Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

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西伊豆小旅行 河津七滝巡り③

2013年07月31日 10時52分01秒 | 伊豆

 

鬱蒼とした林帯の中のところどころに現れる小さな滝。その水量の豊富さでスケールの
小さな弱点を補って涼味満点。

こんな吊り橋もあって。歩くとゆらゆらと揺れて。この心もとなさはスリル満点であります。
若いころはこういう吊り橋は楽しかったのですが、年とともに人間、コンサバティブになっち
まって・・・あはは、怖いでございまする(苦笑)

七滝巡りの最後を飾る「釜滝」、昔は地獄滝と称されていたそうな。

轟々と音が響きます。

伊豆の踊子に別れを告げて、これから堂ヶ島に。西伊豆の典型的な地形である
景勝地へ参ります。

ところで伊豆の踊子といえば映画。主演女優がその時代を映し出すとも言われます。
歴代の主演者を列挙してみると。

■昭和8年 田中絹代x大河内傅(監督:五所平之助)
■昭和29年 美空ひばりx石濱朗(監督:野村芳太郎)
■昭和35年 鰐淵晴子x津川雅彦(監督;川頭芳郎)
■昭和38年 吉永小百合v高橋英樹(監督;西河克己)
■昭和42年 内藤洋子x黒沢年男(監督;恩地日出夫)
■昭和49年 山口百恵x三浦友和(監督;西河克己)

と約半世紀のうちに6本も作られています。そしてびっくりなのが平成には一本も
ない!プラトニック・ラブというか純愛が受ける時代ではなくなったんでしょうか。
それにしても、6人の主演女優さん、それぞれ一番の旬で輝いていた時の映画
ですよね。吉永さんは別格でなんやら一生涯輝いていますけど。
内藤洋子さん、山口百恵さん、何れもいいですねぇ。鰐淵さんはちょっと綺麗すぎて
踊り子のイメージと離れているような気がしますけど。ボクには「ノンちゃん雲に
乗る」のあの元祖美少女時代の印象が強くて・・・

 

ー続くー

 

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イタリア紀行[7] 古代ローマの遺跡「フォロ・ロマーノ」①

2013年07月30日 15時07分17秒 | イタリア紀行2013

フォロ・ロマーノとはローマ帝政が始まった頃で紀元前6世紀頃に建設開始されたローマの
政治・宗教の核となすラテン語のフォルム(「広場」)であり、首都ローマの中でも最も歴史が
古く最大のものです。
その後東西ローマに分裂した辺りからこのフォルムの機能は廃れ、顧みられなくなって
地中の廃墟化しておりましたが、19世紀に発掘され、現在でもその発掘作業が進められて
います。

ボクがここを最初に訪問したのが四半世紀前。その印象が大分薄れかけてしまったのと、
ここ数年欧州をいろいろと旅をして古代ローマ遺跡を見るにつけ、その原点であるここを
再訪したくなりまた来てしまった次第です。尚、ラテン語のこのフォルムは20世紀後半から
再び脚光を浴びた言葉で、文化人の討論会等で多用され、建築の世界でも広場的意味合い
から「フォーラム」の名前をつける建物が多く現出しています。「フォーラム」はフォルムの英語
訳であります。

凱旋門の脇からちょこっと入ったところに入り口があり、そこで入場料を払って中に入りますが、
確か20数年前には無料であったと記憶しています。それと感覚的には単に遺講があるだけで
案内板もなく、柱の折れたものがごろごろしていた記憶が。それに比べるとかなり整備されて。
これは当時の行政庁の跡でしょうか。ブリック建築ですけど、その巨大さに圧倒されます。
現地の案内板に従えば「Domus Seviriana」となっていました。Google辞書を引いても訳語
が出て来ません。ドムスだから館で後ろはサービスのようですから公共建築物じゃないかと思う
のですが(スペイン語からの連想で間違っているかも知れません)

この広大な構築物跡にはびっくり。同じく案内板には「Stadum」と。恐らくここでも剣闘士が
活躍していたんだろうか。寧ろ演劇とか演説とか、そういう用途であったような気がしますが。
擁壁沿いに無数の柱が見えます。これってまさか天井があったのかしら。そうだとすると
かなりの長大スパンの梁が必要となりますけど。奥の崩れかかった壁面に無数の丸やら
四角やらの穴が空いています。これを見ると相当数の梁があったことが窺えます。

この広場にはガラスケースの中にこんなものが。最初見た時、びっくりしましたよ。
ローマ時代にこんなシュールな彫刻があったんかと(笑)

あとでよくよく考えたら、これって現代彫刻展でありましょう(苦笑)海外の歴史遺産
には、よくこういうモダン・アートが展示されるケースが多々あるので騙されてはいけませぬ
(爆)

