸時代、広重の絵でも有名です。旧中川と交差していた堅川は上は高速道路、川は河川敷公園になっています。コムラサキが色好き始めました。

午後は東京タワーのところに行ってきました。赤羽橋駅から向かいました。

とうふ屋うかいの所から上ります。

百日紅がきれいに咲いていました。

タワーの下に着きました。タワーのビルを抜けて反対側に行きます。

亀戸中央公園に咲いていました。東京タワーの下の会社の所にあるミツマタの木です。いつも3月に花を撮っていました。花が散ると注目されませんが葉もなかなか新鮮でした。

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残暑の東京スカイツリーとスーパードライホール、隅田川

2018年08月21日 23時24分04秒 | 近郊散策

台風一過残暑が厳しい日が続いていますが、青空を見ると出かけたくなって、スカイツリーから隅田川周辺をリハビリサイクリングしてきました。十間橋から撮りました。

★十間橋:北十間川に架かる橋です。錦絵、広重の名所江戸百景
柳しま

奥の川が北十間川、手前の川が横十間川です。奥の舟の舳ところあたりに十間橋が架かっています。絵の中に見える山は筑波山です。江戸時代の切絵図です。黄色矢印のところに十間橋が架かっています。北十間川の先にスカイツリーがあります。今度はもっと近くの橋西十間川から見ています。ちなみに西十間橋からの夜景です。このライティングは新しく加わった色、幟です。通常は

雅です。

今度は真下に行ってみます。

東武橋のところから北十間川です。

隅田川沿いにあるアサヒビールの本社とフラムドールです。

★ランドマークスーパードライホールフラムドール:「ビルとオブジェは、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルクによる設計である。このホールの1階から3階にはレストランが入っており、4階はイベントホール「アサヒ・アートスクエア」がある。

オブジェは燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴するとされる。オブジェが炎を表すのに対して、その下のスーパードライホールそのものは聖火台をイメージしたものだという。」ことだそうです。これは以前吾妻橋から撮ったものです。 

隅田川の墨田区側の堤です。ノウゼンカズラが群生しています。台東区側を見ています。

隅田川に架かる人道橋桜橋に行ってみます。さっき見たアサヒビールの本社、手前は墨田区役所です。スカイツリーもよく見えます。上流にある隅田公園野球場です。昔はこの方向に筑波山が見えたのではないでしょうか。

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実家の夏2018年

2018年08月16日 14時03分43秒 | 身辺出来事

毎年8月のお盆と正月は生まれ育った埼玉県児玉郡美里町の実家に行きます。今年も8月14日15日の両日行ってきました。行くと必ず自転車で生まれ故郷の周辺を散策し、写真を撮ります。実家とお寺さんと風景です。お寺さんの参道に立つお地蔵さんです。

笹井家の墓があるお寺さんは小学生時代は通学の集合場所になっていました。そこで野球をしてから学校に向かったものです。子どもの頃当時で80歳位くらいのおばあさんが毎日お参りしていたのを思い出します。笹井家の墓です。私は長男ですが東京に来てしまって、弟が家を継いだので、ここには入れません。

長女が旦那さんが亡くなった時に作った墓です。嫁に行って金子となりましたが、愛ということで兄弟でも入れるお墓を作ってくれました。

お寺の本堂です。

今見ると昔は結構広く感じましたが、よくこんなところでと野球をしたなと思うほどです。松の木の所がホームベースでした。松の木も65年前と変わらずに立っています。

百日紅の木はさすが老木になり花も少ししか咲いていませんでした。センターの所にある宝篋印塔が少し邪魔になったのを覚えています。

14日は実家の東から北の方面を散策しました。ゴウヤを栽培しています。田んぼの中に案山子を見つけました。クラッシクなものですね。

隣にあるお寺さんの蓮池です。未だ結構咲いていました。夕方は実家の庭で涼んんでいました。綺麗に手入れされていました。

翌日は午前中に西南方面を散策しました。ゴマの花です。送電線が縦横に走っていて映画同胞の「ふるさと」という歌を思い浮かべました。

こちらのかかしは美男子でしたオクラの花にこれはこんにゃくの木です。百日草にキアゲハが止まっていました。

実家では白猫のマイケル

泊めてもらっている姉の家にはパグがいます。

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道祖神社、船橋御殿跡、厳島神社、御蔵稲荷神社(船橋市本町4丁目)

