Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

東京探訪記:新橋駅前 汐留再開発地区①

2012年09月28日 08時26分19秒 | 国内旅行記

新橋駅構内から再開発が済んだ汐留方向を。
いまから思うと随分と長い時間を掛けた再開発でした。確か広大な敷地に
遺跡が存在したのが遅れた理由であったと記憶してますけど、あの遺跡は
どこに保存されているんだろう・・・

再開発されたあとを眺めてみると汐留って凄い面積があった車庫だったんですね。
再開発前はJRの車両の車庫でありました。そんな記憶もかなり薄れてきています。

駅前に聳えるのは日本TV本社ビル。むき出しになった柱と梁に特徴があります。
画面下に見えるのはモノレール「ゆりかもめ」の軌道です。
日テレの後ろの茶色の壁面の建物は資生堂本社ビル。

右から日テレ、資生堂、大きく写っているのが汐留シティ・センター。三井不動産とシンガポール
政府の投資会社の系列が保有しています。

このたおやかな曲線を描く外壁が素敵です。このくらいのカーブだと内部にいても
殆ど気がつかないかも。シティ・センタービルのファサード。

設計はアメリカの建築家ケビン・ローシュ。ガラスを多用したユニークな設計で知られて
います。

 

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東京探訪記:渋谷から原宿へ⑨ 竹下通り

2012年09月26日 08時03分15秒 | 国内旅行記

お馴染みの「竹下通り」です。日曜日の午後とあって、相変わらずの込みよう。
夏休みが終わったせいでしょうか、若干平均年齢が高いのが気に入りませんが。
もっともボク一人でかなりそれを上げてしまっているという噂も(苦笑)



なんと言ってもこの安さ。処分セールは毎日の通年でございまする。

でも、昔に比べると奇抜なファッションでこの通りを闊歩していた小学生ってほんと
少なくなったような。日本の若い女子たちの尖がり度合いが多少丸くなってきたの
かしら・・・

二階はいわゆるコスプレファッションの専門店。結構この二階に吸い込まれていく美少女たちが。

画面中央の一番奥の白い建物がJR原宿駅の改札口。改札から明治通りを超えると
こんな人、人、ひとの山です。

最近は本当に外国人観光客が増えました。ヨーロッパでの日本のコスプレ文化は超人気。
みんなTVのアニメから入って嵌っていくんだとか。
ボクはかなり感心するのですけど、日本語が達者な人が多い。こういう人たちの共通点は
日本語の勉強をそのアニメでやっていること。はっきり言ってあの遼君のスピードなんちゃら
よりよっぽど効果があるんじゃないだろうか(笑)

たかがアニメと侮る勿れ。立派に外務省より外交効果を上げているんじゃないかしら。
そう言えば、お隣のキムチ大国では日本アニメはまだ解禁になってないのかな。紅い国では
日本アニメはかなり流されているようですけど、例によって自国オリジナルとか言って紹介して
いる節がある。こんなところが、ああいう国民の不可解な行動に繋がるのかなぁ・・・

JR原宿駅前から見た竹下通りです。ちょうど急坂を下りる格好なので、人の込みよう
が良く分かります。

入り口のゲートを潜った左側のビルはなんとAKB48のビルだそうで。ついに竹下通りにも
進出ですか。自分の領分をわきまえてね、秋元さん(苦笑)AKBは秋葉原で頑張って!
ホント欲が深いんだから(笑)
かくして竹下通りもその独自の発信力をなくしていくんでしょうね・・・ 

 (このシリーズ おしまい)

 

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木曽路⑩ 「妻籠宿」(5)

2012年09月04日 16時25分46秒 | 国内旅行記

駐車場に戻る途次の街道の点描です。
暑い日差しの中、張り出した軒下で涼をとる人の数のほうが圧倒的に多いように
見えましたが。

無料のお休み処が設けられ、その中から街道を行く人を。歩いている時は気づきません
でしたが、こうして見てみるとなだらかな傾斜が確認できます。

家の格子には色々なものが挿されていて、いいアクセントになってます。

 

短い時間の散策でしたが、結構堪能できました。
この後、車で家路についたのですけど、帰りの高速が渋滞。えらい目にあいました。

その後数日体調が思わしくなく、てっきり車の運転疲れかと思っていたのですけど。
よく考えてみたら、車の移動で使ったクーラーによる所謂冷房病だったのかも。
日ごろ家ではクーラーをつけないようにしているものが、車だと何の気兼ねもなく
設定温度も25度くらいで、往復10時間以上も過ごしていましたので。

