Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

フランス紀行[15]  アヴィニョン⑮ 夜の旧市街3

2013年10月23日 16時01分43秒 | フランス紀行2013

9時を少し回った時刻の旧市街地です。オフシーズンということもあるのでしょうが、人通りも
かなり少なくなります。南仏のリゾート地ということもあり、セキュリティに関しては全く問題ない
ようです。 

伝統的に細い道路が多いのですが、目一杯歩道を広げて。こういう歩道は歩きやすいです。
車社会のヨーロッパも歩道に対する考え方ははっきりしているようです。メリハリがあると
いうことでしょうね。

結構女性の一人歩きも目立ちます。

道の向こうには教会の塔屋が見えて。街の中心となる施設はいいローケーションを選定して
います。

街の中心の時計台広場はやはり夜遅くまで賑わって。レストランもかなり遅くまでやって
いるようです。

ちょっとわかりづらいのですけど、なんとこれは団体で空手の演舞をやってました。
老若男女を問わずで、小さな子供まで参加して。

数日前の日経新聞でしたか、何故日本の古武道がヨーロッパで受けるのかという
コラムがありました。それによれば、日本の古武道には「武士道」がある、この精神
文化がキリスト教の教えるモラル・哲学とはかなり違う人間の内省的な滅私の心が
受けているんだとか。勝者は敗者に「礼」を以って接するという原点が評価されている
んだそうです。

ボク等日本人が忘れていたことを何か教えられてしまいました。

 

ー続くー


東京探訪記:銀座八丁目 中銀マンション他

2013年10月23日 08時02分59秒 | 東京探訪記

♪銀座八丁目は海の中♪なんて歌があったと記憶してますが。江戸時代にはこの一帯は東京湾の
干潟で、辺り一面湿地帯。家康の江戸城再開発プロジェクトで江戸城の外堀に潮の干満の影響
を及ぼさぬようにと、この地に堰を設けたことから「汐留」と呼ばれるようになりました。 

写真中央のサイコロアメの集合体みたいな建物。昭和の建築家黒川紀章さんの有名な作品、
中銀マンション」です。取り壊し再開発の話題が数年前からあって、無くなる前にということで
銀座に寄ると、その姿を確かめに(笑)

正面からあおってみました。
昨年まではまだ利用していた人が数軒あったようですが、今は完全に空き家になっている
様子(一階の店舗は営業中でした)

久しぶりに妻側を覗いたら、窓に変な被り物があるのに気付きました。これサイコロの
ひとつひとつが個別の住居なので、きっとお隣さんへの目隠しなんだろうと思います。

ありゃ、配管がむき出しに。あれっ、建設当初からこんな設計だったのかしら。ちょっと
びっくり。黒川さんらしいと言えばそうなんですけど(笑)

この住宅、サイコロ一つ一つが取り外し可能なんですよ。1970年の前後にこういう
発想が結構ありまして、モービル住宅とか言われたコンセプトでありました。実際に
人が住んだというのはこの作品が世界でも初。日本の人口が最大となった時代の
革命的作品でありましたが。その後御存知の通りの人口減。いまでは、顧みられぬ
コンセプトに。

因みに世界初は確かモントリオールかバンクーバーの万博で、カナダが仮設住宅で
作ったのがありますが、現存しているかどうか不明です。

この写真を撮っておりましたら、びっくりしたことに外人さんが三組も次から次へと
現れて、写真を撮っていましたよ。かなり海外でも知られているんだなと驚いた次第。

この近くに建つ関西の有名ゼネコンさんのT工務店本社ビルの跡。デザイン的には派手さは
ありませんが、構造的には不思議なカタチをしています。

外壁のデザイン(三角形に見える壁面の切り返しがびみょ~)に惑わされているのかも
知れませんが、構造躯体が巨大な三角のトラスになっているのかしら・・・

反対側の妻側です。
この建物、現在は同じく関西系の財閥グループの不動産会社所有ビルになっていました。

蓬莱橋の歩道橋から東銀座方面を見ています。丁度真正面にスカイツリーが。
さて、ボクはこれからこの辺りでお仕事をしてっと。

 

 

 


