磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大久保利通と官僚機構

2010年01月26日 | 読書日記など
『大久保利通と官僚機構』
   加来耕三・著/講談社1987年

いわゆるマキャベリアンの大久保たちが、腐敗政治のシステムをつくりあげたという感じがボクにはした……。



父が流罪……。下「」引用。

「藩主の意向を敏感にくんだ藩庁では、機先を制して、斉彬を支持する核心派勢力を弾圧、死罪十三名を含む五十余名を処分した。」

ひっそりと結婚したという。下「」引用。

「盟友西郷がはなばなしく活躍する姿を横目に、大久保はひっそりと安政四年(一八五七)、二十八歳で結婚している。」

藩政が改められ……。下「」引用。

「ほどなく、藩政が改められ、またしても一転し、斉彬時代の家老島津左衛門が首座家老に復帰したのにはじまり、核心派が再び藩庁に返り咲く。
 大久保は、上級藩士でありながら進歩的な小松帯刀を味方にひき入れ、改められたとはいえ、まだまだ閉鎖的な藩政の中枢に彼を送り込む。藩の空気は目に見えて変革されてきた。-略-」

大久保と西郷……。下「」引用。

「だれにでも尻っぽをふれるか、と西郷は思ったのだろう。-略-だが、大久保は、またしても久光と西郷の板ばさみとなって苦悩することになる。」

しかし、公を忘れ私に走ることに価値があるのか……。名目だけ公の大久保たちとしか思えない……。

大久保は薩長同盟は無理だと思っていたところに、龍馬が……。

イギリスと謀略計画……。下「」引用。

「大久保はこの時期、イギリスと連盟を秘かに進めていた。次なる大久保の戦術は、イギリスをたきつけて幕府へ兵庫開港を要求させ、薩摩がそれに反対して、幕府を苦境に陥れるというものであった。」

後藤象二郎は平和的な公武合体論を模索していた。下「」引用。

「後藤のしたたかさは、この案を薩摩藩邸に持参して、大久保らに承諾を得ようとしたところにある。
 大久保は内心、しまった、と思ったが顔に出さない。「最初の一撃をもちこたえろ」といったマキャベリの心境であったろうか。
「われわれとしては、国政改革の実があればいいのですから、どうぞお好きにおやりください」
と答えた。-略-」

錦の御旗を愛人に頼む大久保……。下「」引用。

「「錦の御旗が二旒(りゅう)はいる」
と結論すると、愛人の一力亭の娘、おゆうに頼んで錦布を買いに走らせた。」

「大久保弾劾」……。廃藩置県後。下「」引用。

「桐之利秋(中村半次郎)などは、公然と「大久保弾劾」を叫んでいた。」

板垣退助を封じ込めた大久保。下「」引用。

「大久保はそうした板垣に対して、「板垣先生」と、どこまでもていねいであった。
 だが、大久保はその言葉の裏で巧妙に板垣を罠にはめていく。
 板垣退助は土佐藩高級官僚の出身。本来は保守派であったが、幕末のギリギリの段階で坂本龍馬の革命思想を知り、西郷と出会うことで薩長の武力討幕計画を察知した。-略-」

位うちをした大久保……。つまり、生まれながらの軍人の板垣を、文官コースに向いていないと分析し、参議の要職につけたという……。

西郷がいった「三井の番頭さん=大隈重信」は、佐賀閥にいるより、大久保につくことが有利と考えたようだ……。

腐敗がつづく……。下「」引用。

「山県有朋のひき起こした山城屋和助事件。同じように疑惑のもたれる三谷三九郎事件。井上馨の不正予算作成による大蔵省辞職。京都府参事槙村正直の小野組転籍事件。尾去沢銅山事件等々。」

しかし、数の論理の岩倉……。下「」引用。

「薩摩閥とひと口にいっても、なかには大久保派と西郷派、それに島津久光派もある。ところが長州は一丸となってまとまっていた。「長州プラス薩摩の三分の一」が味方なら、なんとかなる。そう考えてくると、岩倉の持ち前のしたたかさが出た。」











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大久保利通と明治維新 歴史文化ライブラリー45

2010年01月26日 | 読書日記など
『大久保利通と明治維新 歴史文化ライブラリー45』
   佐々木克・著/吉川弘文館1998年

--西郷たちのようにデモクラシーのことを、この人は考えたことがあるのだろうか?



