ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

東京タワー周辺(2018.5.22)

2018年05月22日 23時33分03秒 | 訪問地周辺散策

二月に1回東京タワーの下にある会社の社員食堂の衛生点検と報告会をしています。22日は報告会でしたが、周辺を散策し、タワー下の豆腐のうかいで昼食を食べました。

いろいろと散策場所を検討しましたが、結局都営大江戸線の大門で降りて御成門方面に向かいました。お寺さんがありました。

天光院です。

★ランドマーク天光院:天光院は、増上寺子院。開祖は増上寺第十一世圓也上人である。上人は増上寺を源譽上人に譲つてから、此邊に隠栖して、ひたすら三心の秘奥に學んだ所である。もと南方にあつたが、寛永年間現地に移つた。ということだそうです。

少し離れたところにお地蔵さんがありました。

次に源宝院がありました。

★ランドマーク源宝院:増上寺子院。天正の頃、増上寺第十二世存應の弟子一蓮社立譽上人如應秀白大和尚の創建に係る。慶長三年増上寺が復興した當時からの子院である。大正大震火災に本尊佛を残して全焼し、現堂宇は其後建築したものである。ということだそうです。写真に撮るものがありませんでしたがこの仏像が目立ちました。

少しも戻って歩道橋を渡ってタワー方面に向かいました。文化財の御成門がありました。

★ランドマーク御成門: 御成門は、元々は、増上寺の裏門として建てられたものですが、将軍が参詣する際に使用されたので「御成門」と呼ばれるようになりました。
 この門は、初めは現在の御成門交差点のところにありましたが、明治25年、現在の日比谷通りが建設された際に、現在地に移転されました。
 関東大震災や太平洋戦争を戦火から難をのがれた貴重な建物です。

プリンスホテル沿いにタワー下に向かいました。タワー向かう坂の途中に豆腐うかいはあります。こちらの入り口から入りました。

じょうや坂

氷室の節供

菖蒲とアジサイが飾れていました。

庭から見たタワーです。ここの二階でコース料理をいただきました。東京タワーに出かけるときは結構天気に恵まれて青空とタワーが撮れます。

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東京タワーとバラ2018年版

2018年05月10日 23時35分58秒 | 訪問地周辺散策

二月に1回東京タワーの下にある社員食堂で点検とその報告会をしています。昨年と今年ちょうど同じ日に訪問しましたので、タワーとバラを撮ってきました。昨年は曇り空、今年は雨上がりで晴天でした。バラは昨年はちょうど見頃でしたが、今年はちょっと盛りを過ぎていました。

今年のバラはこれで見納めという感じでした。

でも青空とタワーのコントラストが抜群です。ちょっと見頃を過ぎていますが、できるだけ元気な花を撮りました。

後は昨年のものです。

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同級生の水彩画展と前橋公園の桜(2018年3月31日)

2018年03月31日 23時41分33秒 | 訪問地周辺散策

小中学校の同級生が水彩画展を開くというので、前橋まで行ってきました。ついでに群馬県庁のある前橋公園を散策してきました。ちょうど桜が見ごろになっていました。水彩画展は前橋駅の南口にある前橋市民文化会館です。静かな場所にありました。会館の庭園にピンクの花が咲いていました。

水彩画展です。同級生はここの責任者なのでクリスマスローズは自宅から持ってきたとのことでした。

3点が同級生の作品です。

他の人の作品ですがカサブランカの花が気になっていたので撮りました。

駅の戻って北口に出たらバスターミナルがあったので、前橋公園・グリーンドーム前橋行に乗って向かいました。県庁から公園は近いのですが大渋滞でした。道路沿いに桜並木が印象的でした。

バスを降りてすぐのところに放水路があり見事な桜でした。水は勢いよく流れていたので近くに行ってみたら水力発電所からの排水でした。とにかく見事な桜でした。発電所は柳原発電所ということで用水路を利用しているもののようです。