フランス紀行[14]  アヴィニョン⑭ 昼食は中華を

2013年10月22日 16時22分42秒 | フランス紀行2013

旧市街地の中心にはこんな時計台が。
観光客の絶好のランドマークになっています。現地では高くて気が付きませんでしたが、
あれ、からくり人形が置いてあるんだ。残念ながらこれが動いている瞬間は見ることが
出来ませんでしたが。 

この日は夜には地元の有名なレストランを予約済で、アヴィニョンの料理のフルコースを
頂く予定をしておりました。よって昼は軽くということで、時計台広場の近くの中華料理屋
さんに。

押しなべてフランスでは中華は人気で、自国料理以外では一番ポピュラーなアイテムで
あろうと思います。但し、日本食は高いので値段を気にせず食べたい希望を募ったら一番
だと思いますけど。

ボクが頼んだ焼きそば。大好きなパクチー(中国香草)が乗っていて、嬉しい!
この盛りつけ方、本場中国ではしないやり方だと思います。まるでチョモランマのように
(笑)
具材を縦に盛りつけるとは、なかなか。

こういう細かいところに気を使うのがフレンチ・チャイニーズです。前にも書きましたが
フランスのエスニック料理は美味いのです。こちらのお店の焼きそばもかなりの実力
でありました。上海か湖南料理の味付けで、油がとっても爽やか。恐らくオリーブオイル
のお陰かと。

いやぁ、なかなかのお味で。満足でございまする。

ボクは本場中国の料理はちょっとダメなんです。食べ過ぎることもあるんでしょうけど、
油が・・・(苦笑)意外と繊細なんですよ(爆)

奥様はお肉の汁麺を。ラーメンは日本が一番、やめなさいと申し上げたんですけど・・・
あはは、「うるせ~~」だって(爆)
ちょっと味見をしましたが、はい、ふつ~~に中国本土で食べるラーメンでありました
(要は日本人の感覚で言う「うどん」であります)

 

ー続くー

 


フランス紀行[13]  アヴィニョン⑬ 旧市街

2013年10月22日 08時12分07秒 | フランス紀行2013

市庁舎前の広場。旧市街の中の目抜き通りになります。
テントの下はレストラン。大勢の観光客が食事やドリンクを楽しんでいます。

広場といえば必ず何らかのパフォーマンスをする人が。このギタリストはフラメンコ・ギター。
かなりうまい。暫く聞き惚れていました。

彫像のパフォーマンスなんですけど、何時観ても何がたのしいのかなぁと野暮な感想
なんですが・・・(笑)

フランスの人って本当にこれが好き。大体どこの都市に行っても必ずこれがあるみたい。
シャンソンにも唄われて、やはり子供も大人も「人生は回転木馬」と哲学的な思いを皆さん
持っているんだろうか。

 

こちらはメインのファッション・ストリート。日本でも人気のお店です。さすが若い女性
がひっきりなしに出たり入ったり。

一歩中に入るとやはり中世の街。細い坂道が。先の急コーナーはやはり城塞都市の
名残なんでしょうね。

 

ー続くー


フランス紀行[12]  アヴィニョン⑫ 教皇宮殿3

2013年10月21日 16時32分41秒 | フランス紀行2013

宮殿から中庭を見ている観光客です。

中庭はこんなふうに。どうも規模からしてかなり素っ気ない造りに見えてしまいますが、
カソリックを二分する勢いというのは、殆どがフランス革命時に失われてしまったので
しょうね。ちょっと残念です。

わずかに正面に見える大聖堂の前に設置された巨大な彫刻群が往時を偲ばせてくれます。

屋根瓦もかなり傷んでいるようで、ちょっと大丈夫かなとも思いますが、
観光客には寧ろこういうほうが風情があっていいかも。

 

宮殿の見晴らし台から観た旧市街地です。こうしてみるとやはりかなり高いですね。
あの巨大な観覧車が真下に見えるなんて。いつの間にか結構登っていました。

カテドラルのてっぺんにおわしますマリア像が間近に見えました。
まさに天上にあって市民をこうして見守ってくれているんでしょう。

 

ー続くー

 


東京探訪記:あづま通りから

2013年10月21日 08時05分50秒 | 東京探訪記

銀座四丁目からあづま通りを新橋方向に。ちょっと行くとこんな細い路地が。
この先は三原橋に出ますが、この界隈、昔はもっと割烹とか飲み屋さんが
沢山並んで、銀座でも手頃なお値段で飲食できるお店が多かったのですが。 

