ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

富岡八幡宮(江東区富岡)江戸名所図会めぐり 稀勢の里刻名

2017年06月30日 23時46分09秒 | 江戸名所図会めぐり

富岡八幡宮には何度か訪れていますが、今回は江戸名所図会めぐりとしてまとめてみました。

これは去年2016年に撮ったのものです。

現在鳥居と本殿は修理中でした。

江戸名所図会より

右下の船着き場古地図にも載っています。昔は水路が人や物を運ぶ主な通行手段だった。

古地図錦絵です。[江都名所 深川富岡八幡]/ 広重

[江戸名所深川八幡の社 / 広重

 図会でも長い参道になっています。

この絵の奥に二軒茶屋とありますがその左手に「いせや」さらに左手に「松本」と書いてある二つをさします。次の図会はこの茶屋のものです。二軒茶屋雪中遊宴之図

キャプション この地は江都東南の佳境にして、月に花に四時(しいじ)の勝趣多かる中に、取りわきて初雪の頃などには、都下の騒人ここにつどひ来つつ亭中の静閑を賞し、一杯を酌みかはしては酔興のあまり冬籠もる梅の木(こ)の本、秋ならば尾花苅りたき一夜 (ひとよ)の夢を結ぶもまた多かりぬべし。

平岩弓枝さんは、『御宿かわせみ』文庫巻22に所載の[蝦蟇の油売り]で、富岡八幡宮の境内には伊勢屋、松本の2軒の料理屋があったが、あるときの緊縮政策のとき、伊勢屋がつぶれたと。 書かれているようです。

江戸高名会亭尽深川八幡境内/歌川広重

二軒茶屋を描いたもののようです。

 

昨年撮った本殿です。

狛犬

大鳥居を入った左側には伊能忠敬の像がありました。

右側には大関力士碑

去年も今回も6月下旬でしたので、茅の輪が飾ってありました。

拝殿の右手奥に横綱の碑があります。

稀勢の里が刻まれています。今年の6月9日に横綱稀勢の里 刻名式が行われました。簡単に最後の刻名をしていましたが、かなり高いところにあります。

表側は懐かしい横綱が刻まれています。

安政4年正月の2日目の興行の取り組みの絵です。

古地図では三十三間堂を挟んで木場になっています。木場の角乗の碑もありました。

あたらしく木遣りの碑もできています。

八幡宮のHPより

稲荷以外はこの中に祀られているようです。

弁天池があります。

池の左手に稲荷神社狛犬が4頭いました。

 

こちらの手水石も古いようです。

七渡神社と粟島神社です。一の鳥居のところに庚申塔がありました。

神馬

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木場公園・ルドベキア他

2017年06月29日 23時45分28秒 | 季節の花

久しぶりに都立の木庭公園までリハビリサイクリングで訪れました。植物園というか花の広場にはたくさんの花が咲いていました。印象的だのがルドベキアでした。

★ルドベキアについて調べて見ました。

北アメリカ原産の草花で、日本にやってきたのは明治時代の中頃、その頃は主に切り花として利用されていました。真夏の炎天下でも花を咲かせる気丈な植物で、切り花はもとより鉢花や夏花壇、品種によっては地面を覆うグラウンドカバーにも利用されます。一株でもよく枝分かれして鮮やかな黄花を満面に咲かせる様子は遠目でもよく目立ち、ヒマワリとはまた違った良さがあります。 

主な開花期は夏~秋ですが、早いものでは梅雨頃から花を咲かせます。基本の花色はオレンジや黄色(中心付近がえんじ色で周りが黄色くなる2色咲きのものなどもあります)で色幅自体はさほど多くないですが、小輪種や大輪種、一重咲きや八重咲きなどもあわせると花姿はバラエティーに富んでいます。

ルドベキアの名前はスウェーデンの植物学者ルドベックに由来します。

こちらはエキナセア(ムラサキバレンギク)のようです。

こちらもルドベキアに似ていますがちょっと違うようです。これはルドベキアでいいでしょうか。

これはキバナコスモスです。大橋の近くの花壇にさいていました。そこにはオイランバナや

白いアガパンサス

ダリアが咲いていました。

園に戻るとグラジオラスここにはタチアオイやダリアなどが密集しています。

こちらはアガパンサスとタチアオイです。

いろいろなダリアが咲いていました。

面白い木がありました。スモークツリーまさに煙のような花?です。

アーティ-チョーでしょうか。

よほど蜜が美味しいらしくカナブンが群れていました。

似ていますがこちは鬼アザミ?

