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龍馬を継いだ男岩崎弥太郎 アスキー新書 133

2010年02月14日 | 読書日記など
『龍馬を継いだ男岩崎弥太郎 アスキー新書 133』
   安藤優一郎・著/アスキー・メディアワークス2009年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「土佐から江戸、そして世界へ。秀でた国際感覚と交渉術で、近代ビジネスの扉を開いた男の知られざる実像を描き出す。
大政奉還後、夢半ばに横死した龍馬の遺志を受け継ぎ、世界の三菱をつくった岩崎弥太郎。そのイメージから明治の経済任として語られることが多いが、それ以前より土佐藩の経済官僚として商才を発揮し、龍馬率いる海援隊の活動を支えていた。-略-」



長くは続かなかった役職……。下「」引用。

「ようやく吉田東洋という土佐藩の重役に見込まれ、二十六歳のとき長崎勤務を命じられる。はじめての役職だつたが、まもなく辞ししてまい、土佐に舞い戻る。その後も役職に何度かつくが、長くは続かず郷里で埋もれたままだった。」

海千山千の弥太郎。下「」引用。

「世界を視野に入れた人物として、龍馬の名前が語られることは多い。しかし、龍馬の雷名に隠れてしまつた格好だが、弥太郎は龍馬以上に世界経済や国際事情に詳しかった。海千山千の外国商人を相手にビジネスをしていた以上、当然のことだろう。こうした長崎での貴重な経験が、明治に入って実業家として大成する大きな要因となる。」

海外へ。下「」引用。

「土佐藩から払下げられた商船隊を率いて海外に雄飛する。三菱の誕生である。そこでは、長崎での経験が大きな財産となっていた。」

武田の流れをくむ弥太郎。下「」引用。

「そもそも、岩崎家は甲斐源氏の武田氏の流れを引くとされる。あの武田信玄が出た武田氏だ。鎌倉時代初期、武田信光の子・信隆が山梨郡岩崎村に移り、地名を姓とした。岩崎信隆と名乗ったのである。」

身分差別のことが書かれてある。

母・美和の晩年……。下「」引用。

「晩年の美和は、三菱創業者(社長)の母であるから、経済的に豊かな生活を送ることは可能だった。しかし、かつての質素な生活を忘れないようにと自ら糸車を廻して木綿糸を作り、機を織って自分の衣料品にしたという。」

血書でかいた獄中からの手紙。下「」引用。

「なんとか紙と筆は入手できた。牢番に依頼して、外部から取り寄せたのだろう。ただ、問題は墨である。
 窮した弥太郎は小指を切って血を出し、自分の血を墨代わりにして手紙を認めた。まさしく血書である。」

勤王党の粛正リストに名があった弥太郎。

他の港が開港されても、長崎は武器の販売で繁盛していという。

龍馬も弥太郎を批判したという。そして長崎を去った弥太郎。

火の車だったのは龍馬も弥太郎も。下「」引用。

「給料を支給するなど、いわば海援隊の活動の面倒をみる立場の弥太郎だったが、海援隊は金銭の無心を頻繁にしていたらしい。
 しかし、土佐商会の懐にしても火の車だった。その求めには応じきれず、断ることも多かった。」










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