さて、駆け足のご紹介の木曽路でありました。これからも何回かここへは来ることに
なると思います。次回はもう少し穴場を探してみましょう。

 

(このシリーズおしまい) 

 

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木曽路⑨ 「妻籠宿」(4)

2012年09月02日 08時22分53秒 | 国内旅行記

この妻籠宿を歩いた時は8月の中旬。暑い盛りでありました。百日紅がところどころで
顔を出してくれて。今頃はきっと朝晩の気温も随分と下がったことでしょう。

日よけ代わりのつる性植物が軒先をはっていました。

でっかい糸瓜がぶらんと。こういう姿も今では懐かしいものになりました。
我が家でもこれから取った「へちま水」なんてぇのをお袋が手に受けて顔に
パンパンやってたのを思い出します。自家製美容液。一時東京でも流行った
なんて今じゃ誰も信じてくれないでしょうね(笑)

そうそう、この種を取って天日で乾かして。今では化成品のスポンジですが、
へちまで身体をゴシゴシっていうのも若い人は信じられないでしょうね。

街道の両脇には水路が。宿場の外れのほうに小さな水車が。馬籠と違い、勾配が
ゆるいせいか、その動きは緩慢でした。

こちらが宿場の外れ。小川の向こうに江戸時代の番所の跡が。こんなところにも
中山道の宿場がある種の砦機能を持っていたことが窺われます。

百日紅の大木。うまく選定するとこんな花だらけの木に育つんだと
感心して見ておりました。

宿場見学のそぞろ歩きは概ね30分ほど。東京への帰途でありましたし、暑さにめげて
町筋をなぞったカッコウです。ここできびすを返して、今来た道を戻ります。 

 

 

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木曽路⑧ 「妻籠宿」(3) 本陣と脇本陣

2012年08月29日 16時49分30秒 | 国内旅行記

妻籠宿のほぼ中央にこの本陣があります。本陣とは天皇勅使・公家・大名・幕府の公用
で旅する役人のみが原則泊まれる最高級旅館という位置づけ。

同じ大名でも、格付けによって泊まれる宿場の本陣が決められていたようです。ここ
妻籠の本陣で定められた大名家の名前は残念ながら手元に資料がないのでボクには
わかりません。

いずれにせよ、年に数回しか大名行列なんてない時代、この旅館の経営は大変で
あっただろうと想像に難くありません。馬籠で島崎藤村の家が本陣を経営していた
ことは既に述べましたが、格式以上に相当な資産家であったことが偲ばれます。

本陣の少し先に石造りの門柱跡が見えますが、これは脇本陣の入り口。

脇本陣の門のひとつ。正門ではありませんが、なかなか立派な門です。

入り口アプローチ脇にはこんな井戸が。恐らく足軽さんやらお馬さんが使った
ものでしょうか。大きな井戸でありました。

脇本陣とは本陣で大名がかぶった時に使用される準高級旅館。面白いのは後から来た大名の
格式が高かった場合、先に泊まっていた大名はわざわざ宿替えをしてこちらにこなければ
行けないルールであったこと。大名行列ともなれば数百人規模の人数を従えての行動です
ので、宿替えなぞしたら大変な騒ぎでありましたでしょう。

因みに脇本陣もいっぱいになっていたらどうするか?これはお寺で代用したそうです。
前回アップした枡形の坂道の上のお寺が恐らくその役割をしていたと思われます。
なるほどと思わせる立派な造りでありました。

なお、この脇本陣。1877年の建築で、それまでご禁制であった総桧造りの建物で
あります。国の重要文化財に指定されています。え~と、この日ボクは暑さで脳みそ
がぐにゅぐにゅで、面倒くさくなって中の拝観は割愛させて頂きました(苦笑)

 

 

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木曽路⑦ 「妻籠宿」(2)

2012年08月28日 16時34分40秒 | 国内旅行記

妻籠は馬籠に比べると坂が少ないとはいっても、やはりそこは飛騨路。ところどころに
階段があって。

男性がカメラを向けている家屋はこの建物群の中でもちょっと変わっています。

高いところから屋根を写すとこんな風。欧米の北のほうによく見られる木片の所謂シングル葺き。
かなり古い家屋を近隣から引き屋して保存していると案内板に書かれていました。押さえの小石
が印象的ですけど、これ最近の台風が直撃するともたないでしょうね。

