ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

市ヶ谷亀岡八幡宮(新宿区)

2016年08月31日 23時36分47秒 | 江戸名所図会めぐり

市ヶ谷にある施設で、前の会社で快気祝いを兼ねた懇親会を開いていただいたので出かけました。

最近江戸名所図会めぐりをしているので市ヶ谷八幡宮に向かってみました。江戸名所図会より

キャプション或人の説に、市谷、昔は市の立ちし地なりゆゑに市買ひに作りたりといふ。しかれども詳らかならず。按ずるに、 鎌倉鶴岡八幡宮に蔵するところの延文三年(1358)十二月廿ニ日の(足利)基氏の古証文に、「鶴岡八幡の雑掌任阿(にんあ)申す。 武蔵国金曾木彦三郎・市谷四郎等のこと、江戸淡路守押領を止む。正和元年(1312)八月十一日の寄進状に任せ、 社家に付きて沙汰せらるべし」と云々。証とすべし。社地に儀台(しばい)・楊弓(ようきゅう)の類ありて、つねに賑はし。 また社前の大路は四谷への往来にて行人(こうじん)絡繹(らくえき)たり。

JR市ヶ谷駅から市ヶ谷橋を渡って行きます。 

★ランドマーク市ヶ谷橋:江戸時代、江戸城外郭門の一つ市谷門のあった所です。寛永年間(1624~1644)に始めて架けられた橋といわれています。JR市ヶ谷駅前から新宿区に通じる靖国通りの橋で、交通量の多い橋です。牛込橋・新見附橋と同様に外濠の堰の役割ももっていますから、橋は堰堤とつながっています。現在の橋は、昭和2年(1927)12月11日に架設された、長さ36.4m、幅15.6mのコンクリ-ト橋です。なお、市ヶ谷橋のすぐ東側には古い水道用の橋が今もその姿を残しています。

到着してみると、以前に来ていることを思い出しました。

2014年1月でした。もう石灯籠に火が入っていました。

以前来た時はこの石段を上ったのですが、今回はとても登る気にはなりませんでした。

江戸名所図会にも長い階段が描かれています。名所図会を塗り絵で楽しんでいる人たちがいます。

 わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人を塗り絵より。

前回来た時は、まだ初詣をしている季節でした。

この階段をあがると銅鳥居です。江戸時代の文化元年(一八〇四)の建立。高さ約五メートル。柱の直径約五〇センチ。柱には四百四十二人の寄進者と、その職業が刻まれていて、当時の職業や信仰状態がよくわかります。銅の鳥居は新宿区内で唯一のもの。(お寺さんのHPより)

茅の輪くぐりの茅の輪が飾ってありました。

階段の途中の左手にあるお稲荷さんは

★ランドマーク茶の木稲荷神社:市谷八幡神社の境内、石段左の方中段に御鎮座しております茶木稲荷神社。今をさる一千年余りの昔、弘法大師が初めて御鎭祭申上げたのが当社と伝えられています。この山の地主の神でありまして古来この地を稲荷山【いなりやま】と呼んだのも、そのいわれによるものです。御祭神は保食神【うけもちのかみ】、すなわち稲荷大神です。この大神は、食物衣服のことを司るのが主なる御神徳ですが、その他、家内屋敷の安全を始め、農業、工業、商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等を護り、幅広いご利益を持っています。(お寺さんのHPより)

拝殿です。浮世絵にも描かれています。

歌川 広重 市ヶ谷八幡:「太田道灌が江戸城築城の際、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を番町に勧請して亀ヶ岡八幡宮として創建したものが、市ヶ谷に移されて改称したもの。境内では物まねや人形浄瑠璃などが行われ、賑わった。」

 

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残暑の新宿御苑

2016年08月28日 22時15分38秒 | 公園散策

8月25日、鍼灸治療に行く途中で、残暑の新宿御苑を通り過ぎました。花枯れで花はあまりありませんでしたが、緑と夏空を撮ってみました。いつものようにJR千駄ヶ谷駅から向かいました。千駄ヶ谷門を入るとすぐのところの芝生広場と大きな木があります。桜の花見の頃はこの広場もいっぱいになります。休憩所の裏に赤い花が見えたので撮りました。木槿ですね。

中の池から下の池の方面を見ています。

代々木駅のところにあるドコモタワーがよく見えます。

中の池に所にある

これはアメリカデイゴです。

こちらはサンゴシトウです。

日本庭園に寄ってみました。旧御涼亭です。

中央休憩所の前にあるツルボです。

中央休憩所から見える景色です。

三角花壇の所にさいています。名前がわかりません。

こちらは温室の入り口のところにある大木です。ヒマラヤスギ

こちらの花壇には

夏雲が暑さを象徴しています。

玉藻池の燈籠です。

大木戸門を出たところにありました。

堀が玉川上水の名残を残しています。

古地図の真ん中下の所が大木戸門です。下町の下に御上水玉川水番と書かれています。

何回も新宿御苑を訪れていますが、毎回新しい発見があります。

 

