(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 秋に思う(続)~『この日、この空、この私』(城山三郎)を読みながら

2016-10-15 | 日記・エッセイ
エッセイ 秋に思う(続)~『この日、この空、この私』を読みながら

 秋になると、特に寒露がすぎ秋が深まってくると秋思というほどでもないが、何故か心にしみじみ染みるような本を手にとりたくなる。そんな時、ふと手元にあった城山三郎のエッセイ『この日、この空、この私』(99年3月 朝日新聞社)という本のタイトルが目に飛び込んできた。

 ”さりげなく聞いて身にしむ話かな” (冨安風生)

城山三郎は経済小説という新しいジャンルを切り開いた人で、ご本人自身が気骨のある人である。それかあらぬか、その著書も『もう君には頼まない 石坂泰三の世界』、国鉄総裁であった石田礼助の生涯を書いた『粗にして野だが卑ではない』などの硬骨の男たちを描いた小説が多い。私個人としては『逆境を愛する男たち』のような人物エッセイが好きなのである。その彼が最晩年になって生涯を振り返って、気楽に、つぶやいたいくつものエピソードが書かれている。「無所属の時間で生きる」というサブタイトルがついており、余暇の時間をどう過ごすのか、為すこともなく置いておかれるのか、あるいは無所属の時間の中でどう生き直すか、どのように生を充実させるのか、そのあたりの事を探ってみたいと思ったようである。 それらの内容をいちいちご紹介するのではなく、書かれていることを断片的にとりあげ、そこからあれこれ思いを巡らせてみようと思った。全体として脈絡のない話になるのは、お許し頂きたい。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

(日帰りの悔い)
 著者は、ある日講演を頼まれ京都へ向かった。会場のホテルに早めに着いたので小一時間ほどの余裕ができた。

 ”その間、何をするというわけでもなく、窓に寄って立ち霧の流れる東山の木立をただ眺めていた。 淡い旅情。短いが、非日常の時間。あらゆるものから解き放されている。その思いも味わいながら、悔いも湧いた。なぜ、小一時間でなく、半日なり一日なり、こうした時間を持てるようにしなかったのか、と。”

そして財界人石坂泰三のエピソードを紹介している。(注 石坂泰三・・・東芝社長などをへて経団連二代目会長。財界総理の異名をとった)石坂は幾日か出張する時、空白の一日を日程に組み込んだとのことである。

 ”その空白の一日、石坂は二百とか三百とかの肩書をふるい落とし、どこにも関係のない、どこにも属さない一人の人間として過ごした。”

城山は、それを『もう君には頼まない』の中で、「無所属の時間」と呼んでいる。京都からの帰りに城山は一日二本しかない小田原停車の「ひかり」を利用した。隣の席も空いていたので、弁当を肴にゆっくり酒を呑んだ。そうして霧の流れた東山の眺めを未練がましく思い浮かべた。

 何も旅に出た時に限ることではないかもしれないが、こういう非日常のゆったり流れる時間は貴重なものであろう。多忙であればあるほど、心にかけて、そういう時間を持ちたいと思う。

 この下りを読みながら、ふと鎌倉時代の歌人である京極為兼の歌を思い出した。

 ”とまるべき宿をば月にあくがれてあすの道行く夜はの旅人”                   ー玉葉集」巻八 旅歌

何日もかかる旅の道のり。今夜の宿はそこにあるが、月光を浴びて明るい道を楽しく歩いてみたくなり、歩き続けることにした。車も道端の照明もない時代、こんな旅の楽しみ方もあったのだ。秋の月夜を愛でる、なんと優雅なことか。現代ではこのような旅は望めないだろうが、ある意味羨ましい限りである。旅は急がず、あれもこれもではなく、ゆっくりと、できれば一箇所に少し腰を落ち着けて楽しみたい。芭蕉も旅の日記『笈の小文』で言ったではないか。

 ”よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまな  ど、心にせまり胸にみちて・・・・”

 いつぞや郡上八幡に旅をした時、あの小さい町に三日も滞在して旅を楽しんだ。おかげで、町並みのスケッチもできたし、山菜料理のあふれる小料理屋にも行き会えた。おまけに古書店で会津八一の大正13年の初版本を手にいれることができた。
 やはり旅の日取りは余裕を持って組みたいものである。