2018年08月09日 23時45分46秒 | 社寺仏閣

8月5日のものに、8月9日に太宰治の夾竹桃を加えました。

船橋にあるうたごえのお店ゴリに行くので、途中で近くを散策しました。以前から行きたかった道祖神社に向かいました。ゴリのお店にはいつもフェイスビルを通って行くのですが、久しぶりに駅前の通り行き、斜めの小道に入りました。少し歩くと見えてきました。

階段に手すりが無いので苦労しますが登って行きました。

拝殿です。

手水舎は家庭の流しのように使われていました。三峰神社の鳥居のところで境内を清掃している方々の宴会だったようです。

三峰神社の拝殿

★ランドマーク道祖神社(船橋):道祖神社道祖神は道六神(どうろくじん)とも呼ばれ、元々は村境や辻に祭られ、町や村に悪霊や悪疫が入るのを防ぐ神だった。道祖神は非常に古くから信仰された神様なので、様々な祈願に応える機能を持つようになった。元々の厄除け的なものから、足・耳の病を治すはたらき、さらには子授けや夫婦和合の願いを叶える神様としても信仰されるようになった。境内には仏教の中の“愛の仏”である愛染明王の石仏も移されている。

脇に石仏がありました。文化8年(1811年)と記銘されています。これが愛染明王でしょうか。

その脇に小さなお地蔵さんがありました。

ここを後にさらに小道を進みます。予定をしていませんでしたが、船橋御殿跡と東照宮という案内がありました。

奥まったところの突き当りにあるようです。鳥居の先に史跡の案内がありました。

★ランドマーク船橋御殿跡・東照宮:船橋御殿と東照宮慶長19年(1614年)、この一帯に船橋御殿(将軍家の宿泊休憩所)が建てられ、元和元年(1615年)徳川家康・秀忠父子が東金に鷹狩りに往復する途中に宿泊したところ。以後、東金での鷹狩りは行われず、船橋御殿もなくなったと想定される。その後、船橋大神宮神職に下げ渡され、御殿中心部に家康を祀る東照宮を建てた。現在の建物は安政4年(1857年)に再建され、昭和2年に修繕されたものである。安政4年(1857年)に再建された社殿でしょうか。

隣に御殿稲荷がありました。東照宮の鳥居の前に三猿です。

近くに御堂が見えました。裏口から入ったので表に回ってみました。厳島神社でした。

★ランドマーク厳島神社船橋:厳島神社厳島(いつくしま)神社というと、瀬戸内海に浮かぶ安芸の宮島が有名である。当社もその厳島神社を勧請したもので、田心姫命(たごころひめのみこと)・市杵島(いちきしま)姫命・多気津(たぎつ)姫命を祭っている。元来この三女神は海の神だったが、市杵島姫命は「市」の守り神ともなり、また、弁才天と結びついて水神、学問・技芸の神様としても信仰された。地元では“弁天様”と呼ばれ親しまれた 。

いったん表の通りに出たので戻ろうと思いましたが、ちょっと先に赤い鳥居が見えました。

★ランドマーク御蔵稲荷:御嶽稲荷当時飢餓に備えて穀物を蓄えておく郷蔵(ごうぐら)を建てた。そのお陰で以後、当地では飢餓を免れた。村人はその恩に報いるために、神社を祀るようになったと言われ、これを御蔵稲荷と呼ぶようになった。