錦の旗を頼んだ愛人と隠宅をかまえていたという……。下「」引用。

「二十一日に京都に帰着し、以後一年半、京都に腰をすえることになる。入れ代わって西郷が帰国した。大久保が祗園のお茶屋一力の娘おゆうと、寺町石薬師に隠宅をかまえたのがこのころであり、やがてここが王政復古、倒幕運動の密議をこらす場所となり、長州藩士や岩倉具視が密かに訪れるようになってゆくのである。」

大坂城で、出兵を断る。下「」引用。

「こうしたなかで四月初め、幕府は薩藩に出兵の準備を内命した。しかし四月十四日、大久保は大坂城に登り老中板倉勝静に「天理に相戻」る無名の戦であるから、薩摩は出兵を断ると記した届書を提出し、その趣旨を説明した。板倉は受理を拒否したが、大久保は再度差出し、板倉の役宅に出向いて、書面却下の理由を詰問した。板倉は弁解に窮して、以後大久保との面会を拒絶するありさまであった。」

この、どこが正義なのだろうか? 下「」引用。

「大久保は雄弁家ではない。しかし正義を主張するときには、テコでも動かぬといった態度で譲らないのである。」

大政奉還はないとみていた大久保たち。そして龍馬たちも……。下「」引用。

「八月二十日、長崎で会っていた土佐藩の佐々木高行、坂本龍馬と木戸孝允も「十段目(最後)は砲撃芝居」になるだろうと、今後の見通しを話し合っていた(『保古飛呂比 佐々木高行日記』二)。」

「討幕の密勅」 下「」引用。

「十三日夜、大久保と広沢は岩倉から呼ばれて行き、そこで毛利敬親父子の官位復旧の沙汰書を手渡された。これで長州藩は自由な行動が許されることになる。そのうえで十四日に、毛利敬親父子と島津久光父子に「賊臣慶喜」を討てと命ずる、かの倒幕の密勅が、正親町三条から広沢と大久保に手渡されたのであった。」

大阪遷都を述べるが、断られる大久保。下「」引用。

「大阪遷都論は、一月二十三日の太政官の会議で否決された。内外混乱の際に「玉座」を動かすべきではないとする山内容堂や松平慶永、および遷都は、薩長の私権を張るための陰謀ではないか、という久我建通(こがたけみち)らの公卿の反対であった。」

東京城……。下「」引用。

「十月十三日、天王は東京に着き、かつての支配者であった徳川氏の居城である江戸城に入り、これを東京城と改めた。この日、政府軍が東北から凱旋してきた。」

「殖産興業政策」
・内藤新宿試験場(現・新宿御苑(明治5年設立)
・三田種育場(明治10年)
・東大農学部に大久保奨学金
富岡製糸場に力を注ぐ。
新町屑糸紡績所を新設(明治9年)の力が大きい。







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西郷隆盛の世界

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大久保利通-維新前夜の群像 5- 中公新書190

大久保利通と明治維新 歴史文化ライブラリー45

大久保利通と官僚機構

大久保利通-国権の道は経済から-

大久保利通 幕末維新の個性3

大久保利通 講談社学術文庫1683

【小説】

大久保利通 光文社文庫

■一部のみ■

西郷隆盛-その偉大なる生涯-

NHK 歴史への招待 29

【大久保のシナリオで西郷を追い出す】

文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新




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アレン・ダレス-原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘-

