ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

残暑の東京スカイツリーとスーパードライホール、隅田川

2018年08月21日 23時24分04秒 | 近郊散策

台風一過残暑が厳しい日が続いていますが、青空を見ると出かけたくなって、スカイツリーから隅田川周辺をリハビリサイクリングしてきました。十間橋から撮りました。

★十間橋:北十間川に架かる橋です。錦絵、広重の名所江戸百景
柳しま

奥の川が北十間川、手前の川が横十間川です。奥の舟の舳ところあたりに十間橋が架かっています。絵の中に見える山は筑波山です。江戸時代の切絵図です。黄色矢印のところに十間橋が架かっています。北十間川の先にスカイツリーがあります。今度はもっと近くの橋西十間川から見ています。ちなみに西十間橋からの夜景です。このライティングは新しく加わった色、幟です。通常は

雅です。

今度は真下に行ってみます。

東武橋のところから北十間川です。

隅田川沿いにあるアサヒビールの本社とフラムドールです。

★ランドマークスーパードライホールフラムドール:「ビルとオブジェは、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルクによる設計である。このホールの1階から3階にはレストランが入っており、4階はイベントホール「アサヒ・アートスクエア」がある。

オブジェは燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴するとされる。オブジェが炎を表すのに対して、その下のスーパードライホールそのものは聖火台をイメージしたものだという。」ことだそうです。これは以前吾妻橋から撮ったものです。 

隅田川の墨田区側の堤です。ノウゼンカズラが群生しています。台東区側を見ています。

隅田川に架かる人道橋桜橋に行ってみます。さっき見たアサヒビールの本社、手前は墨田区役所です。スカイツリーもよく見えます。上流にある隅田公園野球場です。昔はこの方向に筑波山が見えたのではないでしょうか。

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ももクロカラーの東京スカイツリー(2018.5.9)

2018年05月09日 23時08分43秒 | 近郊散策

近くの猿江公園をリハビリウォーキングしていますが、スカイツリーがいつもと違う色だったので、近づいて撮りました。

まずいつもの西十間橋から橋の所で写真を撮っている方がいたので、色の理由を聞いたところももクロの色だと教えてくれました。

★ランドマークももクロカラーの東京スカイツリー:ももクロの結成10周年を記念して、ももクロの4色のメンバーカラーになった特別ライティング「ももいろクローバーZ特別ライティング」が2018年5月7日から13日(日)まで行われています。

また東京スカイツリーでは、2018年7月17日から9月2日まで、ももいろクローバーZの結成10周年を記念した大型コラボイベント「ソラクロ祭 ももクロ in トーキョースカイツリー」を開催しています。

真下まで近づいてみました。

こちらは東武橋のところです。。下は北十間川です。

東京タワーと東京スカイツリーの違いに気が付きました。ライトアップはどちらもいいのですが、タワーは昼間見ても花になりますが、昼のスカイツリーはちょっとおとなしくなってしまいます昼のスカイツリーは背景として撮っています。

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神宮外苑銀杏並木再訪(2017年11月30日)

2017年12月01日 10時34分02秒 | 近郊散策

外苑前に食品衛生センターに用事があったので、20日ぶりに神宮外苑の銀杏並木を訪れて見ました。葉はかなり落ちていましたがライトアップさていて昼間とは違った景色を見ることができました。

今回も青山一丁目駅から向かいました。車道まで出られるようになっていました。

絵画館方面に進みます。側道は銀杏落ち葉で埋まっていました。秩父宮ラグビー場への道路を過ぎると通行止めになっています。

車道の真ん中で撮ることができます。

ここから戻りました。

歩いて外苑西通りまで行きました。

会議終了後は千駄ヶ谷駅まで歩きました。青山一丁目から外苑前、外苑西通りから千駄ヶ谷駅まで歩いたことになりました。ちょうど3kmほどになります。

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鳥と花を求めて旧中川から荒川河川敷その2

2017年10月05日 23時34分38秒 | 近郊散策

10月の初め天候に誘われていつもの旧中川河川敷をリハビリサイクリングしました。中川にはアオサキが釣り人の魚を目当てに待機しています。

ここの釣り人は釣るのをやめて帰り支度でした。

次は

お腹いっぱいで満足しているようなアオサギでした。ゆったりと止まっていました。

河川敷きにはいろいろな花が植えられています。カンナのゾーンです。

上流に向かって行くとアオサギが餌を待って立ってました。釣り人は釣った魚をあちこちに撒いて食べるのを楽しんでいるようでした。

今度はダリアのゾーンです。

その他にもこのアメジストセージを見て木場公園の花を思い出しました。

旧中川河川敷にはコスモスやキバナコスモスも咲いていました。

さらに上流に荒川と合流する水門です。トキワサンザシもう少しで真っ赤にになりそうです。

荒川口の水門に出ました。旧中川は大正時代に掘られた荒川放水路によってさえぎられてしまいました。向かいに見える白い水門のところと繋がっていたようです。

★ランドマーク荒川放水路:東京都東部の低地帯を流下する荒川下流部で,下町の洪水防止の目的で開削された人工水路。1級河川。岩淵町から河口の砂町地先までで延長22km。幅員は上流側455m,河口側582m。荒川放水路は明治40年(1907),明治43年(1910)の大洪水を契機として明治44年(1911)に着工され,大正13年(1924)に通水,昭和5年(1930)に完工した。現在は隅田川が派川(分流)となり,荒川放水路を荒川と呼ぶ。それまで隅田川へ合流していた綾瀬川,中川,新川などの河川や水路は,荒川に平行する中川に合流する。