この広場を囲む外壁。壁に無数の孔が。これは梁を押さえる孔であろうと思いますが。
前にご紹介したコロッセオにも同じような無数の孔が穿たれておりました。

ボク等が今いるところは「パラティーノの丘」という高台にあります。向こうにはさっきまでいた
コロッセオの巨大な建物が。

 

ー続くー

 

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西伊豆小旅行 河津七滝巡り②

2013年07月30日 07時45分51秒 | 伊豆

最近のゲリラ豪雨のお陰でしょうか。とても水量の豊富な滝でありました。
撮影しているところから凡そ10Mほど先で轟々と音を立てて。

 

水の落ちる様に暫し暑さを忘れて。

滝の名前は「初景滝(しょけいだる)」といいます。その滝の前には伊豆の踊子の銅像が。
主人公は一高の学生で20歳、踊り子は14歳の設定でありました。伊豆大島出身の踊り
を主体とした旅芸人一家と踊り子との交流を描いた川端康成の傑作でありました。
ボクも高校時代にこの作品を読みましたが、時代背景が違うせいか、余り感動した記憶
はありません。

七滝七福神。一緒にいるのはシカ?それともヤギ?

平日であったせいか、この滝めぐりの山道を行き交う人もまばら。涼しい風が川面を
走って。涼気を独り占めした感じです。

 

ー続くー

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西伊豆小旅行 河津七滝巡り①

2013年07月28日 22時13分31秒 | 伊豆

なんやらカンカン照りの夏の暑さはないものの、とっても蒸し暑い日が続いています。
こんな時は思い切って海を見に行こう~~~~ぉということで、現役時代の同期を
誘って。

昔、高校時代からあしげに通った伊豆は西海岸に。
その途次立ち寄ったのが、ここ、「河津七滝」。あの河津桜の発祥の地でもありますが、
昔からちょっとしなびた温泉とこの滝を含む渓流の清々しさがとても素敵な場所で
あります。

え~と、ボクの青春時代のいろいろ思い出の場所でもあります(笑)

ちょい涼し気な写真を撮って来ましたので、これでビールでも飲んで暑さをぶっ飛ばして
下さいませませ。

写真は「河津七滝」に因んで「河津七福神」が皆さんをお迎えしてくれています。

こんな清流が流れる鬱蒼とした遊歩道を上に上に上がっていきます。多分、ここ数日の
ゲリラ豪雨の影響でしょうか。いつも見る渓流と違って水量が多いような気がします。

ご存知の方も多いかと思いますが、ここ河津はあの川端康成の名作「伊豆の踊り子」が下田
に向かい、天城トンネルを超えたところにあります。おお、近年では石川さゆりさんの歌で有名
ですけど。そんな訳でここにも伊豆の踊り子と学生さんの銅像が数カ所に。

小さな滝ですが、その流れを愛でながら更に上へとなだらかな散歩道を登って行きます。

 

ー続くー

 

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イタリア紀行[6]  凱旋門

2013年07月26日 09時22分05秒 | イタリア紀行2013

コロッセオを出てフェロ・ロマーノとの間にこんな建物が。あの有名なフランスはパリの
凱旋門
はこのローマの凱旋門を模して建設されたもの。

コロッセオとの位置関係は上の写真の通りです。コロッセオがあまりにでかいので、ちょっと
見落としてしまいがち。ここで熱心に写真を撮る人もまばらでありました。

凱旋門の壁面には様々な彫刻が。ローマ後期の彫刻に比べるとギリシャ彫刻の影響が
まだ残っているような気がしますが、浅学なボクの印象なのでどうでしょう。

凱旋門の直下に敷き詰められた石畳。とっても歩きにくいです(苦笑)
「ローマの道は世界に通ず」という有名な言葉がありますが、こんな道がローマの版図の
主要都市に通じていたんでしょうね。約20世紀の長きに亘り姿を留めているこの姿、一体
何人の人々が通り過ぎたことでしょう。

この凱旋門の完成は315年と言われています。この凱旋門の由来は、当時副帝であった
コンスタンティヌスが正帝であったマクセンティウスを312年に破り、ローマに帰還し、この
地で凱旋演説を行ったことを記念しています。

 

この薄衣を纏った天使(?)の彫刻。フランスやスペインの教会建築の装飾に似たモチーフの
ものが多く見られます。やはりローマの影響が広く伝わっているのかと思ったりして。

312年の戦いのシーンでしょうか。素朴な描写に何か親しみを覚えます。

 

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イタリア紀行[5]  オードリーを探して④ 「コロッセオ」2

