(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 小泉武夫先生のこと

2021-11-16 | 日記・エッセイ
エッセイ 小泉武夫先生のこと

 ムサボリッチ・カニスキーこと小泉武夫先生(東京農業大学名誉教授)のことについてご紹介します。あわせて小泉先生とご縁のあった歌人小高賢氏(故人)のこともご紹介します。

 小泉先生は福島県の造り酒屋の末っ子として生まれた。実家には家族や従員たち20人分の食事を用意する台所があり、小学生の頃には、鰹節を削ったり、ぬか床の手入れをしていた。小学校の4年生の時にははおやが亡くなり、落ち込んでいたのを見た父親が寂しさを紛らわせようと、専用の台所(の一角)と調理道具一式を与えられ、料理にのめり込んでいった。高校を卒業した1962年、日本で唯一の酒造を教えている東京農業大学農学部の醸造学科へ進学。そこで酵素研究の面白さに取り憑かれたのが、今日の発端とか。発酵学者として、京都を訪れる際には、人間の役に立つ有用微生物を供養する「菌塚」(曼殊院)を訪れるようにしている。

 酒~日本酒というと、日本では何と言っても坂口謹一郎先生の名前を挙げねばならない。お目にかかったことはないが、その著書である『日本の酒』や『愛酒楽酔』などのエッセイ集を拝見していると、その風貌と共に、何やら近寄りがたい感じがする。坂口先生と小泉先生の関係を一口で表現すると、ブルックナーとモーツアルトと云っては言いすぎだろうか?

 注)坂口謹一郎先生の詳しいことは、ブログ「酒を愛し酔いを楽しむ」(2020年4月16日)第1章に書いてあるので、そちらをご覧いただきたい。

 それに引き換え、小泉先生は実に愉快な方で親しみやすい。先年、神戸にお越しになり、酒造会社福寿の記念ホールで「世界の発酵食品。と題して日本酒の発祥の地などについて講演をされた。(令和2年9月10日) 「福寿」は、2008年以降ノーベル賞受賞夕食会で供される日本酒(福寿 純米吟醸)を提供している。なおこの2008年は日本にとっては4名のノーベル賞受賞者(正確には3名の日本人学者(益川敏英と小林誠氏、下村脩氏)と
米国在住の南部陽一氏)を出している。


 さて小泉先生の講演が終わって夕食会の場となり、銘酒福寿と美味しい日本料理の数々を味わうことができた。食事が終わった頃、小泉先生のところへ行って、ご挨拶させていただいた。これには訳がある。後述する小高賢氏(講談社 学芸局長、取締役。本名 鷲尾賢也)が、主催する「酒を呑む会」から発展して俳句の会を開くようになった。まったくの素人連中が集まる句会が続くことになり、小泉先生もそのメンバーの一人。というより、小泉先生を囲んで飲みかつ喰らい談笑する会があって、そこから自然発生的に句会が誕生したのである。この句会の仔細については、以前にブログで紹介したことがあるのでそちらをご覧いただきたい。→「句会で遊ぼう」(2013年1月9日)

と、さような訳で俳句遊びをネタに小泉先生とお話したというわけである。先生は見ず知らずの人間にもかかわらず、暖かく接してくださった。

 ”しかし、残念ですね。小高さんが亡くなってしまわれて・・・”、と水を向けると、”いやいや、まだ俳句はやっていますよ”、と嬉しそうに句会の予定がびっしりと書き込まれた手帖を見せてくださった。気取ることなく、本当に親しみやすい方である。


(小泉先生の渾名)
 愛すべき小泉先生には、数多くの渾名がある。そのお人柄をご理解いただくためにも、渾名の一端をご紹介しよう。
 小泉さんは「あだ名は私の勲章」と胸を張る。「味覚人飛行物体」「走る酒壷」「鋼鉄の胃袋」、「発酵仮面」「ムサボリッチ・カニスキー」・・・。

