ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新神戸・公衆衛生集会

2018年03月04日 23時15分20秒 | 訪問地周辺探索

3月3日~4日で神戸市の勤労会館で全国公衆衛生交流集会に参加してきました。久しぶりに関西方面へ行ってきました。

楽しみは東海道新幹線から富士山を撮ることです。新横浜あたりから富士山は見えますが、スマホで撮るので近づくのを待っていました。

これは丹沢さんとか大山のようです。

小田原あたりで摂りました。こんもりした山は矢倉岳のようです。

新丹那トンネルを出るのを待ちわびています。三島に側に出ると

 

だいぶ近づいて見えます。

もっとも近づくのは新富士のあたりです。製紙会社の煙突でしょうか。

新神戸駅から地下鉄に乗って三宮に向かいました。

★ランドマーク新神戸駅:新神戸駅は兵庫県神戸市中央区加納町一丁目にあり、西日本旅客鉄道(JR西日本)・神戸市交通局(神戸市営地下鉄)・北神急行電鉄の駅となっています。

駅は神戸市街地北端の六甲山の山裾に位置し、JRの駅においては新幹線単独駅となっていて、在来線との接続はありません。これは新幹線が東西に細長い神戸市街地を避けて、六甲山の麓をトンネルで通過していることによります。長大な六甲トンネルと神戸トンネルの狭間のわずかな地上区間に新幹線のホームがあり、後ろに山が迫っていました。

三宮へは地下鉄や路線バスで連絡しています。北神急行電鉄(終点の谷上駅で神戸電鉄有馬線と接続)で有馬温泉など神戸市北部や三田市といった裏六甲地域とも連絡しています。

集会のあいさつで兵庫自治労連の方が新長田が職場だと聞いたので、前の職場で数回訪れており、周辺を散策したものをアップしています。当時は明石と長田を1泊2日で出張していました。

新長田界隈板宿八幡神社・長田神社明石城・明石大橋生田神社・三宮などがあります。

当時の写真です。

新長田の鉄人28号像です。

板宿八幡神社は飛松伝説の場所です。

明石大橋です。

三宮の生田神社も散策しました。節分の前でした。

集会は神戸女学院大学の石川康宏教授の記念講演で始まりました。この時代をどう生きるのかということで熱演でした。

本を買わせてもらいました。

私の出番は

ということで、食品衛生法改正問題について助言しました。

終了後はどこにも寄らずにまっすぐ帰ってきました。

帰りがけの富士山です。大井川の所です。

新富士あたりですが、だいぶ靄がかかっていました。

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公園の紅葉

2014年11月23日 21時16分24秒 | 訪問地周辺探索

墨田区のテニス大会が続いています。午後からコートに応援を兼ねて出かけてみました。コートは公園の脇にあります。紅葉は今盛りというところでしょうか。昔読んだ本に「落ち葉を撒庭」というのがありました。皇室の庭では全国から動員された婦人の皆さんが毎朝庭を掃き清めその後で、落ち葉を撒くそうです。

公園では落ち葉が自然と散って手で撒くよりきれいになっていました。公園には野鳥が集まるようです。

公園はいつもスカイツリーが見えます。

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浜松城

2013年11月20日 00時14分00秒 | 訪問地周辺探索

浜松に出張でした。3回目です。施設が駅前と城の後ろにあるので、その周辺だけの散策になります。20131120_122103


 

 

 

 

 

城の天守閣の修理中でしたが、近くまで行きました。これは市役所前の道路からの写真です。
浜松では、徳川家康が築いた浜松城は、
        天下統一への足がかりとなった「出世城」だと売り込んでいます。
案内では、永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。       
徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事で、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘であったと伝えられています。家康にとって、浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築くための試練の時代だったと言えるでしょう。と書かれています。
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周辺は公園になっています。紅葉もそろそろ見頃になっています。



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下の写真は、裏の公園から撮ったものです。



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大阪散策

2013年11月15日 22時01分00秒 | 訪問地周辺探索

土佐堀です。少し紅葉しています。大阪の秋を少し感じました。20131112_155708_1280x720








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土佐堀通りのところにこんなものがありました。



宮武 外骨(みやたけ がいこつ、慶応3年1月18日(1867年2月22日) - 昭和30年(1955 年)7月28日)は、にっぽんのジャーナリスト(新聞記者、編集者)、著作家、新聞史研究 家、江戸明治期の世相風俗研究家。



明治・大正期にはジャーナリストとして、政治家や官僚、行政機関、マスメディアを含めた権力の腐敗を言論により追及した。日本における言論の自由の確立を志向し、それを言論によって訴えた。また、活字によるアスキーアートを先駆的に取り入れた文章など、様々な趣向を凝らしたパロディや言葉遊びを執筆したことでも有名だそうです。20131112_120036_860x1280

こちらは大阪府咲洲庁舎(コスモタワー)の前の歩道です。











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りんくう公園です。

公園の説明には。
「大阪の玄関口、関西国際空港の対岸にある公園です。海に面する眺望抜群のこの公園からは、関西国際空港から飛び立つ飛行機、遠くには明石海峡大橋や淡路島も望めます。都会と自然の異なる魅力をたっぷりと楽しめる公園となっています。」とありました。
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阪神野田の阪神電鉄ビルの前には


















夢の門だそうです。



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田無

2013年10月30日 23時26分58秒 | 訪問地周辺探索

29日に田無にある施設を訪問しました。雨でしたが近くの田無山総持寺と田無神社に寄ってみました。

総持寺は、明治8年、3寺が合併して創建されたお寺で、関東三十六不動霊場の第十番札所に数えられ、新東京百景にも選ばれています。立派な山門と大きなケヤキのある境内では、だるま市、梅の市などが行われます。


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欅の木は、田無地域における最大級の単幹樹木で、市内の巨樹が近年とみに減少している中で貴重な存在です。天保13年(1842年)から嘉永3年(1850年)にかけて西光寺(現總持寺)の本堂を再建した折に、その落慶を記念して境内に植えた樹木の内の1本であると言い伝えられています。あまり大きいので、近くでは写せなかったので、外に出て撮りました。

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こちらは、田無神社です。



創建が鎌倉時代と伝えられている田無神社は、本殿、拝殿が東京都文化財に指定されています。黄葉が美しいイチョウがある境内では、わんぱく相撲田無場所や青空骨董市などが行われます。

 

大鵬が協力して作られた土俵です。

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本殿

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安政5年(1858年)に建築したもので、全面に極めて優れた彫刻があり、江戸の堂宮建築の高度な水準を示す貴重な建物となっています。



田無神社の御神木はイチョウです。





 

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