2013年07月25日 09時36分35秒 | イタリア紀行2013

入場料を払って中へ。前回こちらに来たのは5年前であったか。その時は時間がなくて
中に入らずしまいでした。20数年前には来ているのですけど、だいぶ印象が違います。
というか、随分と整備された感じ(前はもっと荒れ果てていたイメージでしたが)

この観客席、ブースに仕切られて。基本的にはあのローマの暑い日差しを避けるための
日除けが施されていたのでしょうね。
なんと驚くことに日除けで一般席でも一日20分以上日が当たらぬよう工夫が施されて
いたといいます。紀元80年にはそんな観客サービスまで考えていたなんて、ローマ人
の叡智に驚かされます。

このコロッセオのディメンションは楕円形で長径188m、短径156m,高さ48M、今の建物で言うと
17,8階建てのビルに相当します。また収容観客数は45000人といいますから現代の球技場でも
最大級クラスの闘技場といえるでしょう。
因みにわが町FC東京と東京ヴェルディのホームグラウンドの「味の素スタジアム」とくらべてみると、
味スタは111Mx75Mで敷地面積は小さく、収容人数は5万人弱ですから、ほぼ同じ規模であります。
如何にあの時代で超が通ほどのイベント会場であったかが分かります。

20数年前には確か見られなかった地下の構造がはっきり見えます。ここは戦士たちの控え室
やら通路、猛獣たちの控え室(?)などになっていたそうです。こうして見ると基本的な構造は
今のスタジアムと比較して大きな変化はありません。人間の進歩ってほんの微々たるものだと
考えさせられます。

最上階の窓から身た外の景色。向こうに見えているのは「フェロ・ロマーナ」と呼ばれる
ローマの町の遺跡です。これも後述しますが、ローマ繁栄の遺講が広大な敷地に広がり
ます。

 

紀元80年の雰囲気で(笑)

以前なかった地下構造物の上に木製の覆いがかけられて。恐らくはここで演劇やらコンサート
やらが行われるんでしょうね。このコロッセオの構造はヨーロッパに数箇所ありますが、
何れも音響効果は抜群であるそうな。

そうそう、以前ポンペイの遺跡で屋外劇場を見学したことがあり、そこで大声を張り上げた
ことがあります、勿論天井のないオープンな、この競技場をそのままスケール・ダウンした
カタチでありますが、その音響効果の良さにぶったまげたものでした。

そんなところにもローマ時代の建築・土木技術のレベルの高さが窺われます。

 

 

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イタリア紀行[4]  オードリーを探して③ 「コロッセオ」1

2013年07月24日 09時35分01秒 | イタリア紀行2013

映画「ローマの休日」ではグレゴリー・ペックが運転するラッタッタじゃなくて、スクーターの
後ろにオードリーを乗せてローマ市街を走る場面がありました。確かこのコロッセオの前も
通ったような記憶がありますが。

そうそう、あれはイタリアの名車、「ベスパ」というスクーターでありました。あの映画のお陰で
日本でもスクーター・ブームがあったと思います。

地下鉄の最寄り駅(ボク等はテルミニ駅から歩きましたが)から見たコロッセオです。
紫のしべが綺麗な花が咲いていました。

この建築物はなんと工事開始が75年で80年には実際に剣闘士が試合をやっていたという。
こんな時代に既にこれだけの土木建築技術が完成されていたとは!現代人のボク等の目には
まさに奇跡のように思えるのですが、20世紀の時間を経ても人間の進歩ってほんの僅かじゃ
ないかと思ったり。

最初の写真で上部が欠けていますが、これは地震等の天災地変で崩壊した訳でも、先の大戦
の戦禍の影響でもありません。なんとローマ時代以降、ローマの重要建築物の建材に転用され、
手短な、手軽な石材貯蔵庫であったという歴史があります。

観光客用のローマの戦士たち。写真を撮るとお金を払わないといけないので、遠くから盗撮(笑)

こちらは騎馬警官。イタリアの人にも人気のようで、皆さんポーズをお願いして。気さくに
応える彼らであります。勿論これは無料です(笑)

 

ー続くー

 

 

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イタリア紀行[3]  ローマの街角にて

2013年07月23日 10時15分17秒 | イタリア紀行2013

夕暮れ時。そぞろ歩きの群衆。一体どこに行くんでしょう。
と思ったら高校生でしょうか、修学旅行の一団でした。こういう団体に付いて行くと勝手に
市内観光が出来て好都合なのです(最終的にはトレドの泉に辿り着きました 笑) 

 

