(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ ウイズコロナの日々(2ndVersion)

2021-10-02 | 日記・エッセイ
今年の一月に「ウィズ・コロナの日々」と題する一文を書いたことがあった。それから一年も経たないうちに、その日々の様相が変化をしてきた。それもかなりの変化である。そこで改めて「ウイズ・コロナの日々(2ndバージョン)として改めてアップすることにした。

  冒頭の写真は、北海道は美瑛の「哲学の木」 アマチュアカメラマンが、勝手に農地に立ち入り、土地を農作物を荒らすようなことが続いたので、やむなく先年、切り倒すはめになってしまった。

     ~~~~~~~~~~~~~~~

 いつも朝は4時頃に目を覚ます。その時刻に日経新聞の最終面に小説が掲載されるからである。これまでは、伊集院静の「ミチクサ先生」であった。夏目漱石の生涯を描いたもので、毎朝それに目を通すのが楽しみであった。残念ながら7月の22日に終わり、今は遣唐使の一員として唐に渡り、朝廷の高官として活躍した阿倍仲麻呂の生涯を描く「ふりさけみれば」である。唐の首都である長安の様子なども描かれていて興味深い。かの有名な和歌”天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも”、で知られている。日経の記事にざっと目をとしたら、また眠りにつく。

 7時少し前に起きて、すぐ朝食をとる。目玉焼きとベーコンあるいはソーセージ、ときにはハッシュドポテトやブロッコリーくらい。バナナをたべることもある。お茶はルイボスティが多い。食べ物の量は控えめにして、体重のコントロールに留意している。体重の目標値は66キロプラスマイナス300グラム。ほぼ安定している。朝食後は、近くにあるクラブのプールで泳ぐ。左肩の手術のせいで、左腕が伸びず泳ぐのにも一苦労であったが、続けてきたリハビリのおかげで、今は平泳ぎもクロールも元のようにできるようになった。プールは一日おき、他の日は島の中の遊歩道を5~6キロほどウオーキング。また大橋を渡って、住吉川を遡上することもある。ただ、歩く速度は落ちてきた。年を感じる。

 それから新聞や配信されてくるニュースに目を通す。以前は、BloombergやThe Wall Street Journalを読んでいたが、このところはそれらをやめて、NewYorkTimesを読むようになった。なかなかのクオリティペーパーである。本紙は、ニューヨークという地方のローカルな新聞ではあるが、カバーする範囲が広く海外の動向に目を配る国際色豊かな新聞である。本紙はすべてデジタル版である。料理の記事(レシピ)があるのも楽しい。クリックすると音声で読み上げる記事もある。

 その他、NewsPicksというサブスクリプション有料配信サイトの記事に目を通す。政治・経済・などカバーする範囲も広く、そのうえ著名人の対談(動画)もある。月額1500円は安い。ちなみに日経新聞は少々レベルが落ちてきたように感ずることもあるが、依然として文化欄は興味深い記事が少なくない。たとえば、坂井 修一さん(歌人にして情報科学者)のコラムは、歌人としての話と専門分野の情報工学の話が渾然一体となっていて興味深いものがある。一例を挙げてみる。さる9月22日には源氏物語についての記事があった。

 ”『源氏物語』「若菜下」に、光源氏が柏木衛門督(えもんのかみ)をとがめる有名なシーンがある。自分の正妻と不義を働いた青年貴公子に、「老いて酔い泣きする私を笑うのだね、君は。でも、歳月はさかさまに流れないものだよ。君だってすぐに同じことになるさ」と痛烈な皮肉を言うところだ。紫式部は光源氏を理想の貴公子として描いたと言われるが、彼は聖人君子ではない。いくつもの禁忌を侵すし、周囲の人々に深い苦悩を与え続ける。正妻女三の宮を寝取った柏木をこんな言葉で射すくめ、病死させてしまう。

実は私は『源氏物語』の中でこの場面が一番好きだ。これの背景には、紫式部が観察していた貴族たち、特に藤原道長のふるまいが隠れているだろう。どんなに立派な人間の心にも恨みや嫉(そね)みはあり、ふだんはフタをしていても、一生に何度か表に出てくる。闇の中にいる化け物が、一瞬だけ姿をあらわすのである。

