Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

ドバイについて ドバイ[13] 

2013年07月17日 07時51分11秒 | ドバイ

ペルシャ湾にあるリゾートをさらっとご紹介します。
画面の左は20世紀末のドバイで最高峰ホテルと言われたバージュ・アル・アラブ・ホテルです。
ペルシャ湾に浮かぶアラブの古代からの船、ダグ船の帆のカタチを模した設計で、竣工当時
そのデザインで世界の注目を浴びたものです。竣工は1999年末。この建物以降、世界各地で
ヨットの帆を模したホテル建築が流行りとなりました。日本でも横浜のインターコンが似たスタイル
をとっています。

このホテルはビーチから300Mくらい離れたところに埋め立てた人口島の上に建てられ、ホテル
までは専用の橋を通ってアプローチするか、上階に設けられたヘリポートのふたつの方法しか
ありません(笑)

ボクは確か2000年にこのホテルが見たくて、前にあるピラミッドみたいなカタチのジュメイラ・ビーチ・
ホテルの方に泊まったことがあります。こちらも5つ星のホテル。なにせ、この帆のカタチのホテルに
泊まったらその姿を見ることは出来ませんので(笑)

当時と今も変わっていないと思いますが、ホテル代は最低でも20万円くらいだったと思います。でも、
その当時は集客もままならずで、かなりの破格値で泊まれたんですよ。

ところで、このドバイという国。成り立ちがとても面白いんです。最初そもそもは零細漁業を中心と
した寒村であったとご紹介しました。第二次世界大戦後、首長であったラシード・ビン・サイードが
国家百年の計を以って当時の大産油国クエートから借金をしてドバイ湾を浚渫、自由貿易港として
の機能を持たせ、交易国家として出発したのが最初の転機でありました。この首長さんの名前に
ビン」という名があるのに注目です。恐らく先祖は同じアラブのイエメンの出身。イエメンに「ハドラマート
という紀元前から栄えた都市がありますが、「B」で始まる音の名前の殆どはこの地の出身者と言われて
います。皆さんよくご存知の、あのウサマ・ビン・ラディンの祖先もこのハドラマート出身。彼はサウディ人
でありますが。
そしてこのハドラマート人は世によく言われる「アラブの商人」の源流であります。中東諸国で財を
なした一族に多い名前でもあります。

さて、ドバイですが、その後1966年の海底油田の発見により益々の発展を遂げることになります。
但し、この国の賢明なところは、資源は有限、何れなくなるとかなり早い段階から気付き、原油収入の
あるうちに次の柱を作る国家戦略をとったことです。一つは世界有数の投資国家となること。そして
もう一つが観光立国であります。自ら投資を行いつつ、世界からの投資も集めるという二面作戦です。

歴史遺産が全くなく、砂漠とペルシャ湾しかない国でどうして観光立国となりうるのか?その解が
国全体をディズニーランド化することでありました。そして世界でも稀な建築物が雨後の竹の子の
ように現出することになった次第です。観光産業というのはひとつの装置産業であります。例えば
航空産業なんていうのもそうですけど。航空会社は常に新しい器(飛行機)を提供しない限り存続
ができません。ディズニーランドもそうですが、数年ごとに新しいアトラクションを提供しないと生き残れ
ないのと同じ原理が働いています。この旅行記を読まれてドバイってなんとバブリーな国と感じた方
も多いかと思いますが、決してバブルなのではありません。戦略的必然であるのです。

ということで、ドバイはこれからも常に世界の最先端の観光立国として色々な新機軸を打ち出して
くれるはずです。これは日本も十二分に参考とすべき点でありましょう。

更に貿易港としてのドバイの位置づけ。ボクの独断で言うと、世界の港湾企業で最大なのはドバイ・
シンガポール・米国ロサンゼルスです。それぞれ公社的な組織が運営していますが、残念ながら
日本の横浜・神戸は世界水準からいうと時代遅れになってしまいました。アジアの中でも韓国に
遅れをとっている現状です。貿易立国日本としては本当にお寒い限りです。

  

 

こちらは今回泊まったエミレーツ・グランド・ホテル。今のドバイの現状からするとかなり古い部類に
入ります。ネットのBooking Comで探した最安値のホテルです。でも、一泊約2万円。ドバイ・ショック
以降、一時ドバイのホテル事情も良くなかったのですけど、最近はかなり強気で景気の回復度が伺われ
ます。

今回の部屋はもしかしたら我が家より広いかも(苦笑)完全なスイート・ルームでバスルームがふたつ、
ベッドルームがふたつです。おまけに我が家のより立派なキッチン付き。今回は二泊しかしませんでしたが
スーパーで食材買って自分で料理しても良かったかも(笑)

え~と、もしドバイに行かれたら注意することがひとつ。一年中冷房は半端ではありません。ホテルの
中は、慣れているボクでも頭痛がするくらい寒い(爆)まるで冷蔵庫の中で過ごすようなもの。おまけに
寒いからと言って冷房を切ろうとしても切れません(爆)
特に女性の方は大変なようで、寝るときはセーターを着たほうがいいかも。同じ頃旅行をされた友人(女性)
に、行くなら薄い羽毛のジャケット持って行きなさいとアドバイスしましたが、帰ってきて非常に喜ばれて。
旅行中、娘とこのジャケットの奪い合いになったと報告がありました(笑)

さて、次号からはイタリア編となります。お楽しみに。

 

 