これも珍しいです。

ビロードモウズイカと書かれていました。

「ビロードモウズイカ(天鵞絨毛蕊花)の名前は、茎や葉の全体にビロード(天鵞絨、vellodo、velvet)のような細かい綿毛に被われていて、雄蕊にも毛が生えているのに由来する。別名はホザキモウズイカ(穂咲毛蕊花)、マレイン(mullein)、グレート・マレイン(great mullein)、バーバスカム・タンプサス(Verbascum thapsus)、アダムズ・フランネル(Adam's flannel)、ニワタバコ(庭煙草)などとも呼ばれている。」と書かれていたものを見つけました。

昨年おぼえた花なのに思い出せませんでした。アメリカフヨウでした。

こちらの白と紫の花はわかりません。

これがなんだかわかりませんでした。

 

あとはヒマワリとキキョウでした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏越大祓(烏森神社)と公園の花々

2017年06月28日 10時41分11秒 | 身辺出来事

6月27日は手術した病院に3ケ月ごとにいく診察の日でした。最初の手術から丸2年過ぎたことになります。順調というか、チタンで止めたものが外れずにしっかり固定されているかどうかを、毎回X線写真で撮ります。特にずれてはいないとのことで、後はどれだけ回復するかにかかっています。3か月分の薬はリックにいっぱいになります。リックを背負って新橋の内幸町の近くにある前の会社を訪れました。後任の方と懇談しながら昼食を摂って帰りました。

帰りは新橋駅まで歩き、途中で烏森神社に寄ってみました。新橋駅の烏森口を出て、神社の前の通りを会社に通っていました。

6年間通った道ですが久しぶりでした。夏越大祓、茅の輪が飾られていました。

くぐるのは拝殿の中にある茅の輪です。

★ランドマーク烏森神社:天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは 江戸で一二を争うものであった。ということです。 

★茅の輪くぐりの意味:茅の輪くぐりは、正月から半年間のケガレを祓い、残り半年の無病息災を祈願するという意味があります。茅の輪をくぐることで禊(みそぎ)をして邪悪な穢れ(けがれ)を祓い(はらい)、災難を予防する為のものです。

基本的に6月30日に行われ、夏越の祓(なごしのはらえ)と言われています。特にこの梅雨の時期から夏にかけては、天然痘などの疫病がはやることが多かったようです。そういった疫病除けに茅の輪が有効と考えられていたようです。

基本は、6月末から7月中ですが、年末にも行われるのが通例です。6月の大祓のことを、夏越の祓(なごしのはらえ)と呼んだり、12月の大祓のことを、年越の祓(としこしのはらえ)と呼んでいます。ひっきりなしに参拝していました。

 

リハビリウォーキングしている公園にはアガパンサスが満開になっています。

友人がアガパンサスについて教えてくれました。ギリシャ語でアガペは愛、アントスは花で愛の花という意味だそうです。南アフリカ原産で現地では雑草のように生い茂っているそうです。

長く楽しませてくれているのがアジサイ

ノウゼンカズラです。

小さいものと大きいものがあります。

雨に濡れて落ちていたので比べてみました。

公園の植栽の方々が次々と花を咲かせてくれます。

ミニ木倉にはハスの花が咲き始めました。ハスは汚れた池に清純な花という感じがあります。雨のあとでハスの葉に水滴が乗っていました。

ところで夏というと一昔前は食中毒が大変でした。

週刊朝日から取材を受けた記事が掲載されました。

昔ながらのおにぎりと黄色ブドウ球菌の話でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿佐ヶ谷神明宮・世尊院