大和和紀さんの『あさきゆめみし』は、『源氏物語』を漫画にしたものだ。単行本になるたび、私はこの漫画を買って読んでいた。「若菜下」はだいぶん後のほうだから、「このシーンをどんなふうに描くのだろう」と思いながら。
漫画は顔の表情や場面を絵として出せるので、小説や詩よりも表現手段に幅がある。そのかわり、言葉の奥に潜んでいるものを読者が想像する楽しみが失われることも多い。大和さんは、このシーンの光源氏に、黒い衣装をまとわせた。そこには、白く細い線で蜘蛛(くも)の巣のようなものが描かれている。背景には、暗黒の中でなにかがのたうつような模様が描かれている。

光源氏の心の闇を描くのに、大和さんはこうした現代風の象徴的手法を用いた。読者にはわかりやすく、原作の奥深さや気品を損なわないように、平安時代の絵図として不自然なことがないように、この数ページの背後には、想像超える苦心があったに違いない。理想の貴公子だからこそ、不義をなじる深刻さが際立つ。このシーンは幾度思い返してみても過ぎることはない。”



 昼間はチェロの練習。70代半ばの手習いで始めたが、なかなかうまくならない。亀の歩みではあるがすこしづつ進歩している。好きな曲にドヴォルザークの「ユモレスク」があるが、練習を重さねれば遠からず弾けるようになるだろう。それから最近楽器のメンテナンスをした時に、弦(金属製)と弓の毛を替えたところ、とてもいい音が出るようになって、一人で悦に入っている。このチェロに加えて、四月からは歌の個人レッスンを受けるようになった。ヴォイストレーニングをした後に、好きな歌を歌っている。最近は、マーティン・ハーケンスが歌った「Yoou raise me up」を歌っている。その後は、シュベルトの歌曲「夜と夢」などにに挑む積もりだ。その次はカンツオーネかな? いや。オペラかな?

 気が向くと、近くにある小磯記念美術館に出かける。ちょうど、今は住友コレクションが展示されている。クロード・モネの「モンソー公園」や藤島武二の「幸ある朝」が印象に残った。特に後者は、窓から差し込む日の光を受けて手紙を読む一人の乙女が描かれている。幸福感が伝わってくる。手近に、このような美術館があるのは恵まれていると思う。

 


 (料理の話)
 前回、阪神青木の中華料理の店「三日月食堂」の魚香茄子(ユイシャンナス)ことを書いたが、以来自分でも中華料理を時々作っている。自分でレシピを探し、料理をするのは楽しい。小泉先生の食魔亭の記事は大いに参考にさせて頂いている。ごく最近、縁あって『菱田屋の男メシ』という本を見つけた。「菱田屋」は、駒場東大前にある小体な定食屋である。先代の店主、今の店主もふくめ6人で学生や先生たちを相手に定食を作り続けている。クックパッドのレシピと違って、毎日通ってくるお客さんの厳しい目にさらされているだけあって、出される料理は色々工夫されており、とても美味しい。中華も和食も洋食もある。本をアマゾンで見つけたところ、kindleでunlimited。つまりただ。iPadにダウンロードして眺めている。最近もチンジャオロースを作ったが、とてもうまかった。

  


(頭の活性化、友人との付き合い)
 日の光を浴びるて歩くのはとてもいいことである。日光を浴びると、皮膚のコレステロールが代謝されビタミンD3になる。このビタミンD3は干し椎茸の2倍もビタミンDが摂れる優れもの。ビタミンDが体に入るとカルシウムの吸収を促したり、免疫が活性化したり、良いことずくめで、一酸化窒素(NO)の活性も起こる。

とくにセロトニン活性は脳内化学伝達物質の活性になり、精神や情緒の安定につながる。セロトニンは幸せホルモンと呼ばれ、精神の安定を保ってくれる。ということもあり、プールに行かない日は、主に島の中を陽の光を浴びて歩き回っている。時々は、島を出て大橋を渡り住吉川を遡上する。下流の方では、鮎の稚魚が群れをなして泳いでいる。

 それから毎日日記をつけている。B6サイズの日記帳に毎日横書きでびっしり書く。今日あったこと、感じたことなど。毎日、書いている。字の書き順がいい加減なので、時々書き順アプリで確かめて書いてる。万年筆はペリカン、時々セーラーのKing of Penで。なかなか書けないマル秘のこともあるが、それは一種の暗号化をしてメモする。(笑)

 ワクチンの接種もしたので、出かけるとしたら、まずは東京だ。音響効果の優れたサントリーホールでの音楽会や、山種美術館の日本画を見にいきたい。また歌舞伎座で大歌舞伎を見たい。それに東京には、料理のうまい店が多い。 ニューヨークにも出かけたいが・・・。