ドバイ・ファウンテン ドバイ[12]  世界一の噴水②

2013年07月16日 08時47分41秒 | ドバイ

ドバイの夕暮れ。こういうイワシ雲のような風景が見られるのは中東では珍しいかも。

7時を過ぎた頃、夕日をバックに噴水ショーが始まります。最高で30Mは吹き上げるというこの
噴水。広大な人工池と超高層ビル群が背景ですので、この位の高さがないと迫力がありません。

高さだけではなく多彩な変化もあって見るものを飽きさせません。まるで巨大な水柱が
優雅に舞いを舞っているような。

日も落ちた頃、ドバイ駐在の友人夫妻が予約してくれたレストランへ。

最近、日本へも進出しているこちらのお店。タイはバンコク出身のタイ料理のお店、
マンゴ・ツリー。東京でも近年大人気のお店。お友達が予約をしてくれましたが、
なかなか予約も取れないそうです。何故ならばこのドバイ・ファウンテンの噴水ショー
が間近で見られるレストランはこの広い池の周りでもこのお店だけという特等席で
あるが故。7時半を過ぎた頃にはもう100席はあろうかという大きなお店が満席で
ありました。

オープン・テラスに席をとってもらって。日もくれると噴水自体にライティングがなされ、噴水の
変化と光のハーモニーを見ながらの、これまた素敵なご馳走でありました。

お友達とは約1年ぶりの再会。先般安倍総理の中東訪問に随行して帰ってきたばかりという
お疲れのところ大変恐縮でありました。

ところで、今回はちょっと長い旅行期間ということもあって、普段持ち歩いているGF-1のカメラに
なんと64ギガバイトのSDカードを装着して出かけたものであります。なんと技術の進歩という
のは素晴らしいんでしょう。それも安値で手に入れて(確か3000円台で購入と記憶してますが)
ところがどっこい、普段丸一日7百枚近く写しても電池切れなぞなかったものが、550枚くらい
写し終わって電池切れ。このブログ掲載写真からカメラが使えなくなって。このページはiPhone
画像となっています。恐らくは大容量であるがため、読み書きで電力消費量が増えたための
結果であろうかと思います。今まで何回も旅行して、こんなことは初めて。便利も色々(苦笑)と
ちょっと反省した次第。おまけに予備バッテリーを持っていったのですけど、これがケチって
サード・パーティのものを買ったのですが・・・

慌てて装着しても、なんとなんと動かない!旅の早々でが~~~ん!(涙)

ということで、屋外の席が暗くてIPhoneでの料理の撮影が出来ず。美味しいマンゴ・ツリーの
料理をご期待の向きには大変失礼ですが、悪しからず(ぺこりん)

噴水ショーも終わりひっそりしたバージュ・カリファ・ビルの夜景です。

 

 


ドバイ・ファウンテン ドバイ[11]  世界一の噴水①

2013年07月14日 07時51分56秒 | ドバイ

 バージュ・カリファ・ビルの展望台を堪能して地上に。夕方7時前ですけど、また外は暑い!
バージュ・カリファの前に広がる人工池の前にはこれから始まる世界最大と言われる噴水の
ショーを見ようとする人たちがもう鈴なりに。

画面は露出オーバー気味に撮影したため暗いですけど、実際はまだまだ明るいです。
画面奥に見えるのは多分ホテルのレストラン。橋はザ・ドバイ・モールと古いアラブの市場
(スーク)を模した土産物店のモールを結んでいます。

橋からドバイ・モール(左)を見たところ。

橋を渡ってスークに入ります。

ドバイ・ファウンテンの水の色がなんとも涼しげで癒されます。

まさに砂漠のオアシスといった風情を醸しだして。

こちらはスークの後ろ側にある低・中層のマンション。昔ながらのアラブの建物を擬した建築で
中東経験者としてはこういう建物のほうが、何故か和みます。

さて、ボク等はこのスークの中にあるとあるレストランでドバイ駐在中の友人夫妻と待ち合わせ。
ドバイ・ファウンテンの噴水ショーを見ながらのお食事となります。

 

ー続くー

 


アット・ザ・トップ ドバイ[10]  世界一の超高層展望台へ③

2013年07月13日 11時16分03秒 | ドバイ

高所恐怖症の方には申し訳ないですけど、展望台からの眺めをもう少し(笑)
恐らくペルシャ湾から引いた水でしょうか。大運河が流れて。でも、これが噴水のある池に
繋がっているので、淡水であるかも知れません。でないと噴水が錆び付いてしまいますものね。
運河には高層ビルのガラス窓に反射した西日が面白い模様を作っていました。よく見ると
この高層ビル、びみょ~に湾曲しているようです。それが原因で反射光が弓型になっている
んでしょうか。

そのお隣の穴あきの白いレースのような外観のビルもきれいですね。

眼下の池に小さなボートが一艘浮かんでいました。この池にはこれ一艘だけ。あとで地上に降りて
分かりましたが、メンテナンス用の船のようでありました。

巨大な高速道路のジャンクションです。画面を斜めに横切っているのがドバイ空港から
つながっているシェイク・ザイード道路。ドバイの最大の幹線道路です。写真では見づらい
ですけど、片側なんと六車線あります。朝夕はこれが渋滞して動かないんですよね。
びっくり!