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残暑の猿江公園

2016年08月24日 23時53分23秒 | 公園散策

リハビリのためにウォーキングしている猿江公園の残暑の風景です。猿江公園を正午前に歩いてみました。夕方と異なった風景が見られました。ミニ木蔵(池)の水連が満開でした。夕方は閉じていますが昼間は満開です。白い花が水連、ピンクの花がハス[(蓮)です。葉に割れ目があるのが水連、丸い葉、切れ目のないのがハスです。

水連の花は葉の上に見てくださいというように伸びあがっています。

オオオニバスは葉が世代交代していました。

厚みのある葉が砕け溶けて平らになり、新しい葉はむくれているものは開く様子がわかります。こちらの新しい葉はまだ開いていません。つぼみもたくさんあるので、夕方には花が開くでしょう。

夏雲に東京スカイツリーです。池も風がなくツリーが水面に映っています。

池の所に実のなっている木がありました。ヤタイヤシです。

木の実は食べられそうなので調べたら、お猿さんのおやつにあげているところもあるようです。

管理事務所のところにあるのは

酔芙蓉です。酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になります。

酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのと似ていることからこの名が付いたといわれています。

午前中でしたので白でした。

後日時間をずらして撮ってみました。

少しピンクになっています。

こちらはすでに赤ら顔です。

ピンクの花がたくさんついていました。

萩と女郎花が咲いているところに秋の七草の札が立っていました。

夕方歩くとガマガエルによく出会うので、踏みつぶされるのではなかと心配していました、こんな立札がありました。

ウォーキングの通路で新大橋通りに面してい所にヒマワリが咲いていますが、なかなかシャッターチャンスがありませんでした。

ヒマワリは太陽に向いているといわれていますが、それは間違いです。いつもは様々な方面を向いていてなかなかシャッターチャンスがありませんでした。

この日は台風一過で皆が南を向いたので撮ってみました。

また、夏空をバックにすると少しはヒマワリらしいと思って撮りました。ここでは、台風の大風にも負けずに立っていました。

残念ながら、写真を撮った翌日には伐採されてしまいました。最後の雄姿でした。

東側にある横十間川は大雨の名残で濁っていました。

ノウゼンカズラは盛りを過ぎて、実をいっぱいつけながらもまだ咲いています。

夏休みですが平日で暑いのでお子さんはいませんでした。

ウォーキングの後でストレッチをしながら築山を見ていると急にカラスが集まってきて、

カアーカアーと何やら相談しているようでした。

鳩首会議ならず烏首会議が行われたようです。

猿江公園も、錦糸公園にはかないませんがポケモンgoをしている大人の方が結構増えてきました。

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田舎の花々

2016年08月23日 21時25分47秒 | 花の散策

田舎に行くと、いつも生家の周辺を思いで探しで歩き回ります。今年もいつもと同じように回ってみました。お寺さんのところにもう100年も咲いている百日紅の花です。こちらは、お世話になっている姉の庭に咲いている花です。花のつけねの所に粘々があり虫取り草と言っていました。

これはきれいに咲いていました。柳花笠ですか。

グラジオラスが一輪だけありました。

クチナシの花も一輪だけでした。

ご近所の塀の所にノウゼンカズラが毎年咲きます。

実家の畑の所にもノウゼンカズラがありました。

ムラサキの花はゴマの花です。

花が終るとこんな風にして

葉を取って乾燥させます。

花ではありませんが青シソ、赤シソです。

ついでにこちらも花ではありませんがヤツガシラです。

昔はこの十字路で1月14日にどんど焼きをしました。

黄色い花はオクラの花です。

こちらの小さい黄色のは落花生の花です。

ゴーヤの花とゴーヤです。ゴーヤがいっぱいなっています。

こちらの畑は植木畑になっていました。

百日紅がちょうど見ごろです。

木槿も毎年楽しませてくれます。

田舎は自然のままなので花も虫に食べられてしまいます。こちらはお寺さんの所に咲いていた木槿です。

花ではありませんが真っ赤なトマトが花のようでした。

これはルドベキアのようです。

これはモミジアオイですか。

こちらはハイビスカス、実家の庭に咲いていました。

オイランソウとオオバギボウシの花ですね。

最後はお寺さんのハスの花です。

蓮の花よりハスの実が食べたくなります。

実家の周辺は裏作に麦を作っているので、田植えが遅く、当然収穫も遅く、稲穂もまだ花のようです。

 