 中学生の時のあだ名は、「歩く食糧事務所」。なんで、そんなあだ名が?「鞄の中に缶切りや割り箸、醤油、秋刀魚の蒲焼きや烏賊の丸煮、鯖の水煮などの缶詰、マヨネーズなどを入れて持ち歩いていました。通学路の周囲が畑ばかりでトマトもキュウリもあります。当時発売されたばかりのマヨネーズを重宝しました」
 大学生の時は「走る酒壺」といわれた。「酒豪の上、宴席からいつの間にかいなくなったり、不意に現れたりして飲み歩いていたからです」。

東京農大を卒業、「食の冒険家」になると、また、ユニークなあだ名がついた。まず、付いたのが「味覚人飛行物体」。「神出鬼没ぶりに拍車がかかりました。食や味覚を求めて日本国内だけではなく、海外をも飛行機で忙しく飛び回っている私を表現したようです」

 東京農大醸造科学科教授となった頃、月光仮面ならぬ「発酵仮面」。「世界の発酵食品を紹介したり、発酵関係の本を書いたりするうちに…」ついた。「ムサボリッチ・カニスキー」は、「カニを食べるのが上手で、ロシアのカムチャッカ半島でタラバガニを食べたとき…」につけられたという。

 ご本人曰く、
 「あたかも出世魚のごとく、次々と付けられたあだ名は私の勲章だと思っています。とくに気に入っている『味覚人飛行物体』は、今では商標登録しています」、と平然と語る。大人(たいじん)の趣がある。


(小泉先生の著書と記事)  大変な物書きである。その結果、小泉先生の紹介文に、発酵学者にして文筆家と書かれるようになった。

 1982年に講談社現代新書で刊行された『酒の話』以降、数百冊の及ぶ本がでている。挙げればきりがないが、その中で特に印象に残ったモノを二三下記する。

 『酒の話』
 『味覚人飛行物体』
 『発酵は錬金術』
 『食魔亭日録 小泉武夫の胃袋をのぞく』

 『小泉武夫の料理道楽食い道楽』
 『骨まで愛して』・・・ブログ「ウイズコロナの日々 2ndバージョン」で紹介したので、そちらをご覧いただいたい。(2021/10/02) 

この本とは別に、日経新聞の夕刊に「食あれば楽あり」という記事が掲載されている。毎週、月曜日の夕刊。いうなれば、先生が考えて試した料理のレシピである。むずかしい料理ではないので、時々気軽に試している。そのレシピを一、二ご紹介する。ながくなるので、適宜読み飛ばてください。

 ○「茄子の味噌炒め」”そのナスで最もシンプルな美味料理は「ナス焼き」であろう。フライパンに油を敷き、二つに割ったナスをそこで焼き、おろしたショウガを薬味に醤油(しょうゆ)で食べる野趣ある食べ方である。そのナス焼きのときに、味噌を加えてやってみたら、これが非常に美味(おい)しいというので、それからというもの「ナスの味噌炒め」は代表的なナス料理となった。”

”我が厨房「食魔亭」でも、この食べ方は簡潔で美味しく、ご飯のおかずにもぴったりなのでよくつくる。
ナス(6個)はヘタを取って縦二つ割りにし、切り口に浅い切れ目を入れて油(170度)で揚げる。豚バラ肉(120グラム)は小切りにする。

その豚肉を油(大サジ2)でよく炒めながら刻みニンニクと刻みショウガを少々加え、さらに豆板醤(とうばんじゃん)(小サジ1)と赤味噌(大サジ2)を加えながら混ぜてのばす。そこにナスを入れて炒め、酒(大サジ1)、スープ(カップ半分)、砂糖(大サジ1)を加えてひと煮する。最後に水溶き片栗粉(大サジ2)とゴマ油少々を加え、風味と照りを付けて出来上がりである。

それを小鉢に盛り、じっくりと見るともう涎(よだれ)を誘う。ナスは幾分黒色を帯びた紫紺色で、表面は油に染まってテカテカと光沢している。その脇には、やや赤みを帯びた山吹色の豚肉が、ブヨブヨとした透けた脂肪身を抱えながらあちこちに横たわっている。そしてその全体を味噌の茜(あかね)色がしっかりと染めていた。