ボク等が泊まっているホテルのあるファイナンス・センター地区。

ペルシャ湾側を臨みます。砂嵐の影響が多少あって、海が朧に。これが晴れていると綺麗な
海と、椰子の木やら世界地図をかたどった人工島の数々が見えるのですけど。それらは全部
観光用に開発された高級リゾートです。一室一泊百万円超の高級ホテル群やらヨット・ハーバー
が散在します。

東南側のビューです。ザ。ドバイ・モールの向こう側にも運河が。恐らくこの運河に沿って
まだまだ開発計画があるんでしょうね。

420Mのオープン・エリアの展望台から800Mを超す上階を臨みますけど、あはは、
先端は全く見えません(苦笑)

これを撮影したときは既に午後6時半を回っています。日も落ちてきて今まで見えなかった人工島の
島影が見えて来ました。点々と島影が見えるのは恐らく地球の大陸を模したリゾート地、「ザ・ワールド」
ではないかと思います。これは約300の島で構成される予定で現在まだ建設中であったと思います。

実はペルシャ湾に沈む太陽を撮影したかったのですけど、水平線に日が沈むのにはまだまだ時間が
かかりそう。展望台は室内側は空調がきいているとは言え、総ガラス張りの温室。1時間もいると熱中症
になりそう。日没撮影は諦めました。

 出口にあった看板。各国語で「さよなら」の挨拶が書いてありました。でも、日本語の「バイバイ、またね」は
どうでしょう。やはり綺麗な「さよなら」を入れて欲しかったなぁ(苦笑)
そして、全く馴染みのない文字が結構多いのにびっくり!!場所柄東南アジアの言葉が多いのかしら。

因みに今回旅行中では日本人は一人も見ませんでした。ボクが昔おじゃましていた頃は必ず数人には
お会いしたものですけど。それと今や世界中どこでもいる中国人も見えなかった。なにかとっても不思議
な感じでありましたが・・・

 


アット・ザ・トップ ドバイ[9]  世界一の超高層展望台へ②

2013年07月12日 10時20分30秒 | ドバイ

ザ・ドバイ・モールのゲートからエスカレーターやら階段やらを通って約500m以上歩いたでしょうか。
途中でバージュ・カリファの姿が。窓にはアット・ザ・トップのロゴマークが施されて。このマーク、
なんやら日本の某企業グループのマークとかドイツの某有名カーメーカーのマークに似ていて、
近しみを覚えたりして。

 

ところでこのバージュ・カリファ・ビル。あのトム・クルーズの大ヒット映画「ミッション・インポッシブル
の最新作「ゴースト・プロトコル」の舞台にもなりました。映画の宣伝文句ではトム・クルーズがスタントマン
なしで撮影したとなってますが、本当かしら(笑)
上の写真はその映画の一場面。なかなか面白い映画でありました。

こちらはアット・ザ・トップにあったスチール写真。右上に注目!トムの直筆サインが!! 

こちらはアラビア語の案内。残念ながら何が書いてあるのか全くボクには分かりませぬ(苦笑)

ザ・ドバイ・モールから歩いて約15分。バージュ・カリファ・ビルの真下、エレベーター乗り場に着きました。
展望台専用エレベーターが二基。これが結構早い。動き始めも振動が全くなく、上っているのかわからぬ
ほど。1分もかからなかったと思います。通常なら高度が増すに連れて耳が痛くなるんですけど、それもなく。

エレベーターの扉が開いて、瞬く間に展望台の124階に到着。写真中央に「124」の数字が。
この展望台の高さは公称420M。実は東京スカイツリーの第二展望台の高さは公称450M。
そういう意味では東京スカイツリー第二展望台を世界一とすべきかも知れません。

この6つの円が作るダイヤマーク。なかなかいいデザインです。展望台の三分の二はガラスに
囲まれていますが、なんと三分の一は手摺だけのオープンエリア。いやぁ、超400Mの世界から下を
直接覗くのは結構勇気が入りますわ。最初足が震えたのは内緒です(爆)

はい、バージュ・カリファの南側の真下を覗きます。眼下に広がるのは巨大な池。水の中に
見えるのはこれもドバイの有名な施設、ドバイ・ファウンテン。なんと巨大な噴水で、夕方から
水のファンタジーが展開されます。噴き上げる水の高さは超30Mというから11階建てのビル
の高さ!

左側に展望台への入り口であるザ・ドバイ・モール。中央の中層ビル群は高級マンションの
ようでありました。

 バージュ・カリファの長い影が。

 

ー続くー

 


アット・ザ・トップ ドバイ[8]  世界一の超高層展望台へ①

2013年07月11日 15時53分54秒 | ドバイ

さて、愈々この世界一の高さを誇る超高層ビルの登攀に。
と言っても別に三浦雄一郎さんのように日頃から足腰を鍛える必要はありません。やることは
日本でネットを通じ登る日時を指定してクレジット・カード明細をタイプするだけ。

スカイツリーもそうですけど、このタワーに登るため世界から人が集まってきて、当日の入場券
を手に入れるのは結構大変なようです。ボクがPCのサイトを覗いたときは4月の末でしたが、
1ヶ月間はほぼ売れ切れ状態でありました。実際に予約したのは約1ヶ月前。これはすんなり
予約出来ましたけど。

それと当日の入場料はエライ高い。ネット予約ですと一人130AEDで最近の円安でレートが
変わりますけど約3500円くらい(含む手数料)。これが当日券となるとぐんと跳ね上がって一万円
超になります。大体、当日ですと入場できるかどうかも分からないので、前もって出発前に日本で
予約を入れたほうがいいでしょう

但し、出るのは自由ですけど、入るときは指定した時間に遅れると全てがパ~というペナルティ
があるので要注意。

因みにチケットの予約はこちらからです。簡単な英語ですので容易にエントリー出来ると思います。
こちらでエントリーが終わると、指定したメルアドに予約確認書が送られてくるので、それをコピー
して当日入館します。ボクはプリントアウトした予約確認書とメールをスマホに転送したのを両方
持参。スマホのメールを見せてもOKではありました。また入館の際には身分証明書が必要なので、
パスポートを持参して下さい。