(渡世の掟)


 花王の中興の祖といわれた丸田芳郎のエピソードが紹介されている。

 ”丸田芳郎は、社長時代、新入社員に対する形式的な挨拶の代わりに、時間をかけて先輩としての忠告をじっくり話すことにしていた。(注 花王は今でも三期連続で経常利益増を果たし、ROE 14.2%という立派な会社である)

  その中で、丸田は二つのことを訴えた。一つは、会社の仕事とは別に、なにか研究なり、勉強を生涯持ち続けるようにすること。今一つは、「電話で済まさず、必ず手紙を書くようにすること」であった。「電話は、うわの空でもかけられるが、手紙は相手のことを思い浮かべないと書けない」というのが、その理由であった。”

 仕事と別の勉強か? どちらかと言えば仕事一筋であったので、あまり勉強というほどのことはしてこなかった。しかし、仕事に取り組む上で、ある時期人間学というようなジャンルの本を読みふけった。この本の著者城山も後で触れているが伊藤肇の辛口の人間エッセイはすべて、そして何度も読み返した。それからさらに進展して仏教学者の紀野一義師に辿りつき、さらに正法眼蔵に至った。至らぬ人間であったので、乾いた土に水が染み込むようにこれらの説くところを学び続けた。大げさに言えば人間形成のための勉強だったかもしれない。

この一連の流れの中で『呻吟語』という著作に巡りあったのは幸いであった。著者の呂新吾は明の時代の高級官僚であった。その時代は、現代と同じように混迷の時代であった。彼もまた、一人の社会人として、また組織の責任者として、悩んだり苦しんだりする事が多かった。その悩みや苦しみに反省を加えるとことによって、彼なりの確信に達していったらしい。それを折りにふれ記録にとどめたのが、この著作である。有名な古典、たとえば『論語』や『孫子』ほどには知られていないが、知る人ぞ知るで得難い著である。人間とはどうあるべきか、人生をどう生きるべきかなど切実な問題をさまざまな角度から解き明かしている。人間関係論に関してはデール・カーネギーの『人をどう動かすか』などの本もあるが、この『呻吟語』はもっと深く問題を追求しており、若い人にも手にとって欲しい本と思うし、またある程度人生経験を積んだ人たちに読まれてしかるべき、と思う。もっとも印象に残ったのは、心を沈静にすることである。沈静とは、たんに口を閉ざして沈黙していることをいうのではない。心が浮つかず、態度がゆったりしていること、これが本当の沈静である。”沈静なるは最もこれ美質なり”。しかし、いくら勉強しても、実際にそれを身につけるのは至難の技である。幾つになっても勉強は果てしない。

 次に丸田が指摘した手紙を書くことであるが、なかなかできるものではない。近年とくにインターネットの発達で、メールやスマホのメッセージでコミュニケーションをとるのが当たり前になっている。以前は、便箋に万年筆で文を認め、封書を送ったものであるが、昨今封書で返事がくることが少なくなった。それでも、印象に残ったことや感動したこと、あるいは季節の移ろいに感じたことなど認めて、親しい友人や知人に送りたい。墨書できれば、言うことはない。と言う訳で、この丸田芳郎の言葉に刺激を受けたので、「手紙の日」を月に少なくとも一回、設けることに決めた。さあて、実現するかどうか自信はないが、とにかくやってみよう。


(ニュージーランドの旅)

 同じ町に住む友人夫妻が、還暦を迎えて自動車学校に通い始めたエピソードを紹介している。退職して時間ができたので、夫婦でニュージーランドへの旅を思い立ったが、鉄道のない国なので、二人で交互にレンタカーを運転して回るためだどいう。交通量も少なそうだし、左側通行だから、初心者でもなんとかなると明るい。形式にとらわれぬハッピーリタイアメンとす姿をみた。

 ”ニュージーランドは緑の濃い美しい国である。とくに南島のミルフォード・サウンド界隈は絶景で、私の行ったときも、雨後ということもあって。道の両側の滝が美しく光りながら流れ落ち、車ごと滝に洗われながら走り続けると、ときう思いがした。

