ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

萩寺・龍眼寺(江東区亀戸3-34-2)

2016年09月27日 20時22分25秒 | 江戸名所図会めぐり

3か月の診察で、腰部脊柱管狭窄症の手術を受けた御茶ノ水の三楽病院にいってきました。次の3か月視察で2回目の手術から1年となります。錦糸町からの帰りがけに萩の花がどれくらい咲いているのか確かめたくて萩寺史跡の龍眼寺を散策してみました。

山門です。

史跡碑のところに榎本其角  「つき見とも見えずや露あり庭の萩」 大納言家長郷  「ききしより見る目ぞまさるこの寺の庭に散りしく萩の錦は」と句が、山門右手のところには、松尾芭蕉の  「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」彫られていますが、写真ではうまく撮れませんでした。

白い説明書きを読んでわかりました。

★ランドマーク萩寺史跡、龍眼寺お寺さんのHPより天台宗 慈雲山 無量院 龍眼寺 (萩寺)龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。

その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称“萩寺”として多くの文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる人々で賑わう様子が描かれています。

境内に咲く四季折々の花々は、訪れる人の心を和ませ、松尾芭蕉、落合直文など文人墨客の句碑が昔の風情を偲ばせます。

江戸名所図会に描かれているものです。昔は本当に萩を楽しんでいたようです。わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵より

キャプション「庭中萩を多く栽ゑて中秋の一(いつ)奇観たり。ゆゑに俗呼んで萩寺と称せり。『万葉集』芳子(はぎ)に作り、『和名抄』鹿鳴草(はぎ) に作る。『続日本書紀』に、「仁明承和元年八月、清涼殿に内宴す。これを芳宜(はぎ)華の讌(えん)といふ」とありて、 皇朝古へより萩を愛せられしことかくのごとし。」と書かれているようです。

萩寺の名前にふさわしいように、今もいろいろな萩が植えてありました。

いつも思いますが萩の花は写真に撮るのが難しい、なかなかピントが合いません。

これはうまく撮れた方です。

こちらはぼけています。遠くに見えるのがマイチャリです。

駐車場から撮りました。

江戸時代の古地図(江戸絵図)では横十間川のところにあると、ほぼ今のようなものになっています。

 

入り口のところに史跡の看板がありました。

龍眼寺の御本尊は江東区の指定有形文化財木造聖観音菩薩立体です。観音菩薩像は江東区最古のものということです。

本尊は本堂の有るということですがは見ることができませんでした。

本尊は厄除け眼病平癒の観音様として信仰されたようです。本堂は八角堂で八聖(正)堂といいます。八聖(正)とは①正見(正しい見解)②正思(正しい思い)③正語(正しい言葉)④正業(正しい行為)⑤生命(正しい生活)⑥正精進(正しい努力・勤め)⑦正念()正しい信念・気づかい)⑧正定(正しい精神統一)を実践する正しい生活態度のことだそうです。

こちらは庚申塔の案内です。万冶2年(1659年)の作品のようです。江東区指定有形民族文化財になっています。

前回来た時は見つからなかったので今回はと必死に探したら萩の隠れて少し見えました。

地蔵堂です。

子護八起地蔵尊(ねごやおきじぞうそん)が安置されています。扉が開いていてみることが出来ました。

こちらは亀戸七福神の布袋さん布袋堂です。布袋さんも見えました。

不動明王の不動堂です。

不動明王です。添え護摩木に願い事を書いて納めると願いがかなうようです。1本300円です。

いろいろと石碑がたっているのですが、撮りきれませんでした。こちらは冬嶺(ふゆみね)市町句碑で 冬嶺  「ひと色を千々の錦や萩見寺」
市町  「露の世にこぼさぬ露や萩の上」と句が彫られているのだそうです。

神無月は10月ですので今の季節の花のカンナは7月末から咲いています。9月下旬まで咲いていると遅咲きのような気がします。

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彼岸花の咲き乱れ(猿江公園)

2016年09月24日 15時56分44秒 | 公園散策

雨ばかりの9月ですが、雨の間を縫って3日ぶりに公園ウォーキングに出かけました。ちょうど彼岸花が見頃になっていました。昨年より多く咲いている気がします。猿江公園でこんなに群生しているのは初めてみます。

こちらは昨年も咲いていて盛りの花を撮ることができませんでいた。今年はちょうど見ごろです。

ここにも少し咲いています。

柵があって近づけません。手前に咲いていました。

午後には閉じてしまう水連の花も午前中でしたので咲いていました。

帰りがけに堅川親水公園の入り口の所にさいている芙蓉を撮ることができました。これも少し離れているのでいい角度で撮れませんでした。

雨が降りそうは天候だったので鮮やかな色になりませんでした。

 

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旧中川から荒川(荒川放水路)河口まで

2016年09月21日 19時20分17秒 | 季節の花

近くのお弁当屋さんで9月分の食品衛生点検結果の話しをしてから、久しぶりに旧中川に向かいました。最初に亀戸中央公園に行き、そこから旧中川土手に出ました。公園から出るところにキバナコスモスが咲いていました。

河川敷きに出るとコサギが2羽ほどいました。

ここからの東京スカイツリーです。河口に向かって河川敷を自転車で走りましたが、雨上がりで水の溜まっているところが各所にありました。

旧中川と小名木川が交差しているところに中川番所跡があります。

河川敷きも土手も小名木川で終ってしまいます。それ以上行けないので、都道477号亀戸葛西橋線に出て小名木川にかかる橋を渡り、最初の信号を左に曲がると旧中川にかかる平成橋がありました。

