あのシャンソンで歌われたアヴィニョン橋。そこに行くには一度城塞の外に出て。
世界遺産ともなるとこういうところまで補修をしないといけないのです。維持も大変
ですねぇ。
城壁の上部にはこんなハングオーバーのカタチになっていました。アビニョンといえば
あの結束を誇ったローマ・カソリックが分裂を繰り返した時、1309-1377年の間
教皇庁が当地に移され、バチカンとともにキリスト教の聖地として繁栄した時代があり
ました。
その発端は1303年に当時の教皇がフランスのフィリップ四世に襲われ、それ以降
ローマはフランスの干渉に右往左往することになり、バチカンと当地で教皇庁が並立
となりました。それ故、この教皇庁もかくも厳重な城塞都市とする必要があった訳です。
そして当時のこの地はなんとナポリ王国のアンジュー・シチリア家の所有地でありました。
奇しくも今回の旅はシチリアの旅の延長となりました。
アヴィニョン橋と言われるサン・ベネゼ橋が見えてきました。
はい、ここが入り口。
城塞と橋は跳ね橋で繋がって。
資料館にはこんな木杭が。東京の旧丸ビルの建設には数千本の松杭が使われていました。
あれの解体工事はかなりの困難を極めたと。下手に掘ると杭が折れて取り出せなくなって
しまうということで、確か基礎解体工事だけで二年くらいかかったんじゃないかしら。
ー続くー
今まで訪れた事のない、又これから訪れる事もない
国々を 無料で行けるこの楽しさ!!
それにしても大島町の悲劇 火山土の事 どうにか
ならなかったもんでしょうかね!
古いフランス民謡「アビィニョンの橋の上で」が
頭に浮かんで口ずさんで居ます、
ピアノの練習曲にも必ず出てきますから
孫達も初歩の頃は弾いていました、
♫ 踊るよ 踊るよ 兵隊さんも通る・・
観光客も必ず訪れて見る橋なのでしょうね。
無常さを感じますね。
も日本人は参考にしたいです。ケセラ・セラ、アスタ・
マニャーニャなんて、昔は日本人も「どうにかなるさ」
と言ってたものですが・・・
知りませんでした。でも、なんでこんなに
世界的に有名になったんでしょうね?
橋でもうひとつ有名なものに「ロンドン橋
堕ちた」というのがあります。
面白いですね。