先(ま)ずナスと豚肉をごそっととって食べた。一度油で揚げられ、その後炒められたナスは、歯に噛(か)まれるとペトペトとやわらかく、そこからナスの甲高いうま味や微(かす)かな甘みが湧き出してくる。
豚肉の正身(しょうみ)のところはシコシコとし、脂身の方はプヨプヨとしてそこからは濃厚なうま味とペナペナとしたコクが溢(あふ)れて出てきた。そしてその全体を味噌ダレのうまじょっぱみと甘みとが押し上げ、さらに炒め油からのテレテレとしたコクが包み込んで絶妙であった。

それではこれをおかずにご飯を食べましょうかと、丼に温かい飯(めし)を七分目ほど盛り、その上からナスの味噌炒めをぶっかけて、ナス丼スタイルで食べた。左手に丼を、右手に箸を持ち、丼の縁に口をつけてガツガツと食べた。そして、口に入ってきたナスと豚肉と飯を一緒にムシャムシャと噛むと、口の中では飯の甘みとナスと味噌ダレからのうまじょっぱみと甘み、脂と油からのペナペナとしたコクなどが一体となって混ざり合い、またもや美味の極地へと辿(たど)り着いた。”


 ○「小柱の天丼」”大型の貝であるタイラガイ(タイラギ)の貝柱は大きく、市場では「柱」といえばおおむねこれを指す。これに対し小型のアオヤギ(バカガイ)の貝柱は小粒で、これを市場では「小柱(こばしら)」と呼んでいる。コバシラは刺身(さしみ)、酢のもの、和(あ)えもの、寿司ダネなど主として生食されるが、天麩羅(てんぷら)や吸いものの実、バター炒め、チーズグラタンなど加熱調理しても使われている。

JR品川駅名物の「品川貝づくし」弁当は、我が輩の大好物で、全国の駅弁の主座にあるほどだ、とはかねがね私の自論。アサリ、シジミ、ホタテ、ハマグリなどの貝が使われている中で、ゴロゴロと散らばっている淡黄色の美しいコバシラの存在は、眩(まぶ)しいほどである。”

 注)小生も、東京から新幹線で帰る時は、品川駅で新幹線に乗る。駅の入り口は二箇所あるが、手前の改札口を入ったところの弁当売り場で「貝づくし弁当」を売っている。それを買い、日本酒のカップを一缶。弁当はまさに逸品である。

”そのコバシラは、デパートの魚売り場でもスーパーでも、ネット取り寄せでも今はパックにされて売られているので実に重宝だ。生のままでも。ボイルされたものでも、冷凍ものでも自由に手に入る。我が輩は大概は生のものを買ってきて大好物のかき揚げをつくり、それで天丼をつくる。

生のコバシラ(400グラム)を塩水で洗い、水気を切る。三つ葉(100グラム)は3センチのざく切りにする。揚げ衣は、卵(2個)と水でカップ2.5としたものをボウルに入れ、そこに小麦粉(カップ2.5)を振るい込んでざっと混ぜ、コバシラと三つ葉を入れて軽く合わせる(具)。鍋の油の温度が180度になったら、玉じゃくしを1度油に漬けてから具をすくいとって入れ、浮き上がったら箸で数カ所つつき、油をかけながらカラリと揚げる。器に敷き紙を敷いてそこにかき揚げを盛り、4人前の出来上がりである。

その揚げたてのかき揚げの眩(まぶ)しいこと。淡い黄金色の衣の中に、深い山吹色のコバシラの粒が点々と散り、そこに三つ葉の鮮やかな緑が彩りを放っている。もう我慢できず、その揚げ立てを天つゆ(ダシ汁カップ1に醤油(しょうゆ)カップ4分の1と味醂(みりん)カップ4分の1を加えたもの)にくぐらせて食べてみた。口に入ったかき揚げは、先(ま)ず衣が舌にフワリ、ペトリとまとわって、次にコバシラがポクリ、ポクリと歯に応え、そこから貝特有の深奥で優しい甘みと高尚なうま味がチュルチュルと湧き出してくるのであった。

