(写真と本文は全く関係ありません)
カソリック調布教会の記事で「火葬」の事を書きましたが、その連想で
「すき焼き」と「ビール」が出てきちゃいました。一体どこがどう結びつくのか
とお叱りを受けそうですが、これを見事に事業として成功させた男がいる
んですね。
明治の大実業家、木村荘平(1841-1906年)。
山城国(現京都府)の生まれ。子供のころは悪童で7歳の時、寺子屋に
3年も預けられるも寺子屋を出る時でも自分の名前さえ書けなかったと
いう落第生。
これが明治維新に東京警視庁大警視の川路利良の招聘で官営屠場の
払い下げを受けてから事業を拡大。明治政府が奨励した牛肉を使い
牛鍋店を明治11年に開店。これが「いろは一号店」。その後次々と店を
開拓し20数店にのぼるチェーン店にします。現代では吉野家を始め
マックとかケンタがチェーン店、フランチャイズ店のビジネス・モデルと
して有名ですが、食肉の確保と言う川上から川下まで一気通巻の
ビジネス・モデルをこの明治初期に造り上げた商才はケタはずれと言える
でしょう。更に言えば、このチェーン店の店長は皆彼の妻妾であったという
のも凄い。それを揶揄して彼に世間がつけた渾名が「いろは大王」。
この大王の次の事業が火葬場。今も残る東京博善社を創立。まさかユッケ
を出して食中毒を起こしてということではないようですが(笑)
当時まだ火葬の習慣が根付いていない時代で、人体の70%が水
という問題多い焼却は結構大変なことであったようです。当時日本の
技術では完全な焼却は出来ず、ドイツから最新鋭の焼却装置を導入
するなぞ、そういう知識も彼には備わっていたようです。でも、最初は
時代背景もあり、第一号のお客を獲得するのに相当苦労したようです。
そして彼が次に作ったのが、ボク等がまだお世話になっている日本麦酒
醸造会社(いまのエビスビール)。これは牛鍋との関連があるので理解
出来ますが(笑)然し、それにしても牛鍋・火葬場・ビールとかなり難しい
種目で次々と成功を収めた木村荘平には底知れぬ才能を感じてしまい
ます。あ、それから彼の底なしの精力に羨望も(爆)
因みに20店舗以上も店を持つ=妻妾を持つという精力家、子供も沢山
いますが、大半が文化人として活躍しています。寺子屋で自分の名前も
書けない男の子供としては出色の出来と言えましょう。長女と四男は作家、
六男は奇術師、八男荘八は画家、十男荘十は直木賞作家、荘十二は
映画監督として有名です。
尚、「くノ一忍法帳」等の忍法帳シリーズで有名な山田風太郎さんが
明治のこの時代を活写した作品を多数書いておりますが、その中で
「いろは大王」の物語がおさめられています。明治を歴史小説で描いた
作家は風太郎を嚆矢とするとボクは思っていますが、彼の明治もの
は素晴らしいです。読書の秋、是非一冊を。
■「明治バベルの塔」ちくま文庫
(山田風太郎 明治小説全集12)
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