ヨーロッパの町を歩くと街角には、そこここにマリア像が。以前からカトリックの地にはマリア崇拝が
多いと書いていましたが、今回ふと気づいたことが。どうもボクの歩いているところは海岸沿いが
多いのですけど、海の人たちの信仰の対象は圧倒的にマリアが多い。これってキリストの磔刑以降
マリアはナザレを出て、ヨーロッパに逃げたという伝承があり(事実かも知れません)、それで欧州
各地にマリア終焉の地と云われるところが多いのでしょう。この点については、あの全世界を熱狂
させた「ダ・ヴィンチ・コード」を読むとよく分かります。

何れにしても、神の使徒であるキリストは別格となり、神に限りなく近づきすぎ畏れ多くてボクのように
なんでも困ったときの神頼みとはいかなくなって、それで次に神に近いマリアにお願いをするという
構図はとても自然なものに思えます。日本で言えばブッダはやはり畏れ多いので、菩薩・観音様に
願掛けしたり、はたまた毘沙門に傾倒するという現象が起こったのと似ていると言えるんじゃないで
しょうか。

でも、こうして庶民に愛されたマリア像の姿を見るとなんとも安らぎを覚えるものです。

ヨーロッパでは固まったパフォーマンスがどの街でも盛んですけど。これは初めて。新手の
パフォーマンス。このマジックには参りました。わけがわからん!(爆)
向こう側に写っている少年が近づいて棒の辺りを一生懸命手でぶるんぶるん回すんですけど。
何も引っかかるものがなくてびっくりしてパパの顔をみています。

夜も更けて名物の甘栗屋さんのオヤジさんが遅い夕食を。後ろの現代活花みたいに見えるのは
紙を丸めた焼き栗を入れるカップです。残り方を見ると今日の売れ行きは余りよくなかったようです。 

 夜も11時を過ぎています。ヨーロッパの石畳とフルーツ屋さん。

 

 

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イタリア紀行[2]  オードリーを探して② 「トレビの泉」

2013年07月21日 09時04分32秒 | イタリア紀行2013

スペイン広場からコンディッティ通りを通り過ぎ、ふらふらと夕暮れのローマ市街を
1時間ばかり散歩。やがて辿り着いたのがここトレビの泉です。

ローマ市内で一番規模の大きな噴水。泉の上には三体の彫刻がありますが、中央がポセイドン、
左が豊穣の女神ケレーズ、右が健康の女神サルースです。この噴水の元はローマ時代の
アウグストゥース皇帝が作らせたものですが、現在の姿になったのは1762年。

この泉の背面の重厚な造りはポーリ宮殿。

夜の帳もだんだんと降りてきて。不思議なことに明かりの点く頃になると昼間より人出が。 
これで時刻は夜の9時過ぎ。

 

夕食を終えて夜の11時頃。こんなに満杯状態。もうもうびっくり。ラテンの世界は夜が長いです。

長いといえば世界で夜を楽しんでいるのはヨーロッパではスペイン。あとは南米の諸国かなぁ。
ボクの経験で言うとペルー、チリー、コロンビアで夜のパーティに誘われるともうびっくり。開始は
大体9時なんですけど、律儀に9時に来るのは日本人くらい。現地の方は徐ろに11時過ぎくらいから、
三々五々と集まってきて。やっと大方の参加者が揃うのが12時過ぎ(爆)
それまでパーティは始まらないので暇を持て余して、ボク等日本人は呑むだけ(笑)だから
パーティが始まる頃にはもうヨッパの状態で、食事なんかまともに出来ません。で、始まると即
その場を辞去するのがオチ(爆)彼らのお開き時刻は大体明け方の四時過ぎらしい(爆)

さて、この泉。後ろ向きで一枚コインを投げ入れると、再びここを訪れることが出来る。二枚
投げ込むと恋が成就する。そして三枚が傑作ですけど、この場合は恋人やら伴侶と無事に
別れることが出来ると言い伝えられています。これはカソリックのお国柄。離婚が禁じられて
いたことによるものでありましょう。

この日も大勢の観光客が後ろ向きでコインを投げ込む姿が。泉の前面で写真を撮っていると
時々頭にコツンと当たるのが困ります(笑)

 

ー続くー

 

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イタリア紀行[1]  オードリーを探して 「スペイン広場」

2013年07月20日 09時13分13秒 | イタリア紀行2013

ローマというとボク等の世代が速攻で思い浮かべるのがあの名作「ローマの休日」。
オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの主演で世界中を魅了した永遠の傑作。
王妃と新聞記者との成就しない悲恋物語ですが、その本質は観光映画。ローマの
魅力を完璧に描き出しています。