そして入り口が実はよく分からないのですけど、決して一枚目の写真のバージュ・カリファ・ビル
そのものへ行ってはいけません(笑)あちらには展望台へのアスセスはありませぬ(笑)
なんで名前が「バージュ・カリファ」でなくて「アット・ザ・トップ」となっていたのか、現地に来て理由
が分かったような(笑)

実は前号でご紹介したザ・ドバイ・モールの一階にゲートがあります。ちょっと見落としがちですが、
ドバイ・モールの店内案内表示はしっかりしているのでモールに入ったら、まず場所を確かめましょう。
上の写真はゲートの近くのグッズ売り場。看板に「オンライン予約券回収」と書いてあります。
実際の回収はこのグッズ売り場の左隣り。

このカウンターで予約確認メールを提示して下さい。ちょっとうろ覚えになってますが、確認が
終わると正式チケットを渡されるので、それを持ってこのカウンターの前に並びます。結構行列
が出来ています。

ここでボクが驚いたのが、受付の案内がとてもマイルドであったことと(恐らく)ドバイ人と思われる
人が働いていたこと。総じてボクのアラブ経験で言うと、湾岸諸国の国民がサービス産業のスタッフを
やるのはとても信じられません。やっても高圧的でとても我慢のできない対応になるのがオチなん
ですけど。それが、結構上品な対応で、英語なんかも上手だし。

更に驚いたのが、女性まで髪の毛を出して応対していたこと。これは10年前では考えられません
でした。必ずスカーフで髪を見せないようにしていたんですが!
ドバイは昔から中東諸国の中でも極めて西欧化が進んだ国でありましたが、サービス産業もここ
まで進んだのかと驚愕の眼差しで見つめてしまいました(多分、アラブを知らないでこの国に来た
人には極めて当たり前の風景に見えるでしょうけど)

そして予約の指定時間通りに入場(時間に正確だったのも驚き!)
入館するとそこには光り輝くバージュ・カリファの模型が迎えてくれて。

そして世界の超高層ビルの一覧も。こうして見るといかにこのビルが高いかよく分かります。 
このいきなり展望台に案内せず、こうした「控えの間」的なものを設けて客の期待を高める
手法はディズニーランドのやり方。ディズニーランドでこれが一番表れているのがホーンテッド
マンションというディズニー版お化け屋敷。あれは本当にうまく作ってあります。

例えば欧米の高級レストランに行くと(高級でなくてもそうですが)、必ずダイニングの前に
バーカウンターがある。楽しみは最後に、それまで期待に胸をふくらませて軽く一杯どうぞ、
という彼らのもてなし方なんですね。

ボク等もこの前室で模型を眺め、世界の超高層ビルを眺めて、そして思い思いのポーズで
記念撮影をして。やがて案内の女性に促されて、バージュ・カリファに赴きます。

 

ー続くー

 


砂漠の水族館 ドバイ[7]  ザ・ドバイ・モール③

2013年07月10日 08時57分14秒 | ドバイ

このモール、あまりに広いので人の数がとても少なく見えますが、一番混んでいたのが
こちら。水族館の巨大な水槽の前。入り口には常時行列ができるほどの大人気。

 

でっかいサメやらエイやらマグロがかなり高速で回遊しています。もう、何十枚と撮ったのですけど、
ミラーレスカメラの弱点を見事にさらけ出してくれて、ほとんどがピンぼけ!
奥様のiPhoneのカメラに完全に負けました(苦笑)

こちらの水族館は巨大なトンネルの遊歩道があってそこから水槽のお魚さんたちを見ることが出来る
仕掛けになっています。なんやらネットでも数年前から話題になっているそうです。

360度で水を見せてくれるというのは恐らくここだけでは?沢山の画像はこちらで見られます。

こちらはモールの中のちょっとコジャレたレストラン。いえ、どこもコジャレたのが多いのですけど。
巨大な棚には世界各地のオイルとか香辛料がぎっしり。
ドバイには世界中の食事が楽しめます。特に日本食はおすすめ。比較的リーゾナブルな値段で
本物の本マグロが食べられたりして。

中東滞在中はドバイに来ると日本料理やさんでマグロのサクをキロ単位で分けてもらって、大きな
冷凍ボックスにそれとか豚肉(中東で豚肉を買えるところは少ないんですよ)を詰め込んで帰った
ものでした。今回は日本から来たばかりですので日本食はパス。次はヨーロッパですので、西洋
料理もパスとなり、選択肢がなくなっていたのですけど(笑)


このお店はなんの料理かわからなかったのですけど(笑)頼んだのがビビンパとミゴレン。
どうもマレーシアかインドネシアの料理のようです。韓国のビビンパとはかなり違うテイスト
で、かなり辛かった(笑)マレーシアで辛いのってボクは知らないので、ネシア料理かなぁ。

これはミゴレン。ミは「麺」で「ゴレン」は炒めるの意味。要は焼きそばであります。ちょっと
スパイシーで美味しかったですよ。 

尚、当地は外国人のアルコール摂取は全く問題ありません。

このブログで何回かご紹介してますが、基本的に国内で完全にアルコールを規制しているのは
サウディだけです。ほかは程度の差はありますが、異教徒が閉じられた空間で呑むことは規制
の対象外としています。勿論ここでボクは生ビールをいただいて(笑)