こちらは坂道と階段がセットになっています。人が沢山歩いている先は大きくほぼ
直角に折り曲がっています。ボクの勝手な想像ですが、もともとは全体が坂で、階段
は観光用に後の時代に作られたんじゃないだろうか。
帰ってからパンフレットを見ましたら、これも曲郭の一種、「枡形」と言われるもので
あろうと記載されていました。江戸時代の参勤交代時の陣屋のある宿場はある種の
砦機能も持っていたことが分かります。

その「枡形」の直角に折れた坂道。坂の上の大きな建物はお寺になっていました。

「さしもの屋」ですって。懐かしい言葉です。現在で言えば家具屋と経師屋さんを一緒に
したようなお店。経師っていうのももう古語かしら。襖や障子を貼る家業ですが、掛け軸
等の書画を貼ることも。

さしものは「指物」ですけど、昔武士が背中に旗を背負っていましたが、あれも「指物」。

妻籠の建物にも「うだつ」が見えます。暑い日でしたので街道を歩く人より日差しを
よけて佇む人のほうが多いです。

大きなお店、格子戸の桟のメッシュってそれぞれまばらなようで、統一された寸法では
ないようです。高山周辺の格子戸はほぼどの家でも一緒ですけど、地域性があって
面白いですね。

 

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木曽路⑥ 「妻籠宿」(1)

2012年08月26日 08時50分08秒 | 国内旅行記

馬籠で愚息と先様のご家族と別れてボク等夫婦は帰り道ということもあり妻籠(つまご)
で車を止めて。馬籠宿とはまた違った風情の宿場町です。

馬籠と違いこちらは平坦な街道沿いに。この画面の左側に川が流れています。丁度
川に沿った形でこの街道が作られています。馬込が山の馬の背に作られているのと違い、
道幅もかなり広く感じます。

更に言えば、町並みを形成する家々も馬籠に比べると古いように思えました。

藍染めのお店でしょうか。ジーンズにシャツ(いずれも藍染めのようです)姿のイナセな
お兄さんが一生懸命商品の説明をしていました。

 

この町は格子戸に特徴があるようです。

 

(続く)

 

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木曽路⑤ 「馬籠宿」(5)

2012年08月22日 17時02分58秒 | 国内旅行記

馬籠宿の坂道の合間で。両脇は深い谷。この中山道は山の背にあるような。

ここが宿場の終点。一番高いところです。
最近は中山道を歩く人が殆どいなくなったと愚息の義理の父上が嘆いておりました。
因みに彼は山男。中央・南・北アルプスは殆ど登りつくしたらしい。いざとなったら
ボクをしょって中山道を歩いてくれるかしら(笑)

てな訳で、近頃の馬籠宿巡りはこの地点でバスを降りて、そのまま下り道を散策。
麓にたどり着くとそこにはバスが待っているという寸法。きゃは、これでは全くの
一方通行。土産物屋さんもとてもやっていけないんじゃないかしら。
ボクのように早朝から坂を上ったり下りたりなんて観光客はホントに少なくなった
ようです。まぁ、ボクも写真撮影のことがあるので、行ったり来たりしているような
もので、カメラを持たねばそのままかも知れません。

この道はどんどん山の上(撮影している後方)に続いており、歩き続けると木曽路の
もうひとつの宿場町「妻籠(つまご)」に続きます。このブログをご覧の方で、昔この
道を辿って両方の宿場町を散策した方が結構いらっしゃったのにはちょっと驚き
でした。確か8KMの山道であったか。

ボクが一番上の写真を撮影した横にはこんな高札が。昔の幕府の告知板ですね。
こういう高札って、文章を読んでみると当時の庶民の生活がわかってとても興味
深いものがあります。

その中の一枚。キリシタン禁制に係わるお触書が。なんと密告の奨励文です。バテレン
を訴えれば銀500枚ですって。今の貨幣価値でどのくらいになるのかしら。かなりの
一財産じゃないかしら。