公開が1953年ですので、もう既に半世紀以上経つのですけど、未だにローマを訪れる
観光客は老若男女を問わず、あのオードリーの愛くるしい姿を思い浮かべ、映画のシーン
を辿る人が多いのが驚きです。斯く言うボクもその一人ですけど、如何に傑作映画が
人々に影響を与えるか、上の写真のスペイン広場に屯する人々の姿でよく分かります。

映画ではオードリーがこの階段でイタリア名物ジェラートを食べていましたが、あはは
この付近でジェラートを売っているお店はなかったです。どうも現在はこの広場で飲食
はご法度になっているそうで、その影響かも知れません。

因みに最初のキャストはオードリーではなく、エリザベス・テーラーが予定されていたん
ですってね。映画の制作費用が膨大にかかるらしいということで、急遽新人のオードリー
が起用されたとのこと。彼女は初出演でアカデミー賞の主演女優賞を獲得しています。
あの映画はリズではここまで愛される映画になっていなかったかも。作品が女優を呼び、
女優が作品を呼んだということなんでしょうね。

あの偉大な彫刻家であり建築家であったベルニーニ作の「バルカッチャの噴水」です。

ところでこの「スペイン広場」は階段と広場を含んだ総称ですが、この付近にスペイン大使館があり、
それでこの名前が通称になったとか。元来は上にそびえる「トリニタ・ディ・モンテ教会」のアプローチ
であります。

実はこのスペイン広場は何回も訪れているのですけど、この教会に注目したのは今回が初めて(苦笑)
いつもこの階段を通る気がしないほど人で溢れかえっているのですけど、この日は時折雨が降ったり
止んだりで、これでも観光客がかなり少なかったのです。で、ちょっと登って教会を見てみましょうとなった
次第。 

訪問した時は丁度ミサの最中。残念ながら内陣に入るのを遠慮しました。内部はイタリアの
教会にしてはかなり質素な趣でありました。
この教会はなんとフランスのルイ12世の命により1502年に着工しています。

入り口直ぐの左手に飾られたピエタ像の彫刻。この内陣の奥にミケランジェロの弟子が描いた
「聖母マリア被昇天」という名画があるのですけど、残念ながら上記の理由で見られませんでした。

教会前から見たローマ市内。この一望出来る範囲がローマ市内で尤も賑やかなところなん
ですけど、教会のドーム以外の高層ビルがなく、階高の一定した町並みはとても心安らぐ
ものがあります。

 

教会前から見下ろした大階段とスペイン広場。正面の真っ直ぐな細い路地が、いわゆるローマの
銀座通り「コンドッティ通り」。えっと思われるほどの細い道ですが、この両脇にはイタリアの誇る
ファッションの有名ブランドが軒を並べています。

さすがにこの道を通る人達も大変にオサレ~なんであります。

 

ー続くー 

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イタリア紀行[1] 懐かしのローマ・テルミニ駅

2013年07月19日 15時06分52秒 | イタリア紀行2013

ドバイを朝発って、その日の午後空港から電車に乗ってイタリアの首都、ローマへ。
空港からテルミニ駅まで約30分くらい。意外と早かったです。

テルミニ駅といえば映画「終着駅」で有名ですが、イタリア映画の傑作の多くに使われた
名所。ボクはローマには4,5回来ているのですけど、初めてここを訪問したのが確か
1980代の終わりかなぁ。そこでスリの洗礼を受けて、それ以来近寄らないようにしていた
のです(苦笑)

20数年経ってトラウマも漸く癒えて、また変わり様を見てみたい気持ちになり再訪となりました。

それ以来のテルミニ駅ですが、ちょっとイメージが変わった。20数年前はカマボコ型の鉄骨の天井
に覆われていたと思ったのですけど。ちょっと風情が違ってがっかり。あの終着駅のイメージからは
ほど遠くなりました

駅前のバス乗り場です。20数年前にスリの集団に遭遇したのがこの広場であったような。

当時の情景は昨日のことのように記憶しています。家族旅行で駅前のホテルから市内観光
に出てすぐ。テルミニ駅前はスリが多いので気をつけるというのは熟知していたので、手ぶら
でパンツの左のポッケにイタリア・リラ(当時で3千円くらい)と右には中東の小額紙幣30枚
(色が緑で遠目にはドル札のような紙幣で30円相当)を入れ、右の30円を盗ってもらおうと
いうボクの戦略であり、左手はポッケに入れたまま。薄い白い色のパンツでしたので、外から
なんやら沢山のドル紙幣を持っている観光客に見えた筈です。