さて、そのコバシラのかき揚げのいまひとつの楽しみは、大好きな天丼でいただくことである。丼に温かいご飯を七分目ほど盛り、その上にかき揚げを全面にのせ、タレ(だし汁1カップに味醂大サジ3、砂糖大サジ1、醤油大サジ4を混ぜ、火にかけて煮立ってきたら火を弱め、8分ほど煮詰めたもの)を回しかけして食べるのである。

ずしりと重い丼を左手に持ち、右手に持った箸でその天丼をざくりと大きくほぐしてから、飯とかき揚げを交互に口にかっ込んでムシャムシャと食べた。すると鼻孔からは揚げ天の香ばしい匂いと重厚なタレの匂いが抜けてきた。口の中では、衣や三つ葉のサクサクした歯応えとコバシラのシコシコ、ポクポクとした弾みが快く、そこから優雅なうま味と耽美(たんび)な甘み、そして揚げ油からのペナペナとしたコクが湧き出してくる。それを飯の上品な甘みと、ドロリとしたタレの甘じょっぱみが囃(はや)し立て、味覚極楽の気分に陥るのである。”


(日本酒の話)
 小泉先生の著書『酒の話』の中に、「名酒の条件」という一文がある。なかなか興味深いので、かいつまんでご紹介する。

 ”名醸の地には、必ずよい水と理想的な原料を育てる土壌、それに気候がある。この三者が一体なっ時、銘醸の地が生まれ名酒が育つ” 。”とくに清酒は水が原料の一部にもなっていて、清酒成分の約80パーセントは水であるから、品質に影響を与えるのは当然のことである。だから昔の酒造蔵は、まず良質の水が湧出するところを選んで建てられた。清酒原料水の中で、最も有名なのは兵庫県は灘の「宮水」で、硬水である。この水が清酒醸造用水に極めて適するものであることを初めて見出したのは、天保11年(1840年)で、当時、東の西宮と西の魚崎に居を構えていた主人が、常に東の方の酒が優れているのに疑問を抱いて、色々調べてみた。その結果、東の蔵の酒の優秀さは水に原因することをつきとめた。以後、西の宮の「宮」をとり、「宮水」と名付けた。”

 ”この宮水に地質学と化学のメスが初めて入れられたのは昭和2年以後で、研究の結果、この水は北の方、六甲山の裏側から流れだす武庫川の水と、西の方、夙川(しゅくがわ)や御手洗川の水が地下に浸透して伏流となり、宮水地帯に達すると、今度は南側から来た海水と僅かに接触して成立すること、井戸の深さは3メートル程度で浅いが、そ底部に存在する二枚貝の一種であるトリ貝の層がこの神秘の水を決定づけていることが分かった。そして宮水の分析の結果、この水には1リットルあたり2.7ミリグラムという多量のリンが含まれている事がわかった。これほど多量のリンを含有する水は、全国各地の酒造蔵には例がないほど顕著なものであった。リンの他にカリウム、カルシウムも多く、これらの無機成分は発酵の際、清酒酵母を強健に活動させて有害菌に侵入の余地を与えず、強く安定した発酵を行わせるのに有効となっている”

 注)ちなみに御影にある<にしむら珈琲>は、毎朝この宮水をトラックで運び込んでいる。<にしむら>の珈琲が、美味い所以である。


(閑話休題)
 せっかくなので、私の好きな日本酒について、ちょっと触れることをお許しいただきたい。

 好きな日本酒を羅列すると~「醸し人九平次」(萬乗醸造 名古屋市緑区) 会津の酒(「飛露喜」、「寫楽」「国権」。そして山形は村山市の高木酒造の「十四代」

 神戸では「瀧鯉」。琵琶湖畔の浪之音酒造の純米大吟醸「金井泰一流」とい う事になる。

 このうち「醸し人九平次」とは、京都は丸太町通にある「楽膳柿沼」で出会った。ここの主人は休日には遠方に出かけ、現地の酒造メーカを見学して情報を収集している。”酒は何にされますか?”と聞かれたので、”お任せします”と答えたところ、「醸し人九平次」が出てきた次第である。注文した料理のことを考えてのおすすめであった。この酒は、名古屋市の緑区にある「萬乗醸造」で造られている。ここは、”革新の先にしか進む道はない”との考えで酒造りに取り組んでいる。出されたのは、ここの純米大吟醸。熟した果実味と気品、優しさが感じられた。今なお、愛する日本酒である。

 会津の酒は、会津は東山温泉の湯宿「芦名」でいろいろ勧められた。食事の進行にあわせて大女将が出してくる。食事と、ぴったり合う。山形の高木酒造の「十四代」は、今は幻の逸品となった。この酒については、以前にブログで紹介しているので、そちらをご覧いただきたい。
 → (ブログ「春燈雑感 日本酒の魅力 2015年3月2日)

 神戸の「瀧鯉」は、灘に住みながら、大手メーカーに酒ではなく、こじんまりしたメーカー(木村酒造)の「瀧鯉」の純米酒を愛好していた。震災で蔵が倒壊し、今は桜正宗に吸収されている。食中酒として気に入っていた。

 琵琶湖畔の酒造会社浪之音酒造は、たまたま句会で訪れた「余花朗」というところで、うなぎ(これは絶品。皮はパリパリ、中の肉はしっとりと美味)を食したところ、それにあわせて供されたのが「金井泰一流」の大吟醸(無濾過)。飲んで爽やか、口中にフルーティな香りが広がる。今も気に入って、、時折、浪の音酒造から取り寄せている。

 余談になるが、「美味しんぼ」(プライム・ビデオ)に「牡蠣に合う日本酒 」という一幕がある。主人公山岡士郎は、東西新聞社で「究極のメニュー」づくりにいそしんでる。ある日、仕事のパートナーである栗田ゆう子と新進気鋭のシェフが開いてるレストランにゆく。そこで出された生牡蠣にフランス産ワインを奨められるが、”生牡蠣にワインは合わない”と云って、持ち込んだ日本酒をシェフにすすめる。怪訝な顔をしていたシェフも、”たしかにこの日本酒のほうが生牡蠣にはあいますね”、と同意した。士郎の持ち込んだ日本酒は、「天狗舞」の山廃純米大吟醸であった。(山廃は、米をすりつぶす作業(山卸)を廃止したもので、農酵でうま味がある酒になる)本当に生牡蠣に日本酒があうかどうかは、私には分からないが、一度試してみたい。
 

(小泉先生の俳句)

 締めくくりに、小泉武夫先生こと俳号「醸児」の俳句をいくつかご披露いたします。講談社の学芸局長にして歌人の小高賢さんを宗匠(いや世話人といった方がいいだろう)として始まった醸句会で投句された句中から、バレ句、駄句、秀句をご紹介します。(『句会で遊ぼう』(小高賢)から。

 (第一回句会)
 
  ”電灯におおい被さる八重桜”
  ”隅田川日長の土手に我独り”
  ”燗酒を干して気がつくひながかな”

 (バレ句)

  ”かやのなか男女(みな)の汗吸う敷布かな”
  ”桃色の吐息だという口ふさぎ”

 (秀句・佳句)
  ”宮相撲子供雷電ここにあり”
  ”四国路や今年は埃のご開帳”「

  ”それ逃げろ月夜畑の裸の子”

 (話題になったひどい句)

  ”冬の日のギャオーニャーニャーと猫の恋”

 こうして見てみると、大した句はない。(笑) 手練れとはいい難い。それでも、われらが小泉先生は、嬉々として俳句を詠んでおられる。それこそが、まさに気取らず、みなに愛される小泉先生の所以であると思う。

     ~~~~~~~~~~~~~~

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。小泉先生のことや日本酒のことについて、なにかご参考になりましたでしょうか。