橋を渡りきるとすぐに荒川に出ます。そこに

荒川ロックゲートがありました。

ここで荒川と旧中川がつながっています。奥が旧中川で手前が荒川になります。。。

ロックゲートのところに、荒川の歴史が書いてありました。

碑がありました。

ここから今度は荒川の河川敷に出て、あとはひたすら河口に向かって自転車をこいでいきました。途中河川敷にテニスコートが5面できていました。

水たまりのところに彼岸花が咲いていました。

河川敷から清洲大橋を見ています。

キバナコスモスの咲いているところに猫さんが入り込んでいました。

声掛けしてこちらを向いてもらいました。

一瞬だけ振り向いて、花の中に入っていってしまいました。

ここから2km位で河口に着きました。

荒川湾岸橋です。

左に葛西臨界公園が見えます。右側には夢の島の清掃工場がありました。

こちらは東部スラッジプラントという工場らしいです。

帰りはまっすぐ河川敷きを戻ります。

平和橋に戻り、そこからひたすら西に向かって横十間川までたどり着きました。

横十間川の遊歩道を北に向かって亀戸に着きました。途中で花壇にコスモスが植えてありました。

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寺島・蓮花寺(墨田区東向島3-23-7)

2016年09月18日 23時24分52秒 | 江戸名所図会めぐり

百花園の帰りに、前からい行ってみたかった江戸名所図会に出ている蓮花寺にようやく行くことができました。

江戸名所図会にも山門が描かれていますが、奥に本堂と太子堂があります。右が太子堂です。

門前の石碑です。

ランドマーク清龍山蓮花寺寺島の地名のいわれともなった古刹。江戸時代には霊験あらたかな厄除け寺島大師として有名で、川崎大師、西新井大師総持寺とともに江戸三大師と言われていました。京都智積院末で真言宗に属し、本尊は空海寺自筆の弘法大師画像と伝えられています。この寺の開山については諸説がありますが、鎌倉幕府5代執権・北条時頼の甥にあたる頼助が諸国回遊の折に寺島に一寺を建立し、時頼が鎌倉に創建した蓮華寺を遷したものといわれます。

墨田区の登録文化財になっている道標です。

「だいしみち」とは蓮花寺にくる道を示しているものです。もとは地蔵坂を上がった墨堤にあったものです。

こちらは門前にあったもののようです。

★ランドマーク蓮花寺の道標:左右側面に「大しみち」(大師道)とあり、もと地蔵坂を登った墨堤にあったものです。片方は蓮花寺で、もう片方の「大しみち」は西新井大師総持寺を指したと考えられます。文化15年(1818)の建立です。台石に「と組」と記されているので、江戸火消しが建てたのでしょう。
「厄除弘法大師」の道標
右側側面に「西 白ひけ はしはみち」(白髭 橋場道)とあります。文面から、門前に建てられていたものと考えられます。文政5年の建立です。
ともに蓮花寺とはゆかり深い道標です。文化文政のころには「寺島の大師」として、川崎大師、西新井大師総持寺と並んで江戸三大師の一つとして栄えていました。厄除けの護符をいただきにくる大師参りの人々のために建てられたに違いありません。(墨田区教育委員会)
古地図でも右に行くと白髭神社となっています。地図の方角、上、隅田川方面が西になります。参道の右手に石碑がたくさんあります。

本堂です。

こちらは地蔵堂とお地蔵さんです

 

こちらが聖徳太子を納めた太子堂です。

六地蔵はお墓の入り口に立っています。

墓地に入った右側に大きな塔がありました。

墓地に彼岸花はお似合いです。

ネコさんもお似合いです。ぐっすり休んでいました。

この佐助稲荷神社は、本社である鎌倉の佐介谷からの分祀で、平成17年に建立されたそういです。

札所らしいです。厄除けのお札をもらいにこの前に並んだのでしょうか。

大きな石燈籠が倒れたまま保存してありました。

本尊薬師如来の写し

 

 

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お月見季節の向島百花園

2016年09月17日 22時59分19秒 | 公園散策

9月17日に向島百花園に行ってきました。16日からお月見の会が行われていますが、夜は無理なので昼に行ってきました。リハビリ病院に通院していた時は、通院経路の近くなので何回も訪れましたが、久しぶりに自宅から自転車で行ってみました。百花園の近くの蓮花寺に寄ったり、亀戸天神の近くの普門院に寄ったりしていたら、自宅に戻る途中で足が攣ってしまいました。

すすきにはまだ早いですが、穂が出ていました。

有名な?萩のトンネルがあります。

スカイツリーが園内から見えます。

萩は白い花もあります。

白とピンクと桔梗の紫です。

百花ということなので、いろいろな花が咲いています。秋の七草にはいろいろな説があるようですが、すすきに萩に、こちらは女郎花です

ききようです。アザミの花に蝶です。こちらはオイランソウ結構長く咲いています。この黄色い花も長く咲いています。

 

百日紅は百日も赤く咲いているという名前のとおり長く咲いています。

モミジアオイの花が目立ちます。酔芙蓉はまだ白い状態でした。

花虎の尾も目立ちました。

白い花は清潔感があります。

綿毛の白さが目につきました。池の所から好かツリーを見ていたら目の前の紫の花が目に付きました。

こちらは初めてみました。

秋になりいろいろな花を見ることができました。

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