ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

板倉神社・福島秋葉神社

2013年06月06日 11時45分06秒 | 訪問地周辺

青葉城跡を見て仙台駅に向かいました。青葉通りは欅の緑にあふれていました。
福島は数回訪れていますが、駅近くには見るところがほとんどありません。そこで、レンタル自転車を借りて移動しました。阿武隈川河畔にある福島城跡のもみじ山公園です。阿武隈川真新しい神社がありました。板倉神社です。震災復興震災で壊れてしまい、再建したもののようです。
昼休み時で、併設している福島県庁の職員が公園に煙草を吸いに来ていたので、あまりゆっくりもできず、早々に撤退しました。
坂を上がったところに、セキレイが餌を加えて跳ね回っていました。セキレイセグロセキレイとでもいうのでしょうか。
訪問地には2度目の訪問ですが、ややさびれていた近くのビルは、県庁の復興関係の部署が入っていました。そのわきには秋葉神社がありました。
甚兵衛火事と福島の秋葉神社
 明治14年4月25日 福島村一番町(現在の福島市柳町)の「甚兵衛湯」から出火した火は、またたくまに当時の福島の街の大半を焼く大火事となった。同年、阿武隈河畔の信夫橋のたもとに秋葉神社を勧請した。その後明治24年東北線が開通するとともに、石炭車の火の粉から街を護るために、福島駅近くの青柳通り(現在の栄町)にも秋葉神社が勧請され、現在に至っているとのことです。震災の守り神としても祀られるのでしょうか。
秋葉神社のお使いは「カラス天狗」御神紋は「やつで」で、カラス天狗をモチーフにした「ひよけ丸」が福島秋葉神社のマスコットキャラクターだそうです。


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青葉城跡

2013年06月06日 10時38分08秒 | 訪問地周辺

2日目の目的地は福島ですが、仙台は最高気温22℃で福島は30℃との予想でしたので、午前中は、仙台の青葉城跡に行きました。青葉城跡三の丸跡の仙台博物館側から上りました。
博物館の脇に魯迅像と碑魯迅碑魯迅は明治三十七年(1904)九月に仙台医学専門学校(現東北大医学部)に留学した。清国の建て直しを担って日本に派遣されたエリート留学生の一人だった。しかし、故国の危機に心をいため、民族の魂を救うことが急務であるのを知り、文学に志すようになった。と書かれていました。
正宗の胸像博物館には胸像がありました。ここから城跡を目指して上り、石垣に到達しました。石垣石垣の上から見たもの石垣上資料館に寄ってみました。
仙台城別名青葉城は、慶長年間に伊達政宗が青葉山に築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でありました。2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に指定されました。
伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えて、その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われています。
仙台がいかに多くの地震に会っているかもうかがい知ることができました。
城跡これが有名な伊達正宗の騎馬像です。脇に荒城の月の作者、土井晩翠の像もありました。土井晩翠
城跡から仙台市内が一望できます。帰りは大手門のところに戻ってきました。大手門脇櫓です1967年(昭和42年)に民間の寄付により外観復元され、現在は、城跡らしい唯一の建物です。坂を下りた博物館の裏手には五色沼三の丸の堀の一部です。この沼は冬場凍ってスケートができるそうで、ここがフィギアスケートの発祥の地だそうです。

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愛宕神社・仙台

2013年06月05日 23時31分07秒 | 訪問地周辺

仙台と福島に出張で、1日目の訪問地は仙台の米ケ袋と青葉通りでした。新幹線に早めに乗って仙台に向かいました。仙台駅でみたスーパーこまちバスで青葉城跡を目指しましたが、時間がなく施設の近くの愛宕神社を散策しました。atago
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、愛宕信仰にもとづく愛宕神社の一つです。もと米沢にあった愛宕神社が、伊達政宗の移封とともにまず岩出山へ、ついで仙台へ移転しました。仙台総鎮守です。火防鎮護、辰巳歳生一代守護の利益があるとされます。仙台市都心部からみて南、広瀬川を隔てる標高75mの愛宕山の頂上の東半分に愛宕神社が鎮座し、西半分は大満寺虚空蔵堂が鎮座しています。本堂、
愛宕信仰(あたごしんこう)とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰です。京都の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められました。中世後期以降、愛宕の神は火伏せに霊験のある神として広く信仰されるようになりました。日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社あり、特に東北地方に多く分布しています。
愛宕神社からみた広瀬川と愛宕橋や仙台市内が見渡せます。sendaisinai大震災の傷跡がいろいろなところに見られました。地震で壊れた鳥居の再建です。壊れた石碑が修復されていました。sekizou
大満寺は創建より550余年を迎える曹洞宗の禅寺で、伊達政宗公、忠宗公に仕えた仙台藩家老・古内主膳重広公の菩提寺だそうです。虚空蔵堂
虚空蔵菩薩は、大宇宙の如く大きな功徳で、悩める全ての人々を救済する力を備えた菩薩であり、不思議な力により窮地に陥った者を救う菩薩であるとされています。
千躰堂千体観音菩薩:仙台青葉城はそもそも「虚空蔵城」とか「虚空蔵楯(館)」と呼ばれていたらしいのは、大満寺の虚空蔵堂が主塔であったからということです。
また、国分能登守の居城になった時、千躰城と改められました。「伊達治家記録」によると「城辺に千躰佛を祀るが故に千躰城と号す」と記され、この千躰佛は大満寺の千躰佛を指し、この千躰佛こそ仙台地名の源(ルーツ)となっているということです。
鐘楼梵鐘八角堂:十二支守り本尊
帰りに、愛宕神社から210段ほどの階段を下りてくる途中で、ネコさんに会いました。neko昼寝をしているところを、驚かしてしまったらしく、日陰に逃げ込まれてしまいました。見ていると、少し落ち着いたらしく、またのんびりと寝そべっていました。

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大宮八幡宮

2013年06月03日 22時49分25秒 | 訪問地周辺

浜田山の施設を訪問しました。途中ぜひ寄ってみたいところがありました。大宮八幡宮です。これは神門八幡
ここで昭和49年の3月に結婚式を挙げました。なぜこの場所になったのかというと、当時歌声喫茶ともしびの吉祥寺店がありそこで会費制の祝う会をすることになりました。当時はやっていた人前での式で良いのではないかと考えましたが、嫁さんの両親が娘の花嫁姿を写真に撮っておきたということで、それではということでここで式だけを挙げることにしたのです。ほとんど覚えていないのですが、嫁さんのご両親は山形で私の親戚は埼玉の本庄ということで、皆上野から来るわけですが、東京でも西の方にあるこんなところまで、呼び寄せるなんてなんと我儘だったのか反省してしまいました。花嫁姿で電車に乗るわけにもいかず、友人の車で吉祥寺まで送っていただきました。自分勝手な結婚の結果というか、子供が成人した後は別れ別れになりました。これが本堂です。
西永福駅から線路脇にアジサイが咲いていました。
こちらは訪問地近くのネコです。中学生くらいの娘さんが撫でていたので写真をお願いしました。杉並という都会の飼い猫は首輪をしていました。

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