 


世界最大のモール ドバイ[6] ザ・ドバイ・モール②

2013年07月09日 11時00分04秒 | ドバイ

ドバイ・モールの玄関口。この手前に巨大な人工池があり、橋を渡ると昔風のスーク(市場)を
模したお土産屋さんのモールがあります。池とその土産物屋モールはまた別途ご紹介します。

モールのは中は当然ながらアラビア文字が。ボクは都合5年もアラブにおりましたが、アラビア語
は全くダメ。覚えると一生アラブ要員になっちまうという恐怖感から、絶対にお覚えないという覚悟を
決めて(笑)

なんせ江戸っ子で初めて東京を離れたのがなんとアラブのお国。それから一度東京に戻りまた
西に流されて・・・着いたところはアフリカはナイロビ。まるであの有名な小説「沈まぬ太陽」の
主人公と重なる部分が多かったりして(笑)
いえ、ボクの場合は組合運動が理由ではありませぬ。単に出来が悪かっただけ(爆)

さて、こちらにはなんと新宿の有名書店がど~んと店を構えて!こりゃ驚きました。確か
こちらさんはタイかシンガポールにもお店を出されていると思いましたが。いやぁ、外地に
いると書物に飢えるんですよね。まして縦書の新刊書なんてまずお目に掛かれません。
この本屋さん、ワンフロアーですけど、多分新宿本店の規模とそう変わりないんじゃない
でしょうか。勿論横書きの本が主流ではありますけど(笑)

因みにアラビア語は右から左へと読んでいきます。但し数字は通常、何故かインド数字を
使っているので(ボク等が普段使っている数字1,2,3・・・はアラビア数字というのですが)
左から右へ読んでいくという規則があります。最初慣れるのにちょっと一苦労したりして。

モールの中央にはバージュ・カリファ・ビルを含むこの地区の開発模型が設置されて。
モールとカリファ・ビルの間にある鉛色の平面は巨大な人口池です。モールの下から
二番目の円形の部分が一枚目の写真のエンタランスになります。

 

ー続くー

 


世界最大のモール ドバイ[5] ザ・ドバイ・モール①

2013年07月08日 09時24分26秒 | ドバイ

エミレーツ・モールでスキー場を見学し、もう一つのショッピングモールへ。

ドバイには巨大なショッピング・モールが沢山ありますが、その中でも最大級、世界最大の
モールがここ。ふたつのデパート、120軒のレストラン、1200軒のブランド店が軒を並べ、
おまけに世界最大級の水族館まで備えています。
更にこのモールは世界最高の高さを誇るバージュ・カリファ・ビルの展望台に登るための
ゲートがあり、バージュ・カリファ・ビルとモールの間にはこれまた世界最高の高さを吹き上げる
噴水を持つ巨大なドバイ・ファウンテンを擁します。

なにせ、日本の真夏以上の暑さのお国柄。日中熱中症を心配せず、家族が過ごせるところは
本当に少ないわけで、こうしたモールに涼を求め一日を過ごすというのが、ドバイっ子のお洒落
な過ごし方でもあるわけです。

地下鉄ドバイ・モール駅の入り口。

金色の地下鉄入り口の屋根の向こうにバージュ・カリファ・ビルが見えます。あそこまでは駅から
続く冷房完備のペデストリアン・デッキが続いていますが、これがなんと1kmくらい。長い、長い!

ズームレンズで捉えた世界一の尖塔。なんやらこうして見るとチベットの仏教寺院みたいな
カタチしている。

周辺のオフィス街区です。この雰囲気って1980年代後半のアメリカ西部、ダラスとか
ヒューストンの景色によく似ています。あの頃の米国も建築ブームでネオ・ゴチック建築
が流行りで、より高く、そしてより高くと覇を競っており、砂漠(土漠)の中に盛んに街づくり
が進んでおりましたっけ。

ペデストリアン・デッキを進むにつれてバージュ・カリファ・ビルの基底部分が次第にはっきり
してきました。遠目から見ると東京スカイツリーのような尖塔に見えますが、近くに寄ると
かなり巨大な建築面積を持つビルということが分かります。

東京スカイツリーもそうですけど、いわば沢山の円筒をタワーの周りに並べたような構造を
しています。いくら地震の心配が少ない地域とはいえ、ある程度の建築面積は必要という
ことなんですね。 

ー続くー


砂漠のスキー場 「ドバイ」 [4]  モール・オブ・ジ・エミレーツ

2013年07月05日 16時35分23秒 | ドバイ

ジュメイラ・モスクからタクシーに乗って、ドバイの庶民の生活の場、モール・オブ・エミレーツへ
向かいます。 遥か向こうの方に高層建築群が霞んで。画面右端には世界一の高さを誇る
バージュ・カリファ・ビルが見えます。

地下鉄「エミレーツ・モール」駅から直接モールにアプローチできます。ボク等はタクシー
乗り場から。このモールはかなり巨大なモールですけど、入り口はなんかちょっとシャビー
な感じも。

20数年中東駐在時にもショッピング・センターはありましたが、こんなでっかいモールは皆無
でありました。寧ろボク等は昔ながらの「スーク(アラビア語で市場の意味)」に観光に行った
ものですけど。香辛料の匂いとお香の匂いが入り混じったあの独特の匂いで「ああ、アラブに
来たんだ」と実感したものですけど。このモールにはそういう感覚は生まれません。もう完全に
ヨーロッパ。