荒川ロックゲートにある解説図です。中川が遮られた様子がわかります。中川・綾瀬川の旧河道と現河道

ここから荒川河川敷きを河口目指して行きます。総武線の鉄橋が見えます。

いつもは電車で通っている鉄橋です。広い河川敷きです。整理された河川敷きは野球場やテニスコート花壇などになっています。

放置されている?ところにはセイタカアワダチソウの群生下流の旧中川と荒川の合流点荒川ロックゲートです。奥が旧中川です。こちらはロックゲートが作られる前の水門のようです。河口の方を見ています。ロックゲートの所に碑がありました。

この日の目的は鳥と花でしたが、途中から分断された旧中川を上流と下流の水門を見ようと変更しました。この前はさらに下流まで行きましたが、この日はここから帰りました。堅川の上を通る高速道路14号線、川は堅川河川敷公園になっています。

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鳥と花を求めて旧中川から荒川河川敷

2017年09月20日 23時13分40秒 | 近郊散策

9月20日(水)弁当工場の衛生会議で話をした後、秋めいてきた天候に誘われて、旧中川から荒川の河口まで行ってきました。河川敷きの中を自転車での散策です。北十間川が旧中川と合流するところから河川敷に降ります。今回は江戸川区側の河川敷を下流に下りました。旧中川の逆井の渡し跡あたりにはコザギが数羽いました。昔からこの辺りのコザギは有名で広重の錦絵にも登場します。

歌川広重 名所江戸百景 逆井のわたし

奥に筑波山逆井の渡しの下流でしょうか。

江戸時代の切絵図です。逆井の渡しから千葉街道です。

ランドマーク逆井の渡し跡:中川をわたる逆井の渡しは、『新編武蔵風土記稿』に「中川、村の西を流る、幅四十間許、対岸は亀戸村なり、ここに渡船場あり、元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しとよべり、船2艘あり、一は亀戸村の持、一は当村持」とあるように、もとは北隣りの逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総を蒸すぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道とよばれるようになりました。

 逆井の渡し付近は風景も良く安藤広重が「名所江戸百景」のひとつに描いています。明治12年(1879)、渡し跡に橋が架けられて、逆井の渡しは廃止されました。架橋答辞は村費による架橋費を補うために通行料(橋銭)を徴収する賃取橋でした。明治27年(1894)に橋銭徴収は終わり、明治31年(1898)に、東京府によって架けかえられています。昭和43年(1968)には、江戸川・江東両区の協力で鉄橋になっています。その後、旧中川沿岸の景観整備や、虹の大橋やもみじ大橋・さくら大橋がかけられて、現在のすがたになりました。( 江戸川区)東京府南葛飾郡の地図より、上の江戸時代の切絵図から総武鉄道や東武鉄道が出来ています。まだ荒川放水路は作られていません。

旧中川の河川敷きの花壇にコスモスが咲いていました。台風で外部傷つけられたようですがしっかり咲いていました。

荒川に出ました。昔は荒川放水路と言って習いましたが、今はただの荒川というようです。

★ランドマーク荒川放水路:埼玉県と東京都の東部を流れる荒川の水量を調節し、東京の下町を洪水から守るためにつくられた迂回水路。東京都北区にある岩淵水門で、旧本流の隅田川と分かれる。川は足立、葛飾、江戸川などの区を通り、下流で綾瀬川、中川と並行して東京湾に注いでいる。なお、国土交通省河川局では、荒川放水路を荒川、岩淵水門から南流する旧荒川を隅田川とよぶ。1910年(明治43)の大洪水後に、内務省によって計画され、1911年着手、1930年(昭和5)完成。延長24キロメートル、幅450580メートル。記録された最高水位は、1947年(昭和22)のカスリーン台風のときで、9メートルの堤防すれすれまで達したが氾濫(はんらん)は免れた。以後もこの放水路が功を奏して東京下町の水害を防いでいる。

昔は荒川放水路と呼びましたが今は、隅田川と荒川と分けて呼ぶようになり、放水路はただの荒川で良いようです。

河川敷はどこまでも平らな道が続いているという感じです。

逆井橋のように、昔渡しだったところに橋が架かりますが、ここでは橋の跡が船着き場になっています。下流に今の葛西橋が見えます。さらに下流から葛西橋を見ています。

さらに下流のところに船着き場(新砂リバーステーション)がありました。

秋の七草に葛の花が載っていますが、ここで葛の花をみつけました。

上流で見つけた時は一輪でも喜んで撮りました。一輪でも葉をかき分けるようにして写しました。

ところが船着き場あたりにはいっぱい咲いていました。

秋の七草といえばススキもありました。

去年も同じころきましたが、キバナコスモスが印象的でしたが今年もいっぱい咲いていました。だいぶ台風には痛めつけられたようです。

帰りがけに大島・小松川公園に寄ってみました。いろいろありましたが、葉鶏頭です。

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