ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

9月の風景:彼岸花

2019年09月15日 13時26分02秒 | 日記・コラム・つぶやき

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亀戸事件追悼会2018年

2018年09月02日 23時09分21秒 | 日記・コラム・つぶやき

昨年に続いて、今年も亀戸4丁目の赤門浄心寺の「亀戸事件」の追悼会に参加してきました。昨年の状況はこちらから見られます。

★亀戸事件:1923年の関東大震災で、被災者救援中の労働組合の青年幹部らが亀戸警察署で虐殺された事件。

震災直後、「朝鮮人や社会主義者が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こしている」などのデマが流行。被災者を救援していた川合義虎=当時21歳、日本共産青年同盟(共青)初代委員長=など南葛地域の労働組合幹部の若者ら10人が、警察に連行され、軍によって殺害されました。 

10人は川合義虎、平沢計七、加藤高寿、北島吉蔵、近藤広蔵、佐藤欣治、鈴木直一、山岸実司、吉村光治、中筋宇八ら、以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、9月3日から4日(あるいは9月4日から5日)に習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された事件です。

また軍や警察、自警団によって数千人以上の朝鮮人や中国人が殺されています。

追悼会では、日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は「今でいえばボランティアをしていた人たちを、権力の側は暴動を起こすといって虐殺した。災害ではなく人間の、特に軍や警察が流したデマで命を落としたという事実は絶対に語り継いでいかなければ」と強調していました。

追悼会の浄心寺の本堂です。ここの左側に犠牲者の碑が建っています。

碑の表には10人の刻名

碑の裏には:

1923年(大正12年)9月1日関東一帯を襲った大震災の混乱に乗して天皇制警察国家権力は特高警察の手によって被災者救護に献身していた南葛飾の革命的労働者9名を逮捕、亀戸署に監禁し戒厳司令部直轄軍隊に命じて虐殺した。惨殺の日時場所ならびに遺骸の所在は今なお不明である。労働者の勝利を確信しつつ権力の蛮行に斃れた表記革命戦士が心血をそそいで解放の旗をひるがえしたこの地に建碑して犠牲者の南葛魂を永遠に記念する。

  1970年9月4日  亀戸虐殺事件建碑実行委員会

とあります。

忘れてはならない事件だと思いました。

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うたごえ ライブハウス ゴリ 新装祝い

2018年01月31日 23時46分57秒 | 日記・コラム・つぶやき

船橋にある「うたごえ ライブハウス ゴリ」が明日2月1日から新装開店するので、お祝いを兼ねて元気だったゴリさん写真とうたごえの仲間の写真をまとめてみました。

新しいゴリの店長さんは手前の山中秀子さんです。よく決心してお店を継いでくれました。これから大変でしょうがよろしくお願いします。

2015年5月のゴリさんです。

2016年7月

2016年8月

2016年12月

2016年12月22日クリスマス衣装のゴリさん

 

あとは一緒にお邪魔した歌の仲間たちです。

歌わないで踊るマダム喜美子です。

ともしびの修ちゃんです。

歌わないで踊るマダム喜美子です。

 

また皆さんと歌いましょう。

 

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こころ旅・港の見える丘公園

2015年05月10日 12時42分44秒 | 日記・コラム・つぶやき

家に閉じこもってTVを見ています。火野正平のこころ旅で港の見える丘公園が出てきました。昨年の6月23日に行っているので、ブログに書いたことを思い出しました。昨年行ったときは気にしませんでしたがこれはベイブリッジでした。バラ園のバラがきれいに咲いていました。こちらはマリンタワーと大桟橋です。

ここまでに行き着く様子はこちらで確認してください。

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BSこころ旅「三保の松原」

2015年04月25日 12時23分19秒 | 日記・コラム・つぶやき

先ほどBSを見ていたら、火野正平さんの「こころ旅」で三保の松原を訪問していました。2012年の7月に訪れていたので、もう一度ここに載せてみました。当時のブログです。

清水、静岡に出張でしたので、清水を訪問の際に、小学6年生の修学旅行以来55年ぶりに三保の松原を訪れました。その美しさから、日本新三景・日本三大松原のひとつとされていますし、日本の白砂青松100選にも指定されています。羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」と呼ばれる樹齢650年の老松があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には、羽衣の切れ端が保存されているそうです。樹齢650年初代の羽衣の老松は枯れ木となっていましたが、それでも隆々として立っていました。残念ながら初代の松は写っていませんでした。もうなくなってしまったのでしょうか?

2010年9月に世代交代し、2代目の羽衣の松となった松は控えめに訪れる人に日陰を作っているように生えていました。こちらは写っていたようです。帰りに御穂神社に寄りましたが、御穂神社は、「三保の明神さん」と親しまれ、奉納の舞いである「羽衣の舞」は雅楽「東遊び駿河舞」にその原形があると言われ、地元の保存会が伝承していているそうです。社前には、樹齢200~300年の松の並木が500mほど続く「神の道」と呼ばれる参道があります。

BSの番組は自転車での撮影なので、この参道は写っていませんでしたが、脇の道を通っていました。雨で大変なようでした。

追記:初代の羽衣の松の写真は2013年の年賀状に使用しました。

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