★ランドマーク柳原発電所:前橋市の北、利根川の坂東橋付近から取水する農業用水は古くから前橋市、高崎市、伊勢崎市を中心に近郊農村地帯のかんがい用水として利用されてきました。かんがい用水の取水を安定させるための土地改良事業と発電のふたつの目的により、坂東橋下流から県庁北までの広瀬川約10kmの間に、「田口発電所」、「関根発電所」、「小出発電所」、「柳原発電所」の四つの発電所を建設しました。柳原発電所は、田口発電所からは水路の長さで約6.5kmの位置にあるこの水系一番下流の発電所で、昭和42年5月に運転を開始しました。
 発電所は、県庁から北へ歩いて15分位の位置にありますが、鉄管路や高い鉄塔がないため発電所の所在は意外と知られていません。
 発電に使用された水は、発電用水としての使命を終えて利根川へ戻ります。

放水路の橋を渡って公園に出ました。

広々としていました。

発電所近くの桜です。

バス停に戻ってからせっかく来たのでドームの方にも行ってみました。ドームがなにかよく割りませんでしたが、なとなく前橋競輪場ではないかと思いました。

★ランドマークグリーンドーム前橋:今は多目的アリーナになっているようですが、ウイキペディアで調べたら「グリーンドーム前橋は老朽化した前橋競輪場の施設として1990年5月31日に完成したとかかれていました。

「メインアリーナには世界選手権自転車競技大会などの国際自転車競技大会(主に国内では競輪)の開催に対応した自転車競技用の走路が設置されている。現在は本開催と雨天時の練習の一部にも使用されている。

施設所有は前橋市で、管理運営は財団法人グリーンドーム前橋が行なっていたが、2011年から前橋市の方針により市内の財団が統合して発足した一般財団法人前橋振興公社が管理し、2016年からは別財団との合併により発足した一般財団法人前橋まちづくり公社が管理している。

2014年時点において、施設の主な使用目的である競輪の収益が落ち込んでおり、収支は赤字経営となっているため、施設の命名権を募集したところ、県内に本社を持つヤマダ電機からの応募により、そのまま命名が決定した。」ということのようです。

ドームは利根川の堤に面しています。

皆があるいていますが、駐車場があるようです。

遠くに赤城山が見えました。

ここらバス停に戻りました。

ちょっと時間があったのでバスの窓からみていた前橋城址の碑を見に歩きました。

歩き出すとメインの花見会場は楼水路を渡ったところにあることがわかりましたが、そこまで行くのが大変なので、バス道を城址の方に向かって歩きました。何回も下に降りたい感情になりましたがあきらめて歩きます。

城址の近くの橋の上から振り返って見ています。城址の方に渡るとレンギョウが真っ黄色でした。高橋元吉さんの詩碑がありました。後ろは土塁でした。

土塁と桜です。

手すりがないので不安でしたが登ってみました。

前橋城址の碑です。

「前橋城址之碑賛助人名」碑

 

ランドマーク前橋城址:前橋城(まえばしじょう)は、上野国群馬郡、現在の群馬県前橋市にあった日本の城。前橋城は酒井重忠の居城として知られています。古くは厩橋城と呼ばれ、関東七名城のひとつに数えられています。暴れ川として知られ「坂東太郎」の異名を持つ利根川に悩まされつづけた城で、江戸時代中期に起きた洪水の被害で一旦は廃城となっています。その後、領民の希望もあり再築されることになりますが、これは江戸幕府が最後に出した築城許可といわれています。しかしすぐに大政奉還となり、築城わずか4年でふたたび廃城となりました。遺構はほとんど残っていませんが、当時最新式であった日本式城郭の土塁がわずかに残っています。現在は城址の一部が前橋公園として整備されており、隣接する「臨江閣」には前橋城の模型や年表などの資料が展示されています。ということのようです。

 

 

群馬県庁です。県庁前のバス停から前橋に向かいました。地域バスは満員でしたが、女子学生?に席を譲ってもらいました。

★ランドマーク群馬県庁:県庁として使われた本丸御殿  

 前橋城が取り壊されたとき、本丸御殿だけは取り壊しを免れました。この本丸御殿を昭和初期まで前橋県庁として、また府県統合により群馬県が成立した後は群馬県庁の庁舎として、老朽化で取り壊される昭和3年まで使用されていました。