追補
 おまけに小泉先生の「発酵仮面」の活動の一端として、発酵食の名店をご紹介しておきます。。

 滋賀県余呉湖畔にある「徳山鮓」     

 実は、この徳山鮓ができたのには、小泉先生が大きく関わっておられる。いや、育てあげて云っても過言ではない。

 主人の徳山さんいわく、
 ”「25年前、小泉先生が『日本発酵機構余呉研究所』の所長に就任された頃にさかのぼります。私は当時、小泉先生の定宿で料理を担当していました。京都で修業を積んだ一般的な和食の料理人でした。ある時、小泉先生が『なぜ、滋賀県には郷土食の素晴らしい鮒鮓があるのに使わないの?』とご指摘を受けました。宿では鮒鮓は出していなかったのです”

小泉先生は徳山さんと会うたびに、「これからは、発酵だよ、21世紀は発酵の時代だよ」と熱く語ったそうです。

”初めはピンときませんでしたが、和食に欠かせない味噌、醤油、酢、鰹節などの食材はすべて発酵食品だと思い至りました。和食で発酵をしっかりやっている人はいないと思うようになり、その後も小泉先生からのアドバイスは続き、独立を決意しました”

”「徳山鮓」ならではの鮒鮓が生まれるためには、小泉先生から「まず鮒鮓を世に出せばいい」とアドバイスを受け、独立後1年半は、発酵学の書籍などを読み漁りながらひたすら試作を繰り返しました。”
 いま、コースでは、初めに鯖の熟鮓をチーズといっしょに召し上がっていただいています。料理の後半に本場の鮒鮓をお出しして、同じ熟鮓(なれずし)でも違った美味しさがあると感じてもらうようにしています”


この徳山鮓、今や予約は半年先まで埋まっているそうです。

追補(2)
 書き終わってみると、歌人小高賢氏のことには、ほんの少ししか触れていない。すでに故人になってしまわれたが、いろんな意味で小高さんには、傾倒している。人間的な面でも、歌(短歌)の面でも。
日をおかず、稿を改めて書いてみようと思っている。








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6 コメント

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ごちそうさまです (九分九厘)
2021-11-20 11:30:28
ゆらぎさん
 岸田政権の大判振る舞いの意味不明の「新しい資本主義」を横目に、この随筆を読んでいくと<人生の一番大切なもの>を再認識していくことになります。ここから得られるちょっとした文章の一節で、その日の晩飯の味が変わってしまうという・・・といった具合の重要なる情報がひめられています。
 日経の「小泉武夫の食あれば楽あり」は必ず読んでいますが、役に立ちそうなものは切り抜いて、冷蔵庫の壁面に貼り付けてあります。
その一例に「肉ジャガ」があります。このレシピにおける、小泉武夫の最も重要な情報は、「一度煮込んだ肉ジャガの最後に、もう一度醤油を入れる」という一節です。これをするかしないかで、肉ジャガの味ががらりと変わります。他の料理の本と一味違うところがこの人のいいところですね。それからもう一つ、この随筆の「挿し絵」が素晴らしい!。 誰が書いているのかサインををみても判別できません。ご本人ではなさそうです。
 ゆらぎさんご紹介のメニューですが、なかでも「茄子の味噌炒め」はまだトライしていません。早速作ってみようと思いますが、これは調味料の複雑さにポイントがありそうです。ちょいと面倒なところがありそうですが、いずれ自分の好みに合わせた配分を考えることにしましょう。
 日本酒の貴重な情報をありがたく頂戴します。晩酌はもっぱら焼酎ですが、寒くなってきてロックからお湯割りに変えています。たまには日本酒を飲んでみましょう。  以上
返信する
旨し・楽し (龍峰)
2021-11-20 20:46:43
ゆらぎ 様

今回のエッセイは中々美味しく、愉快な話でこの時期にピッタリの内容です。
日経夕刊の小泉先生の連載は、毎回欠かさず見ています。話の途中から口の中が、唾液で一杯になるのが玉に瑕ですが。(笑い)毎週旨いメニューに圧倒されています。

我が家の屋上で出来た最後の秋ナスで、ご紹介の豚肉のこま切れと味噌、豆板醤、などの調味料の一品を本日作りました。記事にもあるように、総菜としては、白米の飯を何杯も食べたくなる感じがしました。味噌味が抜群です。

日本酒のご紹介の天狗舞は、小生の故郷の酒です。
高校2年の同級生に車多君がいましたが、彼こそ車多酒造会社の御曹司だったと思います。まだ日本酒に関心もなく、過ぎましたが、今から思えばもったいない機会を逃したと思う。
食事会の俳句は肩の凝らない句のようですが、これはこれで酒の肴にちょうどよいように思います。
返信する
食は楽し (ゆらぎ)
2021-11-20 20:58:54
九分九厘様
 拙文にお目通しいただきありがとうございました。日経「食あれば楽あり」をご愛読の由、同好の士を得て嬉しくなりました。記事の挿絵は、「北谷しげひさ」という方が描いています。

「茄子の味噌炒め」ですが、この手のものはよく拵えます。調味料の豆板醤もスーパーで売っているものではなく、南京町の中国食材専門店で買うと一味違うような気がしています。「林商店」、「「廣記商行」などがおすすめです。

日本酒は日本の文化そのものということもあり、愛飲しています。いずれ機会を得て、「余花朗」で飲んだ「金井泰一流」をご一緒に飲みましょう。
返信する
お礼 (ゆらぎ)
2021-11-21 11:11:14
龍峰様
 「食あれば楽あり」のメニューを楽しんでおられますか!九分九厘さんも含めて、三人で「食楽」の会でも開かねばなりません。

「茄子の味噌炒め」を早速作られた由、気をみるに敏ですね。感嘆いたします。たしかに「味噌」の味が効いています。

「天狗舞」の車多酒造の御曹司とご縁があったとは!クラスメートとしてずっとお付き合いが続いていたら・・・・惜しかったですね。この「天狗舞」、飲んで見たくなりました。
返信する
灘五郷での暮らし (葉有露)
2021-11-23 10:46:19
ゆらぎ様
 
 食欲の秋にふさわしい、おいしい話に満腹です。
とりわけ、灘五郷に縁のある暮らしを思いだしていておそくなりました。
 小生は,小学四年十歳の時から、昭和四十年二十七歳迄この地区に住んでいました。小学校は西灘小で、都賀川(青谷川)を挟んで、隣に西郷小もあり灘五郷の内の「西郷」です。「神鉄』の北側に「沢の鶴」があります。埋め立て前の砂浜で学校帰りに、よくよく泳いでいたものです。小学校の友達の中には、親が酒蔵に縁のある仕事をしておりました。蔵務め、桶屋、酒瓶を入れる木箱職人、酒樽屋等々。夏休みなどは、ひんやりした酒蔵に潜り込み、荒絞中の新酒をこっそと舐めたりしたものです。

 現在すんでいる夙川は、川を挟んで東側は名神高速道路まで阪急神戸線以南葉、西宮市保全条例対象
地域です。一定の規模以上のマンション建築、宅地
開発は、事前協議の対象になっています。地下伏流水保護のためです。
 小生に自宅の南海岸沿いに、辰馬本家酒造の「白鷹」、分家の「白鹿」があり、小生の日頃の散歩
コースに入っています。

 灘五郷西の端で、遊び育ち、灘五郷の東の端で一生を終えることでしょう。
返信する
お礼 (ゆらぎ)
2021-11-25 21:25:01
葉有露様
 拙文をお読み頂きありがとうございました。
灘五郷での貴兄の生活の一端を興味深く伺いました。「西郷」の前の砂浜のある海で泳がれましたか。今思えばうそのような、昔懐かしい話ですね。

そして今は夙川ですが、川の東側が地元伏流水の保護対象地域とのこと、初めて知りました。先人の苦労が偲ばれます。

機会があれば、大兄のお話を伺いつつ夙川あたりを散策したいものです。
返信する

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