明かり採りのドームを支える鉄骨にも細かい模様が入って。手摺の唐草模様も
垢抜けしています。

こういうデザインって最近の流行りなんでしょうね。ロンドンの市街を思わせるような。
東京で言うと、丸の内の三菱一号館のあるブリック・スクエアとかTBSの赤坂サカス
もこういうテイストですね。アラブ人の留学先の一番はやはりロンドン。王族やら
一流のビズネス・マンの殆どは英国留学者。もっと日本にも来て欲しいけど・・・

こちらのフロアーにあったのはヨーロッパの高級ブランド。嘗てドバイは世界一ブランドが
安い時代もありましたが、昨今のネット時代の反映なんでしょうか、世界の各国も競って
アウトレット店を出したりということで以前のような優位性はなくなってきています。

一番変わったのは市民の服装。こちらのカップルがドバイの典型的な正装ですけど、
この姿を探すのが大変。時代は確実に変わってしまいました。この激変は湾岸戦争
で米国がサウジに駐留して以来。

男性の白い服はガンドーラというワンピースの白が基本。夏用と冬用があり、冬用は
グレイの色もあります。頭に巻いているのはガットゥーラといいますが、アラブの国により
色柄が変わります。このガットゥーラはその昔日本製が主流を占めていましたが、繊維
産業の衰退で今は多分中国産、インド産あたりが主流じゃないかしら。ワンピースの
ガンドーラには無地のものの他、細かい綾織りのものがあったり。王族の方たちの
服装なぞ見るとファッションに疎いボクですら、こりゃ高級品だとひと目で分かるような
素晴らしものもあります。結構見慣れてくるとエレガントなんですよね。

そして女性の来ているのはアバヤ。これは黒です。我が家にも昔駐在時代に買った
結婚式用のアバヤがありますが、これが重い重い。理由は絹の金銀の刺繍が施され
ているから。うちの奥様が一度着ましたが、10分持ちませんでした(笑)まぁ、日本の
十二単みたいなもんですね。

この女性のファッションですけど、時々風が吹いたりして裾がまくれ、中のドレスが赤
とか花柄のファッションだったりするとドキッとします。普段黒一色で自らを覆っている
ので、中は思いっきり派手にしたいんでしょうね。女心って万国共通だなと思います。

面白いのは彼女たちが海外旅行する時。アラブの女性は通常自分の財産の殆どを金
に替えています。だから外出時には首に、腕に、手に、足に金を身につけて。それも
日本人が好む18Kは見向きもしないで、24Kが主流ですので、目立つこと目立つこと
(笑)
そして飛行機が国境を超えた辺りで殆どの女性はトイレに駆け込みます。そう、トイレ
でアバヤを脱ぎ捨てて。帰って来る時には素顔を出してミニスカートだったりすると、もう
びっくり仰天です。押しなべて彼女たちの表情がとても晴れやかになっているのが
とても印象的なのです。

さて、このモールを訪問した最大の理由はこれ。あはは、雪だるまでございまする。
ハリボテじゃないよ。本物だよ(笑)

なんとこちらにはスキー場があるんですよ!!!

 

外気温が平気で50度を軽く超えるこの地でスキー場とは!これが見たかったのです。

ガラス張りの向こうにはちゃんとペアーリフトまであって。一本だけですけど、結構まともな
ゲレンデがあるようです。
ボクも昔日本でスキー場を作るなぞという大それたことをやったことがりますけど、確か
人工雪の降雪機は外気温10度以下にならないと良い雪が出来ないとメーカーさんから
教わった記憶が。

40度以上の温度差を作る熱交換器ってどんなスケールになるのか、ちょっと想像がつきま
せんでした(苦笑)

まさに産油国だから出来る業、原発ゼロなんて騒いでいる国ではまず考えられない施設です。

実はボクはこのスキー場は男女別々で男用、女用それぞれにわかれていると想像していたん
です。おまけに民族衣装着用で滑っているのかと。その期待は見事裏切られて。なんだ、
ふつ~のスキー場でふつ~のスタイルじゃないかっ!

実はボクの中東駐在時代、サウディにはスケート場が既にありました。そちらは男女別々で、
あのアバヤ姿の女性とガンドーラ姿の男性がスケート靴履いてやってたんです。当時ボク等
がこの姿を「黒ガラス」と「オバQ」なんて呼んでたんですけど、なんだかその集団が熱心に
滑って転んでしているのを想像しただけで微笑ましいでしょう。

え~と、多分この姿を見たい向きはイランにいらして下さい。まだ屋外のスキー場ですけど、
ボクの理想の(?)姿が今も見られるはずです。

 


現代建築の見本市 「ドバイ」 [3]  ジュメイラ・モスク

2013年07月04日 08時14分45秒 | ドバイ

市内観光の一番目はアラブの国に敬意を表してモスク見学から。イスラム寺院です。
場所はペルシャ湾に面したジュメイラ・ビーチという海岸からちょっと入ったところ。この
モスクと海岸の間には低層の高級住宅街が広がっていて、多くの日本人の方たちも
この辺りのコンパウンド(住宅団地)に住んでいるようです。

ホテルから車で15分くらいの距離。なにせ外気温はゆうに45度を超えているので
気軽にお散歩というわけにはいきません(苦笑)今年は世界的に気候がおかしいようで、
例年なら50度を超しても不思議はないのですが、ぐだ~っとするような暑さではありま
せんでした。