                   

京都の行きつけの店での若い友人たちとの付き合いも再開しようと思っている。また、さほど若い人というわけではないが、シドニーに駐在していた折りにお世話になったカイロプラクティックのドクター(Larry Whitman)との付き合いもいまだ続いている。ある時、相互にフェイスブックを利用していることがわかり、お互いの記事にコメントを書き込んだりしている。先般、彼がシドニーで開業して以来43年間を経過したとのことで、お祝いの文を書き送った。シドニーから帰国後も、長男の健康の問題で電話での相談に乗ってもらったこともあって大変お世話になった。


(知的活動)
 頭がぼけないよう、いろいろ留意している。レオスキャピタルワークスの藤野さん(CEO)が、毎日英語の勉強を1時間するという。あの多忙な人がと、感心した。今でもNewYorkTimesに目を通しているが、時々字引を引くことがある。語彙力が足らないと痛感している。また投資をしている米国の企業(Adobeなど)や中国の企業(ファーウエイなどの英語版)の年次報告書を読んでいるが、日本の企業のおざなりなものと違って顧客への訴求力が強い。それらを含めて、毎日勉強の意味を含めて目を通すことにした。要は時間を決めて毎日勉強することだ。

 アマゾンで本を買うと、旬日を経ずして、感想を書くことが求められる。これまでは、余程のことがないと書かなかったが、己の知的活動の一環と思えば、そのような読書批評を書くのはいい機会だ。気に入った本については、積極的に書くことにしている。

 人物研究も面白いテーマだ。自分が興味を抱いた人について取り上げ、どのような人か、どのような活動をしてきたか書いて見たくなった。今、興味を抱いているのは「森岡毅」という人物である。この人は、あの不振の陥っていたUSJワールドを再建し、成長軌道に載せた人である。特に興味を感じたのは、彼の手法である。高等数学を用いた独自の確率統計ノウハウによる戦略理論と多くの奇抜なアイデアで、経営難に陥っていた企業を救った実績がある。ぜひ、彼の足跡を追ってみたいと思っている。元日本マイクロソフト社長の成毛眞氏のことや、醸造学の大家小泉武夫さんのこと、また編集者にして歌人の小高賢氏のことも取り上げたい。


(読書)『最悪の予感』 『暁の宇品(うじな)』 『骨まで愛して』

 この夏の読書は当たりだった!

 『最悪の予感』(マイケル・ルイス 早川書房 2021年7月)は、2005年頃のアメリカ政府(ブッシュ・ジュニア政権)における感染症の大爆発に関するドキュメンタリーである。当時のCDC(疾病対策センター)は感染症は何ら問題ないとして何もしなかった。それを救ったのは、サンディア国立研究所の科学者であるボブ・グラスと彼の娘ローラ・グラス(当時、15歳、高校生)が組み上げた数理モデルだった。それは、様々な戦略方針が感染症に及ぼす影響を示すもので、患者を隔離すること、大人同士のソーシャルディスタンスを取ること、抗ウイルス剤の投与などがモデルの組み込まれていた。それによると、学校を閉鎖して子どもたちのあいだにソーシャルディスタンスを取ると、インフルエンザを模した病気の感染率は激減した。当初はこの考えに否定的な政府機関であったが、更に実務面で活躍するカリフォルニア州の保健衛生官であるチャリティ・ディーンの奮闘のおかげで、この考え方は広まっていった。大変インパクトのある書物である。ここで取り上げられた数理モデルを、日本の例に当てはめて感染者数の激減がどうしておこったのか解析できないだろか?

      

 『暁の宇品』(堀川惠子 講談社 2021年9月)は、戦時下広島にあった陸軍海上輸送基地の様子を描いたものである。ここは船舶の神様と言われた田尻昌次中将が作り上げ、この基地から東アジアへ向けて大量の物資や兵員を輸送した。日頃、兵站整備や食料補給などを重要視してこなかった大本営のせいで、太平洋戦争で実に多くの兵士たちが餓死したり病気でなくなっている。そうした現実下で奮闘した田尻であったが、彼の真骨頂は、広島に原爆が投下され、酸鼻を極めた8月6日、田尻司令官は全兵力を投入して、被災地広島の救援と支援に当たったことである。このノンフィクションは、今でも読まれるべきものだ。ちなみに、ビルマのインパール作戦では補給がほとんどなされず、8万6千人兵士が1万2千人にまで激減した。その殆どが餓死である。太平洋上の島、ルソン島でも多くの兵士が餓死している。