2017年06月25日 13時00分37秒 | 江戸名所図会めぐり

写真を整理して江戸名所図会に掲載されてるところをアップしています。今回は阿佐ヶ谷神明宮です。図会に絵はありませんが説明書きがありました。鳥居

 

 

★ランドマーク阿佐ヶ谷神明宮:この神社は、旧阿佐谷村の鎮守で、主祭神は天照大御神です。
天保7年(1836)に刊行された『江戸名所図会』巻四によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、のちに尊の武功を慕った村人が旧社地(現阿佐谷北5-35付近、同周辺一帯をお伊勢の森と称した)に一社を建て、神明宮を勧請したのが当宮の始まりといわれます。
建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部(一説には横川)が伊勢神宮に参拝した折、神の霊示をうけ、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられています。その後江戸時代中頃に至り、祇海という僧が神告により社を現在地に移し、世尊院が別当職を勤めたといわれます。
当宮は、村をこえた地域の信仰も篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠屋中 仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政11年(1828)の銅製の3本御幣が奉納されています。
秋の例大祭に能楽殿で奉納される「阿佐ヶ谷囃子」(杉並区登録無形民俗文化財)は、江戸時代末期からの伝統があり、区内では早くに伝えられた囃子です。ここから井草囃子をはじめ、鷺宮(中野区)、戸塚(新宿区)などに流布していったといわれます。神門

拝殿

 

★ランドマーク世尊院:世尊院は阿谷山正覚寺ともいい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王です。
創立は、現在中野区にある宝仙寺が阿佐谷から移転した頃と伝えられ、武蔵名勝図会には、その時代を永享元年(1429)頃と記されています。
この移転以前の宝仙寺は、現在の阿佐谷南三丁目9番付近に山門をかまえ、当時の寺領は、中央線の阿佐ケ谷駅付近にまで至る大寺であったといわれています。
この宝仙寺が移転した後に、宝仙寺の子寺で、地元村民の寺として残されたのが世尊院です。
本尊の不動明王立像、観音堂の聖観世音菩薩立像や阿弥陀如来坐像は、室町様式のうかがえるりっぱな仏像であります。
なお明治22年から大正11年まで、旧杉並村の村役場がこの寺の本堂におかれていました。
現在の本堂は、昭和10年に再建されたものですが、都道133号線建設のため、昭和48年現在地に移築し、今日に至っております。江戸名所図会より中野宝仙寺

修行大師像

鐘楼鐘楼

五重の塔

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高石明神社(高石神社、市川市)江戸名所図会めぐり

2017年06月23日 23時09分34秒 | 江戸名所図会めぐり

船橋に行く用事があったので、京成電車で途中にある高石(明)神社を散策しました。鬼越駅から向かい途中鬼越神明社に寄ってから向かいました。一本杖であるているので少し大変ですがリハビリと思って頑張って歩きました。いきなり階段ですが登りました。江戸名所図会は隣の中山にある法華経寺と一緒の図会になっています。法華経寺には2013年と2014年に行っています。明治時代の古地図です。右手の法華経寺、真ん中が高石明神社、左手が鬼越の神明社になります。法華経寺は何度か散策しています。拝殿です。

★ランドマーク高石神社:社伝に、南総大多木城主正木内膳亮時総が故あって奇石を得、これを祭ったので高石神と称したとある。また往古、鬼越村と一村であったが、分村して神号を村名としたという。本社の創建年代は不詳であるが、「中山法華経寺文書」永享三年(1431年)十二月二十四日の条と「折伏正義抄」永享十年(1438年)の条に当社の記載あり、その創建はこれ以前である事は分明である。とのことです。

石灯籠には明和4年(1767年)と書かれています。この水盤も古そうですが。

使用中のものは明治43年と書かれています。拝殿と本殿、本殿の所に狛犬がありますが顔が見えません

こちらは日枝神社社の裏は崖で下を京成電車が走っています。

境内にこんな碑がありました。仁医 桜井勝蔵記念碑と書かれています。

江戸名所図会に掲載されている神社ということで期待して行きましたが、あまり歴史を感じられませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする