ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

小村井香取神社梅園

2016年02月28日 14時03分54秒 | 季節の花

リハビリがてら墨田区の小村井香取神社に自転車で梅を見に行ってきました。

前にも行って梅園があるのを思い出し、咲いているところを狙っていってみました。行ってみて正解でした。近づくと梅の香りが漂っており、花も亀戸天神では見られない爛漫の梅の花でした。神社の参道の両側にたくさんの梅の木があり、いろいろな花を咲かせていました。由緒書きです。右側に香梅園があります。

るるぶの案内には「江戸時代にあった梅の名所「小村井梅屋敷梅園」を、小村井香取神社の境内の一画に再現。85種類、120本の梅の木が所狭しと植えられており、珍しい品種もあるので、品種の札を一つ一つ確かめながら鑑賞するのも趣がある。」と書かれています。

梅園の中は本当に所狭しと咲いています。

参道にも梅梅梅です。

拝殿は少し離れたところにあります。内部の天井絵を見せていました。

参道にはテントでお茶のサービスもありました。スカイツリーも近くです。

退出する時にもう一度振り返って撮ってしまいました。短時間でしたが足がしびれてきてしましたので自転車で退散しました。

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亀戸天神・青空と梅の花

2016年02月27日 18時00分58秒 | 季節の花

リハビリ病院をを抜け出して、金曜日の夜から2泊三日で一時帰宅しています。午前中は先週に引き続き亀戸天神に梅を見に行きました。今回は入以後初めて自転車に乗ってみました。とりあえずうまく乗れたので一安心です。前回2回と、大好きな違って抜けるような青空でした。入り口の所の壁には梅の花があしらってありました。前回より花が多くありました。梅の花は桜と違って一挙に咲くのでなく、いろいろな種類がだらだらと咲いている感じです。鹿児島紅は満開でした。

太鼓橋の前の紅白の梅も咲き始めています。

抜けるような青空とスカイツリーもなかなかいいです。

こんな石灯籠がありました。塩原太助が奉納したものと書いてありました。少し塩原太助について調べてみました。

ウイキペディアでは:「塩原太助(しおばら たすけ、寛保3年2月3日(1743年2月26日) - 文化13年閏8月14日(1816年10月5日))は、三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。」と書いてありました。

「塩原多助一代記」-しおばらたすけいちだいき-

 圓朝の代表作.奥日光の実地取材は,「上野下野道の記」として残される.怪談噺として取材を進めるうちに,実在の塩原太助をモデルとした立志伝に変わってきた.明治18年出版.倹約と忍耐の末,出世をとげるストーリーが明治人の心をとらえ,大ベストセラーとなる.修身の教科書にも取り入れられ,岩波文庫にもなっている.圓朝の心は怪談にもあったらしく,続編では塩原家の没落がはじまる。塩原太助生家群馬県沼田には青との別れの像があります。

また歌舞伎になったりしているようです。標識の奥に咲いている花です。

とにかく抜けるような青空と梅の花のコレボは良かったです。午後からは風が強く雲の出てきて、午前中の散策で幸いでした。

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亀戸天神・梅の花

2016年02月20日 15時10分32秒 | 季節の花

リハビリ病院から一時帰宅しています。今日は車の迎え(息子の仕事)の都合で、病院の朝食後自宅に戻りました。午後から雨のことということで、リハビリを兼ねて二本杖で歩いて、近くの亀戸天神に梅の花を見に行ってきました。2月13日から梅まつりとなっていますが、まだ満開には間があるようです。正面から入るのは階段があり手すりもついていないので、迷いましたが、思い切って入ってみたらどうにか入ることができました。さすがに太鼓橋は大変と思い左手から回っていきました。左のすぐの梅はまだ3分咲きというところでした。奥のしだれ梅が咲いていたので太鼓橋をバックに撮ってみました。呉服枝垂れというようですね。その次も結構咲いていました。青軸梅です。左手から本殿に向かいました。本堂前の梅は五分咲き程度でしょうか。本殿の後ろにスカイツリーが見えます。参拝客や梅見客はぼちぼちというところでした。

東側から太鼓橋です。先々週よりは目の前の梅が咲いていました。こちらも枝垂れ梅結構咲いています。石碑がありました歌川豊国の碑でした。豊国について調べてみました。

初代 歌川豊国(しょだい うたがわ とよくに、明和6年〈1769年〉 - 文政8年1月7日〈1825年2月24日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。本名は倉橋 熊吉(くらはし くまきち)、後に熊右衛門。一陽斎(いちようさい)と号す。