 『骨まで愛して』(小泉武夫 新潮社 2018年12月)は、サブタイトルに「骨まで愛して 粗屋五郎の築地物語」とある。ある時五郎は仕事場の職人から、おろしたばかりの鮪の骨の端の方をぶつ切りにしたのをもらい、夢中になって骨から中落ちをこそげおとしていた。そのうち、彼は魚の粗(あら)だけを使った料理屋を開くことを決意した。普通「粗」と聞いて思い浮かべるイメージは生臭いし、捨てられるものだと思う。しかし粗には、頭や目玉、骨、鰭、血合い、中落ち、卵巣など使えるところが沢山ある。その上、栄養がある。カルシウムやカリウム、リンなどのミネラルも多い。五郎は、美味い上にミネラルを補える料理を出す「粗屋」は絶対に当たると考えた。そうして店を発展させていく。痛快極まりない物語である。彼が「粗屋」の開店前夜に、これまで世話になった人々を招いて、ささやかな前夜祭を催した。その夜の、粗料理をみてみよう。一品目は、鰤の粗を使った「鰤大根」。二品目の大きな皿鉢には、真鯛の頭二つを使った「鯛の粗煮」・・・大きな目玉のまわりのトロトロした感じや、ぶよぶよした厚めの唇の皮の旨さはたまらない。三皿目と四皿目は鰹の腹皮料理二種。腹皮とは鰹の砂ずりの部分を皮ごと切り取ったもので、脂肪やゼラチンがたっぷり乗ってま誠に美味。五皿目は、烏賊の腸煮(わたに)。最後の大皿鉢は、ふかひれの醤油味の姿煮。その夜、用意された酒は、食前酒にふ河豚のひれ酒。食中酒には、甘鯛の骨酒。食後酒は海鼠腸酒。客たちが大絶賛したのは。いうまでもない。こんな店があったら、飛んで行きたい! 実際にあるかどうか。小泉先生の本は、史実とフィクションが入り混じっているので、わからない。

 ドストエフスキーの『罪と罰」も手にした。『カラマーゾフの兄弟』は、どんどん読み進んでいけるが、この『罪と罰」は、そうはいかない。しかし、たまにはじっくりと主人公であるラスコーリニコフの心情を慮りつつ読むことも、また意味があるのではないか。


(美術がらみで)京都の本願寺唐門は写真にみるようにとてもカラフルである。造形美も素晴らしい。たまたま夏に公開された時に見に行ったが、金の飾り絵や極彩色の彫刻で彩られ、一日中見ても飽きない。これが作られた安土桃時代の爛熟した文化が偲ばれる。このような素晴らしい文化を持つ日本のファッション業界は、モノトーンに近いものばかりで、なぜカラフルな衣料は、なぜ日本でつくれないのか、いつも疑問に思う。それゆえ、海外に行った時には、男物ならNAUTICAなどのシャツやパンツ、またイタリアのジャケットやネクタイを買って帰るのだ。情けない。日本のファション業界は、奮起せよと言いたい。

  

(笑うこと)
 アメリカにサタデーレビューという雑誌があるが、その編集長をしていた人でノーマン・カズンズ氏という人がいた。彼はある日、膠原病の一つである硬直性脊椎炎にかかり、体が動かしにくくなり、特にすさまじい痛みに襲われた。その治療法も確立されておらなかったが、数か月後に症状が改善し再び仕事に戻ることができた。

彼が実践したことは二つ。
1つ目は、ビタミンCの大量摂取です。ビタミンCは人間の免疫作用と自己治癒力を高めるために必須なのです。もう1つは、たくさん笑うことです。彼はまず、ネガティブなことを考えがちな病院からホテルへ治療の場所を移した。リラックスできるホテルの一室で、知り合いのテレビのディレクターから差し入れてもらった笑えるテレビ番組の総集編を観てゲラゲラ笑ったのです。効果はすぐに現れた。それまで激痛で十分に眠ることができなかったカズンズ氏ですが、30分間大笑いしてからは2時間熟睡できるようになったの。2時間後に痛みで目が覚めたら、また30分間ビデオを見てゲラゲラ笑って、また2時間寝る、ということを繰り返した。なぜ痛みが和らいだのか。その後の研究で笑うと脳からβエンドルフィンという鎮痛作用のあるホルモン(「脳内モルヒネ」)が出ることが分かった。


 免疫力を高めるためにも、笑うことはいいことですね。と、いうことで動画で「笑点」の大喜利をみて、ケラケラ笑っています。今の笑点(春風亭昇太)もいいのですが、やはり昔の「笑点」が、いいですね。三遊亭円楽師匠や桂歌丸さんが司会をしていた頃の「笑点」は、とくにいいですね!
 