そしてこの付近の交差点で信号待ちをしていたら、向こう側にスリ集団と思しき小学生低学年
くらいの背格好の典型的なジプシー集団がいるじゃありませんか。当時の典型的なスリ集団で
先頭の女の子がタブロイド版の新聞を両手で広げて彼らも戦闘態勢を取っている。そして彼ら
の目線はボクの顔に。

その姿、まるでゾンビ集団のよう。表情が全くないんですよね。ひと目でピンときて、奥様と二人
の子供に、「あれが絶対にスリ集団だよ。何を彼らがするか少しボクから離れて彼らの動きを
きっちり見てるんだよ」と厳命したものでした。そして信号が変わって、悠然と彼らのほうに向か
ったものでした。丁度横断歩道の真ん中あたりで7,8人の子供がボクに突進してきて。まず
先頭の女の子が新聞紙を広げたままボクに突進。それを避けた瞬間、ポッケに手を突っ込んだ
ボクの左手の二の腕辺りに激痛が。どうも誰かが強く爪を立ててくれたようです。思わずポッケ
から手を離し左横にいた子供を振り払って突き飛ばしたものでございます。

そうしたら丁度一緒に同じ方向に歩いていた老婆が物凄い勢いで持っていたステッキでその
子どもたちを追い払ってくれて。やたら正確に叩きまわって、見ているボクのほうが呆気に
とられたんですけど。そして無事信号を渡り終えて、後ろから着いてきた家族を振り返り、
「どう、何か盗られたかしら」と聞いたのですけど、三人とも「何も盗られてないと思うよ」との
返事。「そうだろ、ちゃんと警戒心を持っていれば大丈夫なんだよ」と自慢げなパパであったの
ですが。おもむろに右のポケットを探ると、はい、無傷。そして左のポケットを探ると・・・

ありゃ、ないでございます!!!(爆)

まぁ、なんと家族の6つの目には全くわからなかった芸術的なスリでありました。やられた本人
も感心しきり。おまけに無防備にしていた中東の紙幣には全く手をつけていない!!
爪を立てられた手を振りほどいたその一瞬だったんでしょうね。見事なものです。
そして杖で追い払った老婆、あれもジプシー集団を捕まらせないためにわざと追い払ったんじゃ
ないかと後で思った次第です。

その後、道を歩いて注意深く観察しましたが、大体観光客の多いところには必ずこの集団が
おりましたね。そして極めつけは遠く200mくらい離れた所でカモを物色している男がいた
こと。こいつがハンディ・トーキーで子どもたちに指示をしているのを目撃までしましたよ。
今なら携帯があるからもっと巧妙に出来るかもです。

当時滞在中、このスリ集団には何回か遭遇。最初の経験が活きまして、彼らに出食わすと
寧ろ積極的にこちらから突進。大声を上げて先につっかかることにしましたら、あはは、それこそ
蜘蛛の子を散らすように逃げてくれましたっけ(笑)

因みに20数余年が過ぎて、今ではローマ名物であったこのジプシー集団は殆ど見られなくなり
ましたが、スリは相変わらずの被害があるようです。但し、今回の旅行中にはそれらしき人には
出食わさなかったように思います。

テルミニ駅から出る地下鉄。ローマ滞在中はこれを結構利用しました。二路線しかなく、全てテルミニ
駅からですので、非常にわかりやすいですね。

 

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不断梅に!

2013年07月18日 09時20分16秒 | はな・花・華

旅行から帰ってきて暑い暑いと、食っちゃ寝て食っちゃ寝てのダルダル生活を続けている
ボクではあります。

庭仕事もすっかり奥様任せでありますが、このところの涼しい東京の気候で久しぶりに小庭
に出て、奥様の仕事っぷりを監督しようとしたら。

あらら驚き桃の木、不断梅の木でございまする。

なんとなんと鉢植えにでっかい実が

これは確か10年前くらいに井の頭線の「梅ヶ丘」駅にある羽根木公園の梅祭りで買ってきた
もの。白梅が次から次へと咲くので不断梅というんじゃと店の兄ちゃんに言われて買ったの
ですが、今まで次から次へ咲いた記憶はないのですけど、まさか実をつけるとは。
思わず愛おしくなって、数個もぎ取って梅干しにしてみようと思ったら。すかさず奥様の叱責の
声が。そんな数個食べてもしょうがないでしょう、干したり塩漬けにしたりどうせ私がやることに
なるんだからっ!だって。はい、虚しく撤退した次第でありまする。

ん~ん、うまそうだったんだけどなぁ・・・
それにしても今年の気候変動と何か関係があるのかしらん。

 

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ドバイについて ドバイ[13] 