  • 二代目豊国 : 豊国門下の歌川豊重が豊国の養子となり、死去に伴って二代目豊国を襲名した。通称「源蔵豊国」。別号に一陽斎、一瑛斎、後素亭。作品に「風流東姿十二支」、「名勝八景」など。
  • 三代目豊国 : 同じ豊国門下の初代歌川国貞が弘化元年(1844年)に重ねて二代目豊国を称した。

初代歌川国貞

  • 四代目豊国 : 国貞の門下ではじめ二代目歌川国政、後に娘婿になり二代目国貞、明治3年(1870年)に国貞に続いて三代目豊国を称し騒動となったが、今日では四代目豊国とみなされている。通称は政吉、清太郎。別号に梅堂、一寿斎、梅蝶楼、香蝶楼、一陽斎、宝来舎。

心字池に行ってみます。

小さい梅の木が花をたくさんつけていました。

池にかかる橋のところの梅です。中の橋のところの梅です。雲行が怪しくなったので、傘もなく二本杖なので帰りを急ぐことにしました。団地に戻るといい匂いがしてきました。途中途中でも匂っていたのですが、ようやく正体がわかりました。チンチョウゲでした。

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病院生活Ⅲ夕日と朝焼け

2016年02月14日 08時18分50秒 | 身辺出来事

今回は手術した病院での入院を合わせて2か月になろうとしています。リハビリ病院でも3週間が過ぎました。日曜日を除いて、毎日リハビリと、自主トレを続けています。自主トレの時間は朝食前の6時40分からと夕食前の4時40分からとおおよそ時間を決めて実施しています。そのため今は日の出日の入り時間と重なっています。残念ながら北側の病棟なので朝日を見ることはできませんが夕日は見えます。そんな風景を撮りながら自主トレしています。朝日は見えませんがアサヒに反射した富士山も時々見えます。朝日に照らされた隅田川の向こう岸の建物です。朝日に反射して黄金色に光って見えました。

夕陽は様々です。

沈む夕日をゆっくり見ていました。

これもまたこの時間だけでしか見られません。

室内なので残念ながら蛍光灯の光が反射してしまいます。

こちらはベッドの窓から団地に反射した夕日です。

自主トレが少し早かったので日の高い時間です。

休日は昼の自主トレで、その後のコーヒーブレイクです。

その他の空いている時間は本を読んだり池波正太郎にはまって、剣客商売から鬼平犯科帳を全巻買ってしまいました。

後は漢字パズルやタブレットでナンプレなどで時間を過ごしています。TVはBSも見られるのですがカードが600分1000円で少し高いのであまり見ません。

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一時帰宅・亀戸天神

2016年02月07日 13時36分38秒 | 身辺出来事

リハビリ病院から一時帰宅しました。車で送り迎えしてもらっていますが、帰宅の途中に亀戸天神に寄り道しました。梅まつりは2月13日からのようです。団地の掲示版に張ってありました。

ということで、

まだ梅は少ししか咲いていいませんでした。太鼓橋の手前に見える梅はまったく咲いていません。亀戸天神は家から最も近い神社なので、娘や孫の七五三の度にお参りしてきました。最近では昨年11月に孫娘の7歳のお祝いをしました。

亀戸天神のHPより「菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。

当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。」と書かれています。

それでもいくつかの木で咲いていました。青軸梅も少し咲いています。

拝殿に続く道の脇にひときわ目立って咲いている木があります。

ちょうどこの梅の花とスカイツリーをコラボ撮ってみました。

拝殿正面の太鼓橋のところの梅はまだです。

西側にある紅梅澱のところの赤い梅は咲いています。

西側の梅林からのツリーです。

こちらは少し咲いています。

東側の出入り口のところでも少し枝垂れ梅が咲き始めました。

団地に帰って、号棟の周りを一回りしてから部屋に戻りましたが、号棟の前の花壇で水仙が咲いてました。

近くのレストランが3月で終了ということで、娘家族と長男と一緒に昼食を摂ってきました。

二本杖で、だいぶ歩けるようになり、ビールも少し飲みましたが美味しく飲むことができました。

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