今の世では考えられない最高の贅沢を味わったわけだが、そのかいわいを、これまた年齢不問でトレッキングで走破した辰濃和男『太古へ』(朝日新聞社)を読むと、ニュージーランドでは海にや山に大自然を残すため、人々や行政がその枠を超えて心を配り、知恵と汗と金を惜しみなく注いでいるのが、痛いほど分かった。近代国家で手つかずの自然を残すというのは、それほどの大事業ということで、「太古の旅」と呼びうる程の旅を体験できるのだ、と。”

 実は私の親しい句友夫妻も、ニュージーランドへ出かけている。どうもハンドルを握るのは奥様、彼は地図を見るナビガイドであったとか。それはともかく、俳句を始めたばかりの頃であるが、帰国後の句会で次の句を投句した。

 ”陽炎や丘果つるまで羊群”

あの雄大な風景が浮かんできて、いい句だなあと、文句なしに特選に選ばせてもらった。この句はその後刊行した私たちの第一句集で彼の句の冒頭を飾っている。


 そういえばニュージーランドについてはいくつかの思いがある。まず星空の美しさ。

     

南島のテカポの星空は世界遺産として登録申請していると、聞いている。そこへも足を伸ばしてみたいが、何と言っても訪れてみたいのは北島のほぼ中央辺り、タウポ湖の近くにある「フカロッジ」である。以前に交遊抄で触れたことがある会社の後輩k君は、スコットランドのアイラ島を訪ね、ボウモアなどシングルモルトウイスキーを求めて旅をしたことがあるくらいの旅好き人間であるが、彼からこ教えてもらったのが、「フカロッジ」である。そして洒脱なエッセイで知られる江國滋さんが、お元気な頃に男三人でここに滞在し、読めば行きたくなるような素敵な旅行記を描いているのである。(彼のスケッチつきであるから、”描いている”ということになる)

ロッジというと安手の山荘のようなものを思い浮かべるのであるが、この国では全く違う。ロッジというだけで、すでに小規模で洗練されたエクスクルーシヴな宿泊施設がイメージされる。一般の人たちが自宅の一部を開放して、オーナー兼マネージャー、ときにはシェフまで務めて宿泊客をもてなす。オーナーは宿泊客を「わが家のゲスト」として扱う。食事の好き嫌いを確認し、ゲスト同士を紹介し、自らも話し相手になる。
 
 ”ロッジは、ニュージーランドの文化である”

その中でも、フカロッジは最右翼にある豪華ロッジである。タウポの市街地から車で20分ほど、満々と水を湛えるワイカト川の岸べの林間にある。マス釣りの穴場らしい。そのロケーションの素晴らしさ、佇まいの魅力的なこと。 

     
     

江國滋さんの旅行記<贅沢の本質>には、こんな描写がある。部屋が一流ホテルのスイートルームをさらに贅沢にしたような具合であるが、、この部屋にはもう一つの魅力がある、と。

 ”木目の美しい大きなテーブルの上に、こんな文言を印刷した紙が載っていた。

 <Unless requested, there is no telephone ,television or radio in the room>

”ソファにもたれて一服しながら、高い天井までのガラス戸越しに、芝生の向こうのワイカト川の清流を眺めていると、まるで別天地にいるようである。夜は7時からフロント棟のサロンでカクテルパーティ、8時から主食堂で晩餐会ということだけが決まっている。それまで、することは何もない。珠玉の無為。”

 いかがでしょう?行ってみたいと思いますか? 外国の人たちと交わるなんてイヤ、という人は資格はないかもしれなし。しかし、英語をあまりしゃべれなくたって、折り紙を折って見せてあげるとか、歌を歌ってみるとか、日本の美しい風景を写真に収め見せてあげるとか。やりようはいろいろ。なんなら刺身包丁を持ち込んで、鱒の刺し身をつくってやるのもいいかも。とにかく、”やってみなはれ、行ってみなはれ”できれば、仲間が欲しいなあ。ちなみに江國パーティご一行様は、カードマジクを披露したようである。


(五十代半ばにて)