そういう飲食店の繁盛を願うために作られたお社。

夕方時ともなると綺麗どころの和服姿の女性の参拝者が目立つようになります。

透明ガラスと不透明ガラスを張った正面のビルの文様が面白いです。

銀座6,7,8丁目の境あたり。昔は見なかったカラオケとかヨガ教室とか。
何しろ銀座にマックが出てきてびっくり、そして何十年かして今度は吉野家
が出てきたのには本当にびっくり。最近ではあのユニクロですものね。
銀座の地価ってそんなに安くなっちまったんだろうか。

三丁目界隈は今や欧米のブランドビルが林立してますが、海外の投資家って
安いものしか買いませんからね。そういう意味では確かに地価・家賃は確実に
下がったんでしょうね。

おやまぁ、確か昔はこんなものはなかったと思いますが。「木挽橋際」と書いてあり
ますが、この辺りも木挽(こびき)町だったのかと、ちょっとびっくり。昭和通りを越した
あたりがそうだというイメージがありましたので。こういう良い名前はずっと残して
欲しかったなぁ。

東京オリンピックまでにはこういう施設ももっと充実させないといけないかもです。
世界の人が来て、トイレにただで入れると知ったらきっとびっくりするでしょう。
これも立派な「OMOTENASHI」の一丁目一番地ですよね。

確か出版社が所有しているビルだったと思いますが、昭和もだ~んという感じの
可愛いビルができていました。明らかに周りのビルと高さが違いますが、最近
この辺りの都市計画が変わったんだろうか(容積率がUPしたように思えます)

こちらは九州の有田の窯元さんのビル。「香蘭社」ビル。昔のビルも大変ステキなビルで
ありましたが、新しく建てなおされて。海外駐在時代、日本に帰ってくるとこちらで焼き物
を買って現地のお客さんやら友人によく配って。割れるのが心配で手荷物で預けるなんて
出来ないし、十何時間ボクの膝の上で運んだなんてこともありましたよ(苦笑)

 


フランス紀行[11]  アヴィニョン⑪ 教皇宮殿2

2013年10月20日 16時27分20秒 | フランス紀行2013

宮殿の内部です。教皇庁があったというので期待して行きましたが、ありゃ、
殆どがらんどうに近い状態。
一番興味を惹いたのがこのゴーガイルという有り様。

壁画もこんな風に荒れ放題。
というのも、フランスの歴史の中でフランス革命はまさに嵐であったようです。この宮殿は
フランスの殆どの教会がそうであったように、旧政府の監獄として使われ、その前は暴徒
により略奪の限りを尽くされたようです。

文化財にとって革命というのは余りに悲しい結果となるのが定めのようです。それに引き換え
日本の明治維新、今様に言えば革命でありますが、無血開城という選択をした徳川幕府、
幕閣の英断はもっと歴史的に評価されても良いように思えます。

これは多分食堂かなぁ。教会建築なので舞踏場とは思えませんので(笑)

ステンドグラスも意外と質素で。ちょっとびっくり。まぁ、信徒を相手にしている空間では
ないので、これで十分と言えば十分です。

宮殿の中庭。丘の斜面を利用して作られている宮殿ですので、ここが何階に相当
するのか、ちょっと判断がつきませんが。

ゴルゴダの丘を登る前のキリスト像のレリーフ。着衣姿というのも珍しいかも。

恐らくは歴代の教皇の彫刻と遺体を飾った棺に置かれた彫刻と思われます。
かなり価値がありそうな絵画等もありましたが、何故か撮影禁止。そうなると
見る気もなくして。何が置いてあったか全然覚えておりません(苦笑)

世界遺産といっても、ちょっとがくっと来た宮殿でありました・・・

 

ー続くー


東京探訪記:銀座四丁目

2013年10月20日 08時03分51秒 | 東京探訪記

この日は平日であり、ちょっと寒さを感じる日でありましたが、相変わらず銀座の
ここは大勢の人が。外国人の方が随分と目立つようになりました。お隣の紅い
お国の嬌声は余り聞こえませんでしたが、寧ろ欧米系の方たちが多いように
感じました。
これも円安効果でしょうか。