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田舎のお盆:65年前の思い出探し

2016年08月19日 20時10分12秒 | 歴史の小道

田舎のお盆で生まれた家の近くのお寺さんを散策してみました。

真言宗豊山派田中山長勝院です。広々とした田園の中にあります。お地蔵さんは子供のころからここにあります。私より80歳上の近所のおばあさんは毎日お祈りにきていました。

参道と山門の本堂です。昔は左側がお墓で右側は田んぼでしたが、お墓の開発?で分譲されています。

この宝篋印塔はお墓の中心にあり、手前の砂利のところは堀があり草むらでした。

生家の墓はこの裏にあります。

いまの墓石にする前は左側の墓石が並んでいました。実家を継いでいる弟がそれを解析して墓碑を作りました。

笹井家のルーツは享保18年(1733年)に亡くなった弥七郎さんたっだようです。

本殿の前の庭は、小学生のころの通学の集合場所でした。

野球をして時間をつぶしていました。松の木に鞄を下げて仏像のあたりがホームベースでした。小学校1-2年生のころは野球が苦手で早く学校に行きたいと思っていました。

この百日紅は昔からこれくらい大きかったような気がします。

凸凹した表面をなでるとくすぐったいと揺れるといわれていました。中が割れたりしていますが、まだ花をたくさんつけています。

学校が始まる10分くらい前になると、この木の元から一斉に1km先の学校に向かって走りました。私はこれが嫌いでした。早く学校に行きたいのに、嫌な野球をやらされ、その田んぼの中を走らされていたので。冬は麦が植えられるので、麦の中を走りました。

上級生になったら絶対にこんなことはしないと誓ったものです。ということで、上級生になったら皆で早く学校に行き、校庭でサッカーやらソフトボールをして時間を過ごすようにしました。

ソフトボールしていても、校長先生が通ったら挨拶したと、朝礼でほめられました。次の2枚の写真は14年8月に撮ったものですが、校舎とクスノキのところでソフトボールをしていました。

以前は校舎の小学校と中学校が隣り合わせにありましたが、中学校が統合されたので、写真手前の中学校のところに小学校が移転し、小学校の跡地(写真の奥)は野球などできる運動場になっています。

今も残っているクスノキです。

今は田んぼが見えていますが、お寺さんは堀と木々に囲まれていました。

堀はすっかり埋め立てられて、面影もありませんが、堀には赤いお腹をしたイモリ(アカハライモリ)がいました。

お寺の裏にある杉の木です。

65年前は、植林で植えた小さい苗木でしたが見事な杉の木なっています。

松の木の所にある、お寺の蓮池です。冬は池が凍るのでスケートの真似事をしていました。

夏はハスの実を食べるのが楽しみでした。

この日も取ってきました。

食べてみましたが、昔ほどおいしくはありませんでした。

六地蔵さんは何度も壊されて、TVでも報道されていました。

胴体の部分はお寺さんの庭に集められていました。

新しく分譲されてお墓は先祖代々というものでなく、

平和とか

和とか

愛というのがありました。

あとで聞いたところ、愛の墓には、私も入れそうです。上の姉が買ったお墓で、旦那さんが昨年なくなった時に作ったものだそうです。

長姉は嫁に行って金子さんというのですが、金子家とは書かかないで、誰でも入れるようにしたと言われました。

お墓に続くこの道の左手はも少し高さがあって桑の木が植えてありました。

時々通学の時の風景が思い起こされます。

こちらの道路と床屋さんの間は、暗渠になっていますが昔は川になっていて、自転車で川に落ちたことがありました。

小さい田んぼや畑があった場所は、区画整理で大きな田んぼになっていて、ようやく穂が出始めたところです。

右手が田んぼ、左手が畑になっています。このイメージは昔と一緒ですが大きな区画になっていて、昔の区分がわかりません。

毎回お世話になる三女の姉の家のあるところは昔畑だったところです。

隣の空き地でネコさんがくつろいでいました。この空地も昔は畑や田んぼでした。昭和51年1月に65歳で亡くなった母が55歳くらいの時、桑畑で脳梗塞で倒れたところはこの辺りです。

ちなみに父は昭和53年7月に亡くなっていますが、この年は隅田川花火大会が始まった年です。花火大会に向けて保健所で、いろいろと準備していましたが、ぜんそくの父がしばらく具合が良いということで、伊豆熱川に1泊で海水浴に行った帰り、東京の我が家でぜんそく発作を起こし亡くなりました。花火大会当日は実家で通夜をしていたと思います。

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