妻籠に向かう中山道です。この辺りに記念碑があり、大きな広場がありました。「陣場」という
名称がつけられています。

ことの言われは1547年(天文16年)に伊那軍が馬籠城攻めの際にここに陣を敷いた、また
家康軍が小牧・長久手の戦の際にここで陣を敷いたことに由来するそうです。現在は展望台
として整備され、藤村の父、正樹さんの歌碑が設置されたりしています。

この展望台から見た南アルプス。中央が恵那山。2191Mの高峰で、父上の話では岐阜から博多まで
この山を越す高さの山はないそうです。尚曰く、登山家の彼でもこの山には登ったことがないんだと。
何故なら、山頂まで樹林帯が続いて全然景色が展望できないんだそうです(苦笑)

来る時は中央高速道路でこの山の中を文字通り通ってきました。恵那山トンネル。1975年開通当時
は日本一長いトンネルでありました。いやぁ、いくら走っても出口に全然たどり着かない(笑)そのまま
出られないんじゃないかと心配しましたよ(爆)

なんと長さが約8.5kmもありました(上下線で100M弱長さが違います)。

さて馬籠宿はこれでサヨナラ。今回の帰り道は妻籠宿に立ち寄りました。また別途そちらを
ご案内しますね。

 

 

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木曽路③ 「馬籠宿」(3)

2012年08月20日 16時18分35秒 | 国内旅行記

坂道が続きます。観光客の中には途中で登るのをやめて引き返す人も多いとか。
ここでふと思ったのは、これは単なる宿場町の様態じゃないということ。
確かに南アルプスの端っこの方で、木曽路は山の中というのは分かりますが、
長道中でやっと宿が見えたと思ったら、この坂道で宿を選ぶというのは心理的に
ちょっと(苦笑)
如何に健脚の昔の人たちも、この坂道を見てガクッと来たんじゃないでしょうか。

理由として考えられるのは参勤交代も始まった頃、世情もまだ安定していない時期、
ある種の砦的要素、軍事的目的も兼ねてこの町並みが作られていたのではないの
かしら。

そういう見方をすると、上の写真の坂道は右に大きくほぼ直角に曲がっています。
城造りでよく見られる曲郭と同じ発想で作られていると見てもよさそうです。 

朝7時を少し回った頃。早起きの観光客がぼちぼちと散歩をする姿が。結構外人さんの姿が
多いのにびっくり。

路の両側にはこんな水路が。急斜面だけあってごうごうと音を立てて流れていました。
昨夜はこの街道筋の一軒に泊めてもらっていたのですが、早く目覚めたのはこの水音
のせい。てっきり激しい雨音かと思ったくらい(苦笑)

考えてみれば木曽路はヒノキの産地。ある程度の保水がないと育たぬ種類ですので、
当地の水はかなり豊富なんでしょうね。泊まった家の前には、江戸時代からの井戸が
ありました。こんな急斜面に井戸が掘れるとは。江戸時代ですので、深井戸でも10m
か15m程度。かなり豊富な水量を持つ水脈があると睨みました。

横道からの撮影。用水桶が懐かしい。

急勾配に建てられた建物。アプローチのためにこんな石垣が。 

これまた何の花でしょう?土地が変わるとやはり草花もちょっと違って見えます。
しべが随分と長いなぁ・・・

 

 

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木曽路② 「馬籠宿」(2)

2012年08月19日 16時27分05秒 | 国内旅行記

馬籠宿の街道筋の家の壁に這っていた朝顔。飛騨高山の辺りもこの時期朝顔が
きれいです。夏の木曽路の早朝もこのブルーの花のように爽やか。

馬籠屋宿の入り口辺り。旧中山道といってもこんなに細い山道。ちょっとびっくりです。
結構急な坂道に沿って約1km弱、こんな建物が続きます。

残念ながらこの昭和の初期に古い建物は火災で焼失。その後建て替えられたもの
ばかりですが、質素な建物にあの島崎藤村の夜明け前の小説を喚起させるには
十分なものがあります。

これはなんの花でしょう?東京ではお目にかかったことがないような・・・

坂道の鳥羽口に置かれた石仏たち。苔むして往時の姿が偲ばれます。

 

結構な急坂でしょう。坂の両側には水路があって、ごうごうと水が流れています。
水量はかなり豊富なように見受けられました。

 

 

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木曽路① 「馬籠宿」(1)