恒例の定点観測。銀座和光さんのショーウインドー。今回は二面あるショーウインドーの
一面だけの飾り付けでちょっと寂しい感じもします。また主役のマネキンさんもモノクロと
いうので渋さを先に感じでしまうのかも知れません。

こちらはミキモト本店のディスプレイ。この紫の花びらのようなデザイン。複雑な文様と
色合いがボク好みであります。地色の反転する変化がとても面白いです。

最近とんと口にしなくなったこの食材(ていうか昔からかな 苦笑)
この銀座4丁目の老舗さんでありますが、うなぎが取れなくなってちょっと心配。

お品書きを見たら昔とそれほど変わっていないので一安心。こちらのはとても上品な味わい
の柔らかい美味しいうなぎを食べさせてくれます。それと絶品は鮪と鯛のふたつの茶漬け。
以前は旧丸ビルと京橋にも大きなお店があって、ランチで随分とこの茶漬けにはお世話に
なりました。

 


フランス紀行[10]  アヴィニョン⑩ 教皇宮殿1

2013年10月19日 16時33分44秒 | フランス紀行2013

アヴィニョン橋から城塞の門を再び潜って中に入ります。

だらだら坂を登って行くと、まるで城と思えるような特徴ある巨大なゴチック建築物が
目の前に。

 

入り口には可愛い小学生たちが。

この建物、1335年からおよそ30年の歳月をかけて建築されたもの。中世ゴチック建築として
ヨーロッパ最大の規模を持つものであります。ただ、これを教皇の宮殿としてみると余りに
ものものしく、キリスト教の教皇庁として捉えるにはちょっと違和感があります。

但し、前にも書きましたがこれもフランスのルイ8世のローマカソリックへの武力干渉による
ローマ分裂という長い混乱期を考えると現代人に分からぬ複雑な事情があったんでしょうね。

 

ー続くー


東京探訪記:銀座の老人パワー

2013年10月19日 08時13分15秒 | 東京探訪記

久々に銀座に出てきたらこんなシーンに出くわしました。

デモです。延々と。恐らく数千人くらいはいたかしら。
でも、デモってる人たちはボクよりもっとシニアな方たち。こんなことって珍しい。

シュプレヒコールは「年金減額反対!」でありました。

来年度からの消費税上げと年金減額のダブルパンチでボクも不安なところではありますが。
でも、今回の減額って過去のデフレ下でも法律のインフレ・デフレ条項を適用しないで過払いして
いたものを元に戻すという趣旨だと理解しているんですが(そうじゃないのかなぁ・・・)

よって、この先インフレになったら又増額になるスキームだから、単に反対という性質のもの
ではないと思うのですが。

以前、今年の春頃であったか、円安が急激に進んで燃料費が嵩んで漁に出られないとスト
を打った漁民の方たちが話題になりました。今ドル・円レートは随分落ち着いてきていて、
そんな話も聞かなくなりましたが、あの時もし補償していたら、今の状態になったら返金する
気持ちがあってデモンストレーションをやっていたのかしら。そんなわけないですよね。
一度貰ったら返すなんてボクでもしない(笑)ありゃ、かなりの暴論に近いとボクは思って
ましたが。

なんだかとても短絡的な行動にも思えたりするんですけど。年金の実質手取りについて
は現在の受給者と若年層との格差問題がかまびすしい昨今、主張もいいけど自分たちだけ
がよければというのは、ちょっとねぇ。現在の政府の方針はインフレ誘導策。順調にインフレ
になったら、この人達どうするんだろう。年金増額反対とやるんだろうか。それとも得意の
老人力で知らぬ顔するのかな(笑)

何れにしても、別の意味で普段おとなしい(?)シニア層がこうして声を上げて行動している
現実。今後日本のあり方も今までと違う局面に入るのかと感じたりもして。

 


フランス紀行[9]  アヴィニョン⑨ アヴィニョン橋3

2013年10月18日 16時25分51秒 | フランス紀行2013

アヴィニョン橋を見学すると城塞の上を歩けるようになっています。

そこから眺めるアヴィニョン橋。しかし、この高さをも超える洪水というのは
俄には信じがたい気もしますが、現実に22本あったアーチの18本が過去に
流されているわけで如何に水の、自然の力が恐ろしいかがよく分かります。