去って行った友人知人の中で、激しい去り方をした親友として、伊藤肇(はじめ)の名前を挙げている。雑誌『財界』編集長を全力で短期間つとめた後、早々に一介の浪人になることを宣言し、文筆生活に入った。肩書のない身となっては昼間、企業を訪問することができず、夜に入っての酒食を伴う取材が多くなった。小島も同席した事があったが、「あ、その話おもしろい」「それはいい言葉だ」などとそのたびに箸をおいたり、盃をおろしてさりげなく、箸袋などにメモをとった。

末期に近いある日、伊藤はまるで遺言のように、信頼できる若い書き手として「左高信」の名前を城山につげた。その左高は、「朝日人物事典」に、つぎのような一文を書いた。

 ”財界人物論に独特の健筆を振るった。安岡正篤に学んだ東洋思想を軸に、人間の出処進退を問題にした『現代の帝王学』や『人間的魅力の研究』で多くの読者を獲得した”

安岡正篤については終戦の詔書にもかかわり、さまざまな見方はあるが、東洋思想に基づく彼の言葉には耳を傾けるべきものが少なくない。次の言葉は伊藤肇が取り上げ、そこから彼の著作『現代の帝王学』を完成させている。

  ”「行為する者にとって、行為せざる者は、最も苛酷な批判者である」という箴言を引用し、経営者が「行為する者」であり、ジャーナリストは「行為せざる者」である”

  すでに先に述べたように40歳頃から彼の著作に親しむようになり、そこには硬軟取り混ぜたエピソードもあって、読みふけったものである。城山三郎の親友であり、名古屋の出身とは知らなかった。懐かしい名前を見つけて、嬉しくなった。伊藤肇の著作には、きらりと光るような箴言が溢れているが、そ中の一つをご紹介しておきたい。それは、二流のボロ会社だった住友生命の弱小部隊を率いて日生、第一生命を凌駕する保険会社に育て上げた社長の新井正明との対談で出たものである。ちなみに新井正明は、ノモンハン事件の死闘で、ソ連の砲弾に吹き飛ばされ隻脚となった。

 ”(新井)暗いところばかり見つめている人間は暗い運命を招きよせることになるし、いつも明るく、明るくと考えている人間は、おそらく運命からも愛されて、明るく幸せな人生を送ることができるだろう


(楽しみを求めて)

 年を重ねてからの楽しみということで、色んなことが書かれているのだが、その中にまあ、楽しい話が登場した。

 ”私に似合いの気楽な楽しみは、やはり読書くらいかと、書棚に手をのばし、松下竜一『潮風の町』(講談社文庫)を読んでいるうち、これはこれはと、天にも上る、いや天を見上げる楽しみを教えられた。

  「虹を見たら、すぐ電話で教えてください。どの方向の空に虹と、ひとこと
   告げてくれるだけでいいのです」

  と同じ町に住む八人の友人に葉書を書き送り、次々にさまざまな虹をみることになる。夢のような話というか、大人の童話とでもいった楽しさ。一方的に教えてもらうだけではと、松下さんは「虹の通信」をその仲間たちに送っている、という。こちらも読むだけで、十分楽しませてもらった。 

 子供っぽい、というなかれ。いくつになってもこういう詩心(うたごころ)のような気持ちは持ちたいものである。 そういえば来月の14日の満月は、滅多にみられぬスーパームーンとか。夜空に上ったら、だれかに教えてあげて喜びを分かち合いたいものだ。

  ”人の世もかく美しと虹の立つ” (虚子)


(この日、この空、この私)
 
 ”人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。深く生きた記憶 をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、深く 生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要となろう”

  この本には、いろいろな人生の楽しみかたを紹介している。好きな本を読む、うまい肴で酒を飲む、たまにはゴルフをする・・だがそれでは、それまでの生活の微調整にしか過ぎない気がする、として海外旅行や本で埋まり尽くした家を造りなおしたり・・・ 。しかし、あまり老いとか年齢を意識すつことも少なく、相変わらずの筆一本の生活が続く。と、言いながら「かもめのジョナサン」を書いたリチャード・バックの”年齢とは 、just a number という生き方を気にしたり、”どうせ一回しかない人生である。今、 楽しまねばあす楽しめない”と、劇団を立ち上げたり、ラインダンスもやり、コーラス グループを組織するし、碁も楽しむ。その他、漢詩/俳画/書道/社交ダンス/ピアノなど の習い事・・・という多彩な趣味生活を繰り広げる遠藤周作の老いの人生にも、ちらり と目を向けてはいる。ある意味羨んでもいる。


