『公式ガイドブック ひめゆりの平和祈念資料館』
ひめゆり平和祈念資料館1989年
口絵といおうか、写真も豊富でした。
さすが南国・沖縄という美しい景色……、
それとあわない陰惨な戦争……。
二度とあんなことがないように願うばかりです……。
沖縄も日本ですから、軍国主義に染まっていたことが書かれてありました。下「」引用。
「軍事化されていく学園
私たちは、十五年戦争のはじまったころに生まれ、中国大陸での戦争がはてしなく広がるなかで、学園生活をおくりました。総力戦体制のもとで、日増しに物資は欠乏し、食料も配給割になりました。村や町から出征していく兵隊の姿が次第にふえ、街角には、兵士の武運長久を祈る千人針を手にした女性たちの姿が目立ちはじめました。千人針は、教室にも持ち込まれるようになりました。戦死者の出た家には、「誉れの家」という表札がかかりました。
私たちは、お国のために命を捧げ、靖国神社に祀られることは、男子最高の名誉、という学校での教えをそのまま信じていました。だから、戦場に出ていく若者たちの姿を、むしろ、羨望の目で見ていたのです。当時は、「男の子に生まれればよかったのに」と、思ったりしていたものでした。」
当時の言葉などについても、書かれてありました。
「聖戦遂行」、「臣道実践」、「興亜の聖業」、「おおみたから」、「飯上げ」などがわかりやすく説明されてありました。
また、「しらゆり学徒隊」だけでなく、ほかの隊もあったことが書かれてありました。
「水」を汲みに行くことすら、命がけの時代。
それが戦争ですね……。
沖縄でも傷口に蛆がわいたと書かれてありました。
index
もくじ
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ひめゆり平和祈念資料館1989年
口絵といおうか、写真も豊富でした。
さすが南国・沖縄という美しい景色……、
それとあわない陰惨な戦争……。
二度とあんなことがないように願うばかりです……。
沖縄も日本ですから、軍国主義に染まっていたことが書かれてありました。下「」引用。
「軍事化されていく学園
私たちは、十五年戦争のはじまったころに生まれ、中国大陸での戦争がはてしなく広がるなかで、学園生活をおくりました。総力戦体制のもとで、日増しに物資は欠乏し、食料も配給割になりました。村や町から出征していく兵隊の姿が次第にふえ、街角には、兵士の武運長久を祈る千人針を手にした女性たちの姿が目立ちはじめました。千人針は、教室にも持ち込まれるようになりました。戦死者の出た家には、「誉れの家」という表札がかかりました。
私たちは、お国のために命を捧げ、靖国神社に祀られることは、男子最高の名誉、という学校での教えをそのまま信じていました。だから、戦場に出ていく若者たちの姿を、むしろ、羨望の目で見ていたのです。当時は、「男の子に生まれればよかったのに」と、思ったりしていたものでした。」
当時の言葉などについても、書かれてありました。
「聖戦遂行」、「臣道実践」、「興亜の聖業」、「おおみたから」、「飯上げ」などがわかりやすく説明されてありました。
また、「しらゆり学徒隊」だけでなく、ほかの隊もあったことが書かれてありました。
「水」を汲みに行くことすら、命がけの時代。
それが戦争ですね……。
沖縄でも傷口に蛆がわいたと書かれてありました。
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