3つのドームと二本のミナレットを擁する美しい姿。「ジュメイラ・モスク」と言いますが、
「ジュメイラ」はアラビア語で「美しい」という意味です。

キリスト教の教会建築と比べるとなんやら素っ気ない感じもしますが、極力装飾を削ぎ落とした
モスクの姿は逆に新鮮な感動を与えてくれます。基本的にイスラム教は偶像崇拝を禁じて
いますので装飾に華美を競うようなことはありません。

白亜のドームが青空に映えています。ドームの上に飾られているのは満月でしょうか。
ボクの知っているモスクの飾りは三日月が多かったように思うのですけど、丸のカタチは
珍しいかも。

暑い砂漠の地のアラブではどうしても太陽は嫌われるきらいがあって、やはり崇める
のは月であります。但し、同じアラブでもシバの女王の国「イエメン」には太陽の神殿
と月の神殿のふたつが遺跡として存在しますが、これはイスラム教がアラビア半島に
広く伝播される前のもの。

因みにミナレットというのはアラビア語ではありません。由来はトルコの「ミナレ」から
発生した西欧の言葉。アラビア語では「マナーラ」あるいは「マナール」というそうです。
ミナレットには一日5回のお祈りの時間になると、ここに聖職者が登りコーランを唱えて
くれます。

中東で生活し始めた頃、明け方3時くらいにこのコーランの声に驚いて、一体何事が起きた
んだと眠りを妨げられた思い出が。初めて中東の地を訪れた異教徒はびっくりするもの
なんですけど。人間って不思議で、1週間もすると夜中にこの声で目を覚ますということは
なくなりましたが(笑)

玄関の装飾です。アラブの典型的な装飾、唐草模様。じっと眺めているとなんやらデジャブー
(既視感覚)。そうなんです、日本の神社仏閣にもこれと同じような装飾が結構あるんです。
恐らくはシルクロードを経てこういう装飾が日本にも伝えられたんではないでしょうか。

シルクロードは中国を貫通するマルコ・ポーロが通った陸上の道と海上の道のふたつが
あることは皆さんよくご存知だと思います。ドバイはまさに後者のほう。そしてここから
アフリカのボクがいたケニアのモンバサという港町が終点となります。

玄関ポーチに飾られたランターン。このデザインはキリスト教会にもよく見られます。

壁面を飾る唐草模様のレリーフ。シンプルですが、それだけに引き締まった
美しさを感じます。

尚、この寺院はドバイで唯一異教徒にも開放されています。日・火・木・土の毎朝10時に
玄関前に集合すると寺院内ツアーが出来るのですけど・・・
実はそのツアーに参加するつもりで来たのですが、あはは、本日はお休みですって。
ちょっと残念ではありました。

もし、ドバイに行かれる方がいらっしゃったら、是非見学して下さい。異教徒が見学出来て
写真撮影も出来る場所って世界でも数少ないですから。但し、服装には注意して下さい。
短パン・Tシャツはもっての外。女性は長袖は必須です。それと頭を覆うためのスカーフも
用意していって下さい。ボクですらこの日はクソ暑いのにジャケット着用で来ました。ドバイ
は湾岸戦争以降外国人に対して宗教的に大変寛容になっていますが、こういう宗教施設を
訪問する場合は最低限のマナーは守らないといけません。

ボクが過ごした20数年前はスカート姿で髪を出して歩いた日本女性が石をぶつけられたり
したこともあったくらいですから。

 

 


現代建築の見本市 「ドバイ」 [2]

2013年07月03日 08時29分43秒 | ドバイ

今回のフライトはエミレーツを使用。中東駐在当時は毎回のように使っておりましたが、
なんと20数年ぶりの搭乗となりました。ここ数年は旅の行き先はヨーロッパが多く、スイスか
フランス経由がほとんどでしたが。今回はドバイに旧友を訪ねるのも目的のひとつであった
ためドバイ経由となりました。

ご存知の方も多いかと思いますが、エミレーツはUAE(アラブ首長国連邦)のナショナル・
フラッグ。十数年前に世界で顧客満足度No.1のフライトに選ばれ、ずっとその地位を
保っています。変わらずのサービスで満足なフライトでありました。久方ぶりということも
あり、ホテルもちょっと今では古くなりましたが、エミレーツ・グランド・ホテルに泊まって。
上の写真はホテルの前から撮影した町並みです。

ボクが最後にドバイを訪れたのが2001年ですから、12年ぶりとなります。当時はこの
地域が一番ホットな商業集積であったように記憶していますが、その後のドバイの建築
ラッシュは目を瞠るものがありました。その後、米国サブプライム・ショックによるドバイ・
ショックを経てこの国の危機もありましたが、ここ数年また投資が活発になり世界の富が
集まるようになっているようです。

ホテルから数分の距離にある「ファイナンス・センター駅」です。まるで宇宙都市を思わせる
デザインじゃありませんか。
これは地下鉄の駅なんですけど、空港を結ぶ主要な交通網となっています。現在はAとBの
二路線が開通。地下鉄というけど、地下に潜った形跡がないんですけど(笑)まぁ、東京でも
最近は表に出っぱなしの路線が結構あるので、これはよしとせねば。
因みにこの鉄道建設は日本のゼネコンさんが主体で完成させています。ボクの大学の同期
もこちらのプロジェクトに携わっていたようです。

驚くのは車両は無人運転。日本のように複雑な路線が入り組んでいないので成り立つんで
しょうね。でも、運転(無人だから語弊があるか)は至ってスムースで電車特有の揺れもなく
極めて乗り心地のよろしい交通機関でありました。

