ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

アジサイの花にスカイツリーの夕陽

2015年06月11日 23時12分08秒 | 周辺散歩

48時間が1日のような生活になってしまいました。24時間ぶりに外に出て、団地のまわりのアジサイを撮りました。足元がぐらつくのでピントもよく合わない状況です。いろいろな種類のアジサイがあるようです。

でもこの紫の花が一般的でしょうか。

こちらは部屋から見える夕日です。

少し時間が経つと暗くなって夕陽が鮮やかです。暗い夜空にスカイツリーのシルエットです。

ビル・マンションがほとんどです。

 

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東京ディープ・羽田穴守稲荷神社

2015年06月08日 20時34分21秒 | 身辺出来事

BS103で東京ディープという番組で羽田、穴守稲荷神社を取り上げていました。去年8月6日に訪れていたので再録します。

番組でもなぜここに来たのかの歴史をたどっていました。

 穴守稲荷神社は、HPを翻訳してみると、文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)を開墾の際に、沿岸の堤防はしばしば激浪のために害を被りました。ある時、堤防の腹部に大穴ができ、ここから海水が侵入しそうになりました。そこで村民等が相計り堤上に一祠を勧請し、祀ったのか稲荷大神です。これが当社の草創期の出来事です。以来、神霊の御加護あらたかにして風浪の害もなく、五穀豊穣だったそうです。

 穴守とは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」だということです。そもそも稲荷大神は、伊勢の外宮に祀られる豊受姫命にあり、衣食住の三要を守ってくれる最も尊き大神だそうです。ですから私たちは一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなくて、実に神徳広大なものです。
明治以来、大正・昭和を通じて、隆盛を極めました。参拝は日夜とも多く来場者があり境内は踵を接するほどの混雑ぶりでした。崇敬者は国内は勿論、遠く海外にも及びました。

ですが昭和二十年八月終戦は、敗戦と云う未曾有の大混乱となり、この時、米軍による羽田空港拡張の為、従来あった場所(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去せよと命ぜられます。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建しました。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座することになりました。以来、崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、現在も境内整備を実施しており、漸次昔日の面影を取り戻しつつあります。ということのようです。

この24時間以内に引っ越しをの大変さを取り上げていました。

神楽殿の前での盆踊りは盛大だそうです。

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隅田川・ノウゼンカズラ

2015年06月01日 23時15分39秒 | 近郊地散策

リハビリに吾妻橋のところにあるある整形外科に行きました。歩くのが大変ですが、自転車なら結構行動範囲が広くなります。吾妻橋のところから上流にさかのぼってみました。

高いところに咲いているノウゼンカズラを見つけました。

しばらく行くと低いところにも咲いていました。奥に見えるのは、向島と浅草をつなぐ桜橋(人道橋)です。

この近くには渡し場と常夜燈があったようです。

この常夜燈は、明治4年(1871年)に牛嶋神社の氏子たちによって奉納されたものです。対岸の料亭も含めて、料亭29軒、個人50名以上の名前が刻まれています。この中には、当時有名だった料亭の植半・八百松・武蔵屋を始め、現在も続く駒形どぜう・言問団子・長命寺の桜餅なども名を連ねています。建立以降、三度の改築・修繕を経て今日に姿をとどめています。
 かつては牛嶋神社の境内地、土手から神社へ下る坂の入口に建てられたようです。隅田川を往来する川舟のための灯台としてその安全を祈るとともに、墨堤の燈明も兼ねていました。関東大震災の後、牛嶋神社が移転したため、常夜燈だけが元の位置のまま今日まで残りました。
 石燈籠としては琴柱(ことじ)形の脚部をもつ独特の形で、明治時代の画家たちは、好んで墨堤の桜と常夜燈を組み合せることで、向島の風情を描き出していました。

今様の常夜燈?スカイツリー。これを見て、島根県の宍道湖にあった常夜燈(青柳楼の大灯籠)を思い出しました。

松江市の観光案内より:宍道湖大橋の南詰めには、日が暮れるころ明かりを灯す大灯篭がある。
来待石製で高さ約6mの石灯篭は、明治の中ごろ当時の料亭・青柳楼(現在の市立病院付近)の庭に建っていたもの。庭に建つ灯篭は宍道湖の波打ち際にあり、入り江の灯台としての役割も担い、松江の名物の1つとて知られていた。今は、宍道湖沿いの公園の一角に置かれ、タ刻からは宍道湖に沈むタ日とマッチする。。昨年2014年6月10日に撮ったものです。

宍道湖の夕日は有名ですが、こちらは隅田川の夕日です。

桜橋を見ています。

『桜橋(さくら ばし)』 は、台東区今戸 と 墨田区向島 との間で、隅田川両岸の 「隅田公園」 を結ぶ歩行者専用橋です。橋の創架は昭和60年(1985)、「隅田公園」 の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架橋されました。「隅田川」 では最初の、そして唯一の歩行者専用橋です。

 

こちら上流は白髭橋です。

スカイツリーの夕日を撮りに行きました。

下の川は北十間川(きたじっけんがわ)です。この川は、総延長3.24kmの荒川水系の一級河川であり、江戸時代初期に開削された運河です。西に隅田川、東に旧中川と接続しています。横十間川との合流点より西は墨田区内を通り、東は墨田区と江東区の区界となっています。

名称は、本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来し、以前は大横川の分流点より西を源森川(別名源兵衛堀)、東を北十間川といっていました。

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