 だが、人生の生き方は人それぞれ。なにもかくあるべきと決めつける必要はない。己自身のことを考えてみると、多分に狐狸庵遠藤周作先生的なところもあって、いろんな趣味をもち、心楽しい友人もいて、今の人生を十分に楽しんでいる。

 しかし、ふと考える時がある。果たして、それでいいのだろうか? これまでも、ある 意味で、恵まれた人生を送ってこられたのには、両親・家族や長い間お世話になった会 社、あるいは学生生活をおくった小・中・高や大学の存在があった。いや、少し敷衍し て考えると社会そのもののおかげであるともいえよう。そう考えると、さまざまな形で の社会貢献を視野にいれて、考えるべきではないか。震災遺児への教育資金に寄付をしたり、多少のことはやってきた。しかし、もっと・・・。また、さらに広い意味で考え ると、日本経済の発展・成長のためにも、なにがしかの資金を成長する企業に投ずる  ・・。一人ひとりの資金の規模は小さくても、多くの人が投ずる事になれば、それは 大きな貢献になりうる。 いつまでも銀行預金や郵便貯金などにお金を寝かせておくようなことは考えなおす必要があると思う。またこれまで積み重ねた人生経験や知識を、若い人たちに伝えることができれば、よりよい社会への貢献になるのではないかと、思案している。それで、社会のお役に立つための自分のエクスパティーズはなにか、改めて考えているところである。



          ~~~~~お終い~~~~~













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相変わらずの青春謳歌 (九分九厘)
2016-10-19 10:28:11
早速随筆「秋に思う」を読ませてもらいました。相変わらずの健筆に敬意を表して脱帽いたします。読後の感想を二つ書きます。
 一番最後のフレーズ「しかしふと考えることがある。果たしてそれでいいのか?・・・・」。晩年の社会への貢献、或いは若い人への還元をどうしたらいいのか。それに役立つ己のエクスパティーズは何なのか。一方で私的な己の生き方を全うするには、残されたやりたいことが多くあり、そのために多くの時間を割かねばならない。両立するには如何にすべきか。・・・この問題については私にも同じ思いがあり全くの同感であります。昨年我が街の自治会役員をしましたが、中にはシニアの10年以上継続されているボランティアの人たちがいます。その人達と付き合って、彼らの社会貢献にある驚きを感じました。その驚きとは私の後ろめたさとか、自分も頑張なければといったものでなく、ああ!こうした人達がいるからこそ社会そのものが成り立っているのだという傘寿になろうとする老人の驚きでした。どんな人にお会いしても、人それぞれの道に第二の人生に計画をたてて人生を全うすることに頑張っておられるます。
 さてこの私はどうかというと、現役リタイヤーになる70才前頃から軟着陸の計画を立て、先ずは大学の聴講生や通信制大学で5年勉強しました。立てた計画とは「東西を問わず、この地球に生きてきた人達が残した知識・文化を出来るだけ多く、ボストンバックに詰め込めこんで彼岸に旅立つ」というものです。勉強の入り口は最も興味のある美術史でしたが、間口が広くなり今では宗教・哲学の分野に広がりました。創作活動もデッサン・水彩画、そして最近は銅版画へと間口を広げています。考えてみると全く私的且つ内省的なものばかりです。勿論、この間に新しい友人や付き合いが広がってきて、生きる喜びも増えてきました。しかし、今の年齢と今後達成したい目的を考えると、とてもボランティアなどの社会奉仕などする時間的余裕もありません。今では割り切って、私的かつ内省的なものであろうと、今後一貫して自分のやりたいことを続けるつもりでいます。ただ、昨年gaccoにて「iPS細胞」の授業を受けて以来、山中研究所(CiRA)には毎年寄付金を出すことにしました。せめての社会貢献と恩返しということなのですが、このことだけでも僅かながらも自己納得が出来るのが不思議なことです。
 もう一つのブログ読後感想ですが、貴兄が道元の『正法眼蔵』に通暁されていることについてです。貴兄のブログにいつも要所に道元の言葉が出てきます。読み方が違うのわかりませんが、私には通りいっぺんの普通の言葉としてしか理解できないことが多いです。根底を理解していない面がありまだまだ道は遠いです。回り道をして、龍樹に関する著書を何冊か読んだのですが、どうやら言語修辞学を中心とする論理学であることがわかってきました。これに頭を切り替えていくと『正法眼蔵』の読み方も変わってくるようです。大乗仏教を整理した龍樹を勉強していると、タイ・カンボジアなどを牛耳っている上座仏教のあり方も気になってきました。最近、Gaccoの上智大学「アンコール研究講座」を勉強してその一端を知りました。あれこれと知りたいことが多いです。宗教の勉強は歴史の勉強とも言えるものです。結局『正法眼蔵』は最後の楽しみにしておいて、周りをぐるぐる回りながら何処かで収斂して行かねばと思っています。
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遅ればせながら (ゆらぎ)
2016-10-28 17:18:42
九分九厘様
 とりとめもなき駄文にお目通しをいただき、実にありがとうございました。すでにメールでやり取りをさせて頂いていますので、ここでのコメントは差し控えていましたが、やはりこのブログを読んで頂いている読者の事も考え、改めてコメントバックさせていただきます。