2013年07月17日 07時51分11秒 | ドバイ

ペルシャ湾にあるリゾートをさらっとご紹介します。
画面の左は20世紀末のドバイで最高峰ホテルと言われたバージュ・アル・アラブ・ホテルです。
ペルシャ湾に浮かぶアラブの古代からの船、ダグ船の帆のカタチを模した設計で、竣工当時
そのデザインで世界の注目を浴びたものです。竣工は1999年末。この建物以降、世界各地で
ヨットの帆を模したホテル建築が流行りとなりました。日本でも横浜のインターコンが似たスタイル
をとっています。

このホテルはビーチから300Mくらい離れたところに埋め立てた人口島の上に建てられ、ホテル
までは専用の橋を通ってアプローチするか、上階に設けられたヘリポートのふたつの方法しか
ありません(笑)

ボクは確か2000年にこのホテルが見たくて、前にあるピラミッドみたいなカタチのジュメイラ・ビーチ・
ホテルの方に泊まったことがあります。こちらも5つ星のホテル。なにせ、この帆のカタチのホテルに
泊まったらその姿を見ることは出来ませんので(笑)

当時と今も変わっていないと思いますが、ホテル代は最低でも20万円くらいだったと思います。でも、
その当時は集客もままならずで、かなりの破格値で泊まれたんですよ。

ところで、このドバイという国。成り立ちがとても面白いんです。最初そもそもは零細漁業を中心と
した寒村であったとご紹介しました。第二次世界大戦後、首長であったラシード・ビン・サイードが
国家百年の計を以って当時の大産油国クエートから借金をしてドバイ湾を浚渫、自由貿易港として
の機能を持たせ、交易国家として出発したのが最初の転機でありました。この首長さんの名前に
ビン」という名があるのに注目です。恐らく先祖は同じアラブのイエメンの出身。イエメンに「ハドラマート
という紀元前から栄えた都市がありますが、「B」で始まる音の名前の殆どはこの地の出身者と言われて
います。皆さんよくご存知の、あのウサマ・ビン・ラディンの祖先もこのハドラマート出身。彼はサウディ人
でありますが。
そしてこのハドラマート人は世によく言われる「アラブの商人」の源流であります。中東諸国で財を
なした一族に多い名前でもあります。

さて、ドバイですが、その後1966年の海底油田の発見により益々の発展を遂げることになります。
但し、この国の賢明なところは、資源は有限、何れなくなるとかなり早い段階から気付き、原油収入の
あるうちに次の柱を作る国家戦略をとったことです。一つは世界有数の投資国家となること。そして
もう一つが観光立国であります。自ら投資を行いつつ、世界からの投資も集めるという二面作戦です。

歴史遺産が全くなく、砂漠とペルシャ湾しかない国でどうして観光立国となりうるのか?その解が
国全体をディズニーランド化することでありました。そして世界でも稀な建築物が雨後の竹の子の
ように現出することになった次第です。観光産業というのはひとつの装置産業であります。例えば
航空産業なんていうのもそうですけど。航空会社は常に新しい器(飛行機)を提供しない限り存続
ができません。ディズニーランドもそうですが、数年ごとに新しいアトラクションを提供しないと生き残れ
ないのと同じ原理が働いています。この旅行記を読まれてドバイってなんとバブリーな国と感じた方
も多いかと思いますが、決してバブルなのではありません。戦略的必然であるのです。

ということで、ドバイはこれからも常に世界の最先端の観光立国として色々な新機軸を打ち出して
くれるはずです。これは日本も十二分に参考とすべき点でありましょう。

更に貿易港としてのドバイの位置づけ。ボクの独断で言うと、世界の港湾企業で最大なのはドバイ・
シンガポール・米国ロサンゼルスです。それぞれ公社的な組織が運営していますが、残念ながら
日本の横浜・神戸は世界水準からいうと時代遅れになってしまいました。アジアの中でも韓国に
遅れをとっている現状です。貿易立国日本としては本当にお寒い限りです。

  

 

こちらは今回泊まったエミレーツ・グランド・ホテル。今のドバイの現状からするとかなり古い部類に
入ります。ネットのBooking Comで探した最安値のホテルです。でも、一泊約2万円。ドバイ・ショック
以降、一時ドバイのホテル事情も良くなかったのですけど、最近はかなり強気で景気の回復度が伺われ
ます。

今回の部屋はもしかしたら我が家より広いかも(苦笑)完全なスイート・ルームでバスルームがふたつ、
ベッドルームがふたつです。おまけに我が家のより立派なキッチン付き。今回は二泊しかしませんでしたが
スーパーで食材買って自分で料理しても良かったかも(笑)