2010年01月26日 | 読書日記など
『アレン・ダレス-原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘-』
   有馬哲夫・著/講談社2009年

欧文タイトル:Allen Welsh Dulles



帯に書かれてあります。下「」引用。下「」引用。

「アレン・ダレスはCIAの歴史の中では第五代の長官(1953~1961年)にあたる。だが、CIAの創設に力を尽くし、その基礎を作ったのは、彼だといって過言ではない。このアレンは意外にも日本と関わりが深い。若かりしころ、自分探しの旅の途中で日本に立ち寄ったことがある。(中略)国務省の外交顧問をしていたころも、軍縮会議に出席し、常に日本代表の前にいた。さらに日本と深く関わるのは、戦略情報局ヨーロッパ総局長としてスイスで対日終戦工作を展開していたときだ。日本に対する原爆投下に反対の意見を持ち、ソ連の対日参戦も避けたいと考えていた彼は、この工作で終戦を早めることにより、これらを阻止しようとしていた。」

本書が……。下「」引用。

「本書がもっとも多くのページを費やしているこの終戦工作には、ベルン公使加瀬俊一、海軍武官藤村義朗(当時は義一)、陸軍中将岡本清福、国際決済銀行理事北村孝治郎、同銀行為替部長吉村侃、朝日新聞記者笠信太郎などの日本人のほか、アレンと彼らのパイプ役となったドイツ人のフリードリッヒ・ハック、アレンの部下のポール・ブルーム、国際決済銀行理事のペール・ヤコブソンらが登場する。
 これまで誰も指摘しなかったのは、対日終戦工作でこれらの人々とのあいだに築かれた関係は、日本がポツダム宣言を受諾した直後にピストル自殺した岡本の場合を除いて、戦後も続いていたことだ。この人間関係のネットワークこそ、戦後のCIAの対日工作の土台になっていったのだ。」

原子力工作……。下「」引用。

「アレンがアイゼンハワー政権でCIAのトップに就任して取り組んだ重要課題が、原爆関連インテリジェンスだったからこそ、彼が戦時中に従事していたこの任務について、彼自身も伝記作家も明らかにすることを避けたのだ。筆者が『原発・正力・CIA』(新潮新書)でも明らかにしたように、戦後進められた日本の原子力平和利用の導入らからむ工作もそこには含まれる。」

どこがピース派? 下「」引用。

「このような彼の経歴を知ることは重要だ。というのも、それは、なぜ彼が天皇制存置を認めるソフト・ピース派を支持したのか、また原爆投下を阻止しようとしたのかを説明するからだ。
 アメリカが共産主義と直接戦うのは下策で、日本やドイツに資金を与え、製品を売ることで、彼らに共産主義を封じ込める役割を担わせるのが上策と考えたのは、その経歴ゆえだった。」

キリスト教というより共和党保守派……。1945年8月9日。下「」引用。

「この日、トルーマンはアメリカ・キリスト教会連盟から八月九日付の次のような抗議の電報を受け取った。-略-すなわち原爆は人類(アメリカという国家にではなく)に託されたものとみなすべきだということ、そして、日本国民には新型爆弾に関する事実を確認し、降伏条件を受け入れるのに十分な機会と時間が与えられるべきだということ。-略-日本が最後通告について考え直す十分な機会を与えられるように謹んでお願い申し上げます。

サミュエル・マクリー・カヴァート
アメリカ・キリスト教会連盟事務局長

 文中にジョン・フォスター・ダレスの名前が見える。聖職者を父に持つジョンはこのアメリカ・キリスト教会連盟の幹部でもあった。
 もちろんも、これはジョンおよびアメリカ・キリスト教会連盟だけの抗議ととる必要はない。グルー、アレン、スティムソン、マクロイ、および共和党保守派の抗議を代表したものと考えていいだろう。」

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「公害と原発のあるところに民主主義はない」






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