ドバイ観光の名所の殆どはこの路線にありますので、我々のような旅行者にはとっても有難
いのです。

この地下鉄の路線に沿って次から次へと新しい超高層ビルが建てられています。いずれも国際
コンペで決定された世界の名のある建築家の手によるものなんでしょうけど、あまりに数が
多すぎて殆どノーチェックですみません。

見える建物の殆どは超高層建築なのですけど、新宿副都心と比べ隣棟間隔が広いことと
周りに比較すべき小さな建物が少ないせいか、圧迫感がありません。肉眼でも見ても写真
で見ても、ふつ~の高層ビルに見えてしまいます(苦笑)

そしてこのスカイスクレーパーを突き破るようにして聳え立つのが、世界の新名所「バージュ・カリファ」ビル
であります。なんと高さ824Mと現在のところ世界一の高さを誇るビルであります。ビルの高さは中国はじめ
各国が競っていますが、アラブではサウディでなんと1kmを超す建物が計画中とか。その後最近になって
その計画の進捗状況を聞きませんので、当分の間、このビルが世界一の座を守るんではと思います。

周りのビルも200Mは超すビルが多いと思いますけど、ともかく広い場所であるし、建物自体が鉛筆のように
細いせいか(実際はかなり太いんですけど)それほど高く感じません。これが東京にあったら、相当な圧迫感が
あるだろうとは思いますけど。

このビルについては、当然のことながらボクも猿となんとかの部類ですので、登っております(爆)その詳報
はまた別途です。

 

 

 

 


現代建築の見本市 「ドバイ」 [1]

2013年07月02日 08時04分14秒 | ドバイ

(ホテルの窓からドバイ市内を臨む 街が切れた向こうのブルーはペルシャ湾の海)

今回の旅行で最初の訪問地は中東最大の商業都市、ドバイです。

アラブ首長国(UAE)の一つであり、中継貿易基地として中東・アフリカ・欧州への物流の
拠点として世界に冠たる港湾都市であり、24時間のハブ空港のドバイ空港により、まさしく
世界のゲートウエイとして機能しています。

紀元前から続く栄光のアラブの歴史とは異なり、古くは零細な漁業と紅海で採れる真珠の
輸出を生業としていた小国でありました。この真珠が主産業であったことは当地にとって
大変な事態を招くことになるのです。それは奇しくも日本の御木本幸吉の養殖真珠の成功
がこの国に経済的な大打撃をもたらし、政策を巡り有力部族が国を二分する内戦に繋がるような
一触即発の危機という歴史でありました。

一つの国の産業イノベーションが他国の経済を揺るがす歴史がここにありました。現代
の日本を翻って見るとiPhoneに代表されるアップルのIT事業モデルが広範に中・韓・台
に広まり日本のソニー・シャープ・パナソニックの土台を脅かした現代日本の電機産業界と
重なって見えるようです。

アラブというと「砂漠の国」というイメージですが、手ですくっても指の間から細かい砂が瞬く間に
こぼれ落ちるような砂漠は、かなり郊外に出ないとありません。ホテルの窓外から見る
この景色で分かる通り、多くの都市は「土漠」と言われる砂漠になる前の荒地に存在します。

中東にはサウジにアフリカのサハラ砂漠に匹敵する世界第二位の「死の砂漠」というのが
広がっていますが、ここから吹きつける砂嵐で中東の都市の殆どはこんな感じでどんより
として見えます。この砂嵐の恐怖はずっと昔ボクの中東経験談でご紹介しましたが、二回
ばかり死を覚悟したことが。一回目はイエメンの国内線で30分の飛行距離の都市に出張
にいった時。国全体が強烈な砂嵐に覆われ目的地に着陸出来ず、三箇所ある国内空港を
いったりきたり。合計6時間を空の上で過ごし、漸く着陸したのが当時敵対関係にあった
南イエメンのアデン空港。着陸直前に飛行機が翼をブルブルさせ、燃料をカラにしたのが
わかり、青ざめた顔の満員の乗客が自らの無事を祈り、一斉にコーランを唱えたのが今でも
鮮烈に記憶に残っています。

その時の思いは、ああ、一心に祈れるものがあるのはいいなぁという気持ちでした。困った
時の神頼み、なんてぇのが日本人の常ですけど、こういう時「神様お願い」って自分でも
なんやら薄ら寒くてボクは念じることができませんでした。寧ろ絶対に死んでやるもんかと
念った次第です(笑)

もう一回は同じくイエメンで車で出張に行った時。ペルシャ湾と反対側の紅海の都市に行くの
ですが、100KMくらい砂漠を走ります。その中間地点で上記と同じような砂嵐に遭遇。
走行を続けると細かい砂で吸気フィルターがやられるということで、車を待機。外気温は50度
近くのところで4時間も嵐が収まるのを待っていましたが、エンジンを動かせないので、勿論
クーラーは付けられないし、窓を開ければ無数の砂が喉を直撃。で、車中は炎熱地獄。水も
取らずよく熱中症で死ななかったと今でも不思議に思います。その時は不思議と水が欲しい
とは思いませんでした。ひたすらいい空気を吸いたいという心だけだったと思います。あの
砂の恐怖ってなんだか別個の世界ですね。そうそう、その時に思い出したのが、若いころ見た
安部公房さんの作品の映画。「砂の女」といいう秀作がありますが、あの蟻地獄のような
鳥取砂丘の洞穴の中で砂が絶え間なく落ちてくるシーンが脳裏に蘇ってきたものでした。

ホテルの窓の景色を見ながら四半世紀前の当時を思い起こして感慨にふけった次第であり
ます。