え~と、もしドバイに行かれたら注意することがひとつ。一年中冷房は半端ではありません。ホテルの
中は、慣れているボクでも頭痛がするくらい寒い(爆)まるで冷蔵庫の中で過ごすようなもの。おまけに
寒いからと言って冷房を切ろうとしても切れません(爆)
特に女性の方は大変なようで、寝るときはセーターを着たほうがいいかも。同じ頃旅行をされた友人(女性)
に、行くなら薄い羽毛のジャケット持って行きなさいとアドバイスしましたが、帰ってきて非常に喜ばれて。
旅行中、娘とこのジャケットの奪い合いになったと報告がありました(笑)

さて、次号からはイタリア編となります。お楽しみに。

 

 

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ドバイ・ファウンテン ドバイ[12]  世界一の噴水②

2013年07月16日 08時47分41秒 | ドバイ

ドバイの夕暮れ。こういうイワシ雲のような風景が見られるのは中東では珍しいかも。

7時を過ぎた頃、夕日をバックに噴水ショーが始まります。最高で30Mは吹き上げるというこの
噴水。広大な人工池と超高層ビル群が背景ですので、この位の高さがないと迫力がありません。

高さだけではなく多彩な変化もあって見るものを飽きさせません。まるで巨大な水柱が
優雅に舞いを舞っているような。

日も落ちた頃、ドバイ駐在の友人夫妻が予約してくれたレストランへ。

最近、日本へも進出しているこちらのお店。タイはバンコク出身のタイ料理のお店、
マンゴ・ツリー。東京でも近年大人気のお店。お友達が予約をしてくれましたが、
なかなか予約も取れないそうです。何故ならばこのドバイ・ファウンテンの噴水ショー
が間近で見られるレストランはこの広い池の周りでもこのお店だけという特等席で
あるが故。7時半を過ぎた頃にはもう100席はあろうかという大きなお店が満席で
ありました。

オープン・テラスに席をとってもらって。日もくれると噴水自体にライティングがなされ、噴水の
変化と光のハーモニーを見ながらの、これまた素敵なご馳走でありました。

お友達とは約1年ぶりの再会。先般安倍総理の中東訪問に随行して帰ってきたばかりという
お疲れのところ大変恐縮でありました。

ところで、今回はちょっと長い旅行期間ということもあって、普段持ち歩いているGF-1のカメラに
なんと64ギガバイトのSDカードを装着して出かけたものであります。なんと技術の進歩という
のは素晴らしいんでしょう。それも安値で手に入れて(確か3000円台で購入と記憶してますが)
ところがどっこい、普段丸一日7百枚近く写しても電池切れなぞなかったものが、550枚くらい
写し終わって電池切れ。このブログ掲載写真からカメラが使えなくなって。このページはiPhone
画像となっています。恐らくは大容量であるがため、読み書きで電力消費量が増えたための
結果であろうかと思います。今まで何回も旅行して、こんなことは初めて。便利も色々(苦笑)と
ちょっと反省した次第。おまけに予備バッテリーを持っていったのですけど、これがケチって
サード・パーティのものを買ったのですが・・・

慌てて装着しても、なんとなんと動かない!旅の早々でが~~~ん!(涙)

ということで、屋外の席が暗くてIPhoneでの料理の撮影が出来ず。美味しいマンゴ・ツリーの
料理をご期待の向きには大変失礼ですが、悪しからず(ぺこりん)

噴水ショーも終わりひっそりしたバージュ・カリファ・ビルの夜景です。

 

 

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ドバイ・ファウンテン ドバイ[11]  世界一の噴水①

2013年07月14日 07時51分56秒 | ドバイ

 バージュ・カリファ・ビルの展望台を堪能して地上に。夕方7時前ですけど、また外は暑い!
バージュ・カリファの前に広がる人工池の前にはこれから始まる世界最大と言われる噴水の
ショーを見ようとする人たちがもう鈴なりに。

画面は露出オーバー気味に撮影したため暗いですけど、実際はまだまだ明るいです。
画面奥に見えるのは多分ホテルのレストラン。橋はザ・ドバイ・モールと古いアラブの市場
(スーク)を模した土産物店のモールを結んでいます。

橋からドバイ・モール(左)を見たところ。

橋を渡ってスークに入ります。

ドバイ・ファウンテンの水の色がなんとも涼しげで癒されます。

まさに砂漠のオアシスといった風情を醸しだして。

こちらはスークの後ろ側にある低・中層のマンション。昔ながらのアラブの建物を擬した建築で
中東経験者としてはこういう建物のほうが、何故か和みます。

さて、ボク等はこのスークの中にあるとあるレストランでドバイ駐在中の友人夫妻と待ち合わせ。
ドバイ・ファウンテンの噴水ショーを見ながらのお食事となります。

 

ー続くー

 

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