磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【小説】おりょう-龍馬の愛した女-

2010年01月01日 | 読書日記など
『おりょう-龍馬の愛した女-』
   大内美予子・著/新人物往来社1978年

これも、小説ですね……。



料理ができないおりょう……。下「」引用。

「龍馬は、かつぶしはないかと言った。かつぶしぐらいはある……だいたい、おきみが、ここに居れば、もう一品、二品、間に合わせでも何とか格好をつけただろうが、おりょうには、そういう才覚が備わっていないのだ。
 龍馬は、削箱を足にはさんで、実に上手にたくさんかつぶしを削り、おりょうに流し許のねぎを刻ませて味噌と混ぜ、すり鉢に塗りつけて炭火の上で焼いた。
 こんどは、実に香ばしい、いい匂いがただよい、おりょうまで、自分の空腹を思い出させられたくらいだった。-略-」

契りおした仲じゃと、獄舎に入れられたおりょうの父の面会へ行く龍馬。

しかし獄卒は面会を許さず、金を役人にわたし、餅代にしてくれ、余ったら獄の中の人に分けてくれと龍馬……。金を渡すのは、友達が泥棒で捕まって知ったという。

江戸へ送られるのは死罪、京に残された者は死罪まではいかないという風説があったという。

井伊大老暗殺される……。
--井伊の安政の大獄で吉田松陰、橋本左内などは死罪に、りようの父・楢崎将作も死んだ……。

借りた家は格安だったという。それは、家族が次々と死んで、家族が全部なくなったから、誰も借りようとしないからだという龍馬……。

NA156 坂本龍馬妻お龍実家楢崎家跡

楢崎龍





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【小説】龍馬の妻

2010年01月01日 | 読書日記など
『龍馬の妻』
   阿井景子・著/学芸書林1979年

--小説ですね。



書き出しはこうです。下「」引用。

「第一章 将作の死
   一
 光枝の父楢崎将作は京都柳馬場三条下ルの町医者であった。母は貞という。りよう、君江、光枝、太一郎、次郎の五人の子があった。
 熱心な勤王家であった将作は、町の儒者・頼三樹三郎、梁川星厳、池内大学等と親交があり、お互いに行き来をしては天下国家を論じ合った。将作は若い志士たちが頼ってくると、金品を与え親切に面倒をみたので、屋敷内には若者が出入りし、絶えず数人の食客がたむろしていた。
 しかし、安政五年、井伊大老の大獄がはじまると、平穏は一きょに崩れ去った。-略-」

人買いされた妹を助けにいった、りよう。

軽蔑がおもしろいという龍馬……。
……花見で、つぎの服を着ていたりよう。龍馬は目立たない方がいいという。
だが、それでは軽蔑されるとりよう。龍馬はそれを「面白いじゃないか」と答える……。

軽蔑する人を笑っている龍馬がいたということでしょうね……。
「♪ボロは着てても心の錦!」ということでしょうね……。
--いっぽんどっこの唄でしたっけ……。




ピストルの練習を山でしていた龍馬……。下「」引用。

「「おりようさん、この鷲尾山はピストルの練習をするというて、深夜に龍馬がようあがっちょりました。-略-」

龍馬亡きあと、りようは西郷隆盛と東京で出会ったことが描かれてある……。

妹の君江は結婚するまで、勝海舟の家で厄介になっていたという。

身を売るりよう……。

行商人の松兵衛の妻となるりよう……。








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わが夫坂本龍馬-おりょう聞書き-

2010年01月01日 | 読書日記など
『わが夫坂本龍馬-おりょう聞書き- 朝日新書205』
   一坂太郎・著/朝日新聞出版2009年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「本書でおりょうが語る坂本龍馬からは、古き時代の不良のにおいがふんぷんとする。おりょうもまた負けていない。
仲間と変装して妓楼に繰り出し、奉行所や新撰組からは追い回され、船の上で射撃の腕を競い、霧島では天の逆鉾を引き抜く。幕末の輻輳する価値観のなかで、次の時代を信じて行動する男と連れ添った女房が語る「反魂香」は生き生きとして、現代女性にも通じる視線が新鮮である。」



佐々木(=爆笑問題の太田が人物という)評。下「」引用。

「土佐藩士佐々木高行などは、おりょうの印象を日記に「有名なる美人の事なれども、賢婦人や否かは知らず」と記す。」

西村末兵衛と再婚して西村ツルと名を変えたという。

安岡重雄(秀峰)が西村ツルを訪問したという。

最初の名前は直陰だった龍馬。下「」引用。

「龍馬の名乗り(諱(いみな))の直柔(なおなり)というのは後に換えた名で、初めは直陰(なおかげ)と言ったのです。伏見で(*ママ)いた時分に、直陰はいつまでも日陰者のようでいけないから直柔と換えると言って、換えました。」

龍馬は、漢詩はつくらなかったという。

一升五合を飲んだ龍馬……。

新撰組につかまったお登勢(寺田屋)……。
--寺田屋を新撰組の定宿にと頼まれたが断ったため……。

スパイが寺田屋にきていたので、女郎を一人頼んで色仕掛けで帰さぬようにしたという?