2012年08月18日 16時35分32秒 | 国内旅行記

愚息の婚約者のご親戚にご挨拶し、大歓待を受けた翌日の早朝、木曽路は馬籠宿を
散策。

馬籠宿の入り口の道標の上にツバメが。まさに旅ツバメよろしく、石畳の続く宿場道を
のんびり散策となりました。

この坂が旧中山道。坂道を下ると馬籠城が。もっとも現在ではその痕跡は全くありません。
あの皇女和宮が徳川家に降嫁したときもこの道を通ったんでしょうね。本来なら東海道を
下がるべきであったのが、幕末の世情も険しい時代、警備上の問題もこれ在りで、中山道
を通らねばならなかったと。

この道をどんどん突き進むと京都です。

馬籠といえば思い浮かべるのが明治の文豪、島崎藤村。あの名作「夜明け前」の舞台で
藤村の実家は馬籠宿の本陣や庄屋を務めた名家の出自。明治14年に上京し、あの銀座
の泰明小学校に通ったことは有名。
島崎家の先祖は三浦半島の津久井家といいますから、その縁で晩年は湘南大磯で過ごした
のでしょうか。

こちらは島崎家の菩提寺、永昌寺。島崎家の先祖による1558年の創建。山号は西沢山。

 

島崎家の墓は二つあり。右側の新しい墓地に藤村の遺骨が納められていました。藤村の菩提寺は
大磯の地福寺に収められ、当寺には分骨であるそうな。

 

永昌寺山門前の地蔵群です。

木々の間から遠くに見える民家の辺りが旧馬籠城の在ったのではと思いますが、
今はその面影はありません。

 

(続く)

 

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下呂温泉の朝

2012年03月07日 08時23分15秒 | 国内旅行記

 一夜明けて早朝4時に目を覚まし、温泉をはしごして部屋に戻って。三箇所も
温泉に浸かって出てくると暑くて堪りません。で、窓を開けたら。

ありゃらんらん、外の景色が昨日と違っている!昨日は雲ひとつない快晴であり
ましたが。夜も晴れていて花火を見たのに(↓)

明け方の6時少し前の景色です。まだ暗く車がヘッドライトをつけて通り過ぎます。

やはり山間の天気は移り変わりが激しいです。対岸の家々も薄化粧。これはこれで
冬の温泉地という情感がまた増していいものです。

お庭の木々もまるで砂糖を軽くまぶしたよう。
朝食を済ませた頃には雪は止んでいましたが、その間、東京では見たことの
ない、細かい、まさに「細雪(ささめゆき)」が降りてはまた舞って上に登るのを
暫し感嘆の目で見ていました。

昔グライダーをやっていた奥様曰く、川沿いにはよく上昇気流が発生するんだ
そうです。それをうまく見つけるのが大変なんだと。

二人で「雪が舞うってこういう情景なんだ」と合点しあった次第です。
行事の為にこちらに参りましたが、お風呂は勿論、食事、花火、そしてこの細雪
と盛りだくさんの一泊旅行でありました。

 

 

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冬の花火 下呂温泉の夜

2012年03月06日 16時47分34秒 | 国内旅行記

先月行った下呂温泉の続きです。肝心のフィナーレをアップするのを忘れており
ました(汗)

美味しい食事を了えて、先様のお父さんが早く部屋に行こうと。何でも愚息と
フィアンセの為に花火を用意したんだと(ウソです。季節限定でこの温泉郷で毎年
やっているものです。 笑)

ボクは〆のご飯のお代わりををもう一杯戴きたかったのを我慢して、早々に皆で
部屋に戻って。9階のバルコニーに陣取ります。

 

上流側の町並み。この左下の黒い部分に仕掛けが設えられています。
そして待つこと数分。勢い良いあの心地よい腹の底に響くど~~~んという音が。

   

  

流石にホテル、旅館が密集しているところですので尺玉のような大きな花火は
なかったものの、眼前で打ち上げられる花火はそれなりの迫力がありました。
久々に冬の透明な夜空で打ち上げられた花火を見ることができました。

この場所を選ばれた先様の父上に感謝感謝。

花火を見終わって、即今度は温泉に浸かりに。何とでっかい浴場が三箇所もあって!
あはは、勿論ハシゴをしましたよ。当地の温泉はアルカリ泉。肌に柔らかいお湯で、
なんやら入っていると肌がつるつる、すべすべで。三箇所も入ればボクでもあのNHK
大河ドラマで活躍した長崎出身の歌手さんのように「茹で卵」のような顔になれたんじゃ
ないかしら(当社比 爆)
流石、日本三大名湯といわれるだけのことはあります。