土産物屋の壁に描かれた橋で踊る子どもたちの絵。そうそう、あの歌を歌っていた頃
確かにこんな絵が楽譜に描かれておりましたっけ。

こちらが人気の土産物なんだそうですが・・・ちょっとキモい(笑)

実はアヴィニョンのシンボルはセミでありました。まぁ、ちょっと珍しいかも。
奥様が記念に買っていこうかというのを制止して。だって余り可愛くないんだもの(笑)

再び橋の先端まで行って橋ともお別れを告げて。

 

ー続くー


フランス紀行[8]  アヴィニョン⑧ アヴィニョン橋2

2013年10月18日 08時11分19秒 | フランス紀行2013

跳ね橋の手前の資料館にこんな写真が。はは、子供が踊ってますよ、輪になって。
この橋、巾がたったの4Mしかなくて、こういう小さな子供が踊るしかなさそうです。
最初の橋は1177年から1185年に建設。その後、まずはフランスのルイ8世の攻撃で
三分の二が破壊され、その直後住民の手で再建されるも維持補修が出来ず、度重なる
ローヌ川の洪水で破壊され、全部で22あったアーチは四つしか残っておらず、現在
に至るであります。

しかし、この写真合成だと思うのですが、かつての雰囲気がよく出ています(写真が
開発されたのが1824年ですから、子供達の写真はそれ以降になります)

こちらは往時の姿。これもイラストでありましょう。完成時の長さは920mもあったそうです。
当時からすると世界一の長大橋と言えるのかもです。

それにしても世界中に知られた「アヴィニョン橋の上」というシャンソン。何故これほど
までに人気があったのかとても不思議。実はボク自身は高校時代にフランス語が必修で、
最初に覚えたシャンソンがこの歌。それ以来、ここに来ることが憧れでありました。
よっぽど広い橋で、大勢の農民が輪になって踊ったのかと思いましたら。あはは、
実際にここに立ち、ちょっとがくっと来たりして(苦笑)

先端に見える小屋のようなものが、「サン・ベネゼ」を祀った教会で、これが唯一のオリジナル。
丁度現存する今の橋の中間くらいにあります。創建当時の橋の天端の位置はもっと下で、
このチャペルももっと立派に見えていたことでしょう。洪水の関係で橋の高さも随分嵩上げ
されたようです。

因みに聖ベネゼは当地の羊飼いで、この橋を作ったという伝説の人。

ボク等のような旅人が見る限り大変穏やかなローヌ川です。最近の日本の気候でよく理解
出来るのですが、これだけの大河、一度氾濫した時の恐怖って想像を絶するものなんで
しょうね。

サン・ベネゼのチャペルの屋根です。チャペルというか祠というイメージです。

チャペルの中には一体のマリア像だけが寂しく置かれて。正面の祭壇には恐らく
キリスト像があったんでしょうね。

聖ベネゼにまつわる聖遺物は他に移されているそうです。

 

ー続くー

 


フランス紀行[7]  アヴィニョン⑦ アヴィニョン橋1

2013年10月17日 16時39分23秒 | フランス紀行2013

あのシャンソンで歌われたアヴィニョン橋。そこに行くには一度城塞の外に出て。

世界遺産ともなるとこういうところまで補修をしないといけないのです。維持も大変
ですねぇ。

城壁の上部にはこんなハングオーバーのカタチになっていました。アビニョンといえば
あの結束を誇ったローマ・カソリックが分裂を繰り返した時、1309-1377年の間
教皇庁が当地に移され、バチカンとともにキリスト教の聖地として繁栄した時代があり
ました。

その発端は1303年に当時の教皇がフランスのフィリップ四世に襲われ、それ以降
ローマはフランスの干渉に右往左往することになり、バチカンと当地で教皇庁が並立
となりました。それ故、この教皇庁もかくも厳重な城塞都市とする必要があった訳です。

そして当時のこの地はなんとナポリ王国のアンジュー・シチリア家の所有地でありました。
奇しくも今回の旅はシチリアの旅の延長となりました。

アヴィニョン橋と言われるサン・ベネゼ橋が見えてきました。

はい、ここが入り口。

城塞と橋は跳ね橋で繋がって。

資料館にはこんな木杭が。東京の旧丸ビルの建設には数千本の松杭が使われていました。
あれの解体工事はかなりの困難を極めたと。下手に掘ると杭が折れて取り出せなくなって
しまうということで、確か基礎解体工事だけで二年くらいかかったんじゃないかしら。