 現在はその本丸御殿の跡に建てられた旧庁舎「昭和庁舎」と、隣には、地上33階、地下4階の群馬県庁が置かれています。二の丸の跡地には前橋市役所が、三の丸跡地には前橋地方裁判所が置かれています。(前橋丸ごとガイドより)ということのようです。こちらの写真も前橋まるごとガイドより。

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春の気配(冬眠明けのカエル)

2018年02月24日 23時08分26秒 | 訪問地周辺散策

2月24日は、寒い冬のから解放されるように気温が上昇しました。原稿の締め切りに追われて、なかなか出かけられませんでしたが、午後から遅れている錦糸公園の河津桜の様子を見に行きました。

河津桜は錦糸公園の正面入り口のところに植えられています。

★ランドマーク錦糸公園:大正十二年(1923年)九月一日午前十一時五十八分に発生した関東大震災は、東京の下町を広範囲に破壊し、さらに火災によって殆どの市街地が焼け多くの人命が失われました。それを教訓として近代的な都市へ生まれ変わるために、世界に類をみない規模の帝都復興事業が行われ、現在のまちの基礎が築かれました。

  錦糸公園は、隅田公園、浜町公園とともにその帝都復興事業で整備された三大公園の一つです。以前は旧陸軍の糧秣厰倉庫敷地でしたが、約三年の工事期間を経て昭和三年七月に開園されました。開園以来第二次世界大戦による被災があり、また様々な改変も行われたため、往時をしのばせるものは数少なくなりましたが、この門柱は奇跡的に現在まで残りました。

   開園当時は明るくシャープなデザインで被害にあった周辺地域を元気づけたものと思われます。墨田区では、この門柱を今後とも保存に努めてまいります。平成十七年三月 墨田区

この門柱の右側には隣接して長く精工舎(SEIKO)の工場がありましたが、再開発によりオフィスや飲食店などが入った商業施設「オリナス」が2006年にオープンしています。錦糸公園もそれにあわせて再整備されました。

今年はだいぶ遅れています。

ここにもメジロが来ていました。

ここからリハビリウォーキングの猿江恩賜公園に向かいました。

猿江恩賜公園です。北側地区の赤線で示した遊歩道を歩きます。一周が1㎞と90mあります。リハビリウォーキングでは一回りするのに20分かかります。目標は3周することですが1時間かかってしまいます。1周が終、2周目は日が暮れる中歩いていますと、なにか動くもがありました。カエルです。ガマガエルかと思いましたが、腹が赤く、赤ガエルのようにも思えます。赤ガエル科のツチガエルのようです。

5月の初めミニ木倉の池はオタマジャクシでいっぱいになります。

 うたごえのゴリでも春の気配です。

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増林寺・江東区(海福寺=江戸名所図会)江戸名所図会めぐり

2017年12月23日 23時44分57秒 | 訪問地周辺散策

江東区内をリハビリサイクリングで散策しています。今回は江戸名所図会の海福寺に出ている増林寺を散策してきました。

写真を撮ってる後ろが海福寺の跡地明治小学校になります。

  江戸名所図会より

武田信玄の持ち伝えたりと云う石の塔壱基  堂前池(どうぜんいけ)の傍らにあり

左奥に増林寺が描かれています。

★ランドマーク増林寺:曹洞宗寺院の海照山増林寺は、駒込高林寺四世白洲全龍和尚が開山となり寛永五年(1628)創建したといいます。家・篆刻家の三井親和、儒者和気柳斉、幕末の剣聖といわれた男谷信友、鍼医の石坂宗哲など多くの著名人の墓所があります。

三井親和の墓

親和は深川福住町に住み深川親和とも称し書を細井廣澤に学び書道の大家となりことに篆(てん)書にすぐれ江戸■在にまでその書は額や幟の■などにみられまたその筆跡を浴衣や手拭に染めた親和染が流行するにいたったが天明2年3月7日83歳にて死去し増林寺に葬られた
 昭和33年(1958)10月1日 江東区第8号
ここには2回目ですが今回初めて墓地に入ってみました。墓地の方から見ています。

 

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