 アマゾンのプライム・ビデオで「美味しんぼ」(原作 雁屋哲)をみるのも乙なものです。

 いや、いろいろ脱線してしまいました。


(深夜になると)
 改めて本を手にとる。今夜は、『ゴルゴ13』。 作者のさいとう・たかをさんが先日亡くなられた。鎮魂の意も込めて。

 もう遅くなった。最後に、今夜も好きな詩を。田中冬二の『青い夜道』から。


  いっぱいの星だ。
  くらい夜みちは
  星雲の中へでもはいりそうだ
  とほい村は
  青いあられ酒を あびている

  ぽむ ぽむ ぽむ
  町で修繕(なほ)した時計を
  風呂敷包みに背負った少年がゆく

  ぽむ ぽむ ぽうむ ぽむ・・・



       ~~~~~終わり~~~~~

追記 
 このように書いてきて振り返ってみると、私は勝手気ままにやりたい放題生きてきたような気がする。果たして、それでよいのだろうかと、ふと思うことがある。先日「侍ジャパン」でチームを金メダル獲得に導き、退任した稲葉篤紀監督の話を思い出した。彼は、”本当ならオリンピックを野村監督に見てもらいたかった”、と言って、野村監督のあるエピソードを紹介した。野村監督は、「財を遺すは下(ゲ)、仕事を遺すは中、人を遺すは上」という言葉を好んだという。

これをビジネスの世界に当てはめると、①利益を生むこと、②事業を発展させること、③人材を育成して次世代につなげる。と、云うことになる。私自身、振り返ってみると事業(プロジェクト)はある意味成功に導くことにある程度貢献したと思っている。しかし、「人材の育成」という観点では、いささか欠けていたような気がする。今さら、この年でということになるが、このブログに書いたように遊んでばかりではなく、少しでも社会のお役に立つことが出来ぬものかと、考えている。いささか、焦慮に駆られる。





















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読後感―コロナの日々 (葉有露)
2021-10-05 16:21:41
ゆらぎ様

 エッセイを暫らく時間が経ってしまいまいした。
ゆらぎ様の生活メニューの豊かさに、いつもながら
驚嘆するばかりです。
 小生が同じエッセイを書くとしたら、甚だ簡素な内容になります。中身は、2010年6月に始まった腎臓病(ネフローゼ症候群)をベースとした日々と、ほとんど変わりません。治療の為、治療薬の中に免疫抑制剤を使っています。それでなくても年齢から、免疫力低下は必至なのに加えて免疫抑制をしています。
 当然、感染症にたいし抵抗力は低いので、コロナウイルスには弱者の中で最たる者です。この状態が
10年以上続いていますので、コロナの日々にはほとんど違和感はありません。

 お陰様で、「静寂」の生活を好むようになりました。お誘い頂いた俳句ですが、「俳句教室」にも
講師以外の声はほとんどなく、その雰囲気を楽しんでいます。人物画中心の絵画教室、教会の日曜礼拝にも、静かな時間がゆっくりと流れています。

 敢えて望むすれば、親しい友人との語らいです。
とりとめのないコメントで恐縮です。

             葉有露拝

 
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お礼 (ゆらぎ)
2021-10-06 10:29:06
葉有露様
 駄文にお目通し頂きありがとうございました。貴兄の抱えておられる健康上の問題について詳しいことは存じませんが、厄介な問題ですね。小生もクレアチンの数値には気をつけています。