 

ー続くー

 


フランス紀行[6]  アヴィニョン⑥ 朝のアヴィニョン

2013年10月17日 08時28分25秒 | フランス紀行2013

旧市街地の朝。南仏らしい太陽の光が注いで、とても清々しい朝です。

朝の8時頃。まだ道行く人もまばら。

 

 

一番大きなパン屋さん。まぁ、沢山の種類のパンやらサンドイッチ、そしてジェラートの
数々。一体何種類あるんでしょう。これ選ぶのも大変。

恐らくフランスのパンは世界で一番うまいんじゃないかとボクは思っていますが、何故
なんでしょう。小麦がいいのかなぁ。あの代表的なフランスパンなんて、かなりでっかい
バケットでも一本軽く食べられちゃう。それで、腹にもたれるということがありません。

お店はまだ開いていませんが、結構有名なブランド店が並んでいます。

この巨木の並木がいいですね。向こうからくる人、一瞬マツコ・デラックスじゃないかと
(爆)

 

ー続くー


フランス紀行[5]  アヴィニョン⑤ モロッコ料理を食す

2013年10月16日 16時28分50秒 | フランス紀行2013

この日の夜はこんな店を見つけてしまって。モロッコ料理店です。
フランス、スペインは結構アラブ料理店がどこでもある感じ。特にフランスのアラブ料理
は流石に食のお国だけあって洗練されたお店が多いというのが過去の経験値。 

 

壁には絨毯とかジャンビア(刀)とかモロッコの伝統工芸品が

この店主に寄れば壁に掛けられた絵はじいちゃんの当時の姿であるそうな。その昔、7世紀から
14世紀までフランス・イタリア・スペインを支配したアラブ人の末裔でありました。

店内は極度に照明を落として。デジカメでないと多分写せない(店内でフラッシュはやはり
不味いですよね)
海外の中華料理店なんかホント、暗闇で食事という感じの店が多いのですけど(笑)慣れないと
最初店に入るのも勇気が要ります。

これ調味料入れ。タジン鍋みたいなカタチをしてます。可愛いでしょう。絵柄もいいですね。

モロッコ料理の代表、「クスクス」。アフリカ大陸の西海岸のサハラ砂漠の上の国々で最も
ポピュラーな食事です。実はモロッコはフランスの植民地でありましたが、フランス人が
現地の主食であったとうもろこしの粉を使って仕上げたパスタなんです。異文化が交流して
出来た傑作だとボクは思ってます。

アフリカ大陸の東海岸ではこの習慣は根付かず、現在でもとうもろこしの粉を水で練った
ウガリ」と呼ばれるものが常食です。この理由は、東海岸は遊牧民が多く、クスクスの様に
熱を加えて加工するための燃料(薪)が不足していたからだとボクは思っていますが。
ウガリはケニアにいた時何回か食べてますが、うどん粉を水で練っただけのもの想像して戴ければ
理解できると思いますが、ボクにはとても食べられません。喉を通らないんです(苦笑)

その点、このクスクスは小さな粒がぷちんぷちんと口の中ではぜて、その食感がとても
嬉しいのです。

それにしてもこのクスクスの量の多いこと。丼メシ四杯分くらいはありました。いくら食べても
まだ残ってる(爆)

こうしてクスクスを皿にとって、このラム肉の煮付けを上にかけて食べます。流石、
フランス料理、味付けがさいこ~~。こちらの料理はアンズで煮込んでおりましたが、
アラブの果物デーツとかナッツとか松の実とかの色々な隠し味を使って、複雑系の
微妙な味わいでありました。

久々に美味しいクスクスを戴きました。え~と、因みに旧フランス領であった国々では
美味しいクスクスが食べられますよ。ベトナムのクスクスも押しなべて美味しい料理屋
が多かったです。フォーといううまい麺に飽きたら是非探してみて下さい。

そうそう、フランスではラム肉は高級料理の部類に入ります。純粋フランス料理も
いいのですけど、是非色々な国の料理を一回は楽しんでみて下さい。 中華、ベトナム
料理も厳しいフランス人の舌と目で鍛えられて、本場とは又違った味で、一層上品に
パワーアップしたものが食べられます。

 

ー続くー