お蔭様で風呂から帰って夫婦で爆睡。何と翌日4時に目を覚まし。あはは、又温泉の
ハシゴをしてしまった(笑)

 

 

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結納の儀③

2012年02月24日 16時53分57秒 | 国内旅行記

無事結納を終えて、女性陣は着物を着替えて別室で食事と相成りました。
宿の女将からの挨拶状が置かれて。

先様の親御さんの配慮で、特別メニュー、ご婚約バージョンのごちそうが次
から次へと。こちらのホテルは結婚式場も備えているらしく、料理の器もそれなり
の工夫があって楽しいものでした。右上の小鉢は鶴と亀をあしらったもの。中は
確かコブシメと子持ち昆布が入ってました。やはりこういう席に「よろこんぶ(喜ぶ)」
は定番なんですねぇ。

お酒も入ってお互い緊張もほぐれ、おやじ同士のダジャレの掛け合いが始まったり
して、お蔭様で和気藹々と楽しい会話ができました。

式終了後の二人でございまする。びっくりしたのが、いつもパンツ姿しか見たことの
ない彼女。いままで何回か友達の結婚式に参加した時は必ず着物で出ているとか。
着物が好きなんだそうで、若いのにとびっくりしてしまいました。彼女、この科目で
オヤジ殿から高得点をマークしたのは言うまでもありません(笑)

 

 

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結納の儀②

2012年02月21日 16時45分25秒 | 国内旅行記

こんな鳴り物入りで、元気を貰って無事結納を済ませて。このうさちゃんたちは、ホテルの
廊下に飾ってあったもので、結納の儀とは直接関係ありません(笑)

結納品の数々と愚息からの婚約指輪。ボクは知らなかったのですが、海外のブランド店
で指輪を買うとラッピングに使う「水引」ってやってくれないのですね。こちらは米国のブランド店で
すが、やはりリボンだけ。けたたましい豪華リボン飾りで持ってきたら、和式の台と合わなくて
やだなぁと密かに思っておりましたが、意外とあっけないほどのシンプルなもので、逆に
安心しました。

式自体は厳かに、だけど和気あいあいのうちに滞りなく行われましたが、ちょっと想定外
のことが。先方からは掘ごたつ式の会場にしたと言われていたのですが、実際に使用した
のは純粋な和室。実はボクは会社に入って2年目の時にスキーで足首を骨折して以来
まともに正座したことがない!出来ない身体になってしまって。会場を見た瞬間、一瞬青ざめ
ましたわ(汗々)

「いやぁ、半世紀以上正座したことがないのでぇ」とか相手に聞こえるように大きな声で
独り言を言って(笑)まさか、胡座をかいて祝詞を上げるわけにもいかず、無理やり正座
みたいな格好を取りましたが。きっと先様にはだらしないオヤジに見えたことでしょう(涙)

で、しょっちゅう写真撮影と言って席を立って(爆)お陰で痺れてずっこけるという醜態は
しないで済みましたが(笑)

一応、結納道具一式を買い揃えたデパートで式次第と両家の祝詞のセリフのサンプル
を貰って。ボクの出番は最初の開始の辞と御礼の辞の二回だけ。それもこのブログの
二行分くらいの短いセリフですが、普段ボクが会社で使っていた言い回しと違うものですから、
なかなか覚えられなくて(古い会社だったので、まるで古文みたいな言い回しは得意なん
ですが 爆)。数日前から奥様の指導で練習をさせられ、何回もダメだしされて。

根が頑固なこともあるんでしょうけど、どうしても会社生活で身に付いた言葉使いになっちまう。
やだねぇ、年は取りたくないわねぇ、自分で考えなくていいの、書いてあることそのまま
覚えりゃいいの、なんて奥様の罵詈雑言にじっと耐え。

はい、実戦では見事大役を果たしたでございますよ。でも、最後はやはり自分流でやっち
まったけど(爆)

愚息もフィアンセも、先方様もきっちりそれぞれの役割をこなし、無事式を勤め上げた
次第でした。

 

 

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