--龍馬が襲われたとき、風呂に入っていたという。
そこを襲われたという。濡れ肌に、袷を1枚ひっかけて、帯をする間もなく裸足で駆け出したという……。

寺田屋事件の時使用したのは、小松からのピストルと書かれてあるが、多くは高杉晋作から……。
この本でも注ではそう書かれてある……。

男装して薩摩屋敷へ。下「」引用。

「この屋敷(伏見)で一月一杯おりましたが、京都の西郷さんから京の屋敷へ来いと兵隊を迎えに寄越してくれましたから、ちょうど晦日に伏見を立って、京都の薩摩へ入りました。
 この時、龍馬は創(きず)を負っておるからと駕籠に乗り、私は男装して兵隊の中に雑って行きました……。」

龍馬の歌が掲載されていた。助太夫さんの家の歌会に出席していた龍馬。

--千葉さの子のこと。
龍馬が言ったとは想えないことが書かれてあった。

陸奥は新撰組と豪遊していたという。下「」引用。

「龍馬が死ぬると間もなく、陸奥が京都の芸者をおおぜい連れて来て、中の島へ船を浮べ、菊の御紋の付いた縮緬の幕を張りめぐらし、呑めや唄えの大騒ぎ、その中には新撰組のやつもいたそうです。
 これを聞いた寺田屋のお登勢は、足ずりして口惜しがり、
「龍馬さんが生きていたら頭も上らない陸奥さんも、目の上の瘤が取れてみると勝手な真似をしやぁがる。龍馬さんや中岡さんを殺したやつらに陸奥さんは、かかりやってはいないかしら」
 と怪しんで、人を頼んで探らしたそうですが、分らなかったそうです。-略-」

色男とからかわれた乙女。下「」引用。

「大変姉さんと仲良しで、いつでも長い、長い手紙を寄こししまたが、兄さんには匿して書くので、
「龍馬に遣る手紙を、色男かなんかにやるように折れに匿さいでもよかろう」
 と怒っていたそうです。」

「土佐を飛び出す」原因は義兄・権平と、その妻……。下「」引用。

「なぜかというと、龍馬の兄というのが、家はあまり富豊ではありませんから、内々龍馬へ下る褒賞金を当にしていたのです。
 が、龍馬には子はなし、金は無論私より他には下りませんから、私がいては、あてが外れると言って、殺すわけにもゆきませんから、ただ私の不身持(ふみもち)をするように仕向けたのです。-略-」

西郷隆盛はお龍に金子二十円をくれたという。下「」引用。

「腹の底から深切であったのは西郷さんと勝さんと、それから寺田屋のお登勢の三人でした。」

坂本直を人でなしと、言い捨てたという……。








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もくじ 龍馬の妻

2010年01月01日 | TOP【もくじ】
もくじ 龍馬の妻


わが夫坂本龍馬-おりょう聞書き-

坂本竜馬その偽りと真実-なぜ、暗殺されなければならなかったのか-

龍馬を愛した女たち

【小説】

龍馬の妻

おりょう-龍馬の愛した女-

【一部のみ】

龍馬の姉・乙女-傑作歴史小説-

龍馬を読む愉しさ-再発見の手紙が語ること-

龍馬と晋作-維新回天に命を賭けた二人の英傑の交遊と生涯-

面白くてよくわかる!坂本竜馬-「幕末史の奇跡」を知る大人の教科書-

坂本龍馬読本

龍馬復活-自由民権家 坂本直寛の生涯-

京都の江戸時代をあるく

祇園おこしやす 2010春号 第36号

龍馬が愛した下関

司馬遼太郎全講演 第2巻

坂本龍馬の魅力学

坂本龍馬大事典 コンパクト版




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【絵本】おなかすいたね、ペネロペ

2010年01月01日 | 読書日記など
『おなかすいたね、ペネロペ ペネロペおはなしえほん4』
  アン・グットマン(文)/
    ゲオルグ・ハレンスレーベン(絵)/
      ひがしかずこ(訳)/岩崎書店2005年

ペネロペはチョコレートパンがすきみたいですね。



図書館の説明文。下「」引用。

「わたしペネロペ。きょうはまきばで、どうぶつにえさをやるおてつだい。えーと、こぶたがすきなたべものはなんだっけ? さあ、本を開いて。ペネロペが待っているよ。」

いろいろな、どうぶつに、たべものをあげます。

コアラはふつうは、ユーカリの葉っぱでしたっけ……。






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