★御蔵稲荷の由来と謝恩の碑:この稲荷神社は御蔵稲荷と呼ばれ、祭神は宇賀魂神である。この神は元来作物、食物の神であり、土地の守護神でもある。神社周辺は歴史的由緒が深く、様々な史話を伝える。江戸初期の慶長末年、現在地周辺に初代徳川家康が船橋御殿を建て、二代秀忠、三代家光が度々宿泊休憩をした。四代家綱により廃され、跡地は富氏に与えられた。三代家光の正保年間に、その一角に九日市村の飢饉に備え穀物を蓄えておく御蔵が建られ、当時、郷御蔵と呼んだ。御蔵のお陰で当地では延宝、享保、天明の飢饉にも餓死した者はいなかった。寛政三年御蔵は出水の為流失、御蔵への感謝をこめ地元民が浄財を募り稲荷祠の社殿を大きく建直し、四季折々の祭を行って来た。慶応四年船橋宿一帯は戊辰戦争の兵火のため大半が焼失させられた。その復旧工事中の翌明治二年土取り中御蔵稲荷東北、郷御蔵跡地あたりから、渡来銭の詰まった大瓶三口が出土した。瓶は高さ四尺(一、二メートル)中国銭貨の洪武通宝、永楽通宝等弐百五十貫余(約九四〇キロ)も入っていた。地元では馬六頭で葛飾県庁に届けたが、一部恩恵に浴した者もあったという。その後明治二十一年に、経緯を刻んだ「銭瓶遺跡之碑」を建立したが、昭和中期頃失われた。
昭和初期文人太宰治氏は鄙びた御蔵稲荷を好み、その作品にも書き残し、いくつかの口絵写真でも、御蔵稲地を背景に使っている。昭和三十年代に急激な都市化により、船橋地名の起りであり、山、里、町、浜の文物交流の動線であった海老川が毎年の様に溢れ、氾濫がくりかえされた。昭和三十六年浸水家屋敷二三八戸であったものが昭和六十一年には二、四二六戸と増大、当町会の三分の二が泥水に浸り、物心両面での困苦は筆舌に盡しがたいものがあった。その都度町会集会所を兼ねていた御蔵稲荷社殿が、避難所、食事の炊き出し所として、被害町会民のために役立った。

市民文化ホールの前には太宰治が植えたとされる夾竹桃があります。

★ランドマーク太宰治が植えた夾竹桃:この夾竹桃は、太宰治(明治四十二年~昭和二十三年)が、昭和十年夏から昭和十一年秋にかけて、千葉県東葛飾郡船橋町五日市本宿一九二八番(船橋市宮本町一丁目十二番九号)に借家住まいをしてた時に、その敷地内に植えられたものですが、昭和五十七年十二月、その敷地が整備されることになり、改めてこの地に移植された。

太宰治は当時、「めくら草紙」の中でこの夾竹桃を植えた時の様子を書いておりますが、戦後の作品「十五年間」では、次のようにこの夾竹桃に対する自分の愛着ぶりを書き遺しました。

私には千葉県船橋町の家が最も愛着が深かった。私はそこで、「ダス・ゲマイネ」というのや、また「虚構の春」などという作品を書いた。どうしてもその家から引上げなければならなくなった日に、私は、たのむ!もう一晩この家に寝かせて下さい、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。 

こんな文書を見つけました。太宰治 愛着深き船橋時代 №8 太宰が愛した夾竹桃よりhttps://tushima.exblog.jp/21901804/

太宰は、船橋に転居してきた年の8月に近所から夾竹桃を貰ったようだ。『めくら草紙』の中に書かれていた。
 夾竹桃を欲しがった理由に『隣りの庭の、三本の夾竹桃にふらふら心をひかれた。』と書き、さらに、『つやつやした小造りの顔の、四十歳くらいの婦人がでて来て挨拶した。少しふとって、愛想のより口元をしていて、私にも、感じがよかった。三本のうち、まんなかの夾竹桃をゆずっていただくことにして、私は、お隣りの縁側に腰をかけ、話をした。たしかに次のようなことを言ったと覚えている。
「くには、青森です。夾竹桃などめずらしいのです。私には、ま夏の花がいいようです。ねむ。百日紅。葵。日まわり。夾竹桃。蓮。それから、鬼百合。夏菊。どくだみ。みんな好きです。ただ、木槿だけは、きらいです。』と書いている。

船橋には太宰治の痕跡がたくさんあるようですので、またあらためて散策します。

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