 俳句・絵画と日常を楽しんでおられるようで、ご同慶の至りです。近々「飲み会」で、楽しく歓談して、憂さをはらしましょう。
返信する
読後感 (九分九厘)
2021-10-06 10:32:25
 コロナ禍での自己変容記録?と思って読むと、そんな気配を感じさせない圧倒的な「超人ゆらぎ」の日常記録です。多様で多彩な項目に一々コメントできませんが、次から次へと繰り出されてくる「ゆらぎの感性」に目の眩む思いがしました。読後感をどうのように表現したものか戸惑い、一晩おいてコメントを入れています。例えがいいかどうか分かりませんが、読後感の印象に最も近い音楽を選んでみました。リヒヤルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」です。

https://www.youtube.com/watch?v=zsTo7QxxgYg

この曲は五管編成のいわゆる大編成のオーケストラによるものです。アルプスの夜明け前からの静けさから始まり、日の出とともにアルプス登山が始まり、森・小川・滝・草原・牧場などを経て頂上に向かうのですが、その間に道に間違ったり幻影をみたりします。頂上での太陽との出合い、下山時における雷雨と嵐、日没と夜の訪れ。最後は夜の静かな癒やしが訪れます。
 音楽の構成が、ゆらぎさんのブログとよく似ていますし、50分の演奏が一楽章で切れ目なく次々と続くところも同じ印象です。

 さて、私自身の日常は?と問われると、どちらかといえば葉有露さん側に近い「静かな」生活に切り替わっています。スマホも使わない恣意的情報制限の生活を作り、残り少ない時間の徹底的な活用を図っています。
                 以上
返信する
羨望の自粛生活 (龍峰)
2021-10-06 13:55:43
ゆらぎ 様

今回のエッセイを読ませて頂いて、改めて感じるのは、ゆらぎさんの日々の生活の質の高さ、豊かさに驚きと羨望を抱くことです。これがウイズ・コロナの今の生活だと云っても、そこには精神的にも物質的にも何ら自粛や束縛の影響を感じません。わずかに、出かけて行き、人と交わることの機会が減じていることぐらいかと思います。それにしても、この現況下でこの恵まれた生活ぶりは、超一級です。小生なんぞ足もとには、はるかに及ばない。最初から諦めの境地です。
察するに、これは、ゆらぎさんの衣食住、文学、芸術、政治、経済、国際問題など等、多方面のジャンルへの弛まない関心と知識・経験が幅広くかつ深いこと。その上に現在のお住まいの環境、健康を得て、人一倍の好奇心と行動力、今でも日夜英語力を磨いておられる真摯な姿勢と実行力、忍耐力、そして、何はさておいても、一番は交わる人を惹きつけてやまない人間的な内なる魅力、人間力の強さとご家庭のご理解からくるものではないかと思います。
述べられているテーマは個々には初めて知ることも多く、大変興味をもって読ませて頂き、大いに参考になりました。
最後に、ニューヨークタイムスの話が出てきましたので、思い出しました。
4年前にニューヨークで1か月余り居た時、泊まったホテルの斜め向かいがニューヨークタイムスの本社ビルでした。窓から24時間明りの消えないビルを眺め、ここから世界に理性に満ちた情報が発信されているのだと思うと、アメリカそのものがより身近な存在になっていくのを覚えました。
一層のご活躍をお祈りします。
返信する
お礼 (ゆらぎ)
2021-10-06 20:24:46
九分九厘様
 駄文にお目通し頂きありがとうございました。また過分なお言葉、恐縮です。さて、読後感としてリヒヤルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」を挙げておられますが、言い得て妙です。このことに目をつけられた大兄の眼力には恐れ入りました。

この曲はよく知っていますが、改めて聴いてみました。アンドレ・オルズコ・エストラーダという指揮者の名前は初耳です。実にダイナミックでかつリリカルな演奏をしています。ワーグナーが得意のようなので、一度聴いてみます。

余談ですが、ご紹介いただいた動画を見ていたら、演奏が終わって聴衆はすぐには拍手をせず、一拍おいてから拍手をしていました。聴衆のレベルも高いと感じました。
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お礼 (ゆらぎ)
2021-10-06 23:08:54
龍峰様
 過分なお言葉を頂き、汗顔の至りです。何、大したことはありません。勝手気侭に生きているだけです。好奇心が強いので、何にでも頭を突っ込みます。英語力を磨けば、入ってくる情報量が格段に増えますからね。それだけです。

大兄も絵を描くことを続けておられ、それもあってか今も海外や国内各地を駆け回っておられますね。とても小生にはついていけません。

ニューヨーク・タイムズ社の前のホテルに宿泊されたのですか。マンハッタンの8番街40丁目でしたね。この新聞は、”The Times”と呼ばれ高級紙です。宿泊先のホテルから、このビルを眺められて感無量だったでしょう。
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