社会への貢献と自分自身の生き方の両立についての大兄のお考えには、共感を覚えつつ興味深く読ませていただきました。その中で、”その人達と付き合って、彼らの社会貢献にある驚きを感じました。その驚きとは私の後ろめたさとか、自分も頑張なければといったものでなく、ああ!こうした人達がいるからこそ社会そのものが成り立っているのだ”という下りには、そういう温かい眼差しの受け止め方があるのだなあ、と殊の外感じ入りました。

また軟着陸という言葉が出てきますが、これに関して”「東西を問わず、この地球に生きてきた人達が残した知識・文化を出来るだけ多く、ボストンバックに詰め込めこんで彼岸に旅立つ」・・・”、という貴兄の考え方は気宇壮大で、愉快です! 恐れ入りました!
道元の『正法眼蔵』については、小生は哲学的とか論理的というような読み方ではなく、いかに道元の考え方に共感を覚えるか、ある意味道元禅師とのクロスエンカウンター的な出会いを楽しみつつ読んでいます。機会があれば、そのあたりをじっくりお話しましょう。
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つくづく考え込む (龍峰)
2016-10-31 21:36:10
ゆらぎ 様

晩秋の中、しみじみとするエッセイを読ませていただきました。
いつもの事ながら、健筆の為せる引き込んで止まない文章力に感心します。
城山三郎のこの本はいいですね。人生ここまで来ると、ただただ前へ進むだけではなく、横道にそれる楽しみには賛同します。
難しいことは横に置き、ニュージーランドのロッジについて貴重な思い出があります。旅の途中で一晩ではあったが、山中のMt cookの見えるロッジに泊まったことである。特に日が次第に暮れてゆき、最後は頂上付近がオレンジ色に輝き、遂に消えて闇が深まって一夜を迎えた。満天の空に水をぶちまけたような星が一晩中瞬いていた。とんがり屋根の一軒家のまだ新しいロッジであった。後にも先にもこの様なロマンチックな一夜は初めてで、勿体無い刻を持ったものだと今でも思う。ニュージーランドはご存知の様に人口480万人、国土は日本の7割ぐらいであるが、実にその75パーセントが国立公園で自然を維持するために厳しく管理されている。それだけにほとんどが緑、自然のままである。羊も伸び伸びと丘の果てまで群れなすのである。自然愛好者には理想郷のひとつであろう。
最後に、これ迄自分が歩んで来た人生で、間違いなく第4コーナーを周った今日、自分がどれだけ社会貢献ができるか、これは大きな課題である。この秋ゆっくり考えてみたい。
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遅ればせのお礼 (ゆらぎ)
2016-11-06 09:29:41
龍峰さま
 いつもながら拙文をお読み頂きありがとうございます。ニュージーランド旅行では、満天の星をみるという得難い体験をされましたね。羨ましい思いです。そしてこの国が”自然を維持する”のに並々ならぬ努力を払っているのを知ると、敬意を表したくなります。

これからの事ですが、余り力を入